第23話 今の私は一人じゃない

「ルディア様!」


 廊下に出たシェリアータは、たたずんでいたルディアに声をかけた。


 ルディアは待っていたかのようにゆっくりと振り返った。


「どうしてですか? どうして、何も見ずに」


「失格にならないだけ、 ありがたいと思っていただきたいわ」


 ルディアの視線に温度はなく、静かだった。


「シェリアータ嬢。貴女は、贈賄ぞうわい行為を行おうとしました」


「えっ!?」


 シェリアータは頭が真っ白になった。


 贈賄ぞうわい……?


「アートデュエルと関連していると明言し、手ずから贈り物を差し出した」


 シュクレサーガの出店でお菓子を渡そうとしたあの日のことを思い出す。


 まさか、あれが?


「本日の貴女のアートデュエラーを見て、実際に関連性があり、審査に影響する物品であることも確認いたしました」


 心臓がドクドクと脈を打ち、冷たい汗が流れた。


「私が申し立てれば失格となり、一年間の出場停止になります」


 ルディアが差別しているのだと思った。

 自分たちは理不尽な扱いを受けたのだと。


 でも、違ったんだ。


「そのような行為を行う方のパフォーマンスに、興味はありません」


 間違えたのは、私だ。


「申し訳、ありません」


「自覚はありましたか? 自分が不正をしていると」


「いいえ……」


「でしょうね」


 ルディアはため息をついた。


「ルールの確認と参加者としての意識が足りなかったことは責められねばなりませんが、貴女は今回、初参加です」


 少しだけ、ルディアの表情が和らいだ。


「今回のことは無知に免じて、私の心に納めます。 出直してきてください」


「……はい」


 ルディアは会場へ戻って行ったが、シェリアータは動くことができなかった。


 恥ずかしい。


 威勢のいいことばかり言って、リーダー気取りで、みんなを巻き込んで、私は何かをできるんだと調子に乗っていた。


 実際は世間知らずの小娘なのに、独りよがりに、猪突猛進に、性急に事を進めて、失敗して……



 ぐるり、と目眩がした。


『お兄ちゃん、待ってて! 私が最速で、お兄ちゃんの願いを叶える!』


 記憶がオーバーラップする。


 世李がバイクに乗っている。


 交差点を横切ろうとして人影に気づき、


 景色が回転する。


 固い地面と、血の臭い。


 お兄ちゃんの願いを叶えられないまま、


 世李は……



「……っ!」



 シェリアータは壁に寄りかかった。


 気分が悪い。



「シェリアータ、ここにいたのか」


 顔を上げると、いつもの姿に戻ったロシュオルが駆け寄ってくるところだった。


「……ロシュ」


「探したぞ。ひどい顔色だな」


 シェリアータは震えながら口を開いた。


「わ……私のせいだったの。 私が物知らずで、迂闊うかつなことをしたから」


 涙が溢れて頬を伝う。


「巻き込んでひどい目に遭わせて、 ごめんなさい」


「大したことない、気にするな」


 ロシュオルが心からそう言ってくれていることはわかる。


 でも、だからこそ怖い。


 相手の優しさに甘えたまま、破滅に巻き込んでしまうような気がする。


 体がガクガクと震え、うまく立っていられなくなり、その場にうずくまった。


「シェリアータ!」


 ロシュオルはひざまずいてシェリアータの手を取り、肩に手をかけて抱き起こした。


「ロシュ……私は、間違ってるかもしれない」


「何を言ってるんだ?」


「思い出したの」


 世李の記憶。

 叶えられなかったお兄ちゃんの願い。


「私、過去に取り返しのつかないことをして、人を不幸にした。幸せにしたかったのに、間違えた」


「幸せを願っていたなら、それはただの不運だ。君が間違えたせいじゃない」


 ロシュオルは肩にかけた手に力を込めた。


「君がいいと言うものを、俺は信じてる。そのまま前に進め。後ろは見るな」


「でも、また取り返しのつかないことになったら」


「ならない」


 ロシュオルの言葉には、恐ろしいほど迷いがない。


「どうして断言できるの?」


「後ろには、俺がいる。レノも、ばあちゃんも、母さんも、リュカも、フランロゼ卿も」


 名前を呼ぶ度、シェリアータに触れている手に力を込める。


「君に動かされて、君を信じるみんなが手を貸す」


 揺さぶられながら、シェリアータは喘ぐように呟いた。


「お兄様は、絶対に幸せにしたいの」


「わかってる、俺も同じだ。あんな純粋なやつが笑っていられない世界は、間違ってる」


 ……ふと、思った。


 ずっと孤独にお兄様を守っていた。

 一人じゃなくなったのはいつからだろう。


「君は強い目で、俺をそのままで良いと言った。どんなに救われたか、わかるか」


 わかる。

 ロシュもお兄様を、そのままで良いと言ってくれたから。


 あの時から、私は一人じゃなくなった。


「これだけは確信してる。君は間違ってない。間違えることがあっても、本質は間違ってない」


「本質……」


 でも、前世でだって間違ってなかった。

 お兄ちゃんを幸せにしたかっただけだった。


 それなのに、取り返しのつかないことに……


「一人で変えようとするな。 君を信じるみんなを信じろ」


 ハッとした。


 前世では、私は一人だった。



 ……あの時とは、違う?



「シェリ!」


 レノフォードが駆けてきて、シェリアータを抱えるように手を伸ばした。


「お兄様」


 抱き止められながら、シェリアータは涙を流した。


「ごめんなさい、こんなことになって。 傷ついたでしょう」


「僕は大丈夫だよ。女装して引きこもったりしないから安心して」


 レノフォードは明るく笑った。


「シェリが僕を認めてくれる人を増やしてくれたから、もう折れない」


 目を上げると、周囲を人に囲まれていた。


 リュカ、ミレーヌ、イルエラ、お母様、……お父様もいる。こっそり見にきてたの?


「今まで頼りなくてごめん。 もう、頼って大丈夫だよ」


「お兄様……!」


 シェリアータはレノフォードの背に腕を回し、肩に顔をうずめる。


 レノフォードは幸せそうに笑い、シェリアータの頭を撫でた。


「やっぱり、レノに持って行かれるか」


 苦笑するロシュオルの背を、リュカリオが叩いた。


「当たり前だろ。 あのブラコン、年季が違うぞ」


 間違えても大丈夫。

 失敗しても見捨てない。


 世李だった時には知らなかった温かな空気が、シェリアータを包んでいた。



***



「……え?」


 波乱のアートデュエルから数日後。


 フランロゼ邸の居間で、シェリアータは父の言葉に耳を疑った。


「ここで、披露するの?」


「ああ。歌の部分を少しでいいから、な?」


 それは端的に言うと、ミニライブの話だった。


「同じくリュシー姫のファンだった仲間に話したら、見せてくれとうるさくてな」


 限定的とはいえ、ファンを増やすチャンスだ。ステージの経験も積むことができる。


「是非やらせてください」


 こうして、数日後のミニライブが決定した。

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