第6章 美少年が歌っている!

第18話 虫愛づる君

 ルディアを見たシェリアータは、ぱあっと顔を輝かせた。


「ルディア様~!」


 何がそんなに嬉しいのやら、頭から咲いた花が見えるようだ。


 その後ろに、イケメンが二人。

 クールな佇まいの長身の騎士と、あのフランロゼの令息がいる。


 ルディアは思わず込み上げた吐き気を抑え、目を反らした。


 しかし、ただの見た目に罪がないこともわかっている。


「トレーニングしがいのありそうな方たちね。 ジムにご入会かしら?」


 なるべく自然に見えるよう、笑顔を作った。


「いえ。人を探してお邪魔しましたが、用事は済みました」


 シェリアータに長く留まるつもりはないようだ。

 ルディアは少しほっとしながら道を開けた。


「そう。ではどうぞ、お帰りください」


「はい、それでは失礼しま……」


 しかし、通り過ぎようとしたシェリアータの動きがピタリと止まる。

 その目は驚愕に見開かれていた。


「ルルルルルディア様!」


「何か?」


 また何かおかしなことを言い出すのかと身構えたルディアだったが、告げられたのは想像を超える悪夢の宣告だった。


「スカートに、カメムシが」


 ハッと目を下ろすと、緑色のワンピースに同化するようにして、緑色の悪魔がしがみついている。


「キャアアァ!!」


 ルディアの悲鳴で、ジムに緊張が走った。


 近くにいたフッキンは、片手を上げて身構える。


「すぐに叩き落とします!」


 シェリアータがその間に立ちはだかった。


「ダメです! ジム中臭くなりますよ!」


 皆が動きを止めた中、レノフォードが落ち着いた様子でルディアに近づいた。


「ルディア様、じっとしててください」


「!」


 ルディアは息を呑み、ギュッと目を閉じた。


「おいで、外に連れていってあげる」


 レノフォードの声と同時にスカートに何かが触れる気配がして、ルディアの背筋に寒気が走った。


「取れました」


 目を開けると、レノフォードはハンカチを持った手をもう一方の手でふんわりと覆っていた。


「貴方が臭くなるわよ」


「今のところ大丈夫そうですが、何かある前に失礼しますね」


 慌てた様子はない。虫の扱いに慣れているのだろう。


「行こう、シェリ」


「失礼します、ルディア様」


 シェリアータの一行を見送りながら、ルディアは懐かしい情景を思い出していた。



***



 幼稚園の園庭で、瑠妃は泣いていた。


「るきのいちご、落として踏んじゃった」


 園庭の隅の畑で、みんなで育てて収穫したいちご。


 毎日数粒ずつ実るいちごを順番に割り当て、今日はついに瑠妃がいちごをもらう番だった。


 その大事な一粒が、地面で潰れている。


「るきちゃん、ぼくのと交換しよ」


 幼い太一がとことこと近づき、いちごを差し出した。


「え……太一くんは?」


「ぼくのいちご、バッタさんにあげようと思ってたの。バッタさんはつぶれてる方が食べやすいと思うんだ」


 太一は幼稚園のクラスで飼育している虫たちを大事に世話していた。


 貴重な一粒を最初からあげるつもりだったとは思えないが、


「だから交換。 ね?」


 手にきれいないちごを乗せられると抗えず、潰れたいちごを軽く洗って持って行く太一を黙って見ていた。


 クラスの部屋に戻ると、太一は虫かごにいちごを入れながらバッタに話しかけていた。

 瑠妃は虫なんて好きじゃなかったが、虫を可愛がる太一は素敵だと思った。



***



 一度思い出すと、あの人の記憶はとめどなく溢れてくる。


 ジムの帳簿をチェックし、屋敷に戻る道すがらにもルディアの思いは彷徨っていた。



***



 いつも、すぐに自分を投げ出して

 大丈夫だから気にしないでって

 笑う人だった。



 小学生のときの太一は今よりスリムで、地味だがよく勉強ができ、優しいのでそこそこ人気があった。


 バレンタインに意外な数のチョコレートを集めていて、瑠妃はやきもきしたものだ。


 しかし小学5年生になった頃、太一は突然転校した。


 母親の病気により、祖父母と同居することになったそうだ。

 太一が学校で挨拶した日、瑠妃は風邪を引いて休んでいた。


 後になって知った瑠妃は、太一の自宅だった家がシンとしているのを確認して泣いた。



 それから月日が流れ、都会の大学に入学した春。


 瑠妃はキャンパスで小太りの男に声をかけられた。

 ナンパかと警戒したが、名前を聞いて驚いた。


「太一くん!?」


「太ったから、わからなかったでしょ」


 太一は照れ臭そうに笑った。小学生以来、8年ぶりだろうか。確かに体型のイメージは変わったが、面影はそのままだ。


「わかるよ! え、この大学なの?」


 太一はうなずき、瑠妃は目を潤ませた。


「私、太一くんが転校したときお別れもできなくて、ショックで大泣きしたんだよ」


「えっ……」


「なんで驚くの」


「るきちゃんは人気者だったし、そんな風に思ってくれると思わなかったから」


 瑠妃はぽかんと口を開けた。


「私、バレンタインにもチョコレートあげてたでしょ??」


「それは……幼稚園からの習慣っていうか、るきちゃんは僕みたいなのにも優しいんだなって」


「は? 本命でしたけど!?!?」


 思わず叫ぶと、太一は顔を真っ赤にした。


「じゃあ……がっかりしたよね。今はこんな風で」


「なんで? 嬉しいよ、この大学を選んだ自分に心底感謝してるよ!」


 太一はくすぐったそうにふんわりと笑った。


「……僕も嬉しかった」


 その顔を見て、瑠妃は消えていなかった気持ちが再燃するのを感じた。



 太一は瑠妃に優しかったが、アプローチすると及び腰になり、中々心を開いてくれなかった。


「甲状腺の病気?」


 1ヶ月がかりでようやく話してくれたのは、持病のことだった。


「うん。だからすぐ太っちゃうんだ」


 大学の中庭でベンチに腰かけた太一は、少し悲しそうに自分の体を見下ろした。


「僕は、痩せてかっこよくなれないし、 長生きできるかわからないから……」


「じゃあ、尚更私がついてないとダメじゃない」


 瑠妃は太一の膝の上の手に手を重ねた。

 太一は驚いて顔を上げる。


「太一くんはすぐ人のことばかりで自分を粗末にするから、私が大事にしないと」


 太一は戸惑うように目を泳がせた。


「でも、僕じゃ釣り合いが」


「なんで?意味がわからない」


 何の釣り合いだというのか。

 太一はまるで瑠妃が上であるかのような物言いをするが、瑠妃にはそうは思えない。


「太一くん、家のことも自分の体も大変なのに、ちゃんと勉強して大学に入って、誠実に生きてるじゃない」


 母親が亡くなり、父親は家庭のある人と恋をし、祖父母には介護の問題が出てきて、太一の環境は平穏とは言い難い。


「その大変なことを、るきちゃんに背負わせたくないんだ。病気だって、母の遺伝かもしれなくて」


「どうして自分を欠陥品みたいに言うの!」


 瑠妃は太一の手を握って揺さぶった。


「なんで私の負担になると思ってるの? 私は幼稚園の頃からずっと、太一くんの優しさに救われてるのに」


 こんなに卑屈になるまで、世間で何を言われてきたのだろう。

 

「条件とか見た目とかじゃないの。太一くんが太一くんだからいいの。私の気持ちを無視しないで」


「るきちゃん……」


 太一は躊躇ためらいながら、瑠妃の手の上にもう一方の手を重ねた。


「僕が関わっても幸せでいてくれるなら、そばにいたい」


「太一くんじゃないと幸せになれないよ」


 重ねた手を強く握り返した。



***



 やっと掴んだ手を、もう手放したりしない。


 人生の最期まで、そばにいるはずだった。


 ……なのに、



『やだ、気持ち悪い! もう帰る!』



 最後にぶつけてしまったのは、ひどい言葉だった。



***



『気持ち悪いと言われないよう頑張るから、しばらく距離を置きたい』


 太一からそんなメッセージが入ったのは、翌日のことだった。


 本気じゃない、気が立ってただけだと弁解したが、思ってもない言葉は出ない、次会うまでの時間が欲しいの一点張りだった。


『わかった。無理はしないでね? 太一くん、病気もあるんだから』


 根負けしてそう返信したが、どうしてあの時、無理にでも会いに行かなかったんだろう。



 瑠妃に会いたくないなんて、

 彼がそんなことを言うはずはなかったのに。

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