第13話 お兄ちゃんとお兄様

 大手ゲーム会社の、小綺麗なオフィス。


 背もたれの高い椅子に腰掛け、世李せりはゲームコントローラーを操作していた。


「う……眠い……」


 ゲームのバグを見つけるための、テストプレイ作業。

 同じゲームを何度もプレイするのは苦にならない方だが、今日は集中力が続かない。


「夜更かしでもした?」


 同じフロアでデバッガーとして働く社員、藤見太一にのぞきこまれ、ハッと意識を戻す。


「舞台の見逃し配信の最終日だったんだもん~」


 口を尖らせる世李の前に、太一は笑いながらレモンキャンディを置いた。


「目覚ましにキャンディ、いる?」


「わ、お兄ちゃん大好き!」


 世李が喜んでキャンディを受け取ると、太一は慌てたように口の前に人差し指を当てた。


「その呼び方は、誰かに聞かれるとややこしいから」


「へへ」


 世李は肩をすくめて笑い、キャンディを口に放り込んだ。酸っぱいレモンの風味が心地よい。


「まさかバイト先の社員さんが義理の兄だなんてね」


 個包装の袋を折りたたんで、デスク下のゴミ箱へ放る。

 太一は少しためらうように世李を見た。


「僕のこと、憎くはないの?」


「なんで? お母さんを取った人の息子だから?」


「うん」


 世李の母は太一の父と道ならぬ恋をし、家を出て行った。


「お兄……太一さんは、悪くないもん」


 不倫をしたのは親だ。太一は何もしていない。


「どちらかというと、捨てられるような子だった私が悪いんだよ」


 なるべく軽く聞こえるように言ったつもりだが、いつも優しい太一の目がキッと鋭くなった。


「悪くない。 せりちゃんは、絶対に悪くない」


 キャンディが、喉に詰まりそうになった。


「なんで断言できるの」


「子どもが取らなきゃいけない責任なんてないんだよ」


 衝撃だった。


 だって、父はいつも言っているのだ。

 『お前のせいだ』と。


「君を守れなかったなら、それは大人の責任だよ」


 軽く混乱する。

 そんなこと、今まで誰も言わなかった。


「それに見てたらわかる。君はいい子だ」


「!」


 ぐっ、とこみ上げる涙をレモン味で押し戻した。


 他の誰かが言っても、ピンとこなかったかもしれない。


 でも太一は当事者で、世李自身、太一が悪いとは思っていない。それはそのまま鏡のように世李に跳ね返るのだ。

 世李は悪くない。


 鼻にツンとくる刺激を感じ、紛らわすように世李は笑った。


「……ちょっとキュンとしたじゃん。 私、イケメン以外興味ないのに」


 実際、太一の見た目は世李の好みとは程遠かった。小太りで地味で、背も高くない。


「はは、僕彼女いるよ」


 めちゃくちゃ意外な答えが返ってきた。

 てっきり、モテないと思ったのに!


「えーっ、速攻振るじゃん!」


「あははは」


 でも、太一との繋がりは恋である必要はないと思った。それよりも、今の『兄』と呼べる形に震える。


 戸籍を分けた母の再婚相手の連れ子なんて、薄い繋がりだけど。


 『お兄ちゃん』……なんて素敵な響きだろう。

 恋より安心で、親より気が楽で。


「太一さんが本当に血の繋がったお兄ちゃんなら良かったのに」


「……」


 太一は優しく微笑んだ。


「仕事頑張ったら、社食で何か奢ってあげるよ」


「チョコレートパフェ!」


 すかさず世李が答えると、ぽんと背中を叩かれた。


「よし、頑張れ」


 その日から、太一は世李の『大好きなお兄ちゃん』になった。



***



 会議室前で、世李は太一を捕まえた。


「お兄ちゃん!」


「あ、せりちゃん」


 太一は焦ったように周囲を見回す。


「大丈夫、誰も聞いてないよ」


 お兄ちゃんと呼びたくて、隙をうかがっていたのだ。


「今度、『退魔王子』の舞台配信があるの。カラオケで、二人で観ない?」


 あれから何日か経ち、随分仲良くなった。

 これくらいの親密さは許される気がしていたが、太一は困ったように首をかしげた。


「あ、うーん。女の子と二人きりは……」


「私は妹だよ?」


 お互いの間にいかがわしい感情など一切ないはずだ。


「うん、せりちゃんは大事な妹だよ」


 太一の表情もそれを物語っている。


「でも、血は繋がってないし、戸籍の繋がりもないから……ごめんね。彼女を不安にさせたくないんだ」


 そうか。

 お互いが良くても、周囲はそう見ないのか。


 繋がりが、薄いから。


「……そっか。 彼女さん、大事にしてもらって幸せだね」


 なぜお母さんは私を連れて行ってくれなかったのだろう。

 それならば、お兄ちゃんと戸籍で繋がって、一緒にいてもヘンな目で見られずに済んだのに。


 太一と別れた世李は、トイレの個室で一人になって泣いた。


 ちゃんと血が繋がっていて、

 いつもそばにいてくれる、

 本当のお兄ちゃんが欲しかった……



***



「シェリ!」


 肩を揺さぶられ、シェリアータは目を開けた。


 のぞきこむレノフォードの顔が目の前にある。


「こんなところでうたた寝してたら、風邪引くよ」


 レノフォードはシェリアータの頬を拭った。

 涙が流れていたようだ。


「お兄……様」


「どうしたの?」


 いつもそばにいて甘やかしてくれる、

 血の繋がった本当の兄。


「ギュッてして」


 兄に向けて手を伸ばす。


 レノフォードは言われるまま、シェリアータを抱き起こして肩に顔を沿わせ、しっかりと背中に腕を回した。


「怖い夢でも見た?」


「ううん。 私、お兄様がいて幸せだなって」


「シェリ・・・」


 レノフォードはシェリアータの髪を優しく撫でた。


「僕もシェリが妹で幸せだよ」


 満たされる。

 他には何もいらないほど。


 でも。


「……お兄様」


 シェリアータは兄の肩に埋めていた顔を上げた。


「みんなにお兄様の良さを認めて欲しい」


 シェリアータが認めているだけでは、兄は幸せになれない。

 実際、一度壊れてしまった。


「お兄様は絶対に素敵なの!」


 冷たい空気で凍えた兄の肺に、温かい空気を送る人を増やしたい。

 ミレーヌとの出会いで、その道が見えたと思った。


「でも、お兄様につらい思いはさせたくない……」


 涙に歪むシェリアータの両頬を、レノフォードの両手が包んだ。


「ねえ、シェリ」


 静かに光るアメジストが、シェリアータを映す。


「僕はシェリがやりたいこと、なんとなくわかるよ」


 両頬に触れる手の平から、温かさが伝わってくる。


「シェリのためなら、なんでもするよ」


 シェリアータは兄の両手首に指を重ねた。


「違う、私のためじゃない」


「わかってる。 僕のために考えてくれてるんだよね」


 レノフォードは、笑ってコツンと額を合わせた。


「でも、僕が頑張ったら、シェリは喜んでくれるんでしょう?」


「……うん」


「僕はシェリを信じるよ」


 ……これは本当に、お兄様の目だろうか。


 相変わらず優しいけれど、真っ直ぐ瞳の奥を見抜くような視線。


「シェリが僕を頼ってくれるなら、なんでもする」


 シェリアータはハッとした。


 今まで守って肯定するばかりで、兄の力に頼ったことはなかった。


 お兄様は強くないと思っていたけど、違うんだ。


 人は自分のためには強くなれなくても、誰かのためになら強くなれる。


「お兄様……」


「うん」


 シェリアータは立ち上がって、ひざまずいているレノフォードを見下ろした。


「私の、アートデュエラーになってください」


「わかった」


 レノフォードはシェリアータの手を取り、その甲に口づけた。

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