第14話 捏造された恋人

 ルディアはピアノの前に座り、鍵盤に指を沈めた。


 心を落ち着ける旋律を、と手が覚えた音階をなぞるが、胸を騒がせる波はなかなか収まらない。


 街で会ったフランロゼの令息の面差しがよぎる。


 明るい髪、華やかな目鼻立ち、穏やかに見つめる瞳、柔らかな物腰。


 あの男……どこか似ているのだ。


 最輝もてるに。



***



 週刊誌の記事が出た後も、瑠妃るき最輝もてるは仕事で顔を合わせていた。


 瑠妃はビジネスライクな対応をしようとしたが、最輝は気にした様子もなく距離を詰めてくる。


「あまり、仕事以外で近寄らないでください」


 休憩スペースで同席してきた最輝は、瑠妃の言葉に首をかしげた。


「どうして?」


「あんな記事が出て……最輝さんも困るでしょう」


 もしやまだ知らないのだろうかと思ったが、最輝はどこから取り出したのか、例の週刊誌をテーブルの上に置いた。


「これのこと?」


「うっ、見せないで」


 瑠妃は手の甲で目をガードしたが、最輝は笑いながら週刊誌をめくった。


「そんなに悪い記事じゃないよ」


 あの捏造記事が??


「でも私は困ります。恋人もいるし」


 『恋人』は切り札のつもりだったが、最輝はあまり気に止めていないようだ。


「夢を売るのも俺たちの仕事だよ」


 テーブルから身を起こし、肘を預けたまま瑠妃に体を向ける。さすがトップモデル、一分の隙もないこなれた仕草だ。


「君の恋人を見て、ファンは憧れると思う?」


 ドクン、とこめかみが脈打った。

 街で浴びせられた反応がよみがえる。

 誰も太一を瑠妃の恋人とは認めていなかった。


「……俺たち、記事の通りになろうよ」


 驚いて顔を上げると、最輝は真剣な眼差しでこちらを見ていた。


 イケメンなのはわかるが、それでときめく瑠妃ではない。大衆の憧れなど別に欲しくない。


「嫌です。お断りします」


 オブラートに包む気配もない断り文句に、最輝は苦笑した。しかしひるんだ様子はない。


「軽い気持ちじゃない。俺は本気だよ」


 瑠妃だって軽い気持ちではないし、本気だ。


 無視してその場を離れようとしたが、最輝の次の言葉で動きを止めた。


「君の事務所にも話は通ってる」


「!?」


 事務所に? 何の話が?


「人気モデルのビッグカップル。 話題性は充分だ」


 じわり、と悪寒が這い上がる。


「まさか、あの記事は……」


「公認なんだよ、俺たちは」


 最輝は肩をすくめた。



***



『こっちも驚いたけど、蓋を開けたら営業的にメリットしかなくてさ』

『今検索キーワード、どうなってるか知ってる?』

『悪いイメージじゃないから、大丈夫』

『大きい案件も入ってきてるんだよ』


 事務所で言われた言葉が、ぐるぐると頭を巡っている。


 報道を事前に仕組んだ訳ではなかったようだが、喜んで便乗する姿勢だ。


 都合良く誤解させておくだけでトップモデルとの仕事が舞い込んでくる、しかも相手も了承済みとなれば、確かに事務所的にはメリットしかない。


 瑠妃が個人の感情で覆すには、話が大きすぎた。



(早く、太一くんに会いたい)


 会って相談すれば、少し落ち着けるかもしれないと思った。


 今日は土曜日で、もともと会う約束をしていた。

 瑠妃は体調を理由に仕事を予定より早く切り上げ、太一の家へ向かった。


 合鍵でドアを開けると、太一が驚いて振り向いた。


「るきちゃん、早かったね」


 太一の部屋のテレビ画面には、イケメン俳優が大写しになっていた。


 カメラアングルが変わっても、イケメン。

 イケメン、イケメン、イケメン。

 全部顔のきれいな男ばかり。


「……何してたの?」


「会社の子に貸してもらったブルーレイ観てたんだ」


 太一はディスクのパッケージを瑠妃に見せた。


「『退魔王子』……?  女性向けじゃないの?」


 何故こんなものを観ているのだろう。

 私はイケメンとつがわせようとする圧力と戦っているのに。


「女性に人気だけど、 女性向けってわけじゃないよ。観てみたら、ストーリーが重厚で面白くて」


 太一はにこにこと語るが、彼が突然興味を持って視聴していることに違和感しかない。


「貸してくれたのは、女性……?」


「う、うん。でもるきちゃんが心配するようなことは何もないよ」


 太一を疑っているわけではない。

 でも、こんなに胸がざわついているときに、他の女の影をちらつかせて欲しくない。


 瑠妃はぼんやりとつけっぱなしの画面を見る。

 イケメンたちが称賛の声に包まれて、歌い踊っていた。


「太一くんに、プライドはないの?」


「え?」



 よみがえる。


『君の恋人を見て、ファンは憧れると思う?』


 最輝の言葉。


『瑠妃の恋人なわけないじゃん!』


 街で聞こえた声。



 どうしてあんなことを言われなければいけないのかと、胸が苦しくてたまらなかった。


 イケメンには興味がない、太一がいいのだと必死に抵抗していたのに、その裏で本人はイケメンを全肯定で楽しんでいるなんて。


「イケメンの好きな人たちは太一くんをバカにするでしょ? なのにイケメンコンテンツを楽しむんだったらさ、自分ももうちょっとおしゃれしたり、バカにされない努力をしようと思わないの?」


 吐き捨てるように言って、ハッとした。


 違う。

 太一に変わって欲しいわけではないのに。


 謝ろうと口を開きかけたとき、テーブルの上の太一のスマホに通知が入った。

 待ち受けに、メッセージ本文が表示される。


 『お兄ちゃん! 退魔王子見てくれた?』


「『お兄ちゃん』?」


「あ……」


 目に見えて、太一が慌てた。


 太一に妹なんていないはずだ。

 ブルーレイは会社の子に貸してもらったと言っていた。


「会社の子に、呼ばせてるの?」


「違うよ、会社の子だけど、妹で」


 支離滅裂すぎる。


「言い訳ならもっとうまくやって」


「本当なんだよ。説明するから」


 信じていないわけではないが、太一は優しすぎるところがある。女の子に懐かれたら無下にできないだろう。

 お兄ちゃんなんて呼ばせて、安らぎでも感じているのだろうか。


「私なんか、めんどくさいもんね。 隣にいると比べて色々言われるし」


「るきちゃん、落ち着いて」


 イケメン。捏造記事。仕事。妹。不釣り合い。


 頭の中はぐちゃぐちゃだ。


「やだ! 気持ち悪い。もう帰る!」


「るきちゃん!」


 瑠妃は太一の部屋を飛び出した。



***



 ルディアはピアノに突っ伏した。


 部屋の空気が不協和音で震える。



 あの時は思ってもいなかった。

 あのまま、太一くんに会えなくなるなんて。



 爪が白くなるほど拳を握りしめる。


 冷静になれず、太一を傷つけ置き去りにした罪は瑠妃にある。


 けれど、最輝さえいなければ、あんなことにはならなかった。


 ルディアはぐちゃぐちゃに鍵盤を叩いた。狂気の旋律に揉まれながら涙を流す。


 どうしてこんなことを思い出さなければいけないんだろう。


 ……イケメンのせいだ。


 ルディアは涙の隙間から息を漏らしながら、フランロゼの令息を恨んだ。

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