第2話 女が戦う方法

 ドレスの裾が、広がっていた。

 ふわりとふくらんだ袖が、肩を包んでいた。

 襟足には、リボンと花があしらわれていた。

 その上に、美しい兄の顔があった。


「お兄……様……」


「もう、限界なんだ」


 女もののドレスに身を包んだレノフォードは、ピンクに彩った唇を震わせた。


「僕はもう、男は嫌だ!」


 息子の思いきった姿に、父であるフランロゼ伯爵はひどく狼狽うろたえていた。


「やめるんだ、すぐに脱ぎなさい、恥ずかしい!」


「お父様もずっと言ってたじゃないか、僕が女だったらって。望み通り、僕は女になるよ!」


 レノフォードには珍しく、強い口調だ。長年のストレスが爆発してしまったのだろう。


 フランロゼ伯爵は、助けを求めるようにシェリアータを振り向いた。


「シェリアータもなんとか言ってくれ」


 シェリアータは混乱していた。


 だって、これは……これは、あまりにも


 シェリアータは浅い呼吸を飲み込み、深呼吸し、ようやく言葉を発した。


「っっ、美人~っ!!」


「……え?」


 レノフォードもフランロゼ伯爵も、呆気にとられてぽかんと口を開けた。


「お兄様、美人すぎる! きれい、可愛い!」


 興奮のあまりシェリアータの声は甲高く裏返った。瞳の星がキラキラと輝く。


「女にしては良すぎる体格のアンバランスも美でねじ伏せる力業……さーっすがお兄様ぁ!」


「あ、ありがと……う?」


 予想外の反応に、当人もなすすべがない。


 フランロゼ伯爵は我に返ったように、シェリアータの両頬に手を添えその顔を自分へ向けさせた。


「この兄贔屓あにびいきめ、眼を曇らせてないで現実を見ろ!!」


「お兄ひゃまが素敵なのは現実でひゅ!」


「そうではなく。レノフォードがこの状態で、結婚ができると思うか?」


「それは……」


 さすがに無理だろう、というのはシェリアータにもわかる。そもそも婚活が嫌でこうなったのだし。


「レノフォードが結婚できなければ、我が家は没落する」


「跡継ぎなら、私が婿を取れば」


「お前は何もわかってない」


 フランロゼ伯爵は、深いため息をついた。


「フランロゼの名を残すなら、格下から婿を取るしかない。そうなると格が下がり、発言力が下がる。発言力が下がれば、我らの領地を不利な政策から守りにくくなる」


 そんなことは、考えたこともなかった。


「目を覚ませ、レノフォード!  これはどうだ?」


 フランロゼ伯爵は一枚のチラシを差し出した。


『肉体は、改造できる──フトメンバディを、掴め。』

『筋肉。重量。』

『マンツーマンプログラムで目標達成をサポート!』


「もっと筋肉を鍛えて太くなれば」


 お父様、お前もか!


 シェリアータはフランロゼ伯爵の手からチラシを奪い取って丸めた。


「シェリアータ!」


「これ以上お兄様を否定しないで!」


 兄を庇うようにしながら、シェリアータは懇願した。


「家のために私にできることがあれば、何でもするから!」


 フランロゼ伯爵はゆっくりと首を振る。


「女の身で、できることなど限られている」


 目がくらむ思いだった。

 そう、女にできることは限られている。


 フランロゼが領土を持つプリスキラ王国では、政治に関わることも、家長かちょうになることも、戦うことも、女には許されていない。


 女にできることと言えば、


「着飾り、男に尽くし、子を産み、芸術をたしなむこと……ですか?」


「そうだ」


 私が男なら、お兄様は苦しまずに済んだのだろうか。


 ……でももし、そうだったら。誰がお兄様にお菓子を食べさせてあげられたのだろう。


 女だからできることもある。


 女が国に貢献していることだって……


 シェリアータは、ハッと顔を上げた。


「芸術を、たしなむこと……」


 アートデュエル。

 国で唯一、女が戦うことを許された場所。


「ちょっと、失礼します」


 シェリアータはきびすを返し、部屋の外に出た。



 廊下のカウチでエレナの介抱を受けていたメリアナに声をかける。


「お母様!」


 顔を上げたメリアナの前にひざまずき、その手を取った。


「アートデュエルって、王命に基づく国王公認のイベントでしたよね?」


「ええ。貴族女性は国の芸術力を高める使命をゆだねられているのよ」


 芸術は道楽とされる一方、人の心を動かす。

 芸術の豊かさは国の豊かさを量る指針とされていた。


「アートデュエルで勝てば、どうなるの?」


「王に謁見えっけんして栄誉をたまわり、王宮で芸術を披露する機会を与えられるわ。外交の場にも呼ばれるし……」


 それは王族に気に入られる可能性が高いということだ。さらに、各国との交渉を円滑にするカードとして重宝される。


「つまり、王に引き立てられて家の格が上がる?」


「そういうことになるわね」


「それだわ!」


 シェリアータは、部屋に引き返した。



「お父様。私、サロンデビューします!」


「サロン? それはまあ、構わないが」


「アートデュエルで勝って、家に貢献します!」


「アートデュエルで、勝つ?」


 フランロゼ伯爵は目を白黒させた。


「そんな簡単なものではないぞ」


「でも、道が閉ざされているわけではないでしょう?」


 シェリアータは挑むように胸を張った。


「私が国の重要人物となれば、王の口利きで家の格を上げる縁談も舞い込むのでは?」


「それはそうかもしれないが」


 シェリアータは父の傍らを抜け、兄の前に立った。


「お兄様。その姿も素敵だけど……」


 シェリアータが覗き込むと、レノフォードの視線は短く交わって伏せられる。やはりそうだと、シェリアータは確信した。


「女になりたいわけではないのでしょう?」


「……」


 レノフォードがその格好を望んでいるようには、どうしても見えなかった。

 男の重責から逃れるため、逆を張っているだけ。そうやって素の自分を守っているのだ。


 実力も経験も、自信だってあるわけではない。

 でも可能性があるならやるしかない。


 シェリアータは手を腰に添えて不敵な笑みを浮かべ、高らかに宣言した。


「私、頑張るから。私が大好きな、素のままのお兄様を守るから!」


 まぶしそうにシェリアータを見る兄の目に、希望の光が見えた。

 今はそれだけで充分だった。

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