イケメン文化0世界でプロデューサー令嬢、推し参る!
咲良 綾
第1章 世界が間違っている!
第1話 世間のトレンドとお兄様
この世界はどうして、
こんなに退屈なのだろう。
決定的に何かが足りないのだ。
……でも、何が?
***
「すごいフトメンでしょう!」
フランロゼ伯爵家の一室。
伯爵令嬢シェリアータ・フランロゼは、母のウキウキした声を銀の髪が流れる背中で受けながら、アメジスト色の瞳を眼前の広大な腹に沿わせた。
これ、人間? 風船じゃなくて?
「……太すぎませんか?」
「芸術ですもの、このくらい強調しないと!」
確かに、石から切り出したとは思えない芸術だった。押せば跳ね返りそうな弾力を感じる。
母のメリアナ・フランロゼは伯爵夫人らしく高く結い上げた頭を傾け、うっとりと同意を求めてきた。
「このお腹のフォルム、ときめかない?」
すごいとは思うけど。
正直、全くときめかない。
「次のアートデュエルに出品するの」
アートデュエルとは、公爵家のサロンで開催される芸術バトルであり、貴族女性の嗜みである。
母がお抱え芸術家に用意させたのは、貫禄に満ちた、デカ腹男性の彫刻。
その技術に感心はすれど、シェリアータのときめきアンテナは少しも反応しなかった。
だが、世間ではフトメンこそがトレンド。
大きなお腹は、女性にとってときめきポイントなのだ。
「ただいま」
ドアが開く音と共に現れた柔らかな声に、シェリアータは顔を輝かせ振り向いた。
「お兄様、お帰りなさい!」
シェリアータと同じ、銀の髪にアメジストの瞳。
柔らかな癖を流した前髪の下で、長いまつげが伏せ気味に揺れている。
駆け寄るシェリアータを認めて口元に笑みが浮かんだが、透き通るような肌は血色をなくしており、色濃い疲労が見て取れた。
「レノフォード、交流パーティーはいかがでしたか?」
母が尋ねると、レノフォードの顔がこわばる。
年頃の男女を集めた交流パーティーは婚活として機能しているが、結果が芳しくなかったことは明らかだった。
「疲れたよ。もう休みます」
レノフォードはシェリアータの髪を軽くなで、部屋を出ていく。
その背中の力なさに引き留めることも憚られ、シェリアータは胸がきゅっと絞られるような思いで兄を見送った。
「お兄様、婚活を始めてからお辛そうだわ」
「そうね……あんな、目の大きい女みたいな顔に産んでしまったわたくしのせいで」
「お母様は悪くないわ!」
シェリアータは、うつむくメリアナの言葉を遮った。
「私はお兄様の顔、美しくて好きよ」
メリアナは困ったようにため息をついた。
「男のくせに美しくても、気味が悪いだけでしょう」
氷水を浴びせられたようだった。
気味が悪い? 母でさえ、そんなことを言うのか。
「ねぇ、これどうかしら」
メリアナが差し出したのは、整形医院の宣伝広告チラシだった。
『ナヨナヨ顔もワイルドに大変身!』
『まぶたを盛って目を小さく!』
『存在感のある丸い鼻へ!』
『エラを張って大きな輪郭!』
「レノフォードも、鼻を丸く、目を小さくして、エラを張らせれば」
「絶対やめて!!」
自分でも驚くような声が喉を突いた。シェリアータはメリアナの手からチラシを奪い、くしゃくしゃに丸める。
「でもねシェリアータ、世間は」
「聞きたくない!」
丸めたチラシを床に投げつけ、シェリアータは部屋を出た。
***
男は体も声も神経も、太く、逞しく。
世間のトレンドくらい知っている。
お兄様がひどく外れていることも。
でも誰がなんと言おうと、私はあの顔が好きなのだ。
男が美しくたっていいじゃない!
どうしてみんな、お兄様の顔をバカにするの?
あんなに素敵なのに!
自室に戻ったシェリアータは、ベッドに突っ伏した。
レノフォードは、子どもの頃から生きにくそうだった。甘いものが好きなのは男らしくないと言われ、菓子はシェリアータにしか与えられない。
シェリアータはお菓子を取っておいて、こっそりレノフォードに食べさせていた。
幸せそうに頬を染めてクッキーやカップケーキを頬張るレノフォードの姿に、シェリアータの胸は震えた。
「僕にとって、シェリは女神だよ」
「お兄様こそ。お菓子の妖精がいたら、きっとお兄様みたいだと思うわ」
砂糖のように甘く、優しい笑顔。
こんなに可愛くて素敵なものを否定する世間に腹が立った。
レノフォードがナヨ男とバカにされ、嘲笑されている場面にも何度も行き合った。
その度にシェリアータは割って入り睨みをきかせていたが、優しい兄はうつむくばかり。
パーティーでどんな目に遭ったか想像もつく。
「お兄様は全然、悪くないのに」
枕に拳を叩きつける。悔しくて涙がこぼれた。
美しく生まれただけで虐げられて、親にまで否定されるなんて。
「この世界の方が間違ってる!」
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
突っ伏したまま、少し眠っていたのかもしれない。
突如、つんざくような悲鳴が鼓膜を震わせた。
「!?」
何事かと跳ね起きたシェリアータは、廊下へ出る。レノフォードの部屋の方が騒がしい。
「お兄様?」
シェリアータは、胸騒ぎと共に駆け出した。
***
部屋の前では、メイドのエレナが両手を胸の前で握り合わせておろおろしていた。
「エレナ、どうしたの?」
声をかけると、エレナは助けを求めるようにシェリアータに駆け寄る。
「レノフォード様が……!」
部屋に目を向けると、メリアナが中からよろよろと出てくるところだった。そのままがくりと膝をつく。
「お母様!」
「奥様っ!」
シェリアータは母をエレナに任せ、レノフォードの部屋に飛び込んだ。
部屋の中央に、父であるオシカッツ・フランロゼ伯爵の姿が見えた。青ざめた父の視線の先に、レノフォードがいた。
シェリアータは息を呑み、目を見開いた。
それは、想像もしていなかった光景だった。
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