6.日曜日


 ある日曜日の朝、家の庭にダンジョンが現れた。ご丁寧に、母さんが作った花壇や僕が作った金魚のお墓をよけての登場だ。人が二人くらいなら並んで入れそうな穴が、これまたご丁寧に金属の蓋付きでできている。


「かーさーん」


「何?」


「庭にダンジョンできてるー」


「あら! あらあらまあまあ!」


 おはようも言わずに僕が告げた言葉に、母さんはエプロンを着けながら喜んでいる。ダンジョンは空気がひんやりしてるから食料保管にいいのよーとか何とか言って。


「知り合いの人みんなダンジョンできたって言ってて、うらやましかったのよねぇ」


「みんなって、そんなに?」


「そうよぉ。東町ひがしまちのスガノさんと、お父さんの会社のナカヤマさんと、あの山持ってる……えーと、ヌマタさんも」


「へぇ、そうなんだ」


 母さんはうなずくと、さっそく床下収納から梅干しの壺を取り出してきて庭に出た。蓋はアルミニウムのような軽い素材でできているらしく、思い切り力を入れて扉の取っ手を引っ張った母さんは転びそうになっていた。


「ちょ、大丈夫?」


「大丈夫! さ、中に入るわよ。悠人ゆうとも来る?」


 蓋を開けられたダンジョンの入口には、朝の光で照らされている階段が見える。きちんと土が固められてできているようだ。


「先に歯磨きしてからにする。それにしても、ここ田舎で広い庭がデフォだからいいけど……」


「都会の人たちはどうしてるのかしらって思うわよね」


 母さんは呑気にこちらを振り返る。一応気を付けた方がいいのではと思い、僕は大きな声で注意事項を伝えることにした。


「気を付けて、入口付近にもモンスターいるかもしれないよ!」


「ああ、初っ端からいたらちょっと面倒ね。んー、じゃあ……」


 そう言うと、母さんは僕が中学生の時に使っていた野球の木製バットを持ってきた。


「梅干しの壺はちょっと縁側に置いといて……、とりあえずこれで様子見てくるわね」


「ほい。まあ僕も歯磨き終わったら行くから」


「悠人がいなくても大丈夫よ」


 僕は「ん」とだけ返答し、洗面所へと向かった。きっと母さんは本当に大丈夫なのだろう。大学一年生で陰陽学を修得した僕がいなくても。



 ◇◇



「ええー……そこまで……」


「そこまでって、どれのこと? ブラック・ウィドウ手懐けてワームが近寄らないようにしたこと?」


「あ……、いや、うん、それもそうだけど……」


「それとも、オーガ手懐けて梅干しの壺を置きやすいように地下一階全体の土を踏んで平らにしてもらったこと?」


「置きたい壺、一つじゃないもんね……」


「それとも、明かりが欲しいからウィル・オ・ウスプ手懐……」


「うん、もう言わなくていいよ。僕のキティを巣の網で捕らえたり、うっかり蹴ったり、火傷を負わせたりしないように気を付けてって言っといて」


 式神のキティが眠っている小さな赤い缶を指の腹で撫でながら、僕は母さんに伝えた。直径三センチくらいの丸い缶の蓋には虎が描かれており、キティはこの缶をいたく気に入っている。もともと傷に効く軟膏が入っていた缶で、いくら拭き取っても薬くさいから別のにしようと言うのだが、頑として首を縦に振らない。


「わかったわ」


「父さんが帰ってきたらどうする? 地下二階行ってみる? 父さんがいれば、怪我しても回復はお任せだし」


「そうねぇ、でもお母さん今日は夕方セール狙って買い物行くつもりなの。お父さんのシャツもクリーニングに出さないといけないし。今度の水曜日にしましょう、お父さん休みだから。悠人はまだ夏休みだからいいわよね?」


「うん、それでもいいよ」


 僕は母さんにうなずいてみせ、僕はサンダルを脱いで縁側からリビングへと上がった。


「あ、そうだ! 悠人、らっきょう漬けた瓶も床下にあるから持ってきてくれる?」


「はいはい」


 母さんは上機嫌で鼻歌を歌いながら縁側で待っている。


「母さんテイマー修得しておいてよかったわ。あの専門学校、優秀な先生ばかりだったのよ」


「うちの大学も教授陣はけっこう充実してるよ」


 らっきょうの瓶を「よいしょ」と言いながら母さんに渡し、自分は奥へと引っ込む。


「あ、今日の夕ご飯はカレーにするからね」


「えっ、らっきょうまだ漬かってないんじゃないの?」


「作ったら三日間食べるから、最終日くらいにらっきょう付きになるわよ」


 冷蔵庫へと向かう僕に背後からかけられた母さんの声に、危うくうんざりした表情を見せそうになる。慌てて顔の筋肉を緊張させたおかげで、今回は難を逃れたようだ。母さんは怒らせたら怖いから。


「……わかった」


 そろそろ料理も修得しないといけないかなと思いながら、僕はキティが入っている赤い缶をそっと胸ポケットにしまった。

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