5. 05:13


 ゲームでの名前は『セイジ』。本当は『Sage』で賢者という意味にしたかったのだが、先に使われてしまっていたためカタカナにした。


「あー、この白魔道士ヒーラーほんと無理。敵対心ヘイト稼ぐなって。しょうがないなぁ、もう」


 操作するキャラクターはタンク。筋骨隆々の男性が、自分のコントロール通りにパソコンモニターの中でダンジョンのボスモンスターと戦闘している。最初は魔法を使う賢者系のキャラを使いたいと思っていたのだが、『Sage』という名前にできなかった時点で魔法を使うキャラへの興味は薄れてしまっていた。


 大学の夏休みは長い。すっかり夜型になってしまい、寝るのはだいたい太陽が昇る頃だ。今日ももうすぐ午前四時になるというのに、元気にパソコンでオンラインゲームをしている自分がいる。


「チャットうざい」


 マイクの音声は入力されないよう設定してあるため、ボイスチャットでは声を知られる心配はない。ただ、仲間の声が鬱陶しい。アサシンの大学生男子が、白魔道士の女子高生をちやほやしている。聞いていてあまり気分のいい会話ではないが、嫌になったらこの集団クランを抜ければいいだけだと、ひとまず我慢しておく。


ローゼ - イラついてる?


 文字のチャット欄に、自分にしか見えない個別メッセージが入った。ひらひら揺れるミニスカートと大きなとんがり帽子がトレードマークの、黒魔道士ダークマージのローゼからだ。


セイジ - まあね

ローゼ - 気にしたら負けだよ

セイジ - わかってる


 操作の手は止めたくないため、チャット欄に音声入力で文字を入力する。おそらくローゼも。そして、同じくボイスチャットには参加していない。理由は違うだろうが、勝手に親近感を覚えても無理はないだろう。


ローゼ - セイジ大変だったね お疲れ様

セイジ - そうでもないよ


 強がりではなく、本当のことだ。戦闘前にローゼにもらっておいたハイポーションが功を奏した。もらった三十個全部、使い切ってしまったけれど。


セイジ - ハイポーションがなかったら死んでたけど

ローゼ - 渡しておいてよかった

セイジ - ありがとう 助かったよ

ローゼ - どういたしまして


 礼を言い、ボスモンスターを倒したあとのイベントを注視する。仲間のキャラクターたちが不気味な赤い空を見上げているシーンだ。ストーリー上重要な光景が画面内に広がっているというのに、唐突に、あることを思い出した。


セイジ - あー


 思わず声が出てしまう。


ローゼ - どうしたの?

セイジ - 何でもない

ローゼ - いや気になる教えてよ


 ただの都市伝説を思い出しただけなのに、ローゼが食いついてくる。話したところで個人が特定されるわけでもないかと思い、また音声で入力を始める。


セイジ - まあいいけど 今の家に引っ越してきた時に聞いた話で

ローゼ - ん?

セイジ - この町には今のイベントみたいに空が真っ赤になる瞬間があるって

ローゼ - え

セイジ - ゴミ出し行った時に鉢合わせたおばあちゃんに聞いた話で さっきのイベントで思い出したんだ

ローゼ - そっか

セイジ - 毎年九月一日の日の出の瞬間十秒くらい

ローゼ - もうすぐだね


 ローゼに言われ、日付が変わって九月一日になったと気付き、時刻表示を見ると『04:28』。東京の日の出の時刻を調べてみると『05:13』だった。


セイジ - 本当だ もうすぐだ

ローゼ - 見に行ってみれば?

セイジ - うーん そうだね

ローゼ - 近所のコンビニでも

セイジ - コンビニまで散歩か いいかも


 全開にしている窓からは、涼しい風が入ってきている。聞こえてくる鈴虫の声も秋仕様だ。


セイジ - じゃあ着替えて行ってくる

ローゼ - 気を付けてね

セイジ - うん ありがとう またね


 ローゼに挨拶をしたあと、全体チャットで「落ちます」とだけ発言し、ゲームを終了させる。こんな時間に外に出たことがないため、少々の背徳感とわくわくする気持ちを覚えながら着替えを済ませた。


「ええと、財布とスマホ……」


 財布をごそごそとバッグから取り出そうとしたが、なかなか見つからない。面倒になり、スマートフォンを突っ込んだバッグごと手に持って家を出る。一人暮らしだから鍵もきちんとかける。そういうことはしっかりしておかないといけない。


 アパートの外階段をなるべく足音を立てないよう下りると、徒歩八分ほどで駅前のコンビニに到着した。スマートフォンで確認した時刻は『04:54』。あと十九分で空が真っ赤になるはずだ。それまでに何か買い物でもしておこうと店内に入る。


 ペットボトル飲料を見たくて店の奥へと足を進めると、途中の本のコーナーで背の高い男性が雑誌の表紙を眺めていた。店員以外には誰もいないと思っていたため、こんな時間にも人がいるのかと驚きながら脇を通ろうとした時、彼は横を向いて「セイジさん?」と言った。


「……えっ」


 驚いて反応してしまったが、自分のことではないかもしれないのにと思うと急に恥ずかしくなり、奥へと急ぐ。すると彼は後ろから「ローゼです」とよく通る声で自分の名を告げた。


「ローゼ……さん? え、女の子じゃなかった……?」


「ああ、やっぱりセイジさんだ」


「あっ」


 自分がセイジだとバレてしまった。知らん顔するという手もあったのに。あまりにも慌ててしまい「す、すみません」などと謝ると、彼はあははと軽く笑った。


「一緒に見ようよ、真っ赤な空。ゲームだけじゃなくて」


「う、うん。じゃあ、買い物しちゃうから……」


 ペットボトルの緑茶やお菓子を買い、一緒に外に出た。ローゼも同じように飲み物やお菓子を買っていた。「涼しくなってきたから、チョコレート買っちゃった」と明るく言いながら空を眺めている。


「今、05:05。もうすぐだね、楽しみだな」


「……何で、ここに?」


「僕もその都市伝説を知っていたから。もしかして同じ町に住んでるのかなって。たぶんセイジに話しかけたおばあちゃん、うちのばあちゃんだと思う。よくそういうことしてるし」


「えっ? そうだったんだ、言ってくれればよかったのに」


「言ったら逃げられるかもしれないでしょう」


 ローゼは、こちらを見ていたずらっ子のような笑みを作る。


「そんなことないよ。女の子だと思ってたし、むしろこちらが怖がられても不思議じゃないでしょう」


「怖がる? ないな、ない。セイジが女の子だって気付いてたしね。何となくわかるものなんだよ。思ったとおり、女の子だった」


「……は?」


 驚きを隠せず、ローゼを見上げる。彼よりは低いが身長は百七十センチあり、体型も細身でTシャツとパーカーとカーゴパンツという、およそ女子には程遠い服装なのだ。


「もしかして、こうしてリアルで会っても女の子だってバレてなかったと思ってる?」


「いや、だって、髪はベリーショートだし、こんな格好だし、声も女子にしては低めだし……」


「あはは、セイジおもしろい。ゲームでセイジに会うの楽しみなんだ。一番まともな人だと思ってたから」


「そ、そう。私もローゼがいると安心だよ」


「本当に? ……っと、そろそろだね」


 ローゼの言葉で空を見上げる。薄く細い雲が気持ちよさそうに泳いでいるのが見える。色はまだ普通だ。西の空は青いが、東はオレンジ色とも赤ともつかない柔らかな光を放っている。


「05:12、あと二十秒……」


 ローゼのカウントダウンを聞きながら、一旦東に逸らした視線をまた真上に向ける。


「三、二、一、ゼロ!」


「うわっ! 真っ赤! 何これ!」


「はぁ……、本当にあのイベントみたいだ。生まれてからずっとこの町にいるけど、初めて見たよ。ばあちゃんのこと信じてなかったわけじゃないんだけど」


「……もしかして大学生?」


「うん。セイジは?」


「私は大学二年生」


 そんな会話をしていると、空がいつもの夜明け色に戻った。西の青はもう姿を隠しつつある。どうして空一面が赤い色に染まるのだろう。おばあちゃんに会わせてもらえばわかるだろうか。


 それから私たちはいろいろな話をした。同じ大学に通っているということがわかり、一層の親近感を覚えたのも無理はないだろう。しかも彼は話が上手で、一緒にいると時間を忘れてしまう。


「今日はもう眠いから帰らないといけないけど、夏休みが終わるまでにデートしないか?」


 ローゼの提案に、私はうなずくしかなかった。まずはおばあちゃんに会わせてもらわないといけない。この一年に一回だけ真っ赤になる空に、とても興味をそそられているのだ。


「おばあちゃんも一緒なら」


「……そこからか」


「会わせてくれる?」


 ローゼは「しょうがないな」と言って、柔らかく笑った。


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