2.パンツの妖精
「やぁ! ぼくはパンツの妖精だよぉ!」
第一回進路希望調査票を踏むように現れた高さ十五センチ、幅六センチ、奥行き二センチくらいの背中と思われる部分に半透明の羽が四枚生えていて、右手と思われる部分に小さな星が付いたステッキを持ち、顔と思われる部分がやたらにこにこしているかわいらしい人間のような物体にこう言われたあたしが、一旦閉じた目をゆっくり開けるという動作を行ったのは、自然なことだったと思う。
◇◇
「もぉー、
「いや何さり気なく悪口言ってんの。つーか無理、絶対無理、あたしリアリストだから無理無理無理、信じない」
「リアリストだからこそぉ、目の前のものを信じるべきじゃないぃ? 会話だって成り立ってるんだからぁ」
「……くっ……、確かにそうだと思ってしまった自分が憎いっ……!」
晴れた日曜日の昼間だというのに、あたしは部屋の中でおかしな物体とぐだぐだ話している。「物体と話している」というのも変だなとは思うけれど、「会話が成り立っている」と言われて納得してしまったから仕方ない。
「ぼくはパンツの妖精だからぁ、良質のパンツを作ることができるんだぁ。もちろん、珠美ちゃんに合ったパンツもぉ」
「あたしに合ったパンツって何よ。というか女子高生にそんなこと言ったら、普通はセクハラだからね」
「そんなぁ……珠美ちゃんがアプリ入れてユーザー登録したんだよぉ?」
「え? ユーザー登録? 何そ………………、あー! あれかぁ!」
「思い出したぁ? 最初から言っておけばよかったぁ。しっぱいしっぱぁい☆」
お決まりの「てへっ☆」も語尾に付け、おかしな物体は口と思われる部分から舌と思われるものをぺろっと出し、右手と思われる部分のステッキの星を、頭と思われる部分にコツンとぶつけた。
「あの、あなたに合ったパンツを作ってみませんかってやつだよね? 先週入れた」
「そう、それぇ! よかったぁ、これで話が進むぅ。それでねぇ、珠美ちゃんはパンツのサイズのことどう思うぅ?」
「サイズはMだけど……」
「んんー、パンツのサイズってぇ、種類少ないでしょぉ? ブラジャーはいっぱいあるのにぃ」
「そうだけど……ブラジャーと比べるの……?」
あたしが疑問を口にすると、おかしな物体――妖精でいいや、もう。便宜上の表現として――、妖精が眉間にしわを寄せて嫌そうな顔を作った。
「えぇー……。もしかして珠美ちゃんにとってぇ、おっぱいは大事だけどぉ、お尻は大事じゃないってことぉ……?」
「あー、いや、そういうわけじゃないけど、うーん……?」
「大体さぁ、ブラジャーはブラジャーっていう名前だけなのにぃ、パンツだけいろんな名前があるのってぇ、変じゃなぁい? パンツ、パンティー、スキャンティー、ショーツぅ……。ねぇ? いっぱいあるでしょぉ?」
「スキャン……? 聞いたことないわ。まあでも、言われてみればそうね」
「それなのにサイズの種類が少ないってぇ、なんかぁ、おかしくなぁい?」
「な、なるほど?」
妖精は懸命にあたしを説得しようとしている。あのアプリを入れただけなのに、あたしはなぜかそんな妖精に付き合わされている。晴れた日曜日なのに。晴れた日曜日なのにっ!
「……珠美ちゃんさぁ、今さぁ、お出かけの予定がなくなったのぼくのせいにしようとしてるでしょぉ?」
ぎくりと動きを止めると、彼――「ぼく」と言っているから彼でいいや、もう。便宜上――は、薄目を開けてあたしを見ている。
「……だって……今日本当は約束してて……」
「今日の朝、ドタキャンされたんだよねぇ? アプリ立ち上げた時叫んでたもんねぇ? ドタキャンなんてひどい、
「ひっ、バレてる! 盗聴!」
「人聞きの悪いこと言わないのぉ。ドタキャンひどいよねぇ。ぼくそういうの許せないなぁ。デートの日までにぃ、きれいになろうとしてたんだもんねぇ。だからパンツのぉ……」
「そう、そうなの、あたしきれいになりたくてっ……! 一週間前からスキンケアがんばって、着ていく服も色々合わせてみて決めて、あなたに合ったパンツを、なんてアヤシいアプリまで入れて……」
あたしが泣き言を言うと、妖精の右手と思われ――いいやもう、右手で。便宜上ね――、右手のステッキがあたしを指し示した。
「ちょっと疑り深くて頭が固いけどこんなにかわいいのにねぇ、橋岡って人もったいないことしたねぇ」
「何か褒められてる気がしないけど……ありがとう。あたしよく消極的だって言われるの。男子ってそういう女子は好きじゃないから……」
「まあそれは置いといてぇ」
「えー……置いとかれた……」
「パンツのサイズってぇ、もっとあってもいいと思わないぃ?」
「う、うん……そうね。あたしはMサイズだけど、ちょっとゆるいかなってこともあるし」
妖精はどうしてもパンツのサイズの話をしたいらしい。そういえばパンツを作れるって言っていたような。
「でしょぉ? だからぁ、珠美ちゃんにパンツ作ってあげるねぇ」
「い、いいの? お支払いはおいくらで……?」
「無料だよぉ。今なら全員大サービス中ぅ! だからぼく忙しいのぉ。さっさとやるからねぇ」
「あっ、はい」
「お尻出してぇ」
「……はい」
あたしは素直にはいているスカートをめくった。ちょっと恥ずかしいけど、自分の部屋の中でパンツをはいたお尻を妖精に見せるくらいなら……
「パンツ脱いでぇ」
「いや、それは無理」
……言われると思った。絶対言われると思ったんだ。だから思い切り即否定してやった。
「……まあいいけどぉ……、パンツ脱がないと正確に作れないかもしれないからぁ、あとで文句言わないでねぇ」
「言わないよ」
「じゃ、測るからねぇ」
「はい……ってちょっと待って巻き尺ぅ!」
「端っこ持ってぇ、ぼくがお尻の周りに巻くからぁ、動かないでぇ」
「アナログぅ……」
こうして始まったあたしのお尻の採寸は、一瞬で終わる……ことなどなく、三箇所の計測が普通に時間をかけて普通に終わった。妖精は計測結果を星の付いたステッキで空中に書いている。「これで記録されるんだよぉ。すごいでしょぉ☆」と言いながら。妖精の右手のステッキから何か魔法が飛び出して一瞬で終わるのかな、なんて期待したあたしがバカだったのだろうか。自然な流れでの期待だったと思うのだけど。妖精がステッキを振って出てきたアイテムは、小学生の頃から大事に使っている裁縫セットの中にあるような巻き尺だった。普通そうは思わない……いやいや、普通の巻き尺だからこれが普通なの……?
「……はい、終わったぁ。じゃあできたら郵送するからねぇ。あ、郵便局じゃない方がいいかなぁ? ミケネコヤマタとかぁ、シグマ急便とかぁ」
普通、普通って何、登場した巻き尺は普通だけど、この妖精が登場した場における普通とは……なんて混乱が混乱を呼び続ける頭でぐるぐると考えを巡らせていると、またしてもアナログなことを提案された。その右手のステッキの星は飾りか。ああ、巻き尺出したから飾りではないのか。計測値記録してたし。でもポンコツっぽい。『普通』なんてどうでもいいのかもしれない。
「郵便局でいいです」
「そぉ? じゃあ郵便局のゆうゆうパッキングで送るねぇ」
「……ふふっ」
何だか、笑えてきた。橋岡くんにドタキャンされたこともすごく昔のことのように思えてくる。変な妖精が変なしゃべり方でツッコミ甲斐のあることを言うのを聞いていたからかもしれない。一ヶ月分の「パンツ」という単語を、この時間だけで聞いた気がするからかもしれない。くすくす笑うあたしを、妖精はにこにこして眺めている。
「どんな柄のになるの? 素材は?」
「それは届いてのお楽しみなんだよぉ」
「そっか、わかった」
「じゃぁぼくはぁ、もう行かないとぉ。忙しいんだぁ」
「うん、ありがとね。お仕事がんばって」
妖精は軽く左手を振って、ふっと消えていった。消える時にステッキは必要ないようだった。
◇◇
「あ、おかえりなさい。珠美に荷物届いてるわよ」
「ただいま……って、ほんと? やったぁ!」
「何頼んだの?」
「パンツ!」
明るい声ではきはきと答えたあたしに、ママは少々怪訝そうな顔をする。
「パンツ? いつも一緒に買いに行ってるじゃない。高いものじゃないでしょうね?」
「大丈夫! 荷物どこー?」
「あなたの部屋の前に置いといたわよ」
「ありがと!」
うれしくて、あたしはどたどたと階段を駆け上がった。
「ちょっと、あまりうるさくしないで。ああ、学校の進路調査の用紙はもう書いたの?」
「それはあとで! まずパンツ見るから!」
進路調査も大事だけど、今のあたしにとって大事なのはパンツだ。パンツを見たい。すごく見たい。
「……わぁ、すごい……好みぴったり……」
箱を開けてワクワクしながら取り出した透明のビニール袋には、淡い水色を基調とした中にピンクの細いラインがあしらわれたチェック柄のパンツが入っていた。無性に触りたくなって、丁寧にビニール袋から出してみる。綿みたいな手触りで、肌触りが良さそうだ。三箇所のゴムはパキッとしたロイヤルブルーで、つるりとした素材の上品な光沢がチェック柄をきれいに際立たせている。
「ちょ、ちょっとはいてみよ」
今着けているパンツの上からはいてみる。ほんの少しだけきつさを感じるが、それはきっと素肌に直接着けていないからだろう。
「本当に、良質なんだ……ウソじゃなかった……」
うれしさがこみ上げてきて、晴れた日曜日だというのに部屋に引きこもっていた自分を褒めてやりたくなる。少ない布地で作られた小さなものではあるけれど、こんな風に人を幸せにできるんだな、なんて、真面目なことも考えて、あたしは第一回進路希望調査票を手に取った。
「ママ、あのね、進路なんだけど……」
階下に行き、キッチンで夕食の食材の準備をしているママに、あたしは告げた。
「被服を学びたいの。下着で人を幸せにしたい」
ママはあたしの顔を見て、少し驚いたあとに言ってくれた。「そう。あなたお裁縫好きだものね。きっとできるわよ」と、優しく笑って。
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