第24話 歯磨きして顔洗って着替えたら

 目覚ましの音で起きて、顔を洗い歯を磨き、着替えて軽く化粧をする。

 それだけ済ませても同居人が起きてこないので、部屋に乗り込んで布団を剥がし、叩き起こす。

「おはよう」

「ほあようほあいまひゅ……」

 何を言ってんのかわからん。なんでこんなに眠そうなんだと思ったけど、昼寝して眠れなかったせいだろうか。一体どれだけ昼寝したんだ。

「ほら、シャキッとする」

「ふあーい……」

 まだ半分寝ている一ノ瀬を洗面所に引っ張っていき、顔を洗わせる。母親か私は。こいつはこんなんで働けるのか? まずは一日中動ける体力をつけないといけないという点では、早朝の散歩は必須な気がする。歩くだけで体力がつくかはわからないけど、やらないよりはマシだろう。ただでさえ一ノ瀬は動物園に行ったり、午前中歩き回っただけでクタクタになるのだから。

「ねむい……さむい……」

「はいはい、早く化粧する」

「面倒なのでいいです……」

「ならさっさと着替えてこい」

「はい……」

 顔を洗って歯を磨いたのにまだ眠そうな一ノ瀬を急かす。別に散歩に行くだけなので急ぐこともないのだが、まともな社会生活のブランクがあるこの女をさっさと矯正しておかないといけない。

 一ノ瀬の準備がまだ時間がかかりそうだったので、コーヒーを淹れることにした。市販のドリップにするか豆から挽くかはその時の気分次第だが、今日は豆から挽く気分だった。

 京子がこだわっていた黒味の強い豆はもうあまり残っていない。今までいくつか飲み比べてみたけれど、これが一番好みだった。どこで買っていたのか、後で聞こう。

 とはいえ、豆から挽くのは毎回思うけれど面倒だ。それでも、豆から挽いたほうが美味しいのは確かだ。私は面倒くさがりなのでたまにしかやらないが、一通りのやり方は京子に教わっているので、見た目だけは様になっている……と思う。それでもやはり、京子が淹れたほうが美味しい。気持ちの問題ではなく、明らかに味が違うのだ。

 豆を挽き、お湯を沸かし、フィルターに挽いた粉を入れてお湯を注ぐ。

 注いだお湯がコーヒー粉を通り、フィルターを通過しながら色づいていく。独特の香りが鼻をくすぐる。お湯の温度や粉の細かさによって味が変わるらしいが、そこまでこだわる気にはなれない。私のやり方は、ただ流れに沿っているだけだ。

 粉の細かさやお湯の温度はいつも適当だが、味が変わらないのは不思議だ。私が馬鹿舌なのか、それとも適当にやっていても毎回同じようになる、ある意味の正確さがあるのかはわからない。ただ、京子が淹れるコーヒーのほうが明らかに美味しいことだけは確かだ……やはり京子補正というものがあるのだろうか。

 そんなことを考えながら、サーバーからマグカップにコーヒーを注ぎ、飲んでみる。やはり、いつも私が淹れる味そのままだった。

「お待たせしました」

 準備を終え、ようやく目が覚めたらしい一ノ瀬がリビングに現れる。

「ん。一ノ瀬もコーヒー飲む?」

「それってセンパイが豆から淹れたんですか?」

 キッチンに並べられた器具を見ながら一ノ瀬が尋ねる。

「そうだけど」

「へえ〜……。じゃあください」

「じゃあって何さ」

 私が淹れてなかったら飲まないみたいな言い方だ。そんな上等なものではないと思いつつ、一応用意しておいた二つ目のマグカップにコーヒーを注いで渡す。

「ありがとうございます。父もコーヒー好きで、よく自分で淹れてたんですよね。私は飲んだことないんですけど」

「へえ」

 顔を見たことはないが、潔癖で几帳面な印象の一ノ瀬の父。コーヒーを淹れるのもやたらとこだわり、豆の量やお湯の温度をきっちり計っていそうな姿が想像できる。

「うーん、苦いですねこれ。それに熱いし」

「砂糖も入れてないんだし、熱いのはお湯だから当たり前でしょ」

 一ノ瀬には猫のような印象を抱いていたが、やはり猫舌らしい。関係ないか。

 砂糖を入れなくても甘みのある豆はあるのだろうか。一ノ瀬好みのコーヒー豆を探してみるのも悪くないかもしれない。

「でも、コーヒー好きってこの苦味とか酸味がいいんでしょう?」

「まあ、そうかな。私は気分次第で甘いのも飲むけど」

 そんな話をしながら、冷ましつつコーヒーをちびちびと飲む一ノ瀬の姿は、本当に猫のようだった。

「砂糖とかミルク入れないの?」

「せっかくセンパイが淹れてくれたんですし、センパイの味を味わわないと」

「私の味って……」

 一ノ瀬がよくわからないことを言う。素材の味みたいな意味だろうか? 別に私は豆から作ったわけではないけど。そんなボケは置いといて、きっと私が淹れたそのままを楽しむという意味だろう。

「ごちそうさまでした」

「率直な感想を聞いてもいい?」

「うーん……私がコーヒー苦手なのかもしれませんけど、美味しくはないですね」

「そっかあ……」

 そうだろうなとは思ったけれど、私の技術不足で美味しくなかったのか、一ノ瀬がコーヒーを苦手としているからなのか、わからない。別にコーヒーを淹れる技術を磨きたいわけではないけれど、なんだか釈然としないものがある。次はもっと丁寧に淹れてみようかな。

「じゃあ行きましょうか」

「そうね。行こうか」

 外界とこの世界を隔てる扉を開けた瞬間、世界が一瞬で冬に侵食された。なんて。

「寒すぎなんですけど……。というか雪降ってますし、今日はやめません?」

 言い出しっぺのくせに、何かと理由をつけて中止にしようとする一ノ瀬。やはり根性を叩き直したほうがいい。

「諦めろ」

「いや、諦めろって。センパイは寒くないんですか?」

「そこそこに」

「そこそこー? 強がってません?」

「しないわ」

「えー?」

「……かなり寒い」

「やっぱり強がってるじゃないですか」

「うるさいな」

 謎の勝負で根負けしてしまった。真冬でも昼間くらいならそこまで寒いとは思わないけれど、早朝となると話は別だ。ましてや雪まで降っているのだから。そもそも私は何に意地になっているのか。こんなの、敗北するに決まっている。

 傘を持ってマンションから出ると、遮るものがなくなった風が容赦なく吹き付けてきた。その風に流され、傘やマフラーをすり抜けてきた雪が頬を叩く。

「というか、なんで雪降ってるんですかね」

「昨日の予報で降るって言ってたし」

「そんなの見てませんし」

「なんで偉そうなの」

「あはは」

 まだ誰も足跡をつけていないきれいな雪の絨毯に、二人で足跡の平行線を描いていく。開拓者のような気分になり、歳に似合わず少し気分が高揚した。

 冬の寒さの割にあまり雪が降らないこの県では、雪が降ると子供たちは大はしゃぎだ。一方、大人たちは通勤や通学の手段に頭を悩ませる。今日の講義はどうなるのだろう。昼までには止むとは思うけれど。

 それにしても、散歩とはどのくらいの距離を歩けばいいものなのか。散歩の経験がないので勝手がわからない。思えば私はこういうのばかりだ。何もかも経験不足で、どの程度が適切なのか掴めない。

「ところでどこに向かうんです?」

「特に考えてないけど。散歩ってそういうものじゃない?」

「確かに。じゃあ、とりあえずいつもの公園まで行きません?」

 タバコが吸いたいだけだな、こいつ。一応私も持ってきたけど。

「こんな寒空の下でもタバコかい。別にいいけどさ」

 公園へ行くことに同意し、歩く方向を決める。

「しょーがないじゃないですか。家で吸えないんですから」

「まあ、そうだけど。普段私がいない時はどうしてんの? 一人で吸ってるの?」

 部屋で吸うのは禁止しているし、ベランダでも近隣住民に迷惑がかかりそうだから止めるように言っている。必然的に外で吸うしかない状況だ。

 それにしても、一ノ瀬は実家にいた頃、どうしていたのだろう。

「そりゃそうですよ。最近は面倒くさいので、気が向いた時だけ公園まで行って吸うくらいですけど」

「本数減っていいじゃん。実家にいた時はどうしてたの?」

「庭で吸ってましたよ。バレないように」

 一ノ瀬の父親は嫌煙家なのだろうと想像がつく。あの病的に白い壁が黄ばんだら、発狂して一ノ瀬に危害を加えそうだ。

「相変わらず誰もいませんね、この公園」

 通い慣れた公園に辿り着く。いつも私たち以外の人を見かけることはないが、今日はそれを裏付けるように、降り積もった雪に足跡一つついていなかった。

「いえーい、一番乗り」

 傷一つない真っ白な絨毯に、一ノ瀬が足跡をつけていく。そのあとを追い、私も足跡を刻んでいく。

「子供か」

「昔ならまだ子供でーす」

「はいはい」

 入口からいつものベンチまで、それなりに距離のある道を歩き辿り着いたが、案の定座る部分は雪で埋もれていた。

「あちゃー。これ座ります? 雪にセンパイのお尻の跡をつけられますよ」

「座るわけないでしょ……」

 雪を払ったところでベンチは濡れていて、座ればズボンが汚れるだろう。昼には電車に乗るし、講義も受けるのだから、それはさすがに避けたい。

「じゃあ立って吸うしかないですねえ」

「そうね」

 二人して傘を差したまま、タバコに火をつける。普通の靴で来たせいで、ここまでの道のりで靴が濡れ、靴下にまで湿り気が広がっていて気持ちが悪い。

「何が楽しくてこんな雪降る中、傘を差しながらタバコ吸わなきゃいけないんですかね」

「アンタだよ、言い出しっぺは」

「あれ? そうでしたっけ?」

「アホか」

「あっはっは」

 私は長時間吸わないとイライラするというほどではないので、ほとんど一ノ瀬に付き合って吸っている状態だ。タバコを吸わないと一ノ瀬とコミュニケーションが取れないわけでもないのに、何となく一ノ瀬のタバコと一緒に自分の分も買ってしまう。私は大体一箱が一月保つか保たないかなので、そこまで大きな出費ではないが、意味のないものにお金を払っている気がして、少し引っかかる。

 それでもやめられないのは、タバコをやめることで一ノ瀬との縁も切れてしまうような気がしているからだ。そんなことにはならない……とは思っているけど、辞められなくなっている。これも依存症なのだろうか? それにしても最近、一ノ瀬のことをどう思っているのか、自分でもよく分からなくなっている。

「さて、帰りますか?」

 一本吸い終わり、寒さに体を震わせた一ノ瀬が尋ねてくる。

「一ノ瀬、お腹空いてない?」

「そりゃもう空いてますけど」

「なら喫茶店行こうか」

「いいですけど……奢りですか?」

「どうせお金持ってないでしょ」

「失礼な。多少は持ってますよ」

「なら払いなよ」

「えー……」

「帰る?」

「いーきーまーすー」

「はいはい」

 二人でまた二本の平行線を書きながら、公園を後にする。その計四本の線は、まるで私たちがこの公園の所有権を主張しているかのようだった。



 公園から徒歩十分程度の場所にあるチェーンの喫茶店は、早朝にもかかわらずそれなりに人がいて賑わっていた。

 ここはどの料理もサイズが大きく、無闇に頼むと後悔することになる。

 この時間帯はコーヒーを注文するだけでパンとオプションがつく、いわゆるモーニングセットが出てくるため、コーヒーだけで十分だ。

「カツサンド美味しそうですねえ」

 メニューとにらめっこしている一ノ瀬がそんなことを言う。絶対一人で食べきれないだろこいつ。

「メニューで見るよりはるかに大きいから、一人で食べきれないと思うけど」

「センパイも手伝えばいいんじゃないですか?」

「食べたいの? コーヒー頼むだけでパンがついてくるけど」

「うーん、それならいらないかも……。また今度にします」

「賢明な判断だ」

 そんなやり取りをしながら、二人とも店名を冠したブレンドコーヒーを注文する。

 一ノ瀬の反応から察するに、喫茶店に来たことがないのかもしれない。この県の喫茶店では、朝の時間帯にドリンク代だけでモーニングがつくのが一般的だが、その文化を知らないようだ。

「一ノ瀬って、喫茶店に来たことある?」

「うーん、ない気がしますねえ。友達もいませんでしたし、親とも来た記憶がないです」

「そっか。私もあんまり来ないけど」

 私自身も、たまに時間が合った時に京子と数回訪れた程度だ。その時行った所はここのような喫茶店ではなかったから、メニューを見てもよくわからず、京子に頼んでもらった記憶がある。そのときの京子は、何か呪文のようなオーダーをしてクリームやら何やらがたっぷり乗ったフラペチーノを飲んでいたっけ。

「放課後にカフェに行くような友達もいませんでしたし、父は自分で淹れたほうが美味いとか言ってましたしね」

「なるほど。それは筋金入りだ」

 ふと思ったが、一ノ瀬がそれなりに父親の話をするのはなぜだろうか。傷が残るほどの暴力を受けているなら、その原因となる人の話などしたくないのが普通な気がする。

 一方で、出ていったらしい母親と姉の話は全く出てこない。他人の家庭環境に不用意に踏み込むのは避けるべきだと私でもわかるので、深く聞くことはしないけど。

「というか、コーヒーでよかったの? 紅茶とかココアもあるけど」

「コーヒーそのものが好みじゃないのか確かめたくて」

「ふーん」

「センパイのコーヒーがおいしくなかった理由が、センパイのせいなのか、豆のせいなのか、私の味覚のせいなのか、みたいな?」

「ここのコーヒー飲んでわかるもんかね」

「うーん、どうなんでしょう?」

「自分で言ったんでしょ」

 チェーン店のコーヒーでそんなことがわかるのだろうか。コーヒーと言っても千差万別だし、人の味覚もそれぞれだから、このコーヒーは飲めるけどあれは飲めない、なんてこともあるだろう。私は大体何でも飲めるけど。

 少しすると、コーヒーとモーニングが運ばれてきた。

 私はゆで卵を、一ノ瀬はたまごペーストを選んでいた。とりあえず、トーストをひとかじりしてから卵の殻を割る。

「私、ゆで卵って嫌いなんですよね。殻を割るのが面倒くさいので」

「なんで私がゆで卵食べてるのにそんなこと言うの」

「いや、センパイが剥いてくれたら食べられるかもとか思って」

「何言ってんの? そもそもアンタ、ゆで卵頼んでないでしょ」

「そうでした。あっはっは」

 一ノ瀬は笑いながら、トーストにたまごペーストを塗って食べている。なんだこいつ……。

「それで、コーヒーはどうなの?」

「ああ、そうでした」

 そう言って、一ノ瀬は相変わらず猫のようにコーヒーをちびちび飲んだ。

「うーん……やっぱり苦いですね」

「結局、苦いのがダメなわけ? 砂糖とフレッシュ入れて飲んでみなよ」

「そうしてみます……。んー、これなら飲めますね」

「やっぱり苦いのがダメなだけじゃない?」

「そうかもしれませんねえ」

「じゃあ次に淹れる時は砂糖とフレッシュ入れて飲んでみてよ」

「また淹れてくれるんですか?」

「飲みたいなら淹れるけど」

「ふふ、楽しみです」

 こいつ、笑うと本当にかわいいな……などと思ってしまう。いや、私にそんな顔を向けられても困るんだが。もっと別の人間にその顔を使えば楽勝で落とせそうなのに、よりによって私にしか向けてこない。嫌ではないけど、少し心が痛む。

 パンを食べ終え、コーヒーも飲み終わると、なんとなく帰らないといけない気がしてくる。ただ、今すぐ出なければならないわけではない。この系列の店はフランチャイズ制で、店舗によってルールが異なるらしい。この店には特に「○分まで」といった制限がなく、コーヒー一杯で好きなだけ居座ることもできる。ただ、居座る理由も特にないし、モーニングの時間帯だからか人が待っている。

「さて、帰る?」

「タバコが吸いたいんですけどお……」

「また? あそこで吸ってくればいいじゃん」

「いやあ……ね?」

「ね?って何よ」

「公園で吸いたいんですよ」

「ええ……寒いじゃん」

 この店は禁煙席しかないが、喫煙室があるので店内でタバコを吸うことができる。わざわざ寒空の下に出なくても済むのだが……。

「だって喫煙所ってなんか隔離棟みたいじゃないですか。それに、センパイと一緒に吸いたいですし」

「いや、そうでしょ……。というか、吸いたいなら私もそこで吸うし」

「えーえー!」

 なんでこいつは駄々をこねるんだ……。

「わかった、わかった。公園ね……」

「いやあ、物分かりがいいセンパイで助かります」

「しばくぞ」

「きゃー」

 アホの一ノ瀬を無視して会計を済ませ、外に出る。私が二人分払ったので、後でしっかり回収しなければならない。

「置いてくなんて酷いですよ」

「ちんたらしてるのが悪い」

「ひどっ」

 外に出ると相変わらず風は冷たく、雪は止むどころか強さを増している。喫茶店で靴と靴下を脱いで少し乾かしたが、焼け石に水だ。さっさと帰りたい。

 再び公園まで歩いて辿り着くと、先ほど引いた平行線が綺麗さっぱり消えていた。雪の強さも増しているし、ほんの数十分で消えてもまあおかしくはない。

 再び線を引いて、ベンチ横まで来たが相変わらず雪という先客がいるので、傘を指して立ったままタバコを吸う。

 手袋をしているとタバコは吸いづらいし、スマホも触れないので渋々ノーガードになっている。手が凍りそうだ。

 電車止まっていないかなあと邪な願望を抱きつつ、通学に使っている路線のサイトを確認すると、願いが通じたのか止まっているようだった。それならばと大学のポータルも確認すると今日一日休講になっていた。

 しかし、別の日に振替になると思うとそれはそれで面倒だ。まあ、試験直前だし大した講義内容じゃないかもしれないけど。

「今日休講になった」

「休講って……休みですか? 大学ってそんな簡単に休みになるんですね」

「まあ電車止まってるし」

「ああ、そうなんですか。それじゃ講義あっても行けませんね」

「歩いていけるわけもないしね。バイトはどうなるかわかんないけど聞いておくか……」

 店長はろくにスマホを扱えない人であるため、直接電話をするしか無い。こんな朝に電話しても仕方ないので、昼までに向こうから連絡がなければこっちから聞いてみよう。

「そういえば、センパイってどんなバイトしてるんですか?」

 そういえば京子にもバイトの内容を話していなかった気がする。聞かれなかったというのもあるが。

「居酒屋でバイトしてる」

「えっ? センパイが居酒屋? 接客できるんですか?」

 バカにしてるのか?と言いたいが、自分でも居酒屋勤務が似合わないだろうという自覚はあった。

「いや、調理がメインだし。たまに接客もするけど」

「へえ〜、へえ~……」

「なにさ……」

「今度行ってみてもいいですか?」

「良いわけないだろ」

「なんで!?」

「何しに来るんだよ」

「ご飯食べにですけど?」

「そんな金ないくせに」

「ぐぬぬ……」

 はい、私の勝ち。完全に論破してやった。今日はとりあえず1勝1敗だ。

「吸い終わったならもう帰るよ。寒いし、靴の中がベタベタで早く帰りたい」

「ですねえ。帰ったらまたコーヒー淹れてくれませんか?」

「また? 別にいいけど。どうせ暇になったし」

「わーい」

 どれだけ私たちの足跡で公園の所有権を主張しても、降り続く雪にかき消されてリセットされる。その無常感を覚えながら、公園を後にした。

 家に戻り、さっそく今日3杯目のコーヒーを今朝と全く同じ手順で淹れた。

「で、砂糖とミルクを入れた上での感想は?」

「さっき飲んだやつのほうが美味しいですね」

 結果はチェーン店に惨敗。勝負しているわけではないけれど、あまりにも悔しかったので、絶対に一ノ瀬に美味しいと言わせてやろうと心に決めた。

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