第23話 汚れちゃったのはどっちだ
成人式、美鈴と一緒に行きたかったなあ。美鈴には成人式(正式名称は「はたちのつどい」らしい)という催しがあることを教えていないから、そんなものがあることすら知らなかっただろう。籍もそのままだし、案内も実家に届いてポスト内の暗闇から脱することないままなのが想像に難くない。
私は家の人間とその他関係者で祝って終わった。もちろん、死ぬほどつまらなかった。どれくらいつまらなかったかというと、誰がいたのかも、何をしていたのかも忘れたくらいだ。私的には呪われたと思った。
そんなことはさておき、振袖姿の美鈴を想像してみよう。それっぽくセットした髪、慣れない格好で恥ずかしそうにもじもじする姿、草履で歩きにくそうにしている姿。どれもこれも容易に想像できる。見たかった。
成人式などの、一生に一度の経験の機会を無駄にすることは、人生における損失だと思う。
私は客観的に見ると恵まれているだろうし、普通の人が経験できないことも経験してきた。しかし、それが自己形成や幸福につながったかといえば、答えはNOだ。
私を作ったのは美鈴であり、私の幸福も美鈴そのものだ。今の立場を捨ててでも美鈴といられるならそうしたいと思うくらいに、美鈴ファーストなのだ。
だからこそ、一生に一度のイベントである入学式や卒業式の写真を二人で残してきた。本当なら、大学も一緒に通いたかったし、成人式にも美鈴と一緒に行きたかった。後の祭りだけど。
というか、個人的にお祝いをすればいいか。後で提案してみよう。さすがに振袖を用意しても、着てくれなさそうだけど。
一ノ瀬は今年で二十歳だし、美鈴も交えてお祝いできたらいいかもしれない。
余った試験時間で思考を巡らせて暇を潰していると、ようやく終了時間になり解放された。
このつまらない大学から早く帰りたい気持ちはあるけど、家に帰りたいわけでもない。最近、私の居場所がこの世界にないように感じて困る。
仕方がないので、校内のカフェで本でも読もうと思う。
講義室の出入り口に押し寄せる学生の群れが落ち着いたころ、席を立つと、一人の女性が近づいてきた。誰だろう。周囲にはもう誰もいないし、明らかに私に向かってきているようだ。
「細川京子さんですか?」
「そうだけど」
名前を知られているけど、私はこの人の名前を知らない。多分。
「ああ、すいません。初めまして。私、
七海? どこかで聞いたような……。ああ、婚約者の……。と1秒ほど記憶の奥底を探って思い出す。そういえば、血は繋がっていないけれど妹がいるとか言っていたな。興味がなさすぎて、秒で頭の片隅に追いやっていた記憶だ。それでも、完全に忘れていなかっただけ褒めてほしい。
「ああ、妹さん」
「はい。兄がいつもお世話になっております」
「こちらこそ、お兄様にはいつもお世話になっております」
我ながらテンプレートすぎるやり取りだと思った。無難なやり取り以外をすると、相手方や私の両親に悪い話が伝わるかもしれないので仕方がない。ちなみに1ミリも世話になっている気はない。
「この前……京子さんのお祝いの日にも顔を出させていただいたんですけど、ご挨拶する時間がなくて」
いたのか。それで私の顔がわかったのだろうか。まあ、私は無と化していたし、誰がいたのかも覚えていないんだけど。
それにしても、同じ大学の同じ講義室にいるということは、そういうことか。これはまた面倒なことになった。
「それで今? わざわざありがとうございます」
あまりありがたいとは思っていないけど、言っておかないといけない。丁寧に接するのが本当に面倒くさい。両親がいないところでもこれをやると思うと、ストレスで頭がおかしくなりそうだ。
「いえいえ。あの、一つお聞きしたいんですけど」
急に表情が変わったように見える。綺麗な顔立ちで温和な雰囲気だったが、一瞬で名前負けしない凜凜しい顔に変わった。一体その凜凜しい顔で私に何を聞こうというのか。
「お友達になっていただけませんか?」
「へっ……? いいですけど……」
「ああ、よかった!」
凜凜しい顔が、ふやけた笑顔に変わる。表情豊かな人だな……。美鈴は照れが顔に出やすいけれど、あまり笑ったりはしないし、一ノ瀬は常に掴みどころのないニヤけ顔をしている。こういう顔を見るのは新鮮だ。
「お前同性愛者なんだろう?」とか「兄のことなんて愛してないんだろう?」とか聞かれるのかと思ったけれど、全然違った。いや、別に私は同性愛者というわけではない。美鈴が大好きなだけだし。
それにしても、未来の義妹と友達になるとはどういうことだろう。こういう関係もあるのだろうか。周りにそういう人がいないからわからないけれど、自分の母親と友達のように仲が良いという話も聞いたことがあるし、案外普通なのかもしれない。私は母親とは絶対に無理だけど。
「そ、そんなに喜ぶことですか?」
なんだか過剰に喜んでいる気がして、思わず聞いてしまう。
「喜ぶことです!」
「そ、そうですか……」
圧がすごい。今までこんなにグイグイ来る人はいなかった気がする。美鈴はいつも遠慮がちだし、一ノ瀬は私に対してどこか距離感があるように思える。
私自身、美鈴に積極的に接しているように見せかけて、肝心なところで尻込みしてしまい、今に至る。少し見習いたい。
「あの、進級したら一緒に講義を受けませんか?」
七海さんがそんな提案をしてきた。
この講義の試験を受けているということは、同じ学部で同じ学科なのは確かだ。
基本的に一人で講義を受けていたから、二人で受ければ何かと楽になるだろう。提案を断る理由はない。人付き合いが少し煩わしいというのを除けば。
遠慮がある相手と、ちゃんとやり取りをするのは久々だ。それだけに疲れてしまう。まあ、結婚すればいつもこんな感じになるのだろうし、訓練だと思っておこう。仲良くなって、遠慮もなくなる可能性もあるかもしれないし。
「いいですよ。私も助かりますし」
「よかった。あの、普通に話していいですか?」
「いいです……いいよ」
「じゃあ、よろしくね、京子さん」
「よろしく、七海さん」
両親と美鈴以外に下の名前で呼ばれるのは、正直違和感がある。まあ、家族になるから別にいい……いいのか? でも、これだと私だけが名字で呼んでいる形になり、不自然に感じる。でも、まだそこまで親しくない相手を下の名前で呼ぶのは抵抗がある。美鈴以外の名前を呼びたくない気持ちもあるし。
自分の名前は古臭くて、正直あまり好きではない。そもそも、京都にも東京にもそれほど近くない場所で生まれたのに、「京」を名前に使う親の考えが理解できない。それに、2000年代生まれの私に「子」を付ける昭和的なセンスも気に入らない。だから、美鈴以外には下の名前で呼ばれたくないけれど、それを伝えると私と七海さんの間に大きな壁ができてしまいそうで、言えない。
「連絡先、聞いてもいい?」
「あ、うん」
私がQRコードを見せると、七海さんが読み取り、友達に追加される。
中学から今までに蓄積されたトーク部屋のほとんどは時が止まっていて、最近は美鈴が先頭、その下に両親と私のトーク部屋が固定されている。両親のメッセージはほとんど未読無視しているけど。
そして、二つの部屋しか動いていなかったトーク一覧の一番上に、七海凜の名前が現れた。内容を見ると、小さくてかわいいキャラのスタンプが送られていたので、私も適当に騒がしいウサギのスタンプで返す。プロフィール画像もそのスタンプのキャラだから、きっとお気に入りなのだろう。
美鈴は用があるときしかメッセージを送ってこないけれど、七海さんは用がなくても送ってくるタイプだろうか。そうだとしたら、面倒くさいなあと思う。うーん、こうやって悪い方向へ考えてしまうのは私の悪癖だ。反省はするけれど、直せる気はしない。
「じゃあ、また明日?」
「また明日」
別れの挨拶を交わすと、七海さんは講義室を出ていった。
聞かれても答えに困るけど、とりあえず「また明日」ということにしておいた。必修の試験があるし、多分同じ試験を受けるだろう。
すぐに出ていくと行く道が被って気まずいので、少し待ってから講義室を後にした。なんか、コミュ障みたいだな私……。最近、美鈴以外の同年代の人と関わる機会がなさすぎたせいだろうか。普段は20歳も30歳も上の大人に、これ以上に疲れそうな対応をしているのに、なぜかさらに気疲れしてしまう。美鈴で癒やしを得られないせいだろう、これ。
カフェに行くつもりだったのに、そんな気分にならなくなってしまった。帰って寝よう。
大学からまっすぐ帰って即寝したら、気づけば5時間ほど経っていた。試験勉強……まあいいか、面倒くさいし。なんとかなるだろう。
暇だし美鈴にかまってもらおうと思ったけど、時間的にまだバイト中か……。うーん、つまらん。
寝ぼけ眼をこすりながらベッドから脱出する。しかし、脱出しても特にやることがないし、お腹は空いているけれど食べるものがない。以前は両親と顔を合わせて夕飯を食べていたけど、今はできるだけ顔を見たくないので、用意してもらわないようにしている。まあお手伝いさんが作ってて、母親が作っているわけではないんだけど。
なのに、どこにも寄らず帰ってきてしまったせいで食べるものがない。台所に行けば何かはあるだろうけど、自分で作る気にならない。私は基本的に美鈴に食べてもらうついでに自分の分を用意していたから、自分用だけでは作る気が起きないのだ。
結婚したら、それを毎日やらなければいけないのだろうか。好きでもない相手に毎日ご飯を用意しなければならないなんて、考えるだけで気が滅入る。
お手伝いさんに頼めば何か作ってもらえると思うけど、もうみんな食べ終わっただろうこの時間に言うのは迷惑だろうし、コンビニに行って食べるものを確保しよう。そう思ってスマホと財布を手に取ると、通知が来ていた。見なくてもなんとなく七海さんだろうと予想がついたが、通知の内容を確認するとやはりそうだった。
『今暇ですか?』
2時間ほど前に送られてきていた。こうやって間が空いたとき、今まではどう対処していたっけ……。もう忘れてしまった。
うーん、面倒くさい……。暇だけど、うーん……。
我ながら、どんどん性格が悪くなってきている気がする。美鈴を見ないとストレスが発散されないから、どこかで限界を超えて爆発してしまうのは、あの駅でやらかした日のことを思えば明白だ。それでも、どうしようもない。
なら、あの家に戻ればいいのではと考えたけれど、美鈴で発散されるストレスと普段の生活で蓄積されるストレスが相殺されなかったら、また美鈴に対してああなってしまうかもしれないと思うと、怖くて無理だ。
それに、いつ爆発するかもわからないし、次も同じような爆発をするとも限らない。もし、両親相手に爆発したらどうなるのだろうか。あまり考えたくない。
しかし、無視するわけにもいかないので、『寝てました。今は暇ですよ』と返しておく。今日、初めて顔を合わせたときには普通に喋るようにしたのに、文字でのやり取りになると、二人ともまた丁寧語になってしまうのは、まだ距離感があるということだろうか。
コートを着て手袋をしてコンビニへと向かう。 それにしても寒い。私は夏よりも冬の方が好きなので、今くらいがちょうどいいんだけど。春は暖かいし鈴蘭も咲くけれど、花粉症が少しキツい。美鈴は花粉症ではないらしく、少しうらやましい。家からコンビニまで歩いて約10分と言っても、刺すような風と冷たい空気は結構厳しいものがある。防寒具なしでは死ぬかもしれない。
家から数分歩いたところで、スマホが震え、何かが来たことを知らせる。十中八九七海さんだろうけど、手袋を取ると手が凍えそうなので無理だ。コンビニに着いてから見ることにしよう。もう着いたけど。
手袋をコートのポケットに入れ、店内を回る。寒くて仕方ないし、カップ麺でも食べようか。それとも、ラーメンか。コンビニのラーメンって食べた記憶がないし、そっちにしよう。
カップ麺はラーメンの模倣品だと思うけど、コンビニのラーメンは店のラーメンの模倣品になるのだろうか?などと、よくわからないことを考えた。いわゆるカップ焼きそば現象みたいなものかもしれない。
そんなよくわからない考えを無かったことにしつつ、目に入った味噌ラーメンを手に取り、レジで会計を済ませる。ついでにカレーまんも買った。
コンビニから出る前にスマホを確認すると、やはり七海さんからだった。
『試験勉強してますか? ちょっとわからないところがあって聞きたくて』
真面目だ。既に投げ出した私とは大違いである。
『ちょっと今コンビニに来てるので帰ったら聞きます』
そう送ると、すぐに小さい生き物のスタンプが返ってきた。
「聞きます」と言ってしまったからには、急いで家に帰らなければいけない気がしてきたので、来た時よりも少し足早に家へ向かう。
家に帰り、レンジでラーメンを温めながら少し冷めたカレーまんをかじりつつ、『帰りました』と一言送る。
温めたラーメンと淹れたココアを持って部屋に戻り、教科書とノートを広げる。七海さんは私より勉強ができそうな雰囲気を漂わせていたけれど、そんな七海さんの質問に私が期待に応えられるのだろうか。
大学に入ってからの私の成績は、中の中といったところ。就職は親の会社に決まっているから、必要以上に頑張る理由もなく、完全に手を抜いている。だったらこの大学に入る必要もなかったのでは?とは思ったが、そうは問屋が卸さず現在に至る。
『明日の試験科目なんですけど、ここがよくわからなくて』
数式の書かれたノートの画像が送られてくる。矢印が置かれていて、字は印象通りとても綺麗。内容も丁寧にまとめられていて読みやすい。
『ちょっと待ってください。解いてみます』
そう返信して、送られてきた画像を見ながらノートに問題を書き写し、解いてみると、我ながらすんなりと解けてしまった。
『解けましたよ』
解いた内容を書いたノートの写真を送る。私は七海さんほど字もまとめ方も綺麗ではないので、あまりノートを見せたくない気持ちが少しあった。
少し間を置いて『ありがとうございます。途中ちょっと自信がなくて引っかかってて』と返信が来た。
どうやら私が解いている間に、七海さん自身も最後まで解いたようで、その解答も送られてきた。別に私いらなくないか? とは思ったけれど、確認にもなるし復習にもなったので、私にとっても無駄な時間ではなかった。どうせ他にやることもないし。
『京子さんはどこかわからない所ありますか?』
『今のところは特に。出てきたら聞きます』
そう送ると、また小さい生き物のスタンプが返ってきた。今現在、真面目に勉強していないのだから、つまずくこともないのである。ほぼ無勉強で受けるのも怖いし、少しくらいは勉強しておくか。落としたら来季以降の自分が困る。
七海さんの質問に答えていたら、ラーメンのことを忘れていたので、麺をすすりながら明日の試験科目の教科書をパラパラとめくる。
うーん、勉強しなくてもなんとかなりそうだ。多分。前期の範囲を一通り見て満足し、ラーメンを汁まで完食した。我ながら意地汚い気がする。
ほんの少し勉強しただけで、また眠気が襲ってくる。あんなに昼寝したのに、我ながら怠惰だ。そろそろお風呂に入って寝よう。一応、七海さんにも伝えておくか。
『そろそろお風呂入ろうと思うんだけど、他は大丈夫?』
一度文字でのやり取りをして慣れたのか、自然とくだけた言い方になった。ずっと距離感のあるやり取りだと、こちらも息苦しいので、どこかでこうしておかないといけない。
『ありがとう、もう大丈夫だよ。おやすみなさい』
私の意図を読み取ってくれたのか、七海さんもくだけた言い方になった。長らく忘れていたけど、友人とのこういうやり取りも悪くない。単に、私が擦れすぎていただけかもしれない。少し反省する。
『うん。おやすみ』
そう送ると、「フ!」とか言っている小さい生き物のスタンプが送られてきた。本当に好きなんだな、これ。
一息ついて時刻を見ると美鈴のバイトが終わってるだろう時間だったので、美鈴に『振り袖着てくれない?』と送ってみたらすぐに『は? なんで? やだ』と返ってきた。何故だ……。この後、『振り袖は置いといて、次の土曜日に20歳のお祝いしない?』と送ったら『いいよ』と返ってきたから、残りの試験もやる気になったのであった。
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