外伝 冬が寒くって本当に良かった

 両親が高校一年のときに蒸発して以来、一人で生きるしかなくなった。

 なによりも、食べるのに困らないように稼がないといけない。

 高校生のバイトは想像通りコンビニやファミレスなどそれなりにあったので、とりあえず近場のコンビニを選んだ。

 昼は勉強に励み、学校が終われば法律が許す22時まで働く。かなりしんどい。

 そんなこんなで今日も授業が終わり、一目散にバイトへ向かう。

 真っ先に教室を出て、昇降口に向かい、学校を後にする。

「あの」

 意識の外から声がした。気配も感じなかったのに、いつの間にか近くに来ていた。その声は、耳に残る蠱惑的な声だった。

 振り返ると、一人の女の子がいた。制服のリボンが黄色なので、一年生のようだ。

 小柄だが、胸は大きい。顔は……すごく可愛い。どうしてこんな子が私に声をかけてきたのだろう。

「誰? 何か用?」

 元から人付き合いが皆無に近いから、かなりぶっきらぼうに返答してしまう。

 私だって他人と関わりたくないわけではないが、そもそも親から人との関わり方を学べなかったし、誰も教えてくれなかった。だから、こんな返し方しかできなかった。

「えっと……二年生ですよね? センパイの名前を教えてもらいたくて。あ、私は一ノ瀬真央といいます」

 私の名前……?なぜそんなことを聞いてくるのだろう。突然現れた下級生の思考は当然ながら読めない。

「どうして私の名前を?」

「えっと……どうしてと言われると……その……」

 煮え切らない態度だ。こういうのは好きではない。

「はっきり言わないなら、私も名乗らないけど」

 うじうじとする下級生にそう言い放つと、意を決したかのような顔をした。

「と、友達になってください……!」

「はあ……? 友達?」

 なんだ急に。それに、どうして私と?

「なんで私なの?」

「ひ、一目惚れなんです!」

「は、はあ!?」

 ひと……一目惚れ? 昇降口で、誰かに見られているかもしれない状況で、いきなり何を言い出すんだ、こいつは。

 私を一目見て惚れたと? そんな馬鹿な。

「い、いや、私、女だし」

「関係ないと思いますけど」

「いやいやいや……」

 さっきのおどおどした態度とは打って変わって、やけに強い眼差しで私を真っ直ぐ見てくる。

 言われて気づいたけど、私は男とそういう関係になったこともない。だから別におかしくはないか……? でも、義務教育を受けてきたから、子どもがどうやって生まれるかは知っているし、それが普通は恋愛の延長だということも知っている。

 しかし、私は普通の人がやっているだろうことを何一つやってこなかった。

 家族との普通の日常、友達付き合い、男女交際エトセトラエトセトラ。

 だから、何が正常か異常かなんて私には考える暇もなくて、私にはわかりようがなかったのだ。

 そもそも、女性同士で恋愛感情を抱くことはおかしくないし、それも多様性の一つだと教えられている。

 だから、目の前のこの下級生が私を好きだというのも、別におかしいことではないのかもしれない。

「いきなり付き合ってほしいとは言いません。だから、まず友達から始めてくれませんか?」

「いや、それは別にいいけど……」

「よかった」

「えっと、私これからバイトだからさ。また今度ゆっくり話そう」

「はい。それで……お名前は?」

「あ、ごめん。私は呉島美鈴。よろしく」



 あれから、真央と私はバイト後に会うようになった。学校では学年も違うし、私は毎日バイトがあるから、会えるのはその時間くらいしかない。

 それにしても、真央はこんな時間に出歩いて大丈夫なのだろうか? 私は天涯孤独で、叱ってくれる人もいない。そもそも生きるために働かないといけないから、文句を言う人もいない。

 真央の身の上については、特に聞いていない。まだそういうことを聞く間柄でもないだろうし、自分から尋ねたりもしない。そもそも、仲が深まってもそれを聞いていいのかわからないけど。

 そして今日も、バイトの後片付けや次のシフトの人への引き継ぎを終えて、外で待っている真央と合流する。

「お疲れ様です、センパイ」

「やほ。寒くなかった?」

 季節は暦の上で冬になってから一月が経ち、夜は相当冷える時期だ。

 バイト終わりに買ったホットココアと中華まんを、裏口で待っていた真央に渡す。ちなみに、真央はカレーまんが好きらしい。

「ありがとうございます。そこそこ寒かったですよ」

「別に終わってから来ればいいのに」

「それじゃ、センパイが待つでしょう」

「いいでしょ別に。寒かったら、バックヤードにいればいいんだし」

「まあ、それはそうなんですけど。いいじゃないですか別に」

「よくないでしょ。寒いんだし」

「まあまあ、公園に行きましょう」

 バイト先のコンビニの前にある公園で、少し話をするのが日課になりつつあった。

 バイトに来るときに毎回横目で見るが、いつも誰もいないのが当たり前になっている公園だ。何か人を寄せ付けない結界でも張られているのだろうか? でも、私たちは普通に入れるし、まあそんなことはないだろう。もしかしたら、私たちが人でない存在である可能性もなきにしもあらず……いや、ないか。

 ライトの下のベンチに二人で座り、他愛もないことを語り合う。この時間が私は好きになりつつあった。

 真央と話していると、時間の流れが異常に早くなる気がする。もっと話していたいけど、いつもは日が変わるまでには解散している。年頃の生徒がそんな時間まで外にいるのも、十分危ないのだが。

「そういえばさ、真央って誕生日いつ?」

「実は……明日なんです」

「えっ……マジ?」

「マジなんですよ。ほら」

 そう言って真央が顔写真付きの身分証を見せてくる。確かに「12月8日」と記載がある。

 時刻は23時50分。あと10分で年を重ねる女子が目の前にいる。

「いやいや……もっと早く言ってよ」

「聞かれませんでしたし?」

「それはそうだけどさあ」

 真央は初めて会ったときとは打って変わって、すごく生意気な態度を取るようになってきている。舐められてるのか、ひょっとして?

「もし教えてたら、何かプレゼントくれました?」

「そりゃそうでしょ。何をあげるか悩む時間も欲しかったし、これじゃ今何も渡せないじゃん」

「別にすぐ渡さなくてもいいですよ? 私は待ちますから」

「分かってたら日が変わった瞬間にあげたいでしょ。これは私の気分の問題」

「じゃあ、今ものすご~~~~く欲しいものがあって、これなら今すぐ渡せると思うんですけど」

「な、なに?」

 ふと、時計をチラ見すると、時刻は23時59分になっていた。

「センパイが欲しいです。私と付き合ってください」

 秒針が進むよりも速いスピードで心臓が鼓動する。今は59分何秒だ? 脳が熱くなり、体も熱くなるような錯覚を覚える。どうする? どうする?

「えっと……その……」

 返答にならない言葉しか出てこない私を、真央が真っ直ぐ見つめている。この場で答えを出さないと、ヘタレの称号を押し付けられてしまうだろう。

「わかった、付き合おうか」

 なんとか肯定の言葉を口から紡いだ瞬間、真央が抱きついてきた。

 冬が寒くて本当に良かった。こんなにも真央の体温が熱く伝わってくるのだから。


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