第20話 そうしたいと思うのは そうしてもらったから

 私の「病気」は治ったのだろうか。

 センパイと細川先輩が仲良くしているのを見ても、吐き気も込み上げてこないし、嫉妬心も湧かない。

 そもそも、私の「病気」は嫉妬心から来ていたのだろうか?それすらもよくわからない。

 センパイが「話を聞いてほしい」とか、細川先輩が「私も含めて遊びに行こう」とか言い出したのも、何故なのかさっぱりわからない。

 どう考えても、私はお邪魔虫だろう。自分の家でも、センパイと細川先輩の家でも、それは変わらない。

 私を本当に必要としてくれる人なんて、誰一人いなかったはずだ。

 母は「未成年のお前の面倒は見きれない」と姉だけを連れて出ていき、必然的に暴力の対象は私一人になった。父は私を見るたび罵り、痛めつけるようになった。

 家では絶え間ない暴力に怯えるしかなく、学校は唯一の避難場所にはなっていたが、それだけだった。

 でも、センパイを見つけてから、学校は私にとって少しだけ違う意味を持ち始めたのかもしれない。

 細川先輩も「センパイに会ってから自分は壊れてしまった」と言っていたけど、私も昇降口で初めてセンパイを見つけた瞬間に、何かが壊れてしまったのだろう。

 センパイは他人を「壊す」不思議な力でも発しているのかもしれないと考えると、少し笑えてしまった。

 一度彼女に侵食されると、もう彼女なしでは生きられないのかもしれない。

 あの4月の新学期、センパイと細川先輩が一緒にいるのを見た時、自分だけが知っている「呉島美鈴」は私だけのものではなかったと気づかされ、それが想像以上のショックで、信じられなくて、辛くて、なぜ私じゃないのか……と、考えすぎた結果があれだったのだろう。

 それはそれで、自分の考えが甘すぎるのではないかと思うけど。

 勝手な独占欲を抱いて、勝手にダメージを受けているのだから、センパイも細川先輩も、きっとそんなことは露知らずだろう。言ってないし。

 そもそも強固すぎる二人の関係には、私がひびを入れることもできないだろうと思う。

 まあ、私なんかよりも圧倒的に強い、時間と細川先輩の境遇が徐々に二人の関係を引き裂き始めているのだけど。

 私は、これからどうすればいいのだろうか?

 私は、センパイが悲しむ顔を見たくない。これは嘘偽りのない事実だ。

 だから、なるべく円満に二人の関係が終わりを迎え、突然いなくなった時のようにセンパイが傷つかないよう手助けをするのが私の役目ではないか、と考えての行動が細川先輩への接触から始まる。

 でも、その後は?

 細川先輩がセンパイから完全に離れたら、もう何も迷うことはないのではないか?などとほんの少し考えている自分が嫌になる。

 センパイのことだから、例え円満に終わっても、一生細川先輩のことを想い続けるだろう。

 だから、こんな事を考えても無駄だ。

 センパイが私に向ける感情は、友愛か哀れみだろう。どうひっくり返っても、恋愛感情にはならない。

 うーん、これはしんどいなあ、と、自分の置かれた立場を考え自己評価する。

 高校生の頃の私はやはり傲慢だったのだろう。

 だから、行き場をなくした感情が、嘔吐という形で流れ出ていったのかもしれない。

 引きこもっていて、ほんの少し歳を重ねただけなのに、それほど心境の変化があるものだろうか?と自分でも思ってしまうけど。

 色々考えたものの、今センパイと細川先輩が一緒にいるのを見ても、あの時のようにならない理由は、結局よくわからなかった。



 目が覚めると布団が剥がされていて、部屋にセンパイがいた。寝ぼけた頭でどういう状況か考える。

「いつまで寝てんの?」

 まあ……そういう事か。

「あはは……。おはようございます、センパイ」

「おはよ」

 真顔でセンパイがおはようを返してくる。こわい。

「もう7時半だから、さっさと支度して朝ご飯も食べて」

「は、はひ」

 急いで顔を洗い、着替え、朝ご飯を食べ、軽く化粧をして、食器をかたす。この間わずか30分。我ながら速さが足りてる。

「おはよう」

「おはようございます、細川先輩」

 もうとっくに準備を済ませたセンパイと細川先輩が、リビングのソファでピッタリとくっついて寛いでいる。

「あ、どうせ7時には起きられないって美鈴が言ってたから、時間は余裕を持たせて伝えてあるけど……ってもう遅いか」

 細川先輩が、全ての準備を高速で済ませた私に今更そんなことを言う。

「えっ?センパイ、そんなこと言ってなかったですけど……」

「京子、こいつを甘やかすのはためにならないから」

「ぐぬぬ……」

 センパイにしてやられた。最近手玉に取られがちな気がする。何故だ。

「で、どこ行こうか? 美鈴、どこか行きたいところある?って聞いても、どうせ無いって言うんだろうけど」

「何その決めつけ? まあ、無いんだけど」

「じゃ、動物園にでも行きませんか?」

「おっけー」

「ん」

 あまりにも主体性の無い人がいるので、さっさと決めたほうが良さそうだと思い、前に行こうと言った場所その1を提案した。

 しかし、センパイと二人きりではないことが、1マイクロくらい残念だと思ってたりしなくもない。

 家を出て、最寄りの駅まで向かう。

 先輩を挟んで、左に私、右に細川先輩で歩く。

「どうでもいいけど、なんで私が真ん中なの?両手塞がって不便なんだけど」

「そりゃあ……ねえ?」

「ねえ?」

 私と細川先輩で顔を見合わせて笑い合う。

「美鈴って鈍いなあ」

「ほんと、鈍いんですからセンパイ」

「なんなの……」

 二人に挟まれてあたふたしているセンパイを楽しむ。

「美鈴と出かけるのいつぶりだろ。覚えてる?」

「数か月前にコンビニ行ったときでしょ」

「そんなの出かけた内に入らないじゃん」

「いや、知らないし……」

「私とは初詣ぶりですよね〜」

「ずるっ。私も行けばよかったな」

「何がずるいんだか……」

「美鈴ってば、私とは全然遊んでくれなかったし」

「しょうがないじゃん。忙しいんだから」

「バイトなんかやめて、私に嫁げばいいのに」

「そうそう。働いたら負けですよ」

「で、アンタはいつから働くつもりなの?」

「まだまだ寒いので春から頑張ろうかと……」

「京子、こいつから家賃と光熱費取りな」

「出世払いで返しますから待ってくださいよ!」

「出世する予定があるんだ?」

「あんの?」

「あはは……」

 優勢だったはずなのに、気づいたら私が追い詰められていた。パワーバランスは細川先輩一強といった所か。

「あー、そろそろ駅だし手放してくれない?」

「見られるのが恥ずかしいの?」

「両手塞がってたら改札通れないでしょうが。というかあんたらも通りづらいでしょうが」

「そういうことにしておこう」

「おきましょう……痛い痛い!強く握らないで!」

 センパイは意外と力が強い気がする。いや、私が弱いだけか……。

「はい、美鈴が恥ずかしいと言うから、放しました!」

「うっさいよ」

「センパイのせいで、私のか弱い手がボロボロですよ」

「アンタが貧弱すぎるだけでしょ」

「はっは」

「ところで、一ノ瀬は電車に乗るお金あるの?」

「私だって一文無しというわけじゃないんですから」

「偉そうに言うんじゃないよ」

「ぐぬぬ……」

 地下鉄の駅に入って階段を降りながらも、二人して私に口撃してくる。いじめだこれ。

 駅のホームまでそこそこ歩いた末、電車に乗り、路線の名前が冠された動物園を目指す。どうでもいいけど動物園と言いつつ、正式には動植物園なんだよね。

 地下鉄はそれなりに乗ったことはあるけど、最近はそうでもない。何故ならお金も目的もないので、遠出する理由もないからだ。

 最近は細川先輩の大学を探すために、別の路線には乗ってたけど。

 環状の路線で、大学名が付いてるからわかりやすかったなと謎の回想をする。

 乗っているのは、平日も休みの日もそれなりに混んでいる路線で、今日も相変わらず混んでいるので、立ち乗りで我慢をする。

 3人とも電車に乗ってからは、特に話さずにいる。

 ぼーっとしている間に目的の駅にたどり着いた。

 動植物園の近くには展望塔とテニスコートもあるらしい。

 それらをまとめて『公園』と称しているらしい。

 その『公園』を冠する駅で、電車を降り、わかりやすく案内が書かれている出口から外へと出た。

 地上に出て約3分ほどで動植物園へたどり着く。

 既に獣臭が漂っている正門で、入場券を買うようになっている。

 大人一人500円。ニートの私でも払える!安くて助かる!

 一人ずつ入場券を購入し、入場をする。

 センパイが一人先に進んでいる。初めて来たから、ちょっとはしゃいでるのかも。

「美鈴ってそんな動物好きだったっけ?」

 細川先輩も疑問に思うくらいのはしゃぎようだったらしい。子供かな?

「い、いや別に……」

「はしゃいじゃってかわいいんですからセンパイ」

「私のことはいいから動物を見ろ」

 最初に出迎えてきたのはサイだった。インドサイらしい。他にどんな種類があるのかは知らない。

 大きくて強そうで、あれにぶつかられたら即死だろうなくらいの感想しか出てこない。

 ふと、古いゲームでサイが敵のワニなんかを自慢の角でなぎ倒していた記憶が蘇る。

 どこで見たのかまでは思い出せないけど。

「全然動きませんね。私もあれくらいのんびりしたいです」

「してるじゃん?」

「一ノ瀬って普段あんなノロノロしてるの?」

「失礼な。もうちょっと素早いですよ」

 再びの口撃を受けるものの、軽く受け流す。受け流せてるか?これ。

 先に進むと、ライオン、ゾウ、レッサーパンダ、フラミンゴ、ペリカンなどなど多種多様な生物がのんびりと暮らしている。

 さっき自分であれくらいのんびりしたいと言ったけど、私の置かれている状況って、この動物達とさほど変わりがないのでは?

 そう思うとそこそこの危機感を覚えてきた。本当にそろそろバイトをしようと思う。そろそろセンパイも我慢の限界を迎えそうだし。

 などと考えていると、センパイがレッサーパンダに『がおー』されていた。

「か、かわいい……」

「威嚇されてるよそれ」

「えっ?そうなの?」

 ネットの動画で、岩に向けて『がおー』としているのを見たことがあるけど、あれが威嚇のポーズだったのかと今更ながら知る。

「センパイの顔が怖いから……」

 などとからかってみたら、威嚇されていたのがショックだったのかしょんぼりしていて、こっちが申し訳ない気持ちになった。

「おーよしよし、美鈴ちゃん」

「やめんかい」

「よしよし」

「折るぞ」

「なんか私だけ当たりが強いんですが!」

「当たり前でしょ」

「どうして……」

「はいはい次行こー」

 センパイに軽く腕を捻られつつ、先へ進む。痛い。

 次は、ホッキョクグマやペンギンとかの極寒の地にいる動物達のコーナーだった。

 ふと思ったけど、夏はバカみたいに暑いこの県にいて大丈夫なのだろうか。逆に冬はバカみたいに寒いけど、当たり前だが北極ほどではない。

 調べてみると、ホッキョクグマは夏の日中、冷房の効いた部屋で過ごしているらしい。

 私と同じだ。などと謎の親近感を覚える。

 ホッキョクグマなどなどのコーナーからすぐの場所にコアラのいる建物がある。

 その建物にセンパイがいの一番に突っ込んでいった。通常の3倍くらいのスピードで。

「はやっ」

「センパイってあんなに動物好きだったんですか?」

 細川先輩に疑問を投げかける。

「うーん……今までそんな感じは出してなかったけどなあ。私ともこういうところには来たことなかったし」

「細川先輩とセンパイって相当長い付き合いですよね。あまり遊んだことないんですか?」

「私も習い事とかあって全然遊べなかったんだよね。なるべく一緒にいたけど、学校を出るとそこまでじゃなかったかな」

「今はセンパイも忙しそうですしねえ」

「せっかく一緒に住めると思ったのに、バイトするとか言い出すから耳を疑ったね」

「あはは。頑固者ですね。さて、センパイを追いかけましょうか」

 少し話しすぎたせいで、もうセンパイは建物の中に消えている

 超有名漫画家がデザインしたらしい、コアラのレリーフが壁で目立っている建物へ急ぎ足で向かう。

 足を踏み入れると、キラキラとした顔でコアラを見つめるセンパイがいた。

 私たちはセンパイに近寄らず、遠目に眺めている。

「コアラより可愛いんじゃないかな美鈴って」

「ですよねえ」

「あ、気づかれた」

 このままながめてるのもいいかと思っていたら、センパイが私たちに気づいて近づいてきた

「なんでそんな所にいるの?コアラ見なよ」

「コアラよりかわいい生き物を見てたからね」

「なにそれ?」

 センパイがきょとんとした顔をする。うーん、目の前にいる人かわいい。

「あっ、子供のコアラがいますよ」

「えっ、どこ?」

 詮索を断ち切り、センパイの意識を再びコアラに向けた。

 私たちが来るまでに散々見ていたはずなのに、まだコアラでキラキラした顔をしている。

 放っておいたら1日中ここにいそうだ。

「ほらほら、そろそろ次いこ」

「えーえー」

「日が暮れちゃいますよ。次行きましょう」

 二人でセンパイの背中を押しながら、コアラ舎を後にした。

 その後はタヌキなどなどを見て、本園は一通り回ったらしい。

 時刻も昼過ぎなので休憩と食事をとることになった。

 来た道を戻り、フードコートに入る。

 地元の有名チェーン店も入っていて、ショッピングモールのフードコートのようだった。

 昼時で、人も多いから、とりあえず席を確保して、私が荷物番を買って出た。

 歩きっぱなしでそこそこ疲れた。もうあんまり動きたくないけど、まだ3分の1くらいは見る所が残ってるらしい。

 センパイはまだ見るんだろうか。まあ見るんだろう。自分から提案したとは言え、中々に厳しい。

 こんな調子で1日8時間以上働けるのだろうか。無理でしょ。

 3時間でもしんどいかもしれない。もう働くのは無理だ。

 そんなふうに働かない理由を探していると、センパイが戻ってきた。

「荷物番ありがと。ご飯食べるお金ある?」

 センパイに言われて、一応財布の中身を確認すると、1食分は余裕であった。

「わざわざ財布を確認しないといけないの……」

「い、一応ですよ一応」

「ご飯食べたら帰れなくなったりしない?」

「しませんって。じゃあちょっと行ってきます」

 センパイにめちゃくちゃ心配されている。

 実際問題、私の経済状況は果てしなくヤバい。

 昔から友達付き合いや物欲もあまりない私は、小遣いやお年玉をずっと貯めていて、今はそれを切り崩しているけど、本当に底をつきそうだ。

 少食なのもあって、実家を出てからも食費はそこまでかかっていないけど、塵も積もればで、どんどん残額が減っている。

 だからこそ、本当に働かないといけない日が近いわけだ。

 フードコート内を見ていると、やはり園内限定メニューが多く、それらは当然高い。

 そんな物食べていられないので、地元民なら誰もが知っているラーメンを頼んだ。もちろんめちゃくちゃ安い。500円未満。

 注文してすぐに出てきたけど、見たことない器に入れられていた。

 園内限定の器らしい。こういう所も凝っているんだなあ。ナルトも入っていて、コアラが描かれている。

 柄にもなくちょっと感動しつつ、ラーメンを持って席まで戻ると、細川先輩も戻ってきていた。もう食べ終わったらしい。速すぎないか。

 センパイはというと……。

「なんですか、それ。レッサーパンダ?」

「そうそう。レッサーパンダの尻尾」

 レッサーパンダの尻尾を模したアメリカンドッグを、嬉しそうに食べている。

 レッサーパンダの紙人形つきで、センパイは尻尾を食べながらそれを愛でていた。なんかちょっとサイコパスっぽい。

「しっぽが重いよだって」

「ね、かわいいでしょ」

 レッサーパンダの尻尾を食べながら『かわいいでしょ』とか言ってるセンパイが面白くて、からかいたくなるけど、ぶん殴られそうなので我慢した。

 何も言わずにもくもくとラーメンをすする。

 尻尾を食べ終わったセンパイは、今度はハンバーガーを食べている。

 相変わらず、見た目に反してよく食べるな、この人。

「というか、二人ともそんな少なくて足りるの?」

「細川先輩は何食べたんですか?」

「天むすを四つ」

「一ノ瀬もラーメン一杯だけだし、なんでそんなんで足りるのかわかんない」

「燃費がいいんだよ」

「私は……ほら、動きませんから」

「なるほど。確かに」

「そんなあっさり納得しないでくださいよ」

 あーだこーだ言ってる間に私もセンパイも食べ終わり、後片付けをして外に出る。

 まだ北園が残っているので、フードコートの横の道から向かう。

 橋の前に、ユキヒョウがいて、またセンパイが反応してそっちに行ってしまった。

 北園にはコモドオオトカゲがいるらしい。なんでも、国内唯一の飼育だとか。

 前に動画でみたことがあるけど、丸裸にされた鶏を丸呑みしようとしていた。しかも毒も持っているらしい。怖すぎないか。

 細川先輩がセンパイをユキヒョウの檻から引き離して、北へと進む。

 カバ、チンパンジー、ゴリラ、コモドオオトカゲ、ビーバーなどなどを眺めていく。

 ようやく動物園は一通り見て回ったようだ。かなりくたびれてヘトヘトだ。

 最初に入った正門へと戻っていく途中で、センパイが売店に吸い込まれていった。

 残された二人も後をゆっくりと追っていく。

 私たちが店内に入るまで時間はほとんどなかったはずなのに、センパイが持ったカゴには大量の物が突っ込まれていた。

 ぬいぐるみやお菓子など、テーマパークのお土産屋の定番ばかりだ

「それ全部買うの?」

「買うけど?」

「即答ですね」

「これとかめっちゃかわいいでしょ」

 今日だけで相当気に入っただろうレッサーパンダのぬいぐるみを、カゴから出して見せびらかしてくる。

「このイケメンゴリラのぬいぐるみとかどう?」

 細川先輩が、すごくキリっとした顔のゴリラのぬいぐるみを指差す。

「いや、かわいくないし」

「そりゃイケメンですからねえ」

「まあそういうことで別にいらない」

「美鈴は細いほうがお好みだからね」

「いや、そういう話じゃないでしょうが」

「じゃあ私とか?」

「アンタは細すぎでしょ。もっと食え」

「もっと食べる余裕ないので……」

「働け」

「はい……」

 余裕で論破されてしまった。最近負け続きな気がするが気の所為だろう。

「はいはい、さっさと買って帰ろうね。外に出てるから」

「おっと、ごめん」

 細川先輩に促されて、センパイが会計に向かい、私と細川先輩は外へ出た。

 日が沈み、肌を刺すような冷たい空気に身震いする。

「今日は楽しかった?」

 細川先輩がふと聞いてきた。なぜそんなことを聞くのだろう、と思う。

「というより、私って来て良かったんですか?」

 率直に尋ねてみる。

「いいんじゃない? 美鈴も一ノ瀬に来て欲しそうだったし、そもそも最初に誘ったのは一ノ瀬でしょ?」

「いや、そういうことではなく。細川先輩の個人的な感情を聞きたいんですけど」

「んー……別に私は一ノ瀬のこと嫌いじゃないし、一緒に遊べて良かったと思うけど」

 本当のことを言っているようだが、一部が隠されている気がする返答だった。

 だから、もう一歩踏み込んでみる。

「センパイと二人きりじゃなくてよかったんですか?」

 私は少し、ほんの少しだけ、センパイと二人きりでないことが残念だった。本当に少しだけ。

「それは……欲を言えば二人で遊びたいけどね。さっきも言ったけど、もう、美鈴は一ノ瀬のことを放っておかないと思うよ?」

「細川先輩はそれでいいんですか? せっかく仲直りできたのに」

「良いか悪いかと言われると……良くはないね。本当はまた美鈴と一緒に住みたいし、毎日一緒にいたいけど。でも、もう無理なんだよ。仲直りできたのは、一ノ瀬にも感謝してるけどね」

 私が何を言っても無駄だろうけど、言わずにはいられなかった。

 やはり意味がなかった。この二人の関係をどうやって進めたらいいのか。いくら考えても答えが出てこない。

「ね、美鈴のこと、これからもよろしくね」

「よろしくって言われても困るんですけど……」

「どうして?」

「いや、どうしてって……」

 どうしてもこうしてもない。こんな形で二人が分かたれて、センパイは私をそういう目で見てくれるのか? きっと見てくれないと思うから、釈然としない。

 色々考えているうちに、センパイが会計を終えて店から出てきた。

「時間切れかな」

「何か話してたの?」

「いや、別に? ね」

「ですよ」

「ふーん」

「じゃ、私はもう帰ろうかな」

「えっ、帰るの?」

「え? 帰ってほしくないって?」

「そりゃ……そうだよ」

「そう言われてもね。また会えるよ」

「う、うん……」

「じゃあ、またね、美鈴。一ノ瀬。昨日と今日、楽しかったよ」

「またね、京子」

「ではまた、細川先輩」

 一人で駅へ向かう細川先輩を、二人で見送った。

 センパイは、細川先輩が見えなくなっても、歩いていった方向を見つめていた。その横顔は、どこか遠くへ行って消えてしまいそうな、そんな表情だった。

 その後、二人で帰りの電車に乗り、最寄り駅で降りた。

「センパイ、めっちゃタバコ吸いたいんですけど」

「そういや動物園で吸えてないっけ」

「めっちゃ我慢してました」

「別に我慢しなくてもよかったじゃん。一応喫煙所もあったし」

 それもそうだけど、楽しい時間を喫煙で無駄にしたくなかった。喫煙もある意味楽しいけど……センパイは平気だったのだろうか?

「まあ、いいじゃないですか。公園に行きましょ」

 日も完全に沈み、強い風が吹いているが、ニコチンの欠乏には抗えないのであった。

 二人して寒さに震えながら、いつもの公園に向かう。相変わらず誰もいない。

 強い風に消されないよう、手でライターを覆い、火をつける。

「今日は楽しかったですか?」

「かなり楽しかったよ」

「それはよかった。次は水族館に行きましょうか」

「……京子も誘っていい?」

「私は構いませんけど。むしろ二人で行ったらいいじゃないですか」

「一ノ瀬もいないと意味ないの」

「いや、なんでですか?」

「なんでって……なんでだろう……?」

「いや、答えはないんですか」

 どういうことなんだこの人は。自分でも何故なのかわかっていなかったのか。

「よくわかんないけど、一ノ瀬がいないと嫌な気がするから」

「いやあ、本当によくわかりませんね」

「とにかく、一ノ瀬がいたほうがいいんだよ」

「……それはどうも」

 よくわからないけど、センパイが私を必要としてくれているらしい。何度も言われて、少し恥ずかしくて「どうも」しか言えない。

「夕飯どうする? どっかで食べてく?」

「お金ないの知ってて聞いてます?」

「しょうがないから今日は奢ってやろう」

「えっ、いいんですか?」

「1000円までね」

「いや、たぶん1000円も食べられないですけど」 

「デザートとかジュースとか頼めるじゃん」

「それもそうですねえ」

「じゃあ、行こうか」

 センパイに促されて、吸い殻を片付け、いつもの公園を後にする。

 細川先輩に聞かれたときは感想を言えなかったけど、今日は本当に楽しかった。

 あとどのくらい、こうやって過ごせるのだろうか。

 考えると気分が沈んできたので、センパイの手を握り、考えないことにした。

 センパイは優しくその手を握り返してくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る