第18話 だって忘れられないなら思い出に出来ないから

 ここ数ヶ月の記憶がほとんどない。

 何も楽しいことがなかったのは確かだ。何故なら……口に出すのも悍ましい。

 私はなぜあんなことを言ってしまったのだろうか。あんなことを言うつもりはなかったし、本心でも絶対にない。ない、と思う。

 でも、言ってしまったことは事実で、過去を変えることはできない。

 後回しにしてきた問題を、自分(あれは本当に自分だったのだろうか?)の手で幕を降ろしてしまったせいで、私の人生も終わりかけている。

 私は一体何なのだろうか? 自分よりも大切なものを自ら壊してしまったのに、のうのうと生きている。いっそ、誰かに殺してほしい。もう生きたくない。けど、自分で死ぬ勇気もないまま、冬休み明けの大学に来ていた。

 ただ、親の期待に応えるためだけに卒業を目指している大学に、何の意義も感じない。

 無意識のまま、講義を終えて大学を後にしようとした。

「お久しぶりです、細川先輩」

 意識の外から、濃縮された不快な臭いが鼻をつき、一度聞いたら忘れられない声が耳に刺さる。一ノ瀬真央だった。近くの喫煙所でタバコを吸っていたらしい。

「……何でここに?」

「会いに来たんです。貴方に」

「じゃあ、カフェで話そうか」

 恐らく、美鈴のことだろう。真冬の外で話すわけにもいかないので、場所を学内のカフェに移した。

「どうして私の大学がわかったの? 美鈴から聞いた?」

「センパイに直接聞いたら怪しまれるでしょう? それに、センパイは細川先輩に無断で話したりしないでしょう。それとなく情報を引き出して、絞り込んだんですよ。暇なので」

「なるほど。探偵にでもなったらいいんじゃない?」

「あ、それ、センパイにも似たようなこと言われました。でも、興味ないことを追うのは無理ですから」

「ふーん。それで、私に何の用が?」

「センパイにはもう会わないんですか?」

 いきなり斬り込んでくるな、こいつは。空前絶後のバッサリ感だ。

「会えると思う? 顛末は聞いてるんでしょ?」

「聞きましたよ。細川先輩のせいで、私と二ヶ月半は会ってくれませんでしたし」

「じゃあ、今は会ってるの?」

「一緒に住んでますよ。あの家で」

 思わず口に含んだコーヒーを噴き出しそうになった。私の知らないところで何が起きているのか。

「へ、へえ~……」

「ものすごい動揺してますね」

「し、してないし」

 思い切りしてる。手が震えて、持ったカップも震える。

「センパイ、今はちゃんと元気ですよ。大学にもバイトにも行ってますし。あれから二ヶ月は行けなかったみたいですけど」

「そっか……ありがとう。教えてくれて」

 やはり、一ノ瀬には敵意だとか、私から美鈴を奪ってやろうという気配は見えない(別に私の物ではないけど)。だから、一ノ瀬のことは嫌いではなかった。

「でも、あの直後は泣いたり吐いたり、何もできなかったりしたって言ってました。二回言いますけど、私にも会ってくれませんでしたし」

「……」

 それは……私も同じだ。私だって、辛かった。後悔した。

 だけど、私が美鈴を傷つけて、その結果、私自身も傷ついているだけ。自傷に過ぎない。全ては私が悪い。だから、美鈴に会わせる顔も、ない。

「細川先輩にも事情があることはわかっています。なので、あの家に戻れとは言いませんが、直接話をしたほうがいいんじゃないかと思うんです」

「それは……そうだと思う」

 あのまま終わりにしたら、死ぬまで後悔することになるのは理解している。だから、美鈴に会って謝らなきゃいけない。でも、一ノ瀬が会いに来るまで、それをしようと思わなかったのはなぜだろう。

 あの時、心の中を全部吐き出してしまったのかもしれない。だから、無意識のうちに、もう美鈴と話すことはないと思っていたのだろうか。

「私は、背中を押しに来ただけです。だから、決心がついたらちゃんと謝ってあげてくださいね」

「うん、ありがとう……」

「ダメ押しですけど、センパイが細川先輩としたいことがあるとか言ってましたよ。何をしたいかは言いませんので、直接会って聞いてくださいね」

「わかった。なるべく早く美鈴に連絡する」

 今すぐ行動に移せなかったのは、私の臆病なところかもしれない。

「頑張ってください、応援してますよ」

 そう言って、一ノ瀬は立ち上がり、帰ろうとした。

「待って。何でそこまでして、私たちに?」

「だって、私はセンパイのことが大好きですから。貴方……細川京子と出会って、今日まで生きてきた呉島美鈴のことが。あの人には貴方が必要なんですよ」

 そう言った一ノ瀬の目には、少し涙が浮かんでいた。

「じゃあ、私はセンパイのもとへ帰りますね。なるべく早く連絡してあげてください」

 最初の発言が少しムカつく。だけど許す。

「絶対に連絡する。約束する」

「本当は、私の見てるところで今すぐしてほしいんですけどね。それでは、健闘を祈ります」

 痛いところを突かれ、一ノ瀬は帰っていった。


 あれから数時間、カフェで美鈴に送るメッセージを考えたが、閉店まで思いつかないままだった。

 帰りの電車でも、家でも考えたけれど、結局いい文が思いつかないまま日が変わってしまった。

 実際、こんなに悩む必要はない。ただ「会って話がしたい」と送るだけなのだから。話したいことは、直接会って話せばいい。

 それでも、どうしても送る勇気が出なかった。私は昔からずっとこうだ。

 言わなければいけないことを、すべて後回しにしてしまう。

 もっと前に、結婚なんかしたくないと両親に言っていたら何かが変わったのではないか?美鈴に想いを伝えられていたら、どうなっていただろうか?

「言っても無駄だ」と言い訳して、目の前のことから逃げ続けてきた。

 私は、卑怯で、臆病で、弱い人間なのかもしれない。

 美鈴はもう立ち直って、前を向いて進んでいるのだろう。美鈴を導くつもりだった私が、いつの間にか追い越され、置いていかれているような気がする。

 美鈴に追いつきたい、隣で歩きたい。そう思うと、自然と勇気が湧いてきた。

『美鈴、起きてる?』

 震える手を抑えながら、ついに一歩を踏み出せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る