第14話 何も言わなきゃ良かった

 美鈴が友人を連れてきたのは青天の霹靂で、あの時は平静を装いながら、心臓が飛び出そうな気分だった。

 私の知る限り、美鈴は私以外の誰とも深く関わっていたことがない。

 でも、全くコミュニケーションが取れないわけではなく、教師やクラスメイトとのちょっとした会話は普通にしていた。

 私以外に仲良くしていそうな人はいなかった。常に見ていた……と言うとストーカーみたいだけど、実際に見ていたんだから間違いない。

 そんな美鈴が家に友人を連れてくるなんて、美鈴も成長したなあ……って、これじゃ母親みたいだ。

 美鈴が連れてきた友人、一ノ瀬真央とのファーストコンタクトでは、悪そうな人間には見えなかったし、特に問題は無いと思った。本人の境遇と、濃縮された嫌な臭い以外は。

 一緒に寝たあの時、美鈴からしたものとは少し違うけど、同じ系統の臭いがして、美鈴よりも濃かった。だから、私の記憶がその臭いが何なのかを思い出させた。タバコだ。

 父がタバコを吸う人で、近くに来るとその臭いが嫌で仕方なかった時期があった。今は慣れたけど、好きにはなれない。

 だから、美鈴からその臭いがしたときは、少し嫌な気分になった。

 臭いがしたのはキスしたときだったから、普通に考えれば美鈴がタバコを吸っているということになる。

 一ノ瀬が教えたのだろうか? でも、美鈴が誰かに勧められて何かをするなんて、想像できない。

 どちらかに直接聞いたほうが早いし、そのうち聞いてみよう。

 美鈴も成人しているのだから、喫煙しようが飲酒しようが、それは個人の自由だ。私が何か言うつもりはない。私だって飲酒はするし。

 でも、ここ最近、私の知らないうちに美鈴が一歩先に進んでいる気がして、少し寂しかった。

 私は停滞したままだ。お先真っ暗の中、レールの上を自動的に走らされている。

 誰か、私を導いてくれないだろうか。美鈴、私を導いてくれ。

 美鈴には登山と言ってるけど、家を空けるときの大半は実家に戻って、大学卒業後の準備をさせられている。本当に登山のときもあるけど。

 主に結婚予定の相手とその両親、私と私の両親の親睦会的なこと、いずれ会社を継ぐその男にふさわしい伴侶になるためのあーだこーだ。馬鹿じゃなかろうか。

 うちの両親と相手の両親は深い関係だけど、私とその相手は顔も知らない関係から始まった。

 その相手の男は、私の父のお眼鏡に適うくらいだから、当然ハイスペックな男らしい。

 どうハイスペックなのかは、父にペラペラと説明されたけど、興味がないから覚えていない。そもそも名前も怪しい。

 何度か二人で食事に行かされて、経歴だけでなく人間性もハイスペックだとわかった。女性を立てるし、嫌味のかけらもない。それを演じている風でもなく、元来そうなのだろう。

 唯一の不幸は、異性愛者でない私と結婚させられることだろう。好きでもない男と結婚させられそうな私の方がもっと不幸だけど。

 親のメンツや会社の未来なんて、私には知ったことではないのに。

 知ったことではないはずなのに、私はその運命から逃げられずにいる。本当に生きづらい。

 今日も、そんなくだらない一連の流れがようやく終わった。中学以降に作り上げた外面が自動で動いていたから、何を話したかは全く覚えていない。

 早く自分の居場所に戻って、この仮面を剥がさないと息苦しくて仕方ない。一刻も早く帰ろうと電車に乗る。

 呼びつけてるんだから送り迎えくらいしろと思うけど、「自分のわがままで実家を出ているんだから」と、そんなものは用意してくれない。本当にムカつく。ただでさえ遠いのに。くたばれ。

 美鈴は今日、一ノ瀬と遊ぶって言ってたけど、もう帰ってきているだろうか。聞いてみよう。

『もう帰った?』

『今帰る所』

『そか。私も今から帰るよ』

『お気をつけて』

『美鈴もね』

 早く美鈴成分を直接摂取しないと、死んでしまいそうだ。

 数分遅れで来た電車に乗り、疲れた体をシートに沈めた。

 遅れているのに、電車はマイペースに進む。そんな電車に、心の中で喝を入れる。

 そんなマイペースな電車に身を任せているうちに、意識が薄れていった。



 お花の匂いがする季節。今日は、幼稚園ってところの入園式? そう、お母さんが言ってた。

 幼稚園も入園式も、何をするものなのかよくわかんないし、朝早くからいろいろ準備させられたから、すごく眠たい。

 お母さんがわたしを抱き上げて、広いお部屋に並べてある椅子のひとつに座る。

 わたしたちのほかにも、子どもとそのお母さんやお父さんがいて、何かが始まるのを待ってるみたい。

 でも、今のわたしはそんなのどうでもよくて、おうちで寝たい。

 真ん中あたりに座ってるから、次々と入り口から入ってくる人たちが見える。

 みんな、わたしと同じくらいの背と年かな? 同じくらいの子たちで何かをやるところなのかな。

 じっと入り口を見てると、すっごくかわいい女の子が入ってきた。すっごいすっごいかわいい。好きになっちゃったかも。

 とにかくかわいい女の子だから、お友だちになりたい。お話したい。

 椅子から飛び降りて話しかけに行こうと思ったら、お母さんに抱きとめられて、離してもらえなかった。しょんぼり……。

 その子のお母さんは……こわい。わたしのお父さんが怒ったときとは違うけど、なんかこわい。

 夜、窓からおうちのお外を見たときのような暗さで、こわい。まっくら。

 その子のお母さんを見てこわくなってたら、眠くなくなっちゃった。

 周りの椅子にみんな座ってすぐに、一人の大人が入ってきて、大きな声で朝の挨拶をした。

 それにつられて、みんなもわたしも「おはようございます!!」って挨拶をした。

 そのあと、何かよくわからないお話をしてたから、つまんなかった。

 お話が終わったあと、みんなで集まって自己紹介をする時間になった。

 わたしは、あの子の場所へ全速力で走った。どたどた。

「あの!」

「なに……?」

 声も顔も、ジュースに入ってる氷みたいに冷たい!でも、めげない!

「わたし、ほそかわきょうこ! よろしくおねがいします!」

「よ、よろしくおねがいします……」

「あなたのおなまえは!?」

「く、くれしまみすず……です……」

「みすずちゃん!」

 かわいい子のおなまえを知れて、めっちゃうれしい! わっはっは!

「よろしくのあくしゅしよ! おたんじょうび、いつ? わたしはねー、8がつ9にち!」

「う、うん。おたんじょうびって……?」

「うまれたひだよ!」

「うまれた……?」

 しまった。わたしもよくわかってなかった!

「うーんうーん……なんか、おっきなケーキがたべれて、なんでもほしいものがもらえるひ!」

「そんなひ、ないよ?」

「みすずちゃんには、ないの!?」

 ある人とない人がいるのか!知らなかった!

 みすずちゃんのこと、もっと知りたくて、お話ししたかったんだけど、お母さんに呼ばれちゃった。

「またね! みすずちゃん!」

「うん、またね」

 みすずちゃんに手をふると、ふりかえしてくれた!でも、おなまえ呼んでくれなかった! かなしい!



 懐かしい夢を見た気がする。

 あの日、あの時、私という存在が始まったのだろう。

 気づいたら、目頭が熱くなっていて、溢れるものがあった。

「降りなきゃ……」

 気づくと、最寄り駅に着いていた。急いで重い体を立ち上がらせ、扉が閉まる前に鉄の箱庭から外に出た。

 気分も重い。なぜ、今、こんな夢を見てしまったのか。

「うっ……うっ……」

 とめどなく涙があふれてくる。終電だから、周りに誰もいなくてよかった。

 よろよろとホームのベンチに座る。帰らなきゃ。でも、帰れない。脚が動かなくなってしまった。

 美鈴の声が聞きたい。無意識に美鈴の携帯に電話をかけていた。

「もしもし? どうしたの?」

「美鈴……」

「ちょっ……何かあったの? 今どこにいるの?」

「駅にいる……」

「すぐ行くから。そこにいて」

 そう言ってすぐに電話が切れた。声色だけで私の様子がわかったらしい。やっぱり美鈴は優しい。



「京子……?」

 相変わらず俯いて泣いてると、美鈴が来ていた。

 美鈴が来るまでに、駅員に何かを言われていた気がするが、それはどうでもいい。

「美鈴……」

「ほら、これで顔ふいて」

 以前、私があげたハンカチを渡してくる。美鈴の持ち物の9割が私があげたものかもしれない。

「ありがと……」

 恐らく、今の私の顔は、涙と鼻水でメイクが崩れているのと、溢れる感情でとても酷いものだろう。

「で、なにがあったの?」

「もうずっとなにもかもがあるよ」

「どういうこと……?」

「卒業したら結婚するって言ったじゃん?」

「う、うん……」

「それだよ」

「……」

「今日だってその相手と会ってさ、食べたくもないご飯を一緒に食べてさ。思ってもないおべんちゃらを並べてさ。本当に嫌だった。何で好きでもない相手と結婚しなきゃいけないの? 私は関係ないのにさ。会社のことがどうだとか、細川家の今後だとかさ、そんなこと私の知ったことじゃないんだよ。ふざけんなって。私を巻き込まないで、自分らで何とかしろよ。そもそも、何で子供が女の私しかいないの? 男の跡継ぎでも勝手に作るかどこかから拾ってこいよ。親の不手際でしょ?それって。全部全部全部私に皺寄せが来てることわかってんのかな?あの2人は。いつもいつも自分らと家のメンツのことばっかでさ。私のことを気にかけたことは一度もなかったんだよ。本当に、本当にくだらない! ねえ、美鈴? 私は美鈴のことが大好きなんだよ。愛してるんだよ。あの時、初めて会った時から好きで好きでしょうがないんだよ。だけど、私はこのままじゃ終わっちゃうよ? ねえ、どうにかしてよ。助けてよ……美鈴……。一ノ瀬を助けたのなら私も助けてくれるよね? ねえ、美鈴? ねえ、聞いてる? 私がこんな思いをしてるのはさ、美鈴のせいでもあるんだよ? 美鈴が私のことを助けてくれないからさ。私今までたくさん美鈴のこと助けたよね? だから今度は私を助けてよ! 一ノ瀬のことは助けたよね?優しくしたよね? 私のことは助けてくれないの? ねえってば……美鈴……。私と……結婚してよ……。美鈴? 都合悪くなると黙ってネックレス弄るよね? 私気づいてるよ? いつもいつもそうだよね? 美鈴? ねえってば……何か言ってよ……応えてよ……。こんなにつらい思いをするなら……」

 今まで溜まっていたものが、洪水のように、決壊したダムのように、言葉が、感情が溢れ出る。これ以上行くと、言ってはいけない言葉が出てしまう。でも、私の口は自分の意思に反して最悪の言葉を発してしまう。



「美鈴に会わなきゃ良かった」














  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る