第13話 あの時の心の色
目が覚めると、昼を過ぎていた。
こっそり一ノ瀬の様子を見に行くと、彼女は泥のように眠っていた。
普段からこんな感じなのか、それとも怪我の影響なのかはわからないけど、とりあえずまだ寝かせておくことにした。
一ノ瀬に誘われて今日の予定は空けているけど、一ノ瀬がこの状態では手持ち無沙汰だ。
そもそも、怪我人を放っておけるわけがない。
京子は「山が私を呼んでいる。そこに山があるから」と言って、登山に行ってしまった。
私も何か趣味を持とうか。今まで趣味らしい趣味は何もなかったのは言うまでもない。
何もすることがなくて、気まぐれにコンビニに行ったことで一ノ瀬と出会ったわけだし、こういう暇な時間は、私にとって何かが起こるチャンスかもしれない。
とはいえ、自分で何か考えつくはずもなく……。
「センパイ、おはようございます」
いきなり声がして驚いた。
「うわっ、びっくりした。おはよう。体は大丈夫?もう痛くない?」
一ノ瀬はいつも気配を感じさせずに近づいてくる。
気配を感じないのは、家で父親に見つからないように過ごしているからなのだろうかと考えてしまう。
「おかげさまで、だいぶ痛みも引きました。考え事でもしてたんですか?難しい顔をしてましたけど」
「そう、よかった。一ノ瀬が起きてくるまで暇だったから、何もすることがないし、何か趣味でも作ろうかと考えてた」
「なるほど。とりあえず、公園にタバコ吸いに行きませんか?あと、お昼どこかで食べましょう」
「オッケー、行こうか。準備するから、待ってて」
昼すぎに未成年を連れてタバコを吸いに行くのはまずいのではと思いながらも、どこか楽観的な自分がいる。
一ノ瀬は1年早いだけだし、まあいいか……。いや、もっと前から吸ってるだろうし、良くない。
私には関係ない……いや、ある。年長者として止めるべきかとも思うが、一ノ瀬がタバコをやめたら、あの時起こったことも今の関係も消えてしまう気がして、結局止められなかった。
いつもの薄明かりとは違う青空の下。高く広すぎる空の下、やることが喫煙って若い内からこんなのでいいのか私たち。
公園には私たち以外誰もいなかった。この公園はいつもそうなのか。
いつものベンチに座り、一ノ瀬が先にタバコに火を付けた。
「んっ……?」
ライターが見当たらない。忘れたらしい。
「ん」
一ノ瀬が火のついたタバコを近づけ、私のタバコに火をつけた。
これは……なんだか恥ずかしい。
「シガーキスですよ」
「……」
この行為にそういう名称があるのか。
「キス」とつくだけで、いやらしく感じる。それが一ノ瀬だと思うと、余計に複雑な気分になる。
「もー、無視しないでくださいよ」
「ライターを貸してくれるだけでよかったんだけど。」
「みなまで言わないでくださいよ、センパイ」
一ノ瀬といると調子を狂わされ、どんどんペースにハマっていく。これは沼という奴なのだろうか。
でも、それを悪いとは思わなかった。むしろ最近は心地よく感じている。
私は一ノ瀬をいい友人だと思っているけど、一ノ瀬は私をどう思っているのだろう。
気にしても仕方ないと思うが、初めて友人らしい友人ができて嬉しいと思ってる。
「そういえばセンパイ、趣味を見つけるって言ってましたけど、何か思いつきました?」
「それが全然」
「そう簡単に見つかりませんよね。私もお金がないから何もできませんし。」
「私は時間がないからね」
「就職前からそんな調子で人生どうするんですか?」
こいつ、ふとした時に私を口撃してくるな。
「うるさいよ」
「細川先輩は……何かしてるんですか?」
「京子はいつも山登ってるよ。今日も朝早く出てったのがそれ」
「登山ですか……大変そうなイメージしかないですね」
「だよね。少し前に登山の本を読んだんだけど、道具を揃えたり、スケジュールを立てたりが大変そうで、私には無理だなって思った。」
「センパイはそういうの無理そうですよね」
その通りだけど、はっきり言われるとムカつく。間違ってはいないけど。
「どういう意味だ」
「ふふ」
「また笑ってごまかす」
「私のこと、分かってきたじゃないですか。それより、お昼ご飯どうします?」
「この辺でご飯を食べられる場所……全然知らない。」
そもそも外食したことがない。今は帰れば京子がご飯を作ってくれているし、親と行ったこともない。
高校まではほとんどコンビニやスーパーの弁当やおにぎりで済ませていた。
外食がどんなものか、私は全く経験がないことに今更気づいた。
「私もなんですよね。お金ないですし」
「私はいつも京子のご飯を食べてるからなあ……」
「あー、なんですかそののろけ。私が全然ご飯食べられてないからって」
「そういうつもりじゃないのはわかってるでしょうが」
「えへへ」
「だから何笑ってんの」
「まあ、いいじゃないですか。ちょっと調べてみます」
「……一ノ瀬って家族と外食したことある?」
一ノ瀬家にも幸せな時期はあったのだろうか。気にしても仕方ないと思うが、なぜか聞かずにいられなかった。
「んー……なんだかんだ行ってましたね。父は母の前では取り繕って私に優しくしてくれてましたし」
「そっか……」
「自分から聞いておいてそんな顔しないでくださいよ。私は何も隠さないので、何でも聞いてくださいね」
「いや、そこまではいいから」
「スリーサイズとか、聞いたりしません?」
「するか」
「上から85の……」
「言わんでいいってば」
「じゃあ、好きな人とか」
「興味ないって」
「センパイが好きです」
「は……?はあっ……!?」
いきなり何言ってんだこいつ。何言ってんだこいつ……。
好き……?どういう意味なんだ……?Like?Love?Prefer?Favorite?なぜかわからないけど、それ系の英単語が頭をよぎる。
「もちろんラブですよ」
また、心を見透かしたかのように、一ノ瀬が耳元で囁く。
言われた瞬間、どれだけ間抜けな顔をしていたんだろう。今この瞬間、世で一番ひどい顔をしてる気がする。
「なっ……なっ……」
「興味ないとか言って、そんなに狼狽えるんですから。ちょっとは意識してくれてます?」
予想外のことを言われて、頭がぐるぐる回る。いつから? なぜ? いつも通りからかってるのか? なぜ今言うの? 私は答えられない。
一ノ瀬のことは好きだけど、それは友愛だ。恋愛感情じゃない。ないよな……?
「……」
言葉が出ない。
私が京子を好きなことも、応えられないことも分かっているはずなのに、いきなり告白してくる一ノ瀬。
一体どうして? 頭をフル回転させても答えは出ない。
「センパイ?もしもーし」
情報が多すぎて、脳も体もフリーズしている。
「センパーイ?ちゅー?」
一ノ瀬が顔を近づけてきて、意識が戻った。防衛本能が働いたのかもしれない。
「ちょっ……何してんの?」
「だって固まって動かないから、チャンスかと思って。それで、ご飯どうします?」
「アンタね……」
「好きの返事くれるんですか?私は別にいらないんですけど」
「……いらないのに、なんで言ったの?」
「一方的に想いを伝えておこうと思いまして。ノリで」
「ノリって……」
ノリとか言いながら、表情は真剣だった。いつものからかいではなく、冗談でもないらしい。
「センパイが私のことをいつまでも忘れないようにと思いまして。」
「忘れられないでしょ、こんなの……」
「ふふ、そうだと嬉しいです。ハンバーガーでも食べに行きましょうか?」
「う、うん」
話が即座に軌道修正され、ハンバーガー屋へ向かう。
なんなんだ、こいつ。一ノ瀬といると、こればっかりだな、私。
「……なんで私のことが好きなの?」
「ナイショです」
「……」
「逆に聞きますけど、センパイはどうして細川先輩のことが好きなんですか?」
「それは……言わない」
「自分だけの秘密にしておきたいことってありますよね。いつかの瞬間の出来事みたいな。ちなみに、私のきっかけは一目惚れです。どういう状況だったかはナイショです」
一目惚れ……私に? 一体どんな状況だったんだろう。それを考えても、私には分かるはずがない。
「そ、そう」
「でも、センパイってやっぱり分かりやすいですよね」
「はあ?何がよ?」
「ナイショです」
なんだこいつ。ナイショばっかりか。
今、私に表れている変化って……何だろう。顔? いや、それじゃ分からないし、赤くなってるのもいつも通り。何だろう……何だろう……。
理由を考えていると、いつの間にか指でネックレスを触りまくっていることに気づき、反射的に触るのを止めた。これじゃ本当に丸わかりだ。
「それ、細川先輩から?」
一ノ瀬がネックレスを指して言う。
「まあ、そう」
「ですよね。いつ会ってもつけてましたし、お風呂上がりにもつけてましたよね」
風呂上がりまで見てたのか、こいつ。もう探偵にでもなったほうがいいんじゃないか。
「お……面白い、す……推理だね、探偵さん」
「狼狽え過ぎでしょう」
一ノ瀬に笑われている。いつか見返してやりたい。
「さ、お腹が空きましたし、早く行きましょう。」
一ノ瀬に手を取られ、そのまま手を繋がれてしまった。
なぜ京子も一ノ瀬も手を繋ぎたがるのか。好きだからだろうか。
「ん……」
何も言えないまま、先を行く一ノ瀬に引っ張られて歩き出した。
初めて行ったハンバーガー屋では特に何もなく、少し遅めの昼食を済ませた。
スーパーやコンビニの物より高くて美味しかったので、今まで食べていたものは値段相応だと思った。
「センパイって、そこそこ食べるのに、細いですよね」
「褒めても何も出ないけど」
「私のほうが細いですけどね!」
「ドヤァ……」と聞こえてきそうな顔をされた。
「あっそ。アンタは全然食べてないからでしょ」
「しょんぼり」
「はいはい」
「で、これからどうします?他に用事があるなら、私は家に帰りますけど」
「……どうしよう」
一応、一ノ瀬のために空けていた日だから、特に予定はないしもっと一ノ瀬と過ごさないといけないのではないか。これは義務感じゃない……と思う。
家の場所を知っていたほうがいいのではないかと考えた。
私が一緒にいて防げるとは思えないけど、助けに行けるようにしておいたほうがいいと思う。
「じゃあ、一ノ瀬の家に行っていい?」
「へっ……?」
一ノ瀬が今までに見たことのない顔をしている。なぜか勝った気分になった。
「ほら、家の場所を知ってたら、何かあったときに駆けつけられるじゃん。」
「そ、そういうことなら……。日中なら父もいないですし。」
というか、なぜ一ノ瀬は狼狽えているのだろう? 実家を知られるのが恥ずかしいとか?
「センパイ、その気になってたりします?」
「は、はあ?」
迂闊だった。そういうことか……。
公園でその……告白して……そその相手と家に向かうとなれば、告白した側は何かを期待してしまうのかもしれない。
するのか……?経験がないから、分かるはずもなかった。
「んなわけないでしょ。さっきも言った通り、何かあったときに呼んでほしいから」
これは本心だ。なのに、なぜか一ノ瀬はもじもじしていた。
「じ、じゃあ行きましょう。とりあえず、そこのコンビニ寄りましょうか」
そう言って、いつものコンビニに入った。あまり意識したことはなかったけど、このコンビニも一ノ瀬と縁が深い気がする。
あの時、ここでタバコと酒を買わなかったら、会うこともなかったのだから。
「好きなもの、買っていいよ。払うから。」
「センパイ優しい」
「私がお邪魔する方だからね」
「じゃあ、遠慮なく」
そう言うと、一ノ瀬は大量にスナック菓子やスイーツをカゴに突っ込んだ。
本当に遠慮がなさすぎる。まあ、別にいいんだけど。
「重いんだけど」
「じゃあ、私も持ちます」
そういうと、一ノ瀬もかごの持ち手を持った。
重さが半分……いや、2/3くらいまで軽くなった。
「一ノ瀬って……非力? ただでさえ少ない栄養素が全部胸にいってる?」
「あー、それセクハラですよ。そんなこと言うなら、持つのやめますよ。」
「別に、持ってもらわなくてもいいし」
「拗ねないでくださいよ」
無視して一人でカゴを持ったままレジに向かい、会計を済ませた。
一ノ瀬が調子に乗ってカゴに入れすぎたので、袋が2枚になってしまった。
「片方、持ちますね」
「よろしく」
飲み物が入っている重い方を渡した。ちょっとした嫌がらせだ。
「おもっ……」
「いや、そんなに重くないでしょ」
「だって、こっち飲み物入ってますよ」
「バレた」
「んもー」
他愛のない会話をしながら、この女のハウスへ向かう。
公園近くのコンビニから、そこまで遠くない距離に一ノ瀬ハウスはあった。
ごくごく普通の家、といった感じだった。何目線だ、これは。
一ノ瀬が鍵と扉を開けた。
「お、お邪魔します」
「お邪魔してください」
京子以外の友人の家に上がるのは初めてだから、緊張してしまう。
京子の家に初めて行ったときも緊張したけど、あれは広さに圧倒されたのもあった。もう10年近く行っていないけど。
玄関には靴が一足も置いてなかった。
普段から一ノ瀬と、一ノ瀬父が履いている靴しか出されていないのだろう。
靴を脱いでスリッパを借り、家の中を進んでいく。
リビングは綺麗に整えられていて、無駄なものが一切ない。生活感がまったくなかった。
玄関も含め、一ノ瀬父が几帳面な性格だと想像できた。
「嫌な雰囲気でしょう? 潔癖なんです」
「一ノ瀬が掃除してる……わけないか」
「なんですか、その決めつけは。まあ、そうですけど。」
埃一つ落ちていなさそうなリビングを通り、一ノ瀬の部屋に向かう。
一ノ瀬の部屋もリビングと同じく、無駄なものがなかった。ベッドとテーブルしかない。一ノ瀬の場合は、単に必要がないからだろうけど。
「何もないとか思ってます?」
「正解」
「センパイの部屋だって、私の部屋とそう変わらないと思いますけど」
それもそうだ。私の部屋は、一ノ瀬の部屋に本棚が足されたくらいで、ほとんど変わらない。
「センパイって、本読むんですか?」
「あんまり。なんで?」
「読まなさそうなのに本棚があったので」
しまった。読んでいることにしておけばよかったのに。
「……ちょっとは読む」
「なんですか、その訂正は」
「そんなことはどうでもいいでしょうが。お菓子食べよ」
「センパイは何食べます?」
無理やり、本棚のことを誤魔化すことに成功した。したのか?
「じゃあ、うすしおのポテチ」
「はい、どうぞ。飲み物は?」
「そのコーヒー」
「センパイって、ブラックで飲むんですね」
「何、意外?」
「そこそこ」
「そこそこって……。まあ、別にラテでも飲むけど。」
「私は、苦いのダメなんですよ」
「ふーん」
そう言って一ノ瀬はオレンジジュースを飲んでいる。
「一ノ瀬はオレンジジュース好きなの?」
「んーまあそこそこですね」
「そこそこ」ばっかりかこいつ。
「最近よく見る、生搾りオレンジジュースの自販機のやつ、飲んでみたいんですよね」
そういえば駅前とかで見かけた気がする。買ったことはないけど。
「今度出かけた時に買おうか」
「へっ!? は、はい。そうしましょう」
「なんで驚いてんの?」
「いや、次があるんだと思いまして」
確かに、自然に『また遊ぼう』という意味の言葉を発していた。
私も、自然に友人と接する基本が身についてきたような気がする。
「別に驚くことないでしょ。友達なんだから」
「……そ、そうですね」
なんだ、この間は。私のことを友達だと思ってないのか。
「センパイって……意地悪ですよね」
「な、何が?」
「いえ、別に」
「なんなの」
「鈍いんですから。あーあ、なんで私はこんな人を好きになってしまったんでしょう。」
「……」
さっき告白してきた相手へ返事もしていないのに、『友達』と言ってしまったのはまずかっただろうか。
もし私が京子に出会わずに、一ノ瀬と出会っていたらどうなっていただろうか。
私は一ノ瀬のことを愛せるのだろうか。一ノ瀬は私を愛してくれるのだろうか。
考えてみても、京子と出会わなければ悲惨な人生を歩んでいたことが想像できる。
京子は、今の私を形作った存在なのだ。
だから、京子と出会わなかった私は私ではないだろうし、一ノ瀬もその私ではない者を好きになってくれるとは思えなかった。
「あーもう、いいですよ。返事はいらないと言ったのは私ですから。それに割って入れるとも入ろうとも思ってないので」
「ごめん」
「なんでセンパイが謝るんですか。勝手に好きになったのは私なんですから、全部私が悪いんですよ。だから、普段通りに接してくださいよ」
「う、うん」
「ほら、まだお菓子もいっぱい残ってるんですから」
「じゃあ……クッキー食べる」
「はい、どうぞ」
「ありがと。で、次はどこで遊ぶ?」
「うーん……遊園地とか? センパイ、行ったことあります?」
「ない。なんなら、水族館や動物園とかもない」
「一体どんな壮絶な幼少期を過ごしてたんですか?」
「いや、無視されてただけだけど」
「だけって」
「別に両親を恨んでるとか、そんなのはないんだよね。ここまで生きてこられたから。それに……いや、なんでもない」
「京子がいたから」と言いかけたけど、今度はやめておいた。
それに、今も虐待を受けている一ノ瀬のほうが、よっぽど辛いと思う。
勝手にこんなことを思うのも、おこがましいけど。
「じゃあ、遊園地にも水族館にも動物園にも行きましょう。全部、行った所ない所へ行きましょう」
「う、うん。楽しみにしてる」
そう言うと、一ノ瀬はいつもとは違う笑顔を見せた。
なんだろう、作っていない……? 無理をしていないというか、自然で真っ直ぐな笑顔だった。
つい最近見た、日の出のような笑顔と重なる気がした。
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