第9話 それでも好きだと言ってくれますか

 京子と楽しくも苦しい半日を過ごし、公園で謎の女……もとい一ノ瀬真央と出会った激動の1日を終えて、普通の日が襲い来る。一ノ瀬はなぜか私のことを知っていて、センパイと呼んできた。センパイと呼ぶということは、小中高のどこかで後輩だったのだろうか。もしくは、同じ大学に通っていて今も後輩なのか。記憶は睡眠中に整理されると聞くが、起きても思い出せない。

 普段は京子以外とはほとんど話さないし、名乗られても興味がないから顔も名前も覚えられない。でも、昨夜のことで一ノ瀬の名前と顔は強く記憶に残った。それほど一ノ瀬の見た目が良かったのだ。アイドルのように整った顔、ただ痩せているわけではなく引き締まった体、喋るだけで男を落としそうな蠱惑的な声。あんな女と過去に会っていたら間違いなく記憶に焼き付いているはずだ。だから、恐らく面識はなかったのだろう。

 昨夜のことを考えているうちに、講義とバイトが終わった。いつものことだけど。いつも夜にあの公園でタバコを吸っていると言っていたが、さすがにこんな時間までいるはずがないと思う。昨日は確か21時過ぎで、今はもう0時を過ぎている。そもそも行くとは言っていないし、様子を見に行く義理もないのだ。



 そう言いながらも公園に来てしまった。どうせ帰り道にあるのだから、在否を確認するだけなら時間のロスにならない。どうせここでしかタバコが吸えない。そう言い訳しながらも、未成年の女がこんな時間に外にいるのは危険だということが気になった。ましてあの容姿では、襲われないとは限らない。

 京子以外には興味がないはずなのに、なぜか心配になる。これは一体なんなのだろうか。

 ベンチを見に来てみると、案の定誰も座っていなかった。

「まあいるわけないか。」

 タバコに火をつけ、一口吸った。昨日初めて吸ったのに、我ながら様になっている気がした。ででも、この味とクラっとする感覚にはまだ慣れない。1箱くらい吸えば慣れるのだろうか。

 半分ほど吸ってから、灰皿を買っていないことに気づいた。そもそも灰を既に地面に落としている。まあいいか、誰も見てないし。

「灰皿は買っておかないと駄目ですよ。」

 全身が怖気立った。後ろから声がするのと同時に昨日見たのと同じ携帯灰皿が差し出される。驚いて吸い殻をどこかへ飛ばしてしまった。

「な、な、何でアンタいるの……」

「一言目がそれとはご挨拶ですね。そんなおばけを見たような反応されるとショックです。」

 一ノ瀬はケラケラと笑いながら横に座った。濃縮されたタバコの臭いがする。私が来るまでに何本吸ったんだ、こいつは。

「正直、来ると思ってませんでした。」

「アンタ、何時間待ってたの?」

「アンタじゃなくて、一ノ瀬真央ですって。忘れちゃいましたか?」

「いや、覚えてるけど…」

「覚えてくれてたんですね。じゃあ名字か、名前、どちらかで呼んでくださいよ。私はアンタさんではないので。あ、できれば名前の方で呼んでくれると嬉しいです。」

 思い返すと、京子以外の名前を口にした覚えがない。京子と出会ったときから名前で呼んでいたような気がする。

「……一ノ瀬」

 どこか清涼感のある姓の方で呼ぶ。一ノ瀬には少し透明感がある。そこにいるのに、触れられないような……形容しがたい印象だ。

「お願いが無視されちゃいました。んー、ざっと3時間くらいですかね。」

 やはり昨日と同じ時間から今の時間まで待っていたようだ。会う義務もないと思っていたのに、申し訳なくて顔を背けた。京子以外のことはどうでもいいはずなのに、どこかで他人に嫌われることを恐れているのかもしれない。

「どうせ暇なんで0時くらいまでは待とうと思ってたんですけど、まさか本当に来てくれるとは思いませんでした。」

「アンタ……一ノ瀬って普段何してるの?」

 他人の姓を口に出すのがどうにも慣れない。

「何もしてませんよ。」

 堂々と言うなこいつ。

「何もって……ニートってやつ?」

「まあ、一般的に言えばそうですね。そういうセンパイは?」

「大学生だけど……。」

 うっかり怪しい女に身分を開示してしまった。

「えっ、センパイって大学行ってるんですか?」

「何?意外?」

「はい。」

「まあ……自分でも何で通ってんのかわからないけど。」

「今の学生の大半ってそんなものだと思いますよ。何かを学びたいとかじゃなく、みんなが行くから、働きたくないから、まだ遊びたいから。私も高校はそんな感じでしたし。辞めたんですけど。」

「そういうものかな……」

 私より年下なのにやけに達観した考えだ。何故高校を辞めたのか、それからどう生きてきたらこういう風な考えになるのか。気になる所だけど、踏み込まない。

「センパイは何か目標とか夢とかってないんですか?」

「ない。」

「即答。」

「何で生きてるかもよくわからないから。」

「だから、いつもそんな顔をしてるんですね。」

「そんな顔ってどんな顔よ?」

「こう……何も感じていないような……無?」

「……」

 そう言われて、携帯で自分の顔を映してみる。じっくりと自分の顔を見るとおよそ何も感じていない、退屈な授業を投げ出した白紙のノートのような表情だった。

「……私はセンパイのその何もない表情が好きですよ。」

「へっ!?」

 突然「好き」と言われ、鼓動が早まった。思い返してみると、好きなどと言われたことがない。漫画や映画でよく聞く言葉を、初めて直接私自身に言われて、頭がぐるぐると回る。

「なんでそんなに処女みたいな反応をしてるんですか?」

 誰が処女だ。処女だけど……。

「なんでも……ない。」

「言われ慣れてないのがバレバレなんですけど、細川先輩には言われたことないんですか?」

「なっ……なんで京子の名前が出てくるの!?」

「一緒にいたところを見たことがあったので。」

 私のことだけでなく、京子のことまで知られていた。一ノ瀬から思いも寄らない名前が発せられて、鼓動は更に速まる。300km/hくらいあるのではないか。

「……」

「センパイって本当にわかりやすいですね。なら、私が好きの初めてをもらったということで。」

「は、はあ~?」

「ごちそうさまです。」

「返して……もらえないかな。」

 大切なものを失ってしまったような感覚に襲われた。大げさかもしれないが、大事なことのような気がする。言われてから気付いたんだけど。

「というか付き合ってたりしないんですか?当時一緒にいたのを見たことがあるんですけど、そのくらいの距離感に見えましたよ。」

 傍から見たらそう見えたのか。今更ながら恥ずかしくなってくる。

「……してない。」

「あらら。細川先輩って押しが強そうなのに。センパイは……ふふ。」

 何を笑ってるんだこいつは。

「もう帰る。」

「怒らせちゃいました。」

「いや、別に怒ってはいないし。」

「顔が怒ってますよ。そんな顔も好きですけど。」

 また軽々しく好きなどという。なんなんだこいつは。これ以上私の心を揺さぶらないでほしい。

「怒ってない。」

「では、また明日。」

 手を振って笑顔で言ってくる。この女は顔と愛想が良すぎる。どのくらいの異性を落としてきたんだ。ひょっとすると、同性も数え切れないほど落としているのかもしれない。

「もう来ないって。」

「またまた~。」

「来ないったら来ない。」

「え~?」

「……そういえば一ノ瀬ってどうやってタバコ買ってるの?」

 ふとした疑問が浮かんだ。一ノ瀬はまだ未成年のはずだけど、どうやってタバコを入手しているのか。何か悪いことにでも手を染めてるのか。

「その辺の人に頼んで買ってもらってます。誠心誠意お願いすると、皆さん喜んで買ってくれるんです。」

「……身体売ってたりしない?」

「あはは。」

 だから何を笑ってるんだ。こっちは心配してるのに。

「……次からは買ってくるよ。銘柄は何?」

「あのコンビニでは66番ですよ。それにしても、もう来ないって言ったそばからそういう事言うなんて、センパイは優しいですね。」

 公園から5分程の距離にあるコンビニのことだろう。昨日京子と行ったり、一人で行ったコンビニだ。

「余計なこと言うと買ってこないし、ここにも来ないから。」

「ふふ、ありがとうございます。次も同じ時間ですか?」

「まあ……そうね。来ない時は言うから、連絡先教えて。」

 何で私はそこまでしようとしてるのか。一ノ瀬に関わっても良いことなんてないような気がする。でも、また会いたいと思う自分もいる。京子以外との関わりがほとんどなかった人生で、心のスキマを埋めてくれるのが京子しかいなかったけど、一ノ瀬と話していても悪い気はしなかった。

「はい、どうぞ。センパイって細川先輩以外に連絡先あるんですか?」

「……」

 また見透かされてムカついたから一ノ瀬が出したQRコードを読み取らずに、背を向けると同時に携帯を取られた。

「ちょっ……なにすんの。」

「だってそのまま逃げそうでしたし。はい、登録完了しましたよ。」

 強制的に一ノ瀬が連絡先に登録された。言うまでもなく2人目だ。

「今度は私が初めてじゃないんですね。ちょっと残念です。」

「当たり前でしょ……勝手に連絡先を見るな。あと、私からは行かないことしか言わないから、そっちも気軽に連絡してきたりしないでよ。無視するから。」

「はーい。」

 絶対に了承してない声と顔だ。

「じゃあ帰るから。」

「あ、ちょっとまってください。これ。」

 何かが一ノ瀬の手から投げられた。受け取ってみると、ピンクの携帯灰皿だった。昨日も今日も見たものと同じデザインだ。他人から物をもらうのはこれで2回目だろうか。

「センパイにあげます。明日以降も買うの忘れてそうなんで。あ、新品ですよ。」

「ん……ありがと。」

「どういたしまして。」

「それじゃ、おやすみ。」

「おやすみなさい、センパイ。」

 公園を後にして、帰路につく。タバコを1本吸うだけなのに30分以上もかかってしまった。早く帰って寝ないといけないなどと思っていると、携帯が震えた。京子だろうかと思ったら一ノ瀬だった。

『♡』

 未読無視した。

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