第7話 何のために息は続くの

 終わる覚悟なんて決めていない。

 決めていたら、とっくにこの家を出ている。私はいつまでも京子と離れる覚悟がつかなくて、京子に甘えているだけだ。京子の言葉が気になる。自分の問題を放置していると言っていた。 どういう意味なのだろう?問いただせないから、真意はわからない。

 京子が私から離れていったら、私は完全に一人ぼっちになってしまうだろう。父も母も、私のことなど気にしない。京子の他に友人もいない。作り方も分からない。友人ができても、いつかは必ず距離が離れてしまう。永遠に続く関係などないのだ。

 卒業式で「いつまでも友達でいよう」とアルバムに書いても、そんなのは嘘っぱちだ。仕事が忙しくなった。地元から出た。結婚して家庭を持った。亡くなった。人は離別からは逃れられない。

 思い返すと、私のそばには京子しかいなかった。それなのに、自分から関係を深めようとはしなかった。怖かったのだ、拒絶されるのが。京子に拒絶されないとわかっていても、続きを進む恐怖に怯えた。

 昔、両親に授業参観や運動会の日程を伝えても、仕事が忙しいと来てもらえなかった。その時から、誰かに何かを頼むのが怖くなった。誕生日、クリスマス、お正月に何も貰った覚えがない。そもそも、そういった行事には親からプレゼントやお金をもらうのが普通だと京子に聞いた。その時、初めて私の家が普通ではないと気づいた。両親は生きるのに最低限必要な物と、学費しか面倒を見てくれなかった。

 だから、京子は両親の代わりに毎年誕生日を祝ってくれた。

 私の人生に、恐くないことは何もない。生きる目標もなかった。でも、京子がいたから生きてこられた。京子がいなければ、私はどうなっていたか想像に難くない。大学にも行かず、どこかで適当にアルバイトをしていただろう。今と同じように。

 私の生きる意味は京子なんだと理解してしまう。でも、その京子は近いうちに離れていく。私は一体どうすればいいのか。いくら考えても答えは出ない。



 気がつくと視界が黒く染まっていて、見渡しても何も認識が出来なかった。寝てしまったらしい。手探りで携帯を見つけ、時間を確認すると、19時を過ぎていた。ソファーで寝転んだ時は身体に何もかけていなかったはずなのに、毛布がかけられている。

 携帯の明かりを頼りにリビングの電気をつけた。

「まぶし…」

 視界が急激に白く染まる。目を慣らしながら、ソファーに戻る。携帯を見ると京子からのメッセージ通知が表示されていた。

『起きたらご飯食べてね。冷蔵庫に入ってるよ。』

 メッセージは3時間ほど前に届いていた。

『ありがと。』とだけ返した。京子は出かけたようだ。特に予定はないと言っていたのに、どこへ行ったのだろう。空気を悪くしたのは私だから、今日はこの家にいたくなくなっても当然だけど。

 立ち上がり、冷蔵庫から夕飯を取り出して温める。なんでちゃんとお腹が減るのだろうか。寝ていただけなのに。何のために息が続くかもわからない。明日もきっと京子以外の誰にも関係ないまま生きる。

 レンジが鳴り、温めたご飯を取り出す。あれだけ気まずくなっても、京子はご飯を作ってくれた。それだけで少し心が軽くなった気がする。



 食事を済ませ、食器を洗って片付ける。

 今日はこれからどうしたらいいのか。普段この時間はバイトだから、手持ち無沙汰だ。こういう時に、高校生の時までは何をしていたか思い出しても、寝るか、学校の課題をしていた記憶しかない。大学では課題は期末くらいにしかないから、消化する課題もない。やることもないから、あてもなく外に出た。

 今朝、京子とコンビニに行った道を歩く。両手が自由なことに不安を感じた。普通は不自由に不安を感じるはずなのに。他愛ないことを考えているうちにコンビニに着いた。特に買いたいものがあるわけでもないが、中に入る。飲み物の棚を見て、帰りたくなくてバイトの飲み会と嘘をついたことを思い出す。私は成人してから飲酒をしたことが無いことに気づいた。そもそもバイトの飲み会は開かれたこともないし、サークルにも入っていないから大学で飲み会に行くこともなかった。京子はたまに一人で飲んでいるようだが、飲み会に行っている様子はない。

 試しに何か一つ買ってみよう。何がいいだろうか。アルコール度数が低いものを選んだほうがいいかもしれない。もし私が酒に弱い体質なら、家に帰るのも大変だ。親が酒に強いかどうかも知らないし、飲んでいたかどうかもわからない。だから自分の体質も把握できない。

 色々悩んだ末、缶ビールを一つ手に取ってレジに向かった。前の男がタバコの番号を伝えてるのを見て、タバコにも興味が湧いた。私の周りは誰も吸っていなかったと思う。今のご時世、吸える場所が少なくて形見が狭いだろうと考えたことはあったが、自分には関係ないと思っていた。でも、今は何かに縋りたい気分だった。適当な番号を伝えて、ライターも一緒に購入した。

 酒とタバコ…これにハマったら本当に駄目になりそうだ。家でタバコを吸うわけにもいかないので、近所の公園に来た。夜も深まり、辺りには人の気配がない。悪いことをするにはうってつけかもしれない。

 ベンチに座って一息つき、まず缶ビールを口にする。思ったより苦みが強いが、飲めないわけではない。でも、ハマるほど美味しくはない。

「こんなもんか…」

 顔と体が少し熱くなり、気分が高揚する。これが酔うということか。何でもできる気分になったので、次はタバコに挑戦する。箱を開けると、独特な匂いが鼻をついた。1本取り出し、口にくわえてライターをつけようとする。ライターの付け方がわからない。多分、この丸い部分を回せばいいと思うんだけど。

「ライターはこうやって火を付けるんですよ。」

 悪戦苦闘していると、どこからともなく声がして心臓が飛び出しそうになった。

「あはは、いきなり声をかけてごめんなさい。タバコ吸おうとしてるのに、ライターの付け方がわからないなんて変だなと思って声をかけちゃいました。」

 私より年下に見える女が笑いながら火のつけ方を教えてくる。手にはタバコがあった。

「ここでいつも夜にタバコ吸ってるんですけど、今日は見慣れない顔があって驚きました。」

 女は私が何か言うのを待つわけでもなく、自己紹介?をしてくる。

「で、ライターの付け方わかりました?ちょっとやってみてくださいよ。」

 私の手を取って、着火をせかしてくる。女のやり方を見た感じ、間違ってはいないと思うんだけど相変わらずつかない。

「この丸いヤスリを回しながら、下のボタンを押すんですよ。」

 ゆっくり実践して見せてくる。言われた通りやってみると、火がついた。

「よくできましたね。」

 なぜ褒められているんだ。

「で、教えてあげたんですからお礼とかないんですか?」

「ありがとう…ございます。」

「どういたしまして。で、吸わないんですか?」

 ライターで火をつけることが目的ではないことを女に言われて思い出した。女は慣れた手つきでタバコを吸っている。私もそれを真似して、タバコをくわえ直して火をつけた。ストローで飲み物を飲むように口に力を入れて吸うと、さっきのビールとは違う苦みが口に広がり、少し頭がくらっとした。

「初めてのタバコの味はどうですか?」

「美味しくはないし、いい気分でもなかった。」

 素直な感想を述べた。

「誰もがそう感じるんですよ。そして、気がついたら常に吸ってる。」

「そんなものなの?」

「そういうものです。私がそうでしたから。」

「ふーん…」

「なんでタバコを吸おうと思ったんですか?」

 馴れ馴れしいな、この女。なんで初対面なのにそんなことを聞くんだ。

「アンタに言う必要ある?」

「あ、触れちゃいけないことでしたか。」

「……」

 沈黙は肯定になる。

「私はなんとなく、色々嫌になったからですよ。」

 聞いてもいないのに女は理由を教えてくる。私と理由は同じだったが、口には出さなかった。

「タバコを吸う理由なんてみんなその程度だと思うんですよ。ストレスを解消したかった、友達が吸ってたから、俳優がドラマで吸ってたから、漫画のキャラが吸ってたから、なんでもいいじゃないですか。」

 そういうものなのか。周りに吸っている人がいないから、吸い始めたきっかけを聞いたことがない。どういうのが普通なのか、私は疎い気がする。親は誕生日を祝ってくれるのが普通とか、女は男を好きになるのが普通とか。一般的に普通でないことが私の普通になっていた。だから、何が普通か言われないとわからない。

「ライターの付け方がわからないのがおかしくて声をかけたって言いましたけど、半分は嘘なんですよ。世界の終わりみたいな顔をしてたのでちょっと心配になったのもあります。」

「だから、初対面のアンタに関係あるの?」

「まあ、ないと言えばないんですけど。そんな顔をした人を無視したら寝覚めが悪くなりそうだったので。」

 なんなんだ、一体こいつは。一人でペチャクチャ話して、人の心に土足で上がり込もうとしている。だけど、そこまで悪い気分じゃない自分に気づいた。気づいたらタバコが根元だけになり、熱さを感じた。これはもう吸えないのだろうか。

「ギリギリまで吸うタイプ、貧乏性ですね。」

「なっ…そんなことないし。アンタがいちいち話しかけるから気づいたらこうなってて…」

「その色が違う部分はフィルターで、それ以上は吸わないほうがいい部分ですよ。」

「ご丁寧な解説、どうも。」

 吸い殻をどうするか悩んでいると、女が携帯灰皿を差し出してきた。

「ポイ捨ては駄目ですから、これに入れてくださいね。」

「公園でタバコ吸うのも駄目だと思うけど。」

 自分のことを棚に上げて反論する。

「これは一本取られましたね。」

 悪びれる様子もなく、女は笑いながら言った。ビールも飲み終わり、缶を捨てて帰る素振りを見せる。

「あ、もう帰るんですか。私はいつもこの時間にいるんで、気が向いたら会いに来てくださいね。」

 なんで知らない女に一々会いに来なきゃいけないんだ。

「もう来ないけど。」

「残念です。」

 全然残念そうな顔をしていない。何から何まで謎の女だ。女を背にして公園の出口に向かう。

「私たち初対面じゃないですよ、呉島くれしま美鈴センパイ。」

 名前を呼ばれて振り返った。

「あ、やっぱり私の顔も名前も覚えてなかったんてすね。ちょっとショックです。」

 私の名前を知っているということは、どこかで会っているはずなのだけど、顔と声を頼りに記憶の中を探しても、該当する名前が出てこない。

「冗談ですよ。私が一方的に知ってるだけです。そんなに焦らないでくださいよ。」

 何から何まで手玉に取られていて、心底ムカムカする。

「一応、同じ高校の一学年下にいたんですよ。覚えて帰ってくださいね、一ノ瀬真央いちのせまおです。」

 馴れ馴れしい女はそう名乗った。

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