第6話 ああ、なぜ?どうしてと繰り返して

 京子の思いつきで、1日手をつないで過ごすことになった。

 常に片手が埋まっているのは、正直煩わしい。

 片手が突然無くなったらこういう気分なのだろうか。

 私の利き手は左手で、京子は右手だから、それぞれ利き手とは逆の手でつないでいる。

 ソファーに座って、テーブルにお菓子を広げて映画を見ているけど、どう考えてもお菓子が取りづらい。

「ねえ、これ本当に今日ずっとやるの?」

 既にうんざりしてきたので、あえて聞いてみる。

「何? もう離れたくなったの?」

 小悪魔のような顔で言ってくる。

 言葉に詰まり、映画に目を向ける。

 ニヤニヤ笑っているのが見なくてもわかるので、見ないようにする。

 今見ている映画は、京子の趣味のアクション映画だ。

 退役軍人が、攫われた娘を救おうと奮闘している。

 私は普段映画を見ないから、映画好きでなくても一度はテレビで見たことがあるというこの映画も初めて見る。

 実家にいた頃にテレビもあまり見ていないから、この映画も見たことがなくても当然か。

 かなり古い映画だし、面白くないわけではないけど、展開が王道すぎて先が読めてしまう。京子はなぜこの映画をチョイスしたのか。

 ふと、バレないように京子の顔を横目で見る。

 楽しそうに映画を見ている。長い間見ている、京子の変わらない笑顔がそこにある。

「ん? どした? 飽きた?」

 見ていたことに気づかれてしまったので、目をそらす。

「いや、うん、なんでもない」

「そか」

 京子が寄りかかってくる。

「重いんですけど」

「まあ失礼な」

「いや、そういう意味じゃ……」

「じゃあどういう意味なんですかー?」

 さらに体重をかけてくる。

「ごめんってば」

「よろしー」

 かけてきた重力を低くしてくる。

「これ終わったらご飯にしようか。何食べたい?」

 スマホの出前アプリを見ながら言ってくる。

「何か頼むの?」

「だってこれじゃ作れないでしょ?」

 つないだ手を掲げてくる。

「それはそうだけど、やめればいいじゃん……それか作るときだけ離すとか」

「ダメですー今日1日つないだままですー」

「はいはい……」

 トイレとお風呂は例外にしたのに、料理は例外にならないのか、と言おうと思ったけどやめた。

「じゃ、ピザでも頼もうか」

「ん、オッケー。いくら?」

「いいから」

「いいからではなくない?」

「私の言い出したことで私がご飯作れないんだから、いいじゃん?」

「まあ……そうか」

 妙に納得することを言う。こうやって言い包められる事が多い気がする。尻に敷かれるタイプなのかな私は。誰の尻に敷かれるのかはさておいて。

 映画が終盤に差し掛かった頃、京子がピザを注文した。

 終わるタイミングがわかっているからそれを見計らっての注文だろう。

 映画と昼ご飯が終わったら何をする気なのだろうか。常に片手が塞がっているから、大したことはできないし。

 付き合っている男女が家で過ごすときは、常に手をつないでいる以外、こういう感じなのだろうかと思う。

 無論、付き合ったことがないので想像でしかないけど。

 などと考えていたら映画が終わっていた。途中から全く見てなかった気がする。

 京子は「いつ見ても面白いなー」などと言ってた。一体何回見ているのだろう。

 映画が終わってすぐにインターホンがなった。ピザが来たらしい。京子は私と手をつないだまま玄関へと向かう。

「ちょっと……このままでるの?」

「なんで?」

「なんでって……見られるでしょ」

「私はいいけど。ほら、迷惑かけちゃう」

 京子が手をつないだまま扉を開ける。

 配達員が、一瞬怪訝な顔をしたのが見えたので顔を背ける。

「ご注文ありがとうございます。あの……片手で大丈夫ですか?」

「大丈夫です!」

 京子が右手でピザの箱を受け取る。どう見ても危ないので、私もピザの箱に左手を添える。よくわからない状況になってしまって、非常に気まずい。

「それでは、失礼します」

 配達員が扉を閉めて去っていった。もう二度とこのピザ屋で頼みたくなくなった。配達員が悪いとかではなく、羞恥心で。

「バカじゃないの?」

「バカとはなんですか、美鈴さん」

「バカじゃなかったら、アホなの?」

「そんな事言うならピザあげませんからね!」

「恥ずかしくて食べる気なくなったし……」

 恨み節をぶつけながらリビングに戻り、テーブルにピザの箱を置いてから、ソファーに座る。

 京子が箱を開けて、切り分けられたピザを一切れ手に取り、自分の口に持っていくかと思ったら……。

「なにしてんの?」

「はい、あーん」

「だから、なにしてんの?」

「あーんだってば」

「意味わかんないけど」

「食べないの?」

「自分の手で食べるから」

 そう言って、ピザを取ろうとしたら眼前までピザを押し付けられた。

「ほら、ここにあるでしょ」

「バカじゃないの?」

「あー! またバカって言った!」

「うるさい、静かにして」

「私の手からのものじゃないと食べるのは禁止です」

 勝手に新ルールが制定される。

「何? そのルール……守らなかったらどうなるの?」

「うーん……特に何も?」

「なんのためのルールなの……」

「いいから、早く食べなよ。冷めちゃうよ」

 いくら言っても聞きそうにないので、不承不承ながら京子が持ったピザを口にする。

 色々と意味がわからなくて、あまり味を感じない。

「美味しい?」

「普通に食べたら美味しいかもね」

 悪態をつく。

「あっはっは。じゃ、次は私の番ね。」

「なにが?」

「食べさせてよ」

「なんで?」

「なんでじゃなくない? 順番でしょ。」

「………」

 今日の京子は何かおかしい。酒でも飲んでるようなテンションだ。私が帰る前に飲んだのか?

 それにしても、時間が経っているから酔いは覚めているはずだ。

「ねえ、早くしてよ〜。お腹すいたんですけど〜」

「はいはい…」

 空いている左手でピザを取って京子の口に近づた瞬間に、ピザが耳の寸前まで一瞬で消えた。

「ん、おいし」

「はいはい、よかったね」

「はい、次行ってみよう」

 また京子がピザを取って、押し付けてくる。

「まさか、全部食べるまでやるの?」

「そうだけど?」

 苦虫を噛み潰したような顔をしてしまった。



 付き合いたての初々しいカップルのような、謎の行為をして非常に疲労が溜まった。

「なんでご飯食べるだけでこんな疲れなきゃいけないの……」

「楽しかったでしょ?」

「どこが……?」

「美鈴の嫌そうな顔とか」

 ドSなのか?この人は。そんな素振り一度も見せた覚えはないんだけど。

「美鈴、私に買われてみない?」

「はあ……?」

 いきなりそんなことを言い出すものだから、素っ頓狂な声を出してしまった。今日何度目だ。

「だって、美鈴がバイトばかりで家にいないのってこの家の家賃のせいでしょ? なら、私のお手伝いさんになればいいじゃん? 賃金の代わりに家賃食費無料ということで」

「いや、なんでそうなるの?」

 頭の整理が追いつかない。なにが目的でそんなことを言い出すのか。それは魅力的な提案だと思うけど……。

「私は美鈴と一緒にいたい。バイトをやめれば、一緒にいられる時間が増えるでしょ?」

 京子は真剣に、真っ直ぐ、私の目を見て言う。

「………」

「どうかな?」

 早急に回答を求めてくる。私の答えは……。

「ごめん、それは無理。」

「どうして?」

 表情、視線を変えずに問いかけてくる。

「私は……これ以上京子から何かを貰いたくない。これ以上何かを貰うと、最後に私が弾けてなくなってしまうかもしれないから。」

「そっか」

 少し寂しさがこもった声色でそう言うと、京子はつないでいた手を離した。

「あっ……」

 今日、ずっと、手にあったぬくもりが消える。それを感じてすぐに、私に覆いかぶさるようなぬくもりが伝わった。京子の形と、心臓の音が鮮明にわかる。

「ごめん。私、自分のことばかり考えてた。私は美鈴と一緒にいたかった。少しでも長く一緒にいたかった。でも、これは私のわがままだったね。」

「……」

「どうせ、私は美鈴から離れていくのにね」

 何も、言葉が出ない。その通りだと思っているからだ。

「私は、大学の4年間で最後の思い出づくりをするような気分だったんだと思う。私は自分の問題を放置していたのに、美鈴はもう終わる覚悟を決めていたんだね。つらい思いをさせてごめんね、美鈴」

「謝らないで」

「今日、まだ半日しか経ってないけど楽しかったよ。美鈴が、うちに泊まりに来た時と同じくらいの時間を一緒に過ごせたから。でも、こんな気分じゃもう今日はおしまいだね」

「そんなこと……ない、と思うけど……」

「じゃあ、これから何する?」

「それは……」

「ね、美鈴にそんな顔をさせちゃったんだから。ここから楽しくなれないよね」

 私は今どんな顔をしているのだろうか? 今の自分に確認する術はない。

「………」

 沈黙で肯定をしてしまう。

「だから今日はもうおしまい。でも、また予定が無い日にこうやって一緒にすごせないかな?」

「それは……もちろん」

「よかった。断られたらどうしようかと思った」

 そういって京子は笑った。私の大好きな笑顔。

「ごめんね、色々言っちゃって。実は一睡もしてないから、もう寝るね」

 京子が私から離れて、寝室に向かっていった。

 寝ていなかったってどういうこと? 私が帰らないと言ってからずっと起きていたの?

 リビング一人残され、また世界中に一人だけみたいな気分になって、ソファーに寝転んだ。

 右手と身体が急激に冷えた感覚がした。

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