第32話 別れと旅立ち

 ルエリアがヘレディガーにエスコートされて勇者の屋敷の玄関から出ると、屋敷中の人たちが見送りに出てきてくれていた。召し使いの人たちと、衛兵を務める近衛兵。剣を体の前に立てて構える姿に、まるで自分が王族にでもなった気分にさせられる。


「わわ、恐れ入ります……!」


 体を縮こませながら、ゆっくりと歩き出す。

 召し使いの人たちと、目を合わせて微笑み合う。料理人のテオドール、メイドのマレーネ。

 庭師や他の召し使いと並んで、医師のゼルウィドが立っていた。なぜか深くうつむき、薄茶色の目をしきりにまばたかせている。

 ルエリアは少年の前にしゃがみ込むと、低い位置から顔を見上げた。


「ゼルウィド様。大変お世話になりました」

「……。ルエリア、さん。たまには会いに来てくださっても構わないのですよ」

「はい、ぜひ。またいろいろお話しさせてください」


 小さな手を取り上げて、ぎゅっと握りしめる。途端にゼルウィドの頬が真っ赤に染まる。感情が出やすいその顔を見て、胸がきゅんとなったルエリアは遠慮なく笑みを浮かべてしまった。


 立ち上がり、再び前を向く。

 左右で列をなす近衛兵の先には、ギルヴェクスとヘレナロニカが並んでルエリアを待ち構えていた。ルエリアがふたりの前に立った途端にヘレナロニカが半歩下がり、ギルヴェクスにのみ挨拶しろと促す。

 ルエリアは王女殿下に会釈したあと、正面に向き直り、勇者ギルヴェクス・マグナセニアと対面した。


「ギルヴェクス様。この度は魔法薬師として貴重な経験を積ませていただき、本当にありがとうございました」

「ああ、本当に、世話になった。こちらこそありがとう、ルエリア」


 頼もしい声音。快晴の空の色の瞳が輝きを増す。

 その笑顔に胸が熱くなる。と同時に、またしても、とくん、と心臓が一度強く脈打った。

 深呼吸してその感覚をやり過ごしていると、ギルヴェクスが心配そうに尋ねてきた。


「本当に、馬車を用意しなくていいのか?」

「はい、道すがら野草を摘んでいきたいので。それに雨で道がぬかるんでいるだろうから、馬車の揺れに酔っちゃいそうなんですよね」

「なるほどな。足元に気を付けて。それで、これからどこへ向かうつもりなんだ?」

「故郷の村に立ち寄ってから、師匠に会いに行こうと思ってます。今日は、夜までにはどこかの集落に着くように移動して、宿に泊まるつもりです」


 ギルヴェクスとの別れの挨拶を終えたルエリアは、勇者邸内の道を歩き出した。門まで辿り着き、凛と敬礼する門番にぺこぺこと御辞儀する。足を止めて振り返ると、屋敷の前に並ぶ全員が手を振ってくれていた。


「みなさん、本当にお世話になりました!」


 ルエリアは大声で叫びながら、大きく手を振ってみせた。




 また前を向いて歩き出す。ずっと大雨が降っていたせいで、地面がかなりぬかるんでいた。

 小さく飛び跳ねて水たまりを避けながら、勇者邸での思い出に浸る。ギルヴェクスが回復した直後の賑やかなひとときを頭に描く。


(ギルヴェクス様、みなさん。どうか幸せになってくださいね)


 そう胸の内で祈った途端、後ろ髪を引かれる思いが一気に膨らむ。ぐっと奥歯を噛みしめて、沈みそうになる心をどうにか押しとどめる。

 顔を上げて、子供のようにスキップして、無理やり自分を奮い立たせた。


「もう少し、あそこにいさせてもらいたかったなー、なんてね。本来、一般市民がいていい場所じゃないよね」


 足を止めて鞄をさする。そこには報奨金が大事にしまいこんであった。今までに手にしたことのない多額の金に、ぶるっと身震いする。


「報奨金はたくさんもらったし。なにかにぱーっと使っちゃうのもいいかな。師匠のまねしてどこかに小屋を建てて暮らそうかな。周りにたくさん薬草を植えて、魔法薬の研究に打ち込んで……」


 その光景を思い描く。人里離れた場所に、ぽつんと立つ小屋。そこにいる自分。


「でも、私……、ひとりだ」


 師匠のように、弟子を取れるほどの実力もない。勇者を回復させたとはいえ、事故を起こしてしまったのだから、実績として誇ることもできない。


「大丈夫、大丈夫。これまでもひとりだったし、また元に戻るだけじゃない」


 空を見上げて、太陽のまぶしさに目を細める。


「村のみんなの顔を見れば、元気出るかも。と言ってもみんな結婚してるから、独り身だってことを実感させられちゃうんだけどねー」


 災禍の生き残りの子供たちは、ルエリアが村を出ている間に次々と結婚していっていた。今ではどの夫婦も子供ができて賑やかに暮らしている。


「村に寄ったら、次は師匠に会いに行こう。お金はあるからどこかの街で馬車を借りるのもいいかも。立派な馬車で師匠のお宅に乗りつけたら、師匠、きっとびっくりするだろうな」


 なんだなんだ、どういう風の吹き回しだと、目を丸くする師匠の顔が浮かんでくる。


「師匠に話したいこと、たくさんあるなあ。どれから話そうかな。会うの楽しみだな」




 地面のぬかるんでいる箇所を避けながら歩いていく。

 風が頬を撫で、街道沿いに生える木々の葉を揺らしていく。葉擦れの音を追って顔を上げると、草原の中にきれいな花が咲いているのを見つけた。

 群生しているその花は、中心が白く、外側に行くにつれて色濃くなっていく紫のグラデーションが美しかった。


「あれってもしかしてオーリサス・アクシスタルじゃない? 自生してるところは初めて見た気がする。ギルヴェクス様のところで過ごした思い出に、押し花にしようかな」


 それを眺めながら、ギルヴェクスの元で過ごした日々を思い出すのもいいかも知れない――。そこまで思いついたところで、涙が浮かんできた。


「みんな気さくで、温かかったな。ギルヴェクス様も、優しくて、本当に素敵な人だった。一緒に過ごせて幸せだったな」


 まばたきした拍子に、涙が一粒こぼれ落ちた。


「私、すっごく貴重な経験させてもらえたんだな。ありがたいな。魔法薬師として少しは成長できたのかな? 師匠はなんて言ってくれるだろう。あーでもきっと、『まだまだじゃな』とか言いそうだなあ、師匠は」


 そう言われる瞬間を思い描きながら、群生している花のそばにしゃがみ込む。

 ひとつひとつの花を吟味して、きれいな形のものを探す。

 花に手を伸ばした瞬間、手の甲にぽつりと涙がこぼれた。

 目元を拭いもせずに花を摘み、また一瞬だけ立ち上がって別の場所にしゃがんで花を選んでいく。

 そうしていくうちに、ふと顔を上げると崖沿いにいることに気が付いた。遥か下には広大な森が広がっている。


「ここら辺ってこんなに高低差があったんだ。馬車で連れてきてもらったから全然気づかなかったけど、ずっと坂道を登ってきてたのかな? ギルヴェクス様のお屋敷って、結構高いところにあったんだ……あら?」


 突然、地面を踏む感覚が遠くなり――足元が崩壊していく。


「えっえっ、わわっ、きゃあああああっ!」


 気づけば宙に投げ出されていた。咄嗟に頭上に手を伸ばす。

 辛うじてつかんだ長い草は今まさに崩れゆく地面から生えていた。握りしめた草ごと落下していく。今の今までしゃがんでいた場所が見る間に遠ざかっていく。全身を襲う浮遊感に、心臓が凄まじい速さの警鐘を鳴らしはじめる。


(私、こんなところで死んじゃうの? 記憶の世界の中でギルヴェクス様を殺したりなんかしたから、罰が当たったのかな)


 恐怖と達観と。相反するふたつの感情がないまぜになる。

 両親の笑顔や笑い声、そして師匠に褒められたり怒られたりしたことが、次々と頭を駆け抜けていく。

 その先に見える、誰かの幻影。ゆっくりと振り向いたその人は、勇者ギルヴェクス・マグナセニアだった。


「ギルヴェクス様、助けて……! 私まだ、死にたくない……!」

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