第20話 予想外の賛辞
ルエリアが、ゼルウィドの穏やかな表情の意味を問うより先に、ゼルウィドが話を切り出した。
「ギルヴェクス様の容体が安定して、大変うれしく思います。あなたの魔法薬のおかげですね。本当に、ありがとうございます」
「え、え!? いやそんな! ギルヴェクス様が落ち着かれたなら、それはみなさんの献身的な看護のたまものであって、私の魔法薬はその補助的役割を果たしただけというか何というか……!」
「はあ……。まあ、あなたのその反応は想定内です。ですが謙遜も大概にしていただきたい。ご不調を緩和させることの叶わなかった医師として、
「うわあすみません、せっかくお褒めに預かったのに、まともなお返事もできなくて……! ゼルウィド様、本当にありがとうございます!」
低いテーブルに額をぶつけそうになるくらいに全力で頭を下げる。自分を嫌っていると思っていた相手からの感謝の言葉は、涙が出るほどの喜びを胸に湧き立たせた。
顔を上げて、再び少年医師をまっすぐに見る。ゼルウィドはそっぽを向いていた。その幼い横顔は、つつきたくなるほど真っ赤に染まっていた。
不意に、応接室の扉がノックされる。
ヘレディガーがワゴンを押して入ってきた。
「ゼルウィド様、診察お疲れ様でございます。こちらはヘレナロニカ殿下より、おふたりへの差し入れでございます」
ティーポットからカバーが外された瞬間、ルエリアは首をかしげた。漂ってきた香りが予想と違ったからだ。
芳しい茶の香りをすんすんと嗅ぎながら、茶の準備を進めるヘレディガーに問いかける。
「あれ? それってモキジョール茶ではないんですね」
「ええ。こちらはハービナクト茶といって、ハスナヒア国からマヴァロンド王室に献上されているお茶のひとつだそうです」
「ハービナクト!? うわあ、そんな希少なお茶を、私までいただけるなんて……!」
ハービナクトとはマヴァロンド王国から遥か東に位置する島国、ハスナヒア国にのみ自生する柑橘類だ。
修業時代、『これを使って魔法薬を作ってみたいな』と憧れを口にしていたら、『わしは作ったことあるぞ』とハスナヒアに招かれたことのある師匠に自慢されてしまったことがあった。
ルエリアが初めて飲む薬草茶に興奮する一方で、ゼルウィドが小声で『いただきます』と告げてからカップに口を付ける。
「ふむ……独特な味がしますね」
ルエリアもゼルウィドと同じく『いただきます』と告げてから、茶をひとくち含んだ。
スパイシーな風味が鼻に抜けていく。
「なんておいしいんだろう……! これ、ギルヴェクス様もお飲みにならないかな?」
「それは、今はやめておきましょう」
ルエリアの独り言に言葉が被せられる。
続けてゼルウィドが、すでに空になっているティーカップをソーサーに置いた。
ルエリアもまた、カップに口を付けようとしたところで手を止めた。ゼルウィドと同じくカップを皿に置いてから背筋を伸ばす。
「ダメでしょうか? おいしいお茶を、ギルヴェクス様にも味わっていただきたいと思ったのですが」
「現状あなたの魔法薬で容体は安定しているとはいえ、だからといってあれもこれもと日常に変化を付けていってしまっては、回復を急かされていると受け止められてしまい、ご負担になることが予想されます」
二杯目を注ぐ執事をちらと見てから言葉を継ぐ。
「……例えばあなたの焼かれたクッキーにギルヴェクス様
「おっしゃる通りだと思います……。はしゃいじゃってすみませんでした」
「希少なものを前にして、はしゃぎたくなる気持ちくらいわかりますよ。私も、普段は王家の方々しか入れない書庫に入れてもらえて貴重な文献を拝ませていただけたときだけは、年甲斐もなくはしゃいでしまいましたからね」
「ぶっ」
つい噴き出してしまい、ルエリアは咄嗟に口を押さえた。
「……何ですか?」
怪訝な目付きで睨まれる。
口を押さえたまま、首を振ってごまかす。
(今、『年甲斐もなく』って言った!?)
あどけない声で発された言い回しとはおよそ信じられず、ルエリアはずっと気になっていた疑問を思わずぶつけてしまった。
「ぶしつけな質問で恐縮なんですけど、ゼルウィド様って今おいくつなんですか?」
「八歳です」
「はっ……えええええ!?」
あまりに大人びた口調と表情をしているものだから、ルエリアはまるで同い年か年上の人と話す気分で会話してしまっていた。
改めてその容貌を見れば、確かに十歳に満たない程度の幼い顔付きをしていた。
「それで『年甲斐もなく』って……」
「幼児のごとく声を上げて喜んでしまったという意味です。あのときの周りの大人たちの反応は、今思い出しても
珍しい本を手にした少年が声を出して喜ぶことの、どこが恥ずかしいことなんだろう――。
(私もその場に居合わせたら、きっとでれでれしながらゼルウィド様のことを見守っちゃっただろうな)
そんな大人たちのゆるんだ顔を見て真っ赤になるゼルウィドを想像する。
その反応もまたとても可愛かったんだろうなと、ルエリアは、にこにこしたまま茶を飲み進めたのだった。
二杯目の茶も存分に堪能し終えてから、ルエリアはヘレディガーとゼルウィドに尋ねた。
「そういえば……。ヴィオンブレネンってここら辺に生えてたりしませんかね」
「ああ、ここへ来る途中にちらほら生えているのを見かけたことがあります」
ゼルウィドが即答する。
「あれを魔法薬に用いるおつもりなのですか? ヴィオンブレネンにも鎮静作用はありますけど、その効能を引き出すために時間を要するため、魔法薬の材料として用いられるケースは少ないという話ですが」
「んんーさすがお詳しい! でも魔法薬に使うんじゃなくて、クッキーに入れたいなって思いついたんです」
ルエリアはこれまでクッキーを二度焼き、どちらもシンホリイムを入れていた。
ギルヴェクスが喜んでくれたこともあり、また焼きたいと思ったものの、同じ味のクッキーでは飽きられてしまう気がしたのだった。
「クッキーに少し使うだけだから、わざわざ発注していただくのも忍びなくて。もし近くに生えているなら、ささっと採ってきたいなって思ってたんです。ゼルウィド様、教えてくださってありがとうございます。明日晴れたら採りに行ってみます」
「ところでそのクッキーは、いつ焼かれる予定……いえ、何でもないです」
「ゼルウィド様もお召し上がりになりますか?」
「え! いえ私は結構です……!」
ルエリアが問いかけるなりぎょっとした表情を浮かべたゼルウィドが、ぷいっと顔をそむけた。その横顔は、耳まで真っ赤になっていた。
ヘレディガーが、すすす……と静かにルエリアの背後に寄ってきて、そっと耳打ちする。
「(ゼルウィド様は、子供扱いされることを懸念して、人前ではお菓子の類を避けていらっしゃるようです。ご自宅ではお召し上がりになっているようだとヘレナロニカ殿下から伺っておりますので、ぜひゼルウィド様の分もご用意して差し上げてください)」
「(わかりました)」
少しだけ顔を振り向かせて、ヘレディガーと目を見合わせて微笑み合う。それから正面に向き直ると、横目で様子を窺ってくる視線と目が合った。
ゼルウィドに向かってにっこりと笑ってみせる。首の辺りまで赤くしたゼルウィドは、元々横を向いていた顔をさらに逸らしたのだった。
***
次の日は晴天で、風も穏やかで外出日和となった。
ルエリアは屋敷から外に踏み出した瞬間、雲ひとつない青空を見上げて深呼吸した。
「んー、お出かけ日和だー!」
天気の良さに喜ぶルエリアの背後には、召し使いたちがずらっと並んでいた。
彼らはルエリアを見送りに出てきたわけではなく――。
「いってらっしゃいませ、ギルヴェクス様」
「ああ」
召し使い一同が声を揃えて送り出せば、ほとんど聞こえるか聞こえないかくらいの小声でギルヴェクスが応える。室内では聞き取れる声量も、屋外では少し遠く感じた。
昨晩、ルエリアがギルヴェクスに魔法薬を渡しに行ったときのこと。
『明日、薬草採りに出かけるつもりなんです』と報告したところ、ギルヴェクスが『もしやひとりで行くつもりか? 僕も同行しよう』と言いはじめたのだ。
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