第21話 勇者との外出

 ギルヴェクスの外出宣言に、屋敷中が大騒ぎとなったのは言うまでもない。『ギルヴェクス様がついにここまでお元気になられた』と召し使いの皆で喜び合いながら、外出の準備が急ピッチで進められた。

 動きやすい服装、屋外でも食べやすい料理や飲み物の選定、剣やホルダーの手入れ――。およそ一年ぶりに屋敷から外に出るギルヴェクスを思い、全員が笑顔を輝かせていた。



    ***



 日の光の下を歩くギルヴェクスを、ルエリアは横目でこっそり眺めはじめた。

 今までは、ベッドかソファー、もしくは椅子に座っているところしか見ていなかったせいもあり、屋外を歩く姿が新鮮に思えた。

 上質な布地で作られた半袖のチュニック、その内側には長袖のシャツを着ている。斜め掛けのベルトと腰に巻かれたベルトはそれぞれ別の素材でできていて、どちらも高級そうに見えた。下半身は装飾の少ないズボンに膝下までの長さのブーツを履いている。

 久しぶりの日差しはまぶしいらしく、しかめた目はほとんど閉じているように見えた。


 そんな勇者の爪先から頭の先まで眺めるうちに、ルエリアはあることに気が付いた。


(あれ? ギルヴェクス様って意外と端整なお顔をしていらっしゃる……!? いやなんて言ったら失礼か)


 ギルヴェクスの歩く姿をしみじみと見つめながら、ルエリアは心の中でつぶやいた。


 ルエリアが冒険者をしていたときのこと。神器を集め終えた勇者一行が城郭都市リヤマヤードに到着した際、ルエリアもその御尊顔を拝みたくて、人だかりから少し離れたところで待機した。

 人垣の隙間から、一瞬だけ見えた横顔。その全身にみなぎる覇気もあいまって、かっこいいどころかまるで神を目の当たりにしたかのような尊さを覚えたものだった。

 しかし今まさに目の前で、少し伸びた髪をそよ風になびかせながら歩く様は、街で女性を魅了する吟遊詩人のような魅力にあふれていた。


(これだけかっこよければ、ヘレナロニカ殿下にお似合いだな)


 と思いついたところで、自分の考えにはっとして首を振る。


(勝手にカップル扱いしたら失礼か。でもヘレナロニカ殿下とギルヴェクス様って、将来を約束されてたりするのかな)


 凛々しく麗しい大国のお姫様と、世界を救った勇者様。互いが互いに並び立つにふさわしい、これ以上ない理想形のふたりだと――そこまで思い至った瞬間、心臓がひとつ、強く脈打った。


(んん? なんだろこの感じ。素敵すぎるふたりを想像して勝手に盛り上がるなんて、失礼なことしちゃダメか)


 ルエリアはそっと深呼吸すると、たった今感じた違和感を気にしないようにしたのだった。



 久しぶりに外を歩くギルヴェクスに合わせてゆっくりと、馬車のわだちの付いた街道を歩いていく。ギルヴェクスはずっと屋内で過ごしていたせいか、若干呼吸が乱れていた。


「やれやれ……。全員で見送りなんて、大げさだな」


 屋敷の門が見えなくなった辺りで、静かにため息をついた。

 ルエリアは、押しつけがましく聞こえないように気を付けつつ、そのつぶやきを拾った。


「ギルヴェクス様は、薬草採集にお出かけになったことってないんですよね? あるじがこれまでにしてこなかったご用事でお出かけされるとあれば、みなさんが心配するのも無理もないと思いますよ」

「……。そうか。そういうものかも知れないな」


 視線を落として寂しげに微笑む。

【一年ぶりの外出】であることに言及しないために、ルエリアはいちいち『ギルヴェクスが薬草採りをするのが初めてだから、皆が心配している』と理由をでっちあげたのだった。しかし下手な言い訳に気づかれてしまったかも知れない。

 至らぬ自分に申し訳なさを覚える。しかしルエリアは、暗い気分にならないように顔を上げると、そよ風の心地よさに浸る風を装いつつ歩き続けたのだった。



 街道沿いの草むらをよく見ると、お目当てのヴィオンブレネンがぽつりぽつりと生えていた。明るい緑色をした細い葉を追って、道から外れて草地に踏み込んでいく。


「群生してるところってあるのかな。せっかくなら吟味したいかも。もう少し探し回ってみてもいいですか?」

「ああ」


 膝の高さほどの草を蹴るようにざわざわと掻き分けて歩くうちに、周囲に木が増えてくる。

 木々の間に目を凝らすと、林を抜けた先に草原が広がっているように見えた。

 木の幹の向こうに見える緑の輝きを目指して歩みを速める。街道が完全に見えなくなるまで移動してきた先に、ヴィオンブレネンの群生地を発見した。


「わ、すごい。こんなに生えてるなんて」


 しゃがみ込み、枝の途中に軽く風魔法を当てて斬っていく。途端に酸味の強い果実を思わせる香りが漂い出した。ルエリアの隣に膝を突いて収穫作業を眺め出したギルヴェクスが、ぽつりとつぶやく。


「ノームシスティルの香りがするな」

「あ、はい! 香りがよく似てますよね。その代用品として使われたりもするんですよ」


 ノームシスティルとはものすごくすっぱい味のする黄色い果実だ。ここマヴァロンド王国では、南西部でのみ栽培されている。

 その楕円形の果実を思い浮かべるだけで、口の中にすっぱさを思い出してしまう。ルエリアは、まるでその果実を噛んだ直後のように口をすぼめながら、収穫作業を続けたのだった。



 不意に、日が陰る。空を見上げると、いつの間にか雲が出ていた。


「あれ、まさか雨降ったりしませんよね……」


 とつぶやきながらルエリアがギルヴェクスに振り向いたのと、ギルヴェクスが立ち上がり鞘から剣を抜く音を鳴らしたのはほぼ同時だった。



 気づけばルエリアたちは、見覚えのある男たちに囲まれていた。

 かつてルエリアを監禁して利用しようとした六人組。血色が悪く、薄汚れた服を着ている。

 ナイフを持っているのはリーダー格の男だけだった。他の人は武器を持っておらず、ルエリアたちを眺めて拳を鳴らしている。元冒険者にありがちな、それまで使っていた武器や防具を売り払って生活費の足しにしたということだろう。それらの装備は需要が激減したせいで価値が暴落し、どこでも二束三文でしか買い取ってもらえない。買取金額の低さに怒った元冒険者が店先で暴れ出したという話は、ルエリアもしょっちゅう耳にしていた。


「あなたたち……! なんでここに……」


 男たちは、にやけ面をしながらも何も答えない。

 その背後からもうひとり、中年の貴族が近づいてきた。男はいかにも上等そうなスーツをまとっていた。丸く突き出た腹、濃い金髪はきっちり整えられていて、丸まったひげの先をいじっている。ヘレナロニカが呼びつけた貴族のうちの、偉そうな態度をしていた方の男だった。

 顎を上げ、馬鹿にした風な目付きでルエリアを眺めながら語り出す。


「勇者が外出できるようになるほどに回復させるとは。小娘が意外とやりますねえ……くく」

「私が国外追放されたのもこいつらに監禁されそうになったのも、あなたの差し金だったの?」

「そのような下衆な発想は、わたくしにはございません。ただ、貴女がどこで魔法薬を作ろうとも売ろうともわたくしの手に届くことには変わりないわけですから、さらに小銭を稼ぎたいというこの者たちの希望を汲んでやり、衛兵を差し向けたわけです。私ほどの権力があれば、その程度のことなど造作もない」

「あなた、ヘレナロニカ殿下に嘘をついたことになるけど。貴族のくせに王家を裏切るつもり?」

「まさか。歴史あるユージン侯爵家がそのような大それたことなど決して致しません。マヴァロンド王家には忠誠を誓っておりますよ」


 白けた表情を浮かべる茶色の目が、ルエリアの背後に立つギルヴェクスを睨み付ける。


「ただ、偉大なる功績を残した勇者殿は今後、国王陛下より様々な特権が与えられていくことでしょう。無論、他国に於いてもそうなるでしょうね。その際、我々貴族の利権を奪いやしないかと懸念している者が大勢いるのです。万が一、ご自身の影響力を利用して政治にまで口を出されては、たまったものではない」

「……僕は、そんなことはしない」


 葉擦れの音に紛れそうなほどの小声で、ギルヴェクスが反論した。


「やれやれ。大人しくお屋敷に閉じこもっていてくださればよかったものを。表に出てこなければ、実力行使に出る必要もなかったのですがねえ……」

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