第14話 勇者の思い出

『君は、どうして魔法薬師になろうと思ったんだ?』――追い出そうとしている相手には尋ねないであろう勇者の質問に、鼓動がますます速くなる。

 もう出ていってくれと、ルエリアはギルヴェクスに当然そう言われると思っていた。


 涙で通りの悪くなった鼻から、少しだけ息を吸い込む。床に落としてしまっていた視線を持ち上げて、ギルヴェクスを見る。


「……昔、つらいときに、魔法薬で救ってもらった経験があるんです。それで私も、誰かを助けてあげたいって思って、魔法薬師になりました」

「つらいときに、というのはライケーネ村の件だな。君がそこの出身だということは、ヘレディガーから聞いた」

「はい、おっしゃる通りです」

「そのときにギジュット・ロヴァンゼンの魔法薬を? 彼が当時ライケーネ村に派遣されたことと、君が彼の弟子だということは、ヘレナロニカから聞いている」

「はい。両親を亡くして、頼れる人もいなくて。毎日どうしたらいいかわからなくて、毎晩ひとりになるとずっと泣いてたんです。でもある日、村に派遣されてきた師匠……ギジュット様が、夜、ふらっと家を訪ねてくれまして。他の大人は『大丈夫かい?』って聞いてくるから『大丈夫です』って答えて、『元気出してね』って言うから『はい、頑張ります』ってずっと答えてたけど……。ギジュット様はそういうことは言わなくて、ただ、『ここで一緒に寝ていい?』って聞いてきて。でも立ち上がる元気もなくて、床に座り込んで壁に寄りかかったままでいたら、どこかに行っちゃって。黙ってたから怒らせちゃったのかなと思ってたら、仮設診療所から自分の毛布を持って戻ってきて、一緒にくるまってくれたんです。何か言ってくるのかなって思ったら何も言わなくて。そのうちふと飴玉を差し出してきて、それを舐めたらびっくりするくらいぐっすり眠れて。その飴玉が、魔法薬の飴玉だったそうなんです」


 思い出に浸るうちに、心がぬくもりに包み込まれていく。

 緊張感が和らいだ途端、視界の中にギルヴェクスの眼差しが見えた。その濃い空色の瞳は寂しげだったものの、慈しむような光をかすかに湛えていた。


「僕も、彼には世話になった。僕のときも、そうやってふらりと部屋に現れて、手つかずの料理を『それ、ちょこっと分けてもらってもいい?』なんて言いだして……」

「ええ?」


 ルエリアは思わず声が大きくなってしまった。過去の師匠のとんでもない振る舞いに衝撃を受けたからだ。


(まあ師匠らしいと言えば、師匠らしいんだけど)


 と心の中で独り言をこぼす間にも、ギルヴェクスが懐かしそうに目を細める。


「膝を抱える僕の隣で冷めた料理をぱくぱく食べだして、その様子を横目で見ていたら、『ひとくち食べる?』などと言ってきて……。それは断ったんだが、そしたら今度は『飴玉舐める?』と差し出してきたんだ。そこは君のときと一緒だな。周囲の大人から、どうにか僕に食事を摂らせたいという圧はずっと感じていたけれど、それでもなにも食べる気が起きなかった。でも飴くらいなら、口に放り込んでも嫌になったらすぐに吐き出せばいいかなと思ったら、いつの間にかうとうとしていて……。そのときは完全には眠れなかったけど、それから少しずつ食事ができるようになったから、彼には本当に感謝している」

「師匠はギルヴェクス様の前でそんなことをなさってたのですね。他の魔法薬はお飲みになったりしたのですか?」

「ああ。『これ、ボクが発明した魔法薬なんだけど。せっかく味をおいしくしたのに誰も飲んでくれないんだよね』ってぼやくから、『ホントにおいしいの? ホントはマズいから飲んでもらえないんじゃない?』と失礼なことを言いつつ少しだけ飲ませてもらったら、すぐに眠ってしまった」


(子供の頃のギルヴェクス様、素直で本当に可愛らしいな)


 希代の英雄のエピソードに胸が躍る。ルエリアが口をゆるめていると、ギルヴェクスが小さくため息をついた。その顔は、ごくわずかだけ綻んでいた。


「不思議なものだよな……。ちゃんと寝て、起きると昨日より少しだけ動けるようになっているんだから」

「本当に、そうですよね」


 ギルヴェクスの言葉に深く同意する。孤独にさいなまれていたときに、ギジュット・ロヴァンゼンが寄り添ってくれたこと、そして魔法薬によって少しずつ元気を取り戻せたおかげで今の自分がある。だからこそ、冒険者時代に心や体が疲れている人と多く接したときに『どんな状況でも、ほんの少しだけでも眠れる魔法薬を作ってあげたいな』と思い立ち、冒険者用の魔法薬の開発に打ち込んだのだ。


「今もこうして、以前よりかは動けている気がする。君のおかげだ」

「あ、ありがとうございます……!」


 追い出されるかと思っていたところに感謝の言葉を聞かされて、ルエリアは先ほどとは別の意味で涙をにじませた。


(まだ私、ギルヴェクス様のおそばにいていいのかな。もう一度チャンスを与えてくださるってことかな。これからはもう絶対に、誰にも迷惑を掛けないように気を付けないと)


 両手の指先で口を押さえて、合わせた手の中に息を吐き出す。うれしさを噛みしめていると、不意にギルヴェクスから呼びかけられた。


「……ルエリア」

「はっはい」

「先日は、暴言を吐いてしまってすまなかった」

「暴言? ですか……?」

「君が、名声を得るために僕に構うのかと、失礼なことを言ってしまった」

「そんな、謝らないでくださいギルヴェクス様! どこの馬の骨とも知れない元冒険者が主治医づらして話を聞こうとしたら、誰だって警戒すると思います!」

「主治医……。そうだな、ゼルウィドは以前、僕がひどいことを言って常駐をやめさせてしまったから、今は君が主治医となるのだろうか」

「いえいえそんな! 主治医はお医者様が務められるべきです! ゼルウィド様を差し置いて私が主治医だなんて、とんでもない!」

「しかし、そう名乗ってもいいくらいの働きをしてくれている」

「それは恐れ入ります……! ですが、私はあくまでこの屋敷中のみなさまをお助けしたいだけと言いますか……」

「そうだな。君は、僕だけでなく、皆のことも癒していると聞いている」

「はい! 魔法薬師として、世界中の人みんな……は厳しいかも知れませんけど、せめて目の前で苦しんでいる人は助けてあげたいんです」


 両親は、救えなかったから――。その言葉だけは心の中だけに留めておいた。



 不意に静寂が訪れる。

 ギルヴェクスは少しの間、目を伏せたあと――視線を床に落としたまま話しはじめた。


「君が頑張ってくれる理由を理解したよ。君は昨日、僕の話を聞きたいと言っていたね。ならば話そう……僕の仲間が死んだときの話を」

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