第13話 心優しき勇者
「……お母さん、お父さん、ごめんなさい……」
自分の声で、ルエリアは目覚めた。
いつの間にか、ベッドで仰向けになっていることに気づく。カーテンが開けっ放しになっている窓からは、朝の光が差し込んできていた。
視界が歪んでいる。まばたきをした途端、目尻に濡れた感覚を覚えた。
(あれ、私、泣いてる……? なんでだろ。あくびしてたのかな)
もう一度まばたきをして涙を追いやっていると、ふと誰かの視線を感じた。
それは勇者ギルヴェクス・マグナセニアだった。ベッドの横に椅子を置き、両肘を膝に付いた前傾姿勢でルエリアを眺めている。
「わわわわわ!?」
ルエリアは、背中にばねが仕込まれているかのように、びよんと素早く起き上がった。
「寝ちゃっててすみませんギルヴェクス様! お薬の時間ですか!? すみません、すぐにご用意を……!」
うつむき気味のギルヴェクスが、軽く手を挙げてルエリアを制する。
「いや、君が部屋で倒れていたと報告を受けて、驚いてしまって。勝手に部屋に入ってしまって申し訳ない」
「いえいえそんな! 助けてくださってありがとうございます! もしかしてギルヴェクス様が私をベッドまで運んでくださったのですか?」
「いや。僕はすっかり力が衰えてしまっていてね。ヘレディガーに頼んだんだ。彼も元冒険者だから、君ひとりを運ぶくらい、難なくやってくれる」
「そうだったのですね。あとでお礼をいっておかなくちゃ。ところでギルヴェクス様、お騒がせしちゃって本当に申し訳ございませんでした……!」
土下座をしようとして姿勢を変えた瞬間、すさまじい脱力感に襲われた。ルエリアは、ベッドの上で横倒しになってしまった。
「あれ、なんでだろう、力が入らない……」
「具合が悪いのか? 今日はゼルウィドは来ていないはずだから、ヘレディガーを……」
と、ギルヴェクスが立ち上がりかけた矢先。
ぐぎゅるるる……と腹の音が鳴り響いた。
「わわわわわ!?」
とんでもない爆音に、ルエリアは音の発信源を両手で抱え込み、素早く寝返りを打った。ギルヴェクスに背を向けて、小さく丸まる。
「うう、そういえばなにも食べてなかった気がする……。ずっと魔力放出してたのにご飯を食べないと、こんなに力が抜けるんだ……」
魔力を一定に保って長時間放出し続ける技術は、苦手な人が多い。なぜなら持久力と忍耐力とが必要で、つまり体力勝負になってくるからだ。
脱力感の原因に思い至ったところで、今度は別のことを思い出してまた弾かれたように起き上がる。
「あ! ルナヴァラッド放置しちゃった!」
「あれか?」
ギルヴェクスが視線を向けた先を見ると、円卓の上の植木鉢にはルナヴァラッドがもっさりと生えていた。紫色の稲穂のような花から、草原を吹き抜けるそよ風のような爽やかで甘い香りが漂ってくる。
「よかったあ、ちゃんと成長させられた……!」
「魔法薬師はそんなこともできるのか」
「はい。必要だからって材料をなんでもかんでも持ち歩くと、ものすごい量になっちゃうんですよね。なので種を持ち歩いて、出先で育てて薬にするんです」
「なるほどな」
軽くうなずいたギルヴェクスが、膝に手を置き、ごくゆっくりと立ち上がる。
体の重たげな仕草を見て、ルエリアはギルヴェクスが部屋から出てきたことに改めて驚かされた。
(ずっとお部屋にこもりきりだったギルヴェクス様を、無理やり部屋から引きずり出したみたいになっちゃった。申し訳ないな)
反省するルエリアの視線の先で、ギルヴェクスが扉を少し開けて、誰かと話している。
閉ざされていく扉を背に、またゆっくりとベッド脇の椅子に戻ってくる。
しばらくすると、ヘレディガーが食事を運んできた。
円卓のそばにワゴンを止めてから、ベッドの上のルエリアを見る。
「こちらの植木鉢は、動かしてしまってもよろしいですか?」
「あ、はい。机の上にでもよけていただければ……あ、自分でやります」
「彼に任せればいいから」
またしてもギルヴェクスに制されて、ルエリアは申し訳なさに縮こまったのだった。
ルエリアが円卓に移動すると、ギルヴェクスがまたのろのろと立ち上がった。
すぐにそちらに歩み寄ったヘレディガーが、椅子を置き直して円卓の方へと向きを変える。
ギルヴェクスは、ルエリアの食事を監視するつもりのようだった。
「あの、ギルヴェクス様。食事するところを見られるのは恥ずかしいんですけど……」
「見張っていないと、君はあの育ち切った薬草を使って魔法薬作りを始めようとするだろう」
「うっ。そう、かも知れません……」
もしも今ひとりだったら、食事中に薬草を見た瞬間、『少しだけ作ってみようかな』などと思い立ったかも知れない。ふらふらと植木鉢に手を伸ばす自分の姿が目に浮かぶ。
大人しく食事に手を付ける。小さく切り分けられたサンドイッチをひと口食べた途端、テオドールが作ってくれたその軽食のおいしさに感動した。
もぐもぐと口を動かしながら、自分について思い巡らす。
(私ってそんなに行動が
ルエリアは今まで、自身の人物評を聞いたためしがなかった。修業中はずっと師匠とふたりきりで、改めてそういった話題になることがなかったのだ。
冒険者になってからも、いわゆる固定パーティーというものをルエリアは組んだことがなかった。依頼の中で一番多かった魔族の討伐において、魔法薬師はあくまで補助的役割でしかなかったからだ。そのため募集の優先順位が低かった。
どこにも所属していなかったからこそ、依頼を受けに行くのを中断するのも自由にできた。長期間に渡って宿屋にこもり、冒険者用の睡眠導入剤の開発に打ち込めた。
こういった環境下で過ごしていたせいなのだろう――。顔見知りなら大勢いたものの、特定の誰かと長く顔を突き合わせるという経験をしたことがなかったのだった。
ルエリアは、ギルヴェクスに見られている状況下にもかかわらず、サンドイッチのおいしさに夢中になってしまった。
食事が終わり、ヘレディガーが食器を下げればまたギルヴェクスとふたりきりになる。
(もう少し、ギルヴェクス様とお話しさせてもらいたいな)
淡い期待をもって、円卓の椅子に座り直してギルヴェクスの方を向く。椅子に座って対面する形となった途端、いつしか師匠に怒られたときのことを思い出した。
自分の体で危険な魔法薬を試して急激に具合が悪くなり、卒倒してしまったことがある。師匠は愚かな弟子の体調が回復するのを待ってから、ルエリアを見据えてこう言った。
『二度とあのようなことはしないように』――。いつも陽気な師匠らしからぬ、威厳に満ちた声音で告げられた言葉。初めて見る師匠の怒りの表情に、ルエリアは自分のしたことの深刻さを改めて思い知らされたのだった。
ギルヴェクスが、表情のない目をルエリアに向ける。
「君は、人には眠らせようとするくせに、自分の睡眠に関してはおろそかなのだな」
「……! 返す言葉もございません……」
もっともな指摘が胸を打ちつらぬく。もう少し話を聞けるかもなどと吞気に考えていた自分の浅はかさに、目の前が暗くなっていった。
ギルヴェクスの言葉に自身の至らなさを痛烈に思い知らされたルエリアは、ぐっと奥歯を噛みしめた。下がりそうになる視線を辛うじて正面に保つ。
(治療に当たる側が患者に落ち込んでる姿を見せちゃダメ。しっかりしなきゃ。でも……)
表情を取り繕ったところで、自分の失態がなくなるわけではない。
(もう私、
目の奥が熱くなる。鼻がつんとして、視界が歪んでいく。
(私の作った魔法薬を褒めてもらえたから、私、調子に乗っちゃってたのかも。結局私は誰かを救えた気になってただけで、本当は誰にとっても気休め程度にしかなってなかったんだろうな)
ルエリアは咄嗟に口を押さえると、必死に涙を押しとどめた。それでも鼻の奥に流れる感触がして、手のひらの中で小さく鼻をすすった。
自分の発する音を強引に収めれば、静寂に包まれる。痛いほどの無音が胸に突き刺さり、心臓が騒ぎはじめる。
いよいよこれから最後通告が言い渡される――。
そうルエリアが覚悟を決めた瞬間、ギルヴェクスが口を開いた。
「君は、どうして魔法薬師になろうと思ったんだ?」
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