第8話 勇者の過去

 ルエリアは、勇者ギルヴェクスがぼろぼろになってしまった切っ掛けを聞かせられて、胸が締め付けられる思いがした。

 祝いの席に出席し、心の痛みをこらえながら笑顔を作っていたであろう勇者を思い浮かべる。


(きっとギルヴェクス様は、とてもまじめな方なんだろうな。悲しみをこらえながら、みんなのために頑張り続けて、限界を超えちゃったんだ)


 悲しみを笑顔で覆い隠す苦しさは、ルエリアも知っている。

 七歳の頃、流行り病で両親を亡くしたとき、支援にやってきて励ましの言葉を掛けてくる人たちから無言の圧を掛けられた。

『わざわざこんな辺鄙な村まで来てやって、助けてやってるのだから立ち直れないはずはないだろう?』と――。そんな人たちに向かって笑顔で『ありがとうございます』と返していたときのやるせなさは、思い出すたびに胸を締め付けるのだ。


 ルエリアが完全に視線を落とし切ったところで、ヘレナロニカが話題を切り替える。


「ところで、君を襲った男たちについてだが。収監後にとある貴族が釈放を願い出てきたらしく、保釈金を収めたのちに釈放されたそうだ」

「そうなのですね……」


 男たちは『貴族に恩を売ったおかげで、困ったときに助けてもらえる』と言っていた。今回も、そうして助けてもらったのだろう。見ず知らずの自分に危害を加えてきた奴らを罰することもなく釈放させるなんて――。平民と貴族の身分差を思えば仕方ないとはいえ、悔しさを覚えずにはいられない。


 ヘレナロニカが視線を横に流し、考える顔付きに変わる。


「国外追放処分は捏造だったとはいえ、かの男たちからの報復の可能性を考えると、君が王都に戻るのは得策ではないな。勇者ギルヴェクスの不調を緩和させた褒賞として、どこか君が落ち着いて暮らせる場所を提供しよう。もちろん君が望めば、だが。王都から離れた別の都市か、他国であっても口利きは可能だ。隣国ウクブラウ王国はもちろん、ミズガルヒ王国でも、ハスナヒア国でも、メティタエ神聖国でも。ヴァジシーリ帝国は難しいが」

「ええ!? いえいえそんな、そこまでしていただくわけにはいきませんよ!」

「遠慮せずともよい」

「わわ……。でしたら、久しぶりに師匠を訪ねたいので、馬車を出していただけるとありがたいかなーって」

「師匠?」

「はい。ギジュット・ロヴァンゼンという名の魔法薬師です」

「ああ! 君は彼の弟子なのか。どうりで優秀なわけだ」

「わわ、恐れ入ります……! やはり王族のみなさまは、師匠のことをご存じなのですね」

「ああ。幼い頃、彼の作った【周りの人に姿が見られなくなるようにする魔法薬】を使わせてもらったことがある」

「わ! それ、私も使わせてもらったことあります! すごいですよね、あの薬」

「それを使ってギルヴェクスの後ろから忍び寄って、肩を叩いたときの彼の驚きようったら……! ああ、懐かしいな……」


 目を細めて、どこを見るともなく思い出に浸る眼差しを浮かべる。


「ギルヴェクス様は、王城にいらしたのですよね?」


 勇者もまた、ルエリアと同じく小さな村の出身のはずだった。


「君は、十一年前の【第一次大厄災】について、どこまで把握している?」

「それについては師匠から教わりました。勇者ギルヴェクス様のお育ちになったフートガル村が、降臨直後の魔王率いる魔族の大群に襲撃されて、ギルヴェクス様以外の村人全員が亡くなったという痛ましい厄災ですよね」

「ああ。あの災禍については、事前にメティタエ神聖国の巫女より予言がもたらされていたのだが……。なにせ、たったひとつの小さな村に災いが降りかかる、などという予言は前代未聞でな。あまりに小規模な地域に関する予言に対して、どの程度警戒したものかと、陛下は小隊を送り込む決定を下したのだが……」


 ヘレナロニカがため息をつき、小さく首を振る。フートガル村が滅ぼされたのは、マヴァロンド王が予言を甘く見たせいだと世間では言われている。国王は、小さな村での出来事だからと、小人数しか騎士を派遣しなかったのだ。


「……ただひとり残されたギルヴェクスを、我が王家で引き取ったのだ。はじめはふさぎ込み、声すら出せず、食べ物も口にせず、痩せ衰えていく一方で……」


 そのときのことを思い浮かべているのか、淡い水色の瞳は、心なしか潤んでいるように見えた。


「……その際に、君の師匠であるギジュット・ロヴァンゼンを招聘し、ギルヴェクスを診させたのだ。ひと月と経たず立ち直る姿に、ギジュット自身そして彼の魔法薬の素晴らしさに感銘を受けたものだ」

「そうなのですね……!」


(本当に、師匠はすごい人なんだな)


 両手の指先を唇に当てて、合わせた手の中にため息を吐き出す。ルエリアもまた、流行り病で両親を亡くした際、村に派遣されてきた魔法薬師ギジュット・ロヴァンゼンの魔法薬で癒された子供のうちのひとりだった。


「王城で保護した彼が、故郷を再建するにせよ新たな土地で新たな人生を歩むせよ、本来ならば様々な選択肢を用意してやるべきだったのだが……。当時私もまだ幼く、同い年の話し相手を切望してしまってな。ギルヴェクス本人と、父である国王陛下に頼み込み、私の従者として王城に雇い入れる形となったのだ。今思えばギルヴェクスに拒む余地はなかったろうに、彼も納得した上でそばに残ってくれたと……思い上がっていた」


 長い睫毛の陰で、空を溶かした水のような色をした瞳を揺らす。

 それについてはルエリアは何も言えることがなかった。ただ、勇者と同じく平民の自分が王城で保護されたとして、王女から『付き人にならないか』と打診されたとしたら――。きっと恩返しのために、王城に留まるだろうなと思った。


 ヘレナロニカが話を再開させる。


「……その三年後、メティタエ神聖国の巫女の予言通り、ギルヴェクスが勇者として覚醒し……。以降の説明は必要ないな」

「はい」


 救世主の出現、そしてその後の勇者一行の足取りは、魔族に苦しめられてきた大陸中の誰もが知るところだ。

 メティタエ神聖国の巫女の予言により、三人の随伴者が選ばれた。盾騎士、治癒魔導師、闇魔導師。選ばれし四人で各国に眠る神器を探し回り、魔王に対抗できる装備を整えてから魔王城へと乗り込み――。見事、魔王を討伐した。


 世界に平和をもたらした英雄は、今でも戦いの傷跡に苦しめられている。


(大それたことだけど、私がどうにかしてあげられたらよかったのにな……)



 ヘレナロニカとの会話が途切れたところでノックの音が聞こえてきた。いつの間にか部屋からいなくなっていた執事が、改めて部屋に入ってくる。

 足を止めた執事は体の前で手を重ね合わせると、ヘレナロニカではなく、ルエリアをまっすぐに見据えた。

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