第9話 警戒する召し使い

 かしこまった顔つきをする執事が、落ち着いた口調で話を切り出す。


「魔法薬師ルエリア・ウィノーバル様。ギルヴェクス・マグナセニア様よりご伝言です。『引き続き、魔法薬は処方して欲しい』とのことです」

「え!? あんなに怒ってたのに!?」


 思いがけない勇者からの要請に、ルエリアは思わず声が裏返りそうになった。


(私の魔法薬を、またギルヴェクス様に飲んでいただけるなんて……!)


 ルエリアが予想だにしなかった展開に戸惑っていると、背の高い中年の執事が口元を微笑ませた。


「ギルヴェクス様が、貴女様の魔法薬に効き目があることを実感されているからかと存じます。ルエリア様の魔法薬をお使いになりはじめて以降は、毎日お休みになられておりますので」

「それは、光栄です……」


 ルエリアが恐れ多さに縮こまっていると、ヘレナロニカが切なげに眉根を寄せた。


「医師の処方する睡眠薬の休薬期間に入って以降、気を失うまで起き続けている姿を見るのは心苦しかったものだ」

「それほどまでに、苦しまれていたのですね……」


 いくつもの眠れない夜なら、かつてルエリアも過ごしたことがある。家族のいなくなった、静まり返った部屋。

 病死した両親は、隣国ウクブラウ王国からの移住者だった。両親の故郷で暮らしていた祖父母は、ルエリアの物心がつく前に世を去っていた。

 そのため村の他の子供たちのように、国内にいる親戚を呼び寄せて一時的に手助けしてもらうこともできなかった。つてを頼って村を出るという選択肢も、持ち合わせてはいなかった。

 ひとり部屋の片隅で涙を流し、夜が明けたら太陽のまぶしさに苦しみながら農作業に明け暮れる――。当時の記憶が脳裏によみがえり、ルエリアはまた完全に視線を落としてしまった。


 うつむくルエリアに、執事が再び声を掛けてくる。


「滞在許可も頂戴しております。ルエリア様専用のお部屋をご用意いたしましたので、そちらで引き続き、魔法薬をお作りいただければと存じます」

「わあ……! ありがとうございます! 頑張ります!」


 ルエリアは、わざと大きめの声を出して自分を鼓舞したのだった。




 王城に帰るという王女殿下を見送ってから、執事に案内されて客室へと移動する。

 執事が恭しい手付きで扉を開くと、上品な内装の部屋に出迎えられた。


「こちらがルエリア様にお使いいただくお部屋でございます」

「わわ、広ーい!」


 通された客室は、これまで泊まってきたどの宿の部屋よりもずっと広かった。

 大きな窓、上質な布地で出来たカーテン、落ち着いた色合いの絨毯。

 作業のしやすそうな幅広のライティングデスクは、草花の彫刻が施されている。

 美しく寝具の整えられたベッドに歩み寄り、ぐっと手を押し当ててみる。そのあまりのふかふか加減にルエリアはベッドに飛び込みたい衝動に駆られた。本当にそんなことをしたらすぐにつまみ出されそうなので、唇を引き締めてぐっとこらえる。


 ベッドから離した手をぎゅっと握り込んで、執事に振り返る。


「いいんですか? こんなに素敵なお部屋を使わせてもらっちゃって」

「もちろんです。貴女様がお仕事に集中できる環境を提供させていただければと存じます。なにか不都合な点がございましたら、わたくしかメイドに何なりとお申し付けくださいませ」

「わかりました、ありがとうございます!」

「では改めまして、自己紹介させていただきます。わたくし、勇者ギルヴェクス・マグナセニア様の執事を務めさせていただいております、ヘレディガー・ジナストーリと申します」

「これからお世話になります、ヘレディガーさん。私は魔法薬師のルエリア・ウィノーバルと申します。ライケーネ村出身の、元冒険者です」

「おや。ライケーネ村ですか」

「あ、はい! ギルヴェクス様にお出ししている魔法薬も、故郷のライケーネ村で収穫された薬草を使っているんですよ」

「それはそれは。品質の高い薬草で作られた魔法薬であればなおのこと、安心してギルヴェクス様にお飲みいただけるというものです」

「恐れ入ります」


 故郷の特産品を褒められて、ルエリアは得意な気分になって頬がゆるんでしまった。

 一方で、執事のヘレディガーが表情を引き締める。


「ルエリア様。貴女様は御客人ではございますが、あるじは現在、おもてなしができない状態でございます。そのため大変恐縮ではございますが、お食事はお部屋でお召し上がりいただきますのでご承知おきください」

「わかりました。お食事まで用意していただけるなんてとってもうれしいです。ありがとうございます!」


 めいっぱい頭を下げたルエリアを見て、ヘレディガーは上品な微笑みを残して部屋から出ていった。



「優しそうな人だな。親切にしてもらった分、いっぱいお役に立たなくちゃね」


 突然の新しい環境。そして英雄の回復を手助けするなどという、一介の平民に課せられた任務としては、あまりにも壮大な役割。緊張感を覚えずにはいられない。

 改めて、これから自分がなすべきことを思えば鼓動が速くなる。胸を押さえて深呼吸を繰り返しつつ、鞄の中から調剤道具を取り出して、ライティングデスクに並べていく。


 そうして過ごしているうちに、部屋の外から物音が聞こえたような気がした。

 少しだけ扉を開けて、そっと廊下を窺ってみる。するとそこには中年のメイドがいて窓拭きをしていた。

 その中年女性は黒いワンピースの上に白いエプロンとヘッドドレスを着けていた。全体的にふっくらとしていて優しそうな印象を受ける。しかし表情は硬かった。長期間、主人が体調不良とあっては仕方がないのかも知れない。


 ルエリアが挨拶しようとした矢先、メイドの方から視線を突き刺してきた。


「あんた、何か企んでやしないだろうね」

「え? 企み、ですか?」

「ギルヴェクス様はねえ、心も体も傷付いてぼろぼろなんだ。下手に刺激するんじゃないよ」

「はい、肝に銘じます」


 いきなり厳しい言葉を浴びせかけられてしまった。沈んだ気持ちを抱えて部屋に戻る。

 ぱたんと閉じた扉に寄りかかり、ため息を吐き出しながら、ずるずるとその場に座り込む。


「いきなり平民が勇者様のお宅に入り込んできたら、警戒されるのは当然だよね」


 つぶやいた声は、自分でも意外に思うほどに掠れていた。

 広い部屋に深く息を吐き出せば、静けさが胸に突き刺さる。

 ルエリアは無理やり自分を奮い立たせてデスクに歩いていくと、鞄の中から小袋を取り出した。袋の口をゆるめて手のひらの上で軽く振れば、透明な飴玉が転がり出てくる。

 それは、じゃがいもと大麦で作った飴玉だった。シンホリイムに加えてラアンヴィラというストレスを和らげる薬草を混ぜてあり、ほのかに甘い香りがしながらも苦みがある。


「これを舐めて落ち着こう。大丈夫、大丈夫……」


 この飴もまた、舐めてから横になれば安眠できるほどの鎮静作用がある。冒険者になりたてのときは不安だらけで、手作りのこの飴をよく口に入れていたものだった。



 今までに何度も自分を救ってくれた、心安らぐ香りのする飴。それのおかげで落ち着きを取り戻したルエリアは魔法薬の調合を始めた。手持ちの材料と、野で摘んだ花とを鞄から取り出して、机の上に置く。

 それぞれを別々の器に入れて、氷魔法と風魔法とを使って粉にしていく。


「……ルエリア様。少しよろしいですか」


(今、ギルヴェクス様に必要なのは鎮静作用だから、……これくらい、かな)


 器に手をかざして、手の中心に意識を集中し、粉に魔法を浴びせて薬効を整えていく。

 弱り切った痛ましい姿を脳裏に浮かべる。一日でも早く、元気になってもらいたい――。


「……ルエリア様!」

「わわっ!?」


 いきなり至近距離から呼びかけられて、ルエリアは椅子の上で全身を跳ね上がらせた。調合途中の薬草の粉が、ぼんっと弾けて白い煙を上げる。

 反射的にそれを吸ってしまい、口を押さえて咳き込みながら素早く振り返る。

 するとそこには執事のヘレディガーが立っていた。その傍らには少年がいて、なぜか白衣を着ていた。

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