第7話 勇者との対面

 気おくれするほどの豪華な馬車に乗せられたルエリアは、ヘレナロニカ・マヴァロンド王女と共に、勇者ギルヴェクス・マグナセニアの屋敷へと向かった。

 勇者の屋敷は森を抜けた先の広大な平地に建てられていた。美しく整えられた庭園が手前に広がり、その奥に立派な屋敷が見える。三階建ての建物はごくシンプルな外装で、控えめな性格をしていると言われている勇者らしい家だなと、ルエリアは思った。

 馬車が門を過ぎる際、門番たちの緊張した顔が見えた。馬車の中のヘレナロニカに向かって敬礼している。その人たちのまとう立派な鎧は近衛騎士のようだった。


 勇者の屋敷内は隅々まで手入れが行き届いていて、どこを見回しても、美しいだけでなく清潔さが感じられた。

 しかしどことなく重苦しい空気が漂っている。息をひそめたルエリアは、先を行く姫の美しい金色のポニーテールを眺めつつ、そのあとを追った。

 ヘレナロニカのさらに前には燕尾服をまとった執事が歩いていた。白髪混じりの茶髪がきっちりと撫でつけてあり、威厳を醸し出している。

 廊下の一番奥まで辿り着き、扉が開かれる。

 大きなソファーの据えられた居間を過ぎ、寝室に案内される。


 ルエリアは、勇者ギルヴェクス・マグナセニアに対面した瞬間、その想像だにしなかった姿に息を呑んだ。



 勇者ギルヴェクスはベッドの上で上体を起こしていた。シンプルな寝間着を着て、いくつもの枕をクッション代わりにしてヘッドボードに寄りかかっている。腹から下は掛け布団が被せられていて、その上に両腕が力なく投げ出されていた。

 血の気の失せた顔は頬がこけていて、目はくぼんでいる。

 快晴の空の色と称されているはずの瞳は、まるで雨が降る直前の空のように陰っていた。どこを見るともなく前方に視線を落としている。

 燃えるような赤髪は、ぼさぼさになっていた。

 ルエリアが勇者を城郭都市で見たときは、耳に掛かる程度の短髪だった。乱れきった髪は襟足を隠すくらいの長さになっていて、伸びたままほったらかしにしているのが見て取れる。

 ルエリアの三歳年上、二十二歳の青年であるはずにもかかわらず、その無気力な面立ちはどことなく幼げだった。いつしか城郭都市で遠巻きに見たときは、凛々しくありながらも優しさを孕んだ顔付きに、ずっと年上のように感じたものだった。


 執事に案内されて、緊張しながらベッドのそばまで歩み寄る。執事がルエリアを手で指し示す。


「ギルヴェクス様。最近お飲みいただいている魔法薬は、こちらの魔法薬師の方がお作りになったとのことです」


 簡潔な説明のあと、あるじからルエリアに視線を移す。自己紹介をしろということらしい。

 途端に心臓が早鐘を打ちはじめる。ルエリアは両手をぴったりと体に添えて背筋を伸ばすと、早口で挨拶を始めた。


「初めまして、勇者ギルヴェクス・マグナセニア様。私、魔法薬師のルエリア・ウィノーバルといいます。私の作った魔法薬をお飲みいただけているとのこと、大変光栄に思います」


 勇者はまったく何の反応も見せない。

 世界を救った偉大なる英雄を前にして、ルエリアはすっかり舞い上がってしまっていた。


「勇者ギルヴェクス様にお飲みいただいている魔法薬ってリヤマヤードの冒険者の間でも結構評判だったんですよ。『すぐに眠れて、いざというときにはすぐに起きられる。しかも短時間の睡眠でも疲れが取れる』って。冒険者のみなさんは野宿するときに、寝付けないからってお酒を飲む人が多かったんです。でもそれだと突然魔族に襲われたときに酔いが残っているせいで苦戦するから、中途覚醒できるように薬効を調整して……」

「もう、結構だ……」

「え?」

「――出ていけ!」


 怒りをみなぎらせた表情で叫んだギルヴェクスは、ルエリアから顔をそむけると頭から掛け布団を被って中に潜り込んでしまった。

 勇者の豹変した態度に衝撃を受け、目の前が暗くなる。


「身の程知らずな発言をしてしまい、大変申し訳ございませんでした……!」


 ルエリアは声を震わせながら、床に額を打ち付ける勢いで頭を下げた。




 応接室に通されたルエリアは落ち込んでいた。ソファーの向かい側に王女殿下がいるにもかかわらず、首が取れそうになるくらいぐったりとうなだれる。


(元冒険者の魔法薬師が作った魔法薬なんて、勇者様のお気に召さなかったのかな。それとも勇者様は控えめな性格をしてるって聞いたことがあるから、私の自己アピールが暑苦しくてイラっとしちゃったのかな。不快な思いをさせてしまって本当に申し訳ないな。もう、謝らせてもらえる機会なんて、二度とないんだろうな)


 初めて間近で見た勇者ギルヴェクス・マグナセニアの姿を思い出す。一年半前、仲間と共に魔王を討伐した英雄は、信じられないほどに痩せ衰えていた。


(なんであんなにやつれちゃったんだろう。ご病気なのかな。私の魔法薬をお飲みくださっていたってことは、不眠ってことなのかな。眠れないくらいおつらいことがあったんだろうな。私でもお役に立てるなら、なにかして差し上げたかったな)


「……ルエリア」


 ヘレナロニカの呼びかけに、ルエリアはのろのろと頭を持ち上げた。

 王女の淡い水色の瞳は切なげに細められてはいたものの、どこか慈しむような温かさを帯びていた。


「君を振り回した挙句、彼に怒鳴られる羽目になってしまってすまない。ただ、君の魔法薬のおかげで彼があそこまで回復したのは事実だ」

「回復!? あれでですか!?」

「ああ。彼の大声など久しぶりに聞いたよ」

「そうなんですね……」


(あれ以上ひどい状態だったってことは、寝たきりだったってことだろうな。私の魔法薬で起き上がれるくらいになったなら、それはそれでうれしいけど……。もっと元気にして差し上げたかったな)


 その機会を自分の落ち度でなくしてしまった事実が重く心にのしかかる。

 世界を救ってくれた勇者は、ずっと苦しみ続けていた。一方で、自分は魔法薬を作っては売ってを繰り返していただけだった――。自身の気楽さに、申し訳なさを覚えずにはいられない。


「世間では、『勇者様は屋敷に引きこもって放蕩に耽ってる』なんて噂されていましたけど、なんでみんな、そんな勝手なこと言うんでしょうね。ギルヴェクス様は、あんなにも苦しまれているのに」

「国民の遠慮のない発言については、王家から働きかけることは難しいな。よほどヴァジシーリ帝国のように圧政を敷いていれば、言論統制をおこなうのだろうが」


 ヘレナロニカは長い睫毛を伏せて小さくため息をついてから、ルエリアを見据えて切なげに目を細めた。


「君に悔恨を吐露するのも忍びないが、彼をあそこまで追い詰めたのは我が王家の落ち度なのだ。魔王討伐後、彼は仲間を亡くして傷心していた。にもかかわらず、その心をさして思いやることもなく、無理やり祝いの席に連れ回してしまった。十年間、魔族に苦しめられ続けて疲弊した国民を励ましてやりたかったばかりに……。あまりにも、無神経だった」


 そこで、壁際に立っていた執事がさらに説明を加えてきた。


「そのようにしてギルヴェクス様は魔王討伐後も忙しくされている中、ある日、まったく動けなくなってしまったのです。それこそ糸の切れた操り人形のように」

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