第6話 魔法薬の転売先

 騎士団長か貴族かとルエリアが勝手に思っていた女性は、絵画から抜け出してきたような端整な顔に優雅な笑みを浮かべた。


「自己紹介が遅れてすまない。私はマヴァロンド王国第一王女、ヘレナロニカ・マヴァロンドだ」

「ぶっ。お姫様!?」

「ふ。そう呼ばれたのは久しいな。ここは、我が王家の別荘だ」


 お姫様と呼ばれて照れ笑いする、飾り気のない笑顔。思わず目をぎゅっと閉じてしまいそうになるくらいにまぶしい。

 ルエリアは、自分があまりにも身分不相応なところにほいほいとついてきてしまったことに今さら気づいた。慌ててソファーから飛び降りて土下座する。


「おおお恐れ多い……! ヘレナロニカ殿下にお助けいただけたなんて、光栄です……!」


 ルエリアは村育ちで、冒険者をやめるまで王都に来たことがなかった。そのため王族については、名前だけなら辛うじてわかる程度しか把握していなかった。絵姿を見る機会がなかったせいで、顔はさっぱりわからなかったのだった。失礼に失礼を重ねてしまった申し訳なさを詫びようと、ふかふかの絨毯に額をめり込ませる。

 すると頭の上から優しげな笑い声が降ってきた。


「そうかしこまらないでくれ。まずは、君の名を聞かせてもらおうか」

「申し遅れました! 私、ルエリア・ウィノーバルっていいます! 魔法薬師です! 城郭都市リヤマヤードで冒険者をしたのちに、王都マヴァルで薬売りをしてました!」

「そうか。では、ルエリア殿」

「え! 敬称なんていいですよ! どうぞ呼び捨てになさってください!」

「では、ルエリア、と呼ばせていただこう」

「わあ……」


 発声ひとつにまで神経の行き届いている高貴な人の、得も言われぬ美声。自分の名前を呼ばれた瞬間、ルエリアは涙が浮かぶほどに感激した。半開きになった口から声にならない声が出る。


「ルエリア。まずはソファーに戻ってくれ」

「はっはい! 失礼します!」


 あたふたと立ち上がり、元いた場所に腰を下ろす。勢いを付けすぎて体がぼいんぼいんと弾んでしまい、恥ずかしさに肩をすくめる。

 そんな庶民のみっともない反応を気にする素振りも見せず、王女殿下が優雅な笑みを浮かべる。ティーカップを持ち上げて、長い睫毛を伏せて茶を口にした。


(本物のお姫さまって、なんて素敵なんだろう……!)


 ルエリアが感激している間に、短く『失礼します』と挨拶が聞こえてきた。騎士がきびきびとした動きでヘレナロニカに歩み寄る。ルエリアには聞こえない声量で何かを告げたあと、深々と頭を下げて部屋を出ていった。

 ヘレナロニカが、視線を横に流して小さくため息をつく。


「残念な知らせが届いた。君に言い渡された国外追放並びに財産没収は、衛兵が捏造したものだそうだ。君の財産を狙ってのことだが、没収にあたった衛兵がギャンブルですでに使い果たしてしまったらしい」

「えーっ! 早っ……」

「君には気の毒だが、その者に賠償を期待するのは難しいだろうな。さらなる取り調べののち、解雇処分をくだすからな」

「あ、はい……」


 ルエリアは、改めて無一文となったことを思い知らされて、しおしおとうなだれた。


(やっぱり結局国境まで歩いていくしかないのか。いやでも国外追放は嘘だったなら、また王都に戻って薬売りを再開しちゃていいのかな?)


 今後について思い巡らせていると、ヘレナロニカがルエリアに申し訳なさげな眼差しを向けてきた。


「それと今、君をあのような目に遭わせた者たちの関係者を呼び出しているから少し待ってもらえるか」

「関係者? はい、わかりました」




 貴重な茶をしみじみと味わっていると、ふたりの貴族の男性が現れた。

 ふくよかな中年男と、やつれた中年男。

 横幅の対比が極端で、ルエリアは思わず何度もふたりを交互に見比べてしまった。

 並び立つふたりのうちの、ひげの先が丸まっている方の太った貴族が優雅に御辞儀する。


「ヘレナロニカ殿下。ご機嫌麗しゅう」

「急に呼び立ててすまぬな、ユージン卿。我々が貴公より購入している魔法薬は、この者が製造、販売をおこなっていたそうだ。彼女と面識は?」

「ございません。こちらのコーディー伯爵より譲り受けておりました」


 と言って隣の痩せぎすの男に話を振る。顔色の悪い方の貴族は気おくれした風な表情をして、耳障りな甲高い声で話しはじめた。


「ははあっ。恐れながら、わたくしからヘレナロニカ殿下にご説明申し上げます。お恥ずかしながら現在、当家は財政が傾いております。そこへ六人組の男たちが目を付けてきまして。『金になりそうなものを売っている奴がいる。俺たちが定期的に仕入れてくるから高値で売り、儲けを折半しよう』などと提案されまして。それでどのような品物かと尋ねたら、睡眠薬のようなものだと」


 すかさずルエリアは口を挟んだ。


「睡眠薬ではなくて、睡眠導入剤というものです。睡眠薬とは違います」

「はあ、そうなのですね。それで、その睡眠……導入剤を、貴族相手ならもっと値段を跳ね上げても買ってくれるに違いない、はないかと尋ねられまして。そこでユージン卿にご相談申し上げたのでございます」

「続けてわたくしがご説明申し上げます。先日登城した際、王立医師会の方とお話しする機会がございまして。現在、勇者ギルヴェクス・マグナセニア様がお屋敷にこもられているのは体調が優れないからだと伺いました。そちらのお嬢さんのお作りになった魔法薬は癒しの効果があるとのことで、ならば恐らく勇者ギルヴェクス様のお役に立つのではないかと……」

「えっ勇者!? 勇者ギルヴェクス様が私の作った魔法薬を使ってくださっているの!?」


 とんでもない事実を耳にして、ルエリアは応接室じゅうに響く大声を上げてしまった。

 その場にいる全員の視線が集中する。


「あ、すみません……。どうぞ続きを」


 両手の指先で口を押さえて肩をすくめる。

 恥ずかしさに体温が上がる。シャツの胸元を引っぱって中に風を送り込んでいると、太った貴族がさも不愉快そうに眉をひそめた。ごほん、と一度咳払いをしてから説明を再開させる。


「……そこで、勇者邸へと頻繁にお見舞いに行かれているヘレナロニカ殿下にご提案申し上げて、以降、定期的にお買い上げいただいていた……という流れでございます」

「なるほどな。利益を目論んでとのことだが、ルエリア、君は魔法薬をいくらで売っていたのだ?」

「五百サイネルークです」


 五百サイネルークとは、街で干しぶどうをひと袋買える値段だ。


「ユージン卿は五千サイネルークで売ってくれていたな。その差額を儲けとしていたわけか」

「いえ、恐れながら申し上げます。実は……コーディー卿は五万サイネルークで売るように指示を受けていたそうなのです。しかし、さすがにあの小袋ひとつを五万で買っていただくなど、世界の英雄たる勇者ギルヴェクス様に失礼極まりないと、そう思い至りまして。そこでわたくしが差額の四万五千サイネルークを負担し、コーディー卿に渡していたのです。彼の領地が魔族に荒らされて税収が激減し、貧困にあえいでいたことは存じておりましたし、助けになればと思いまして」

「ふむ……。お人好しすぎるのも考えものだな、ユージン卿。それだけの利益を出していたがゆえに、彼女はその六人組の男に監禁されかけたわけだが」

「おっしゃる通りでございます、殿下。古い付き合いの友人が困っているからと、良かれと思ってしたことがこのような事態を引き起こすとは。面目ないことでございます」

「いずれにせよ、善良なる市民の地道な商売を利用するのはこんにち限りにしてもらおうか」

「はい……! ご迷惑をおかけし誠に申し訳ございませんでした……!」


 貴族のふたりは、王女殿下に向かって深々と頭を下げた。



 貴族たちと入れ替わりで、今度は執事がやってきた。ヘレナロニカに小声で話しかける。

 ヘレナロニカは小さく頷くと、颯爽と立ち上がった。ルエリアを見て口元を微笑ませる。


「さあ、行こうか」

「どちらへ?」

「勇者ギルヴェクス・マグナセニアの屋敷へ」

「私が行っちゃっていいんですか!?」

「もちろんだ。君が作っている魔法薬を今、彼は必要としているのだ」

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