第8話 感情をインストール中です。

「デバックは完了しています?ここ、大文字になってますし、そもそもMとNの文字の見間違いが起こってませんか・・・?」


「あ、ごめん。ここのコード、徹夜で書いたからなぁ・・・」


「・・・一晩でこんなに書けるんですか?本職をプログラマーとか、ITのエンジニアとかにした方がいいのでは・・・?」


「いやぁ、やっぱり天才的な発明家として、生涯を終えたいな。自由に発明して、自由に動かして・・・」


 手狭な研究室内、私とコハネは、肩を寄せ合ってパソコンの画面の文字の羅列を凝視している。


「先輩・・・」



「ん、なに?」


「研究室、少しは片付けをしませんか?」



 コハネの指摘で気づいたのだが、アドルノ研究室内は、大変散らかっている。買い物用の袋は無造作に床に放置されていて、飲みかけの水筒やペットボトルが乱立する。読み終えた論文の山の頂上に、調味料たちが放置される有様。


 しかし、ハンナの周辺だけは綺麗だ。ベッドのシーツのシワ一つを許さない整然さである。私の周辺とハンナの周辺では、見事なまでの対比が生まれており、我が娘をいっそう美しく際立てているようにも思えた。



 ちなみに私自身、シャワーは浴びてきた。施設案内中、コハネからドストレートに「臭いです・・・」と面と向かって言われてしまったので。この後輩、なかなか言いおる・・・


 しかしながら、流石はプログラムに精通したコハネだ。バグの発見・修正とデバックに関しては、私の力量を軽く凌駕する。


「マイスター、私にできることはありませんか?」


 と、研究室内のベッドに横になっているハンナが体を少し起こした。戦闘用の黒メイド服をクローゼットにしまい、被実験用の白いローブを身に纏っている。彼女の体中に、コードや配線が多数繋がれていて、動きにくそうではある。


「今はないよ。映画でも見て、ゆっくり横になっているだけでいい。」


「では、『プライベート・ライアン』をかけてください、マイスター。」


「ええ・・・そこは『タイタニック』じゃないの?」


「我が祖国の歴史を、もっと知りたいのです、マイスター。」


 私は、私用のノートパソコンを立ち上げて、映画のサブスクにログイン。ご所望の映画をダウンロードして、横になる彼女の傍らに置いた。またコードのデバック作業に戻ると、ハンナの横のパソコンから銃声が聞こえてきた。・・・あ、オマハビーチに連合軍が上陸したシーンだぁ。


「先輩、デバックは大方、完了いたしました。早速、ハンナさんにインストールしてみませんか・・・ふへへ。この瞬間が楽しみだったんです・・・」


「ちょっと待って。最終チェックをしないと・・・」


「えいっ!感情に関するデータとコードファイル810ギガバイト分をハンナさんへインストール中です。ひひひ・・・」


 私の制止を気にも留めず、コハネはインストール作業開始のプログラムを起動させてしまった。


「何をしてるんだ!?これ、中止できないんだよ!?まだ最終チェックをしていないのに・・・」


「へへ、大丈夫ですよ先輩。私の勘は、外れたことがありませんから・・・」


「勘を頼るんだ!?君のこと、研究者気質なんだと思ってたんだけど・・・」


 インストール率の緑色のバーが、10パーセント、20パーセントと、徐々に上昇していく。今のところ、ハンナに異常は見られず、変わらない無表情でパソコンの画面をジッと見つめている。映画の世界に没入しているように見える。


 私は、冷却のためのチューブをハンナの手首に取り付けた。ここには冷却水が流れていて、ハンナの内部から発生する過剰な熱を抑える役割を担ている。膨大なデータを取り込むために、熱がどうしても籠ってしまうのだ。


「先輩、ハンナさんのCPU温度は適温。諸計器の稼働も問題なく行われていますし、インストールも順調です。ふふ・・・これで、人間に近づくんだ・・・」


「それなら、いいんだけど・・・」


 ハンナは、特に気にしていないようだが、その頭から伸びる回線から膨大なデータを流し込まれている。キャパオーバーでも起こさないか不安であったが、これといった問題が発生していないこと、コハネの報告で確認した。


 ハンナは、相変わらず何を思っているか分からぬ無の表情で、機関銃で蹴散らされる連合軍兵士たちの血の情景を見つめている。


「ハンナ、痛くはない?」


 私はハンナの隣の丸椅子に腰かけた。ハンナは、頭をベッドに転がすようにして、私の方をちらっと見た。


「大丈夫です、マイスター。」


「よかった。そのまま、しばらく待機していてくれ。」


 あとは、インストールを待つだけか。丸椅子から立ち上がって、コハネの隣に戻った。画面を見てみれば、インストールの完了までおよそ35分の文字が。


 新聞を広げてみる。表紙には、デカデカと「海物被害、世界各地で拡大」の文字が。


「・・・我々の仕事は、これからも増えるな。」


 情報の過剰は毒だ。悪感情が増える。世の末を思い、新聞を机の端に雑に置いた。


「コハネ、日本では、アニメのコスプレをした人が、いつも街をウロウロしているものなのか?」


 私は、コハネに雑談の種を振った。日本の生活や文化について、現地人に聞いてみたいと思ったので。


「いいえ。常に見かけることはありませんが、コミックマーケット等のイベントでは、コスプレをした方々をよく見かけますね。」


「コミックマーケットって、同人誌とか沢山売ってるんだろ?コハネは、行ったことあるのか?」


「はい。私は、売る側もやったことがあります。サークルという団体として参加いたしました。」


「へぇ。いつか旅行で日本に行きたいと思っているから、そういうイベントにも行ってみようか。」


「それが良いと思います。私は、とあるアニメからプログラムに興味を持ったので、新しい発見があるかと。」


 やはり、日本のアニメ・漫画文化は興味深い。こうやって、一人の少女の人生を左右するぐらいに影響力を持つこともあるのだから。ハンナにも、何かしら日本のアニメを見せてあげようか。私の「ミリオタ」嗜好と合うかどうかは未知数であるが。


・・・日本の戦艦の名前は、アニメで履修したなぁ。お気に入りは、やっぱり戦艦大和。いや、空母赤城も捨てがたい。扶桑、山城、明石、加賀、伊勢、能代・・・好きな艦船の名前を挙げ続けたらきりがない。


「私、千葉県住みですので、成田空港までお迎えに行けますよ。日本旅行、私と先輩、それにハンナさんの三人で行きましょうよ!」


「千葉県?県ってなんだ?」


「県は日本における自治体の単位で、ドイツで言う州ですね。プロイセン州とか、バイエルン州と同じように、日本には千葉、東京、埼玉などの自治体が47個あります。」


「ああ、なるほどね。」


 こうして、コハネとの会話を通じて、私は日本についてまた詳しくなった。会話を延々と続けていると、インストール完了を告げる電子音が、研究室内に響いた。



「えへへ・・・先輩、感情インストールが完了しました。これで、ハンナさんはさらに人間に近づきましたよ・・・ふへ。」


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