夏休みの帰省。昔付き合っていた幼馴染と続けてきた体の関係もそろそろ終わりが近づいているみたいだ。何もかもいつの間にか移り変わっていく。
☆☆☆公開日☆☆☆
2024年7月29日
☆☆☆キャッチコピー☆☆☆
すぐ消す短編
☆☆☆紹介文☆☆☆
すぐ消しちゃう、救われない話。おそらく。
☆☆☆本文☆☆☆
中学生のときに付き合っていた幼馴染と再会したのは、大学1年生の夏休みだった。中学時代の同級生が開催してくれた集まりに何となく顔を出して、そのまま昔を懐かしむ勢いで酔って、激しく彼女とお互いを求めあった。気が付いたそのときには、すでに幼馴染と裸になって抱き合って眠っていた。
あのときの暗闇。田舎のむさ苦しいラブホテルの夏の湿気と、匂い。幼馴染の静かに上下する肩、胸。彼女の鼻息が微かに撫でていく、そのこそばゆさ。全てが中学のときとは違っていて、知ることはないと思っていた彼女の体の温もりが、時を隔てて、空しく目の前に広がっていた。
「もう最後になるんやね」
2024年。今年の夏休みも幼馴染と寝ている。しかし、彼女と僕の間にはどこか何気ない距離感のようなものが広がっていた。それは今までにもしっかりと感じていた『感覚』であるが、今年に限っては切実な思いが多分に含まれているようだった。
切実な思い。それは具体的にはどういう思いなのだろうか。
「最後になるんや。これも」
ひどく深刻な悲しみというのも違う。
どうしようもない切なさというのも違う。
やるせなさの充満するこころというもの違う。
けれども確かにその、のっぺりとした重さの布みたいな薄い膜が僕たち二人のことを体から心までひっくるめて、ゆったりと覆ってしまっている。
「ほんと窮屈な大学生活やったなぁ」
彼女は僕の男性器に太ももを擦り合わせながら、布団のなかでそう言う。それは性的な行為というよりも、どこか幼子が目的もなく雑草を引き抜いているような無邪気さのようなものが含まれた行いだった。
「やること為すこと。全てを見失ってもうて。ずるずると生きながらえていたら、いつのまにか世間は今まで通り動いてるように見えて」
僕も彼女の豊かな乳房に手を当てがって、その立体的な存在と柔らかさを手のひらに包み込んだ。重力で広がった、とても手のひらでは抑えきれないような広がりを、手繰り寄せるようにして包み込んだ。
「いつのまにか私らだけが取り残されたみたいに感じてさ。もう二度と普通には戻れへんっていう確信が、こう胸いっぱいに広がって。やから私らって惹かれ合ったんやんか。似たもの同士」
彼女は数時間前に食べたバーベキューの神戸牛の口で、軽くディープキスをする。彼女の厚ぼったい唇を噛むようにして、僕はそれに応じる。ミント系のガムと神戸牛の芳醇な香りが混ざり合って、ひどい味がした。
「そうやったなぁ。なんか、たぶん。そんな感じで求めあったんやと思う。本当はどうなんか知らへんけど。でも恋とは違う。ヨリ戻すとかそんな感じでもない」
「好きとか恋とか、そういう感情的に繊細なあれこれも、ぜーんぶ流れ去ってしもた。ドラマとか映画とか、そういうコンテンツのなかだけで辛うじて涙流せるだけ。実際に生きてる私らでは何もそんな繊細になれへんようになってもうた。それってなんでなんやろ。繊細になれてたら、私たちってずっとこれからも一緒におれるん?」
幼馴染が柄にもないことを言ってから、今度は全身に舌を這わせ始めた。いつも通りの順番。機械的な動作。そうすることで得られる、安心。ああ、ここに戻ってきたんだと心から実感する触れ合い。
「どん底から這い上がれるような器じゃなかったんやろな、僕ら。緩やかなどん底が知らん間にずっと長いこと心のなかにおって、気が付いた時には全部ぜーんぶ、擦り切れてもうた。擦り切れてもうたものも、詳しく分からへん。昔の過去ぜんぶ、どうでもよかったことに思えてくる。絶望とはまた違う、この閉塞感ってなんなんやろな。ぼんやりとしたまま生きていくんやろなっていう、ぼんやりとした確信」
僕はそこまで言ってから、彼女のことを気持ちよくさせた。そこには感情的なやり取りは何もなかった。今では少しも、お互いの感情の機微を感じ合いながら、といったようなことはない。あるのは、ただ体のささやかな触れ合いだけ。
深いようで浅い。
気持ちいいようで、そうじゃない。
懐かしいようで、いまにしか意識が向かない。
全てはこの無感覚の世界に閉じ込められている。
ぼんやりとしたこの、僕たちの世界。
僕の世界。
それぞれが、ぼんやりとしたまま、そこに留まっている。
決して出てこれない、そこから。
透明なようにみえるもったりとした膜から外側をぼんやりと見つめている。
「意識がのうなってくみたいやね、私ら」
「生きてるのに」
「生きてないみたいにぼんやりしてる」
「こうやってお互いに確かめるようにセックスしてても、なんも実感が湧いてこおへん感覚」
「生の実感」
「一番そういうの感じるはずやのにセックス。元カノの幼馴染とのセックスやで。僕と君いま付き合ってるひと、それぞれにいてるんやで。そんな背徳感あるセックスのはずやのに」
「なんで、こうも、なんもそそられへんのやろか」
「刺激が欲しいと思って始めたことやのに。やればやるだけ心が空っぽになってく」
「空っぽになってることに、気が付いてるだけなんやろ。すでに空っぽなんやに。空っぽになっている過程のなかに、私らのセックスはあるんやさ」
「なんで空っぽになってしまうんやろ」
「それがわかれば、苦労しやんやん」
幼馴染はそう言って、てきぱきとセックスの手順を踏んでいく。単調な作業的行為。そこにあるのは、すでに形骸化している。何がそこには残っているのだろう。時空がズレてしまうだけで、セックスの意味はこれほどまでに変質してまうものらしい。
彼女の白く儚げな顔が暗闇に浮かんで消えた。ベッドサイドテーブルのランプが密に消されたのだ。
暗闇のなか、僕は目を閉じる。
そこには、僕の暗闇があった。
僕は暗闇に集中する。そこには何があるのか。何もないのか。
少しも映像的なものが浮かんでこない。ただあるのは、確かな下半身の温もりだけ。僕は重力に縛られるように仰向けに寝て、最後の情事を経験している。
最後。
そうか、これも最後になるのか。
僕はそんなことをぼんやりとした頭のなかで考えた。
「最後死ぬときにさ、こんなにぼんやりとしたままだったら、人は後悔するのかな」
彼女はそれに答えようとしているのか、答えたくないのか、わからないような間で、口をゆっくりとかすかに開いた。
「後悔もなにも、幸せなんてことさえも、ぼんやりとしてしまっているのなら、少しもわからないんじゃない? 私たちのように」
音が聞こえる。
幼馴染の音が。僕の音が。
それはずっと、この何年間か聞き続けてきた音。
僕はそれに耳を傾ける。
二人の音。
これも最後になる、音。
「ずっとぼんやりして生きていく僕たちって、幸せになれるのかな」
「……幸せって何?」
飛行機の音。室外機の音。耳鳴りの音。
静寂のなかにある、それを構成する音。
「最後に何を思うか、そしてそれが良く思えるものなのか」
「最後のときに振り返った過去、その朧げな記憶のなかでしか幸せは決まらないものなのかしらね」
「いま、このときの幸せの定義の積み重ね。それを考え続けること。その動的ななかの諸状態。それが動的な幸せ」
「複雑性のなかで幸せを模索するという生き方が真の幸せに導いてくれるのだと言うのなら、そうでない人たちはすでに御仕舞いね」
「ぜいたく品だ、まったく」
「私らには無縁だね」
「僕らはずっと、この霧掛かった世界で生きていくから」
国道沿いのラブホテルで、僕たちは最後のセックスをした。
それはとてもいつも通りで、静かなセックスだった。暗闇のなかに紛れて、ひそかに鳴り響く音とともにあるセックスだった。
たまに通り過ぎる車のハイビームがカーテン越しに明滅するなか。
僕はこれからのぼんやりとした将来に思いをむけて、そっと瞳を閉じた。
そこには果てしない暗闇がただ静かに居座っていた。
「仕事はもう決まったの?」
「ううん、なにも」
「そうなの、私はこっちで看護師になるの。別になりたくもないけど」
「好きなことも奪い取られるようにして、僕たちは見失ってしまったから」
「ねぇ、もうそういう話はやめにしない。意味ないから」
「意味がないから。確かにそうだ。僕たちには、少しも意味なんて……」
「ねぇ……」
最後に彼女は僕の顔を覗き込んだ。
「最後くらいはさ。気持ちよく終わろ」
僕は瞳を閉じだ。
もうなにも。
なにも。
なにも僕たちには残っていないような。
そんなふうに思いたい世界が。
そこには広がっていった。
「なぁ」
彼女の声が暗闇のなかに響いて溶けた。
【完】
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短編小説の置き場所 ~過去作から新作に至るまで~ ネムノキ @nemunoki7
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