第17話

 最初の数日、獣人の少女は誰とも話をしなかった。


 獣人である彼女は、人間たちの中に身を置くこと自体に強い不安を感じていたのだろう。食事を摂る眠る日々。


 僕が声をかけても、彼女はただ小さく頷くか、目を逸らすだけだった。


 一番最初に彼女の心を開いたのはグレタさんだった。

 彼女の言動や包容力が、少しずつ少女の心を解いてくれた。


「彼女はレナと言います。これからどうぞよろしくお願いします」


 グレタさんから紹介されて、犬耳にメイド服をきたレナが僕の前で頭を下げる。


「れっ、レナです!」

「おはよう、レナ。よろしくね」

「はっ、はい! ご主人様!」


 緊張した様子で僕をご主人様と呼んだ獣人の少女は、少しだけ顔色が良くなっていた。

 

 僕はなるべく優しく声をかけたが、レナは一瞬だけ僕を見て、すぐに目を伏せた。


 グレタさんやクララが彼女に話しかけても、最初はおどおどした様子で、言葉を発することすらなかなか上手く言っていなかった。


 そんな彼女が少しずつ変わり始めたのは、グレタさんが彼女に対して強制せず、ただ穏やかに接し続けたからだった。


 ある日、アランさんはレナに小さな木彫りの動物を見せた。


「君にプレゼントしよう」


 レナはその木彫りの動物を恐る恐る受け取り、しばらく見つめていた。


 そして、彼女の唇がわずかに動き、か細い声で「ありがとう…」と呟いた。


「どういたしまして、レナ嬢。君が少しでも笑顔になってくれたら嬉しいよ」


 周りの優しさに触れて徐々に、レナは少しずつ心を開くようになっていった。


 グレタさん、アランさんといった屋敷の人々と打ち解けていった。彼女はまだ言葉数は少なかったが、笑顔が見えるようになり、時折短い会話も交わすようになった。


 ある日、エリザベートが訪れると、彼女はレナの存在に驚いた。


「なんて可愛い子なの! この子、ジャック様が拾ってきたのですか?」

「森で見つけてね、今はここで一緒に暮らしているんだ」


 エリザベートはすぐにレナを気に入り、彼女の髪を撫でながら優しく話しかけた。

 レナも抵抗することなく身を任せることが普通になっていた。


「あなた、名前はなんて言うのかしら?」

「…レナ…」

「レナちゃんね。よろしくね、これから一緒に楽しい時間を過ごしましょうね。私は女神アフロディーテ様を信仰するシスター・エリザベートよ。自由は種族を選ばない誰であろうと愛します」


 レナは恥ずかしそうに微笑みながら頷いた。

 

 エリザベートやグレタさんの優しさに触れるたびに、レナの心は少しずつ溶けていった。



 しばらく時が流れて、レナがメイドとして少しずつ仕事を覚え始めていた頃。


 アンブラ教会の司祭であるカルトン司祭が屋敷にやってきた。


 彼は昔からアンブラ教会の司祭として、領内での宗教活動を広めていた。

 あまり良い噂は聞かない司祭で、僕としても少し気にかける人物だ。


 クララ曰く、最近は革命家と交流を持っていると言う話も聞く。


 そんな彼が我が屋敷で、レナを目にした瞬間、その顔には嫌悪が浮かんだ。


「リバー領主、これはどういうことですかな? 獣人を領内に置いておくとは…けがらわしい!」


 その言葉に、レナは怯え、再び縮こまるように体をすくめた。しかし、その時、僕は領内で初めて強い怒りが湧き上がった。


「カルトン司祭、あなたが何を言おうと、この子は僕の保護下にある。獣人であろうと、誰であろうと、彼女をけがわらしいと呼ぶ権利はない」


 普段の僕は何に対しても怒りを見せることはない。


 ラクができればそれでいいからだ。


 僕の怒声に周囲にいたクララやエリザベート、そしてグレタさんも驚き、息を呑んだ。昔の経験と言えばいいのか、あの将軍を倒した自負は僕の中で経験になり、大抵のことには動じない。


 むしろ、僕から放たれる威圧は、帝国内でも将軍クラスだと自負している。


「この領地では、すべての者が平等に扱われるべきだと僕は思っている。それが獣人であろうと、普通の人であろうと関係ない。もしあなたがその考えに同意できないのであれば、どうぞここから立ち去っていただく」


 カルトン司祭は僕の怒りに気圧され、言葉を失って、肥え太った肉まみれの頬を揺らしている。


 だが、すぐに眉をひそめて反論してきた。


「リバー領主、そのような甘い考えでは、この領地は危険に晒されますぞ!」

「それは僕が決めることだ。あなたが心配する必要はない」


 僕の毅然とした態度に、カルトン司祭はしぶしぶ退散せざるを得なかった。


「勝手になさいませ!」


 司祭が立ち去った部屋は静まり返っていた。


「ご主人様…」


 レナが僕の裾をそっと引っ張り、小さな声で感謝を伝えた。僕はその言葉に微笑みながら、彼女の頭を優しく撫でた。


「大丈夫だよ、レナ。君はここで安心して暮らしていいんだ」


 レナの瞳には、初めて見せる本当の安堵と信頼が宿っていた。



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