第7話

 マーリン・リバー夫人の葬儀は、彼女の意思に沿って静かに行われた。


 少人数の親しい者たちだけが集まり、静かに彼女を見送る。


 僕は、喪主として、その場で初めて、彼女がどれほど多くの人々に愛されていたかを知ることになった。


 葬儀は親しい者だけだと言っても、王都に住む1000人近くの人たちが花を添えにきた。


 きっと、これまでのマーリンさんの生き方が、彼女を愛しい人だと認識させたのだろう。


 葬儀が終わった後、屋敷の管理をしているアランさんが俺に声をかけた。


「ジャック様、奥様が残された遺言書があります。どうぞ、こちらへ」


 遺言書には、屋敷と領地、そして家族の名誉を守る責務が記されていた。


「責務ですか?」

「はい。それは奥様から、領地に住んでいる領民の安寧です」

「領民の安寧?」

「はい。リバー家が収める領はかつて、小国でした。それをリバー家の当主が諸軍をなされている際に、王族を殺すことで手にいれた時なのです。曰くはありますが、リバー家は、領民を大切に育てようとしていました。私もその一人です」


 アランさんの意外な過去に、驚きながらもリバー家が持つ責務に理解が及んだ。


 マーリンさんの遺志を受け継ぐことで、僕は貴族の位と土地と屋敷を手にすることができた。


 それは何もしなければ一生遊んで暮らせるだけな莫大な遺産で、働きたくないという夢が叶う話だった。


 ただ、深い喪失感が、僕の心を埋め尽くしていた。


 戦場に出て、運よく生き残り、戦場を離れて、穏やかな日々をマーリンさんと過ごした。それは癒しの時間であり、かけがえのない時間だ。


 ただ、戦場でも、日常でも、どちらでも人は死んで、命は失われていく。


「アランさん、グレタさん。マーリン様を支えたお二人に今後も支えてもらいたいです」

「もちろんですじゃ。ジャック・リバー様」

「はい! 喜んで。ジャック・リバー様」


 リバー家でも古参の二人で、最後の静かな一時をマーリン様が静かに暮らしたいということで、二人だけをつかわせた。


 僕は、貴族を継ぐために、帝国兵であることを退役することにした。


 ♢


 マーリン・リバー夫人が亡くなってから数週間が過ぎた。


 彼女が残してくれた遺産の整理が終わり、僕は彼女の意思を尊重して、自分のこれからの道を決めることにした。


 屋敷は広く、古いが、その威厳を保っていた。


 しかし、僕が一人で住むにはあまりにもここは大き過ぎて、この場所に留まり続けるべきではないと感じていた。


 マーリンさんとの思い出が詰まったこの屋敷を手放すことは簡単ではなかったけど、彼女の願いを胸に、次のステップに進むことを決意した。


 それはリバー家の責務を果たすためだ。


 馬車に乗り込み、アランさんが手綱を取り、グレタが俺の隣に座った。車輪が軋む音と共に、馬車はゆっくりと屋敷を離れ、辺境の領地へと向かって進み始めた。


 道中、僕たちは懐かしい思い出話をしながら、時間を過ごした。


 マーリンさんの話を聞くと涙が出そうになるけど、あの屋敷での出来事が次々と蘇り、笑い声が馬車の中に響いた。


 やがて、緑豊かな森を抜け、遠くに僕がこれから継ぐべき領地が見えてきた。


 見渡す限りの広大な土地が、僕のこれからの責任と未来を象徴しているように思えた。


「ジャック様、この地はあなたを待っていたのです。奥様が夢見た未来を、どうかあなたの安住の地になることを願います」


 グレタさんが穏やかな声で語りかけると、アランさんも手綱を引きながら力強く言った。


「この地に根を下ろし、あなたの名を歴史に刻んでください。奥様の願いを受け継ぐのは、あなたしかいないのですから」


 領地に到着すると、馬車はゆっくりと大きな屋敷へと近づいていった。


 屋敷は歴史を感じさせる重厚な建物で、周囲には手入れの行き届いた庭園が広がっていた。だが、どこか陰鬱な雰囲気が漂っており、屋敷内の空気が重苦しく感じられた。


 マーリンさんの死はすでに届いているからかもしれない。


 大切な人が先に逝ってしまう。それを皆、知っているんだろう。


 馬車を降りると、迎えてくれたのは、家令を務める女性、クララだった。

 彼女は鋭い目つきで僕を見つめ、冷淡な口調で言葉を発した。


「あなたは新しい領主様ですか? お迎えいたしますが、私どもはまだあなたを信じているわけではありません」


 クララの態度に少し戸惑ったが、僕は内心で笑ってしまった

 彼女はそれだけマーリンさんたち、リバー家のことが大好きなんだろう。


 だから、新しい者を受け入れられないんだ。


「クララさん、あなたもここで長い間仕えてきたと聞いています。僕はそれでいいと思います」

「それでいい?」

「ええ、ここで新しい生活を始め、領地を守りたいと思っています。あなたはずっとそれをしてきた。それを尊敬します」

「なっ!?」


 僕は彼女を尊敬する。


 働きたくない僕とは違って、領地を守るためにクララの存在は不可欠だ。


 何よりも、こんな美人と喧嘩なんかしたくないからね。


 頑なな態度を崩さなかったとしても、仕事をしてくれるならそれでいい。


「ジャック様、私がここに来たとき、奥様に拾っていただきました。それ以来、私がこの屋敷を守ってきました。急に現れたあなたが本当にこの屋敷を継ぐべきかどうか、私はまだ疑問です」


 とても真面目な人なのだろう。


 無責任に、貴族の養子になって、出来もしない領地経営を引き受けた僕とは大違いだ。


 だけど、隣に立っていた老メイドのグレタが一喝した。


「クララ、あなたがこの屋敷をどれだけ大切にしてきたか、私たちは皆知っています。ですが、ジャック様を選んだのはマーリン様です! 今、この屋敷を未来へと導くのは、ジャック様なのです。奥様が選んだ方を信じ、共にこの地を守りましょう。私たちの手で、奥様の夢を叶えるのです」


 クララは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに顔を引き締める。


 彼女の気持ちは理解できる。

 受け入れたいと思う気持ちと、新しい変化についていけないという葛藤。


 アランさんが一歩前に出て、クララ以外の人たち視線を向ける。

 庭師や執事として働いている他の使用人たちに向かって力強く言葉を紡いだ。


「皆、この屋敷は時代を超えて受け継がれてきた。しかし、時代が変わる今こそ、真価が問われる時だ。ジャック様がこの屋敷を継ぐことは、運命によって定められたこと。私たちが今、支えなくてどうする? この土地が再び輝きを取り戻すには、彼が必要だ!」


 その場にいた全員が息を呑んだ。


 アランさんの言葉には重みがあり、彼の決意が皆の心に響いた。

 使用人たちは次々と頭を下げ、僕を正式に迎え入れた。


「ジャック様、どうかこの屋敷を、そしてこの領地を守ってください。私たちは皆、あなたのために全力を尽くします」


 クララが最後に深々と頭を下げた。


 その光景に、僕は戸惑いと、どこかマーリンさんの笑った顔が浮かんできた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る