第8話

 マーリン・リバー様が亡くなった。


 これでリバー家の優しい人々の血筋は死んでしまった。


 私を救ってくれたマーリン様の死に私は涙が止まらなくなった。


 彼女は私を拾い上げ、ここで新たな人生を与えてくれた恩人だった。

 

 王家が死に絶え、帝国の支配に入った当初は、王国は貧しい境遇に立たされた。

 それを救ってくれたのが、王家を討ち果たしたリバー家だと思わなかった。


 マーリン様は、仕事のない者たちに仕事を与え、私のような者にもメイドとして働く場所だけでなく、文字の読み書きや計算の仕方を教えてくれた。


 彼女は私を娘のように扱い、やがて家令としてこの屋敷を任せてくれ流ようになった。


 それは、私にとって誇りであり、生きる理由でもあった。


 しかし、その彼女はもういない。


 朝の冷たい空気の中、私は一人で屋敷の廊下を歩きながら、何度も彼女の言葉を思い出していた。


 マーリン様はいつも「この屋敷を未来へと導いてほしい」と言っていた。


 その未来はどんなものだったのだろうか。今となっては、誰にもわからない。


 主人を失った屋敷は、ただただ静かで、私の心もまた、空っぽだった。


 ♢


 新しい領主がやってくるという話が耳に入った。


 まだ20歳の少年で、マーリン様が死ぬ最後まで寄り添っていた少年だという。


 私の胸はチクリと羨ましいと思えた。


 さらに領地と屋敷を継ぐという話を聞いた瞬間、嫉妬で胸に激しい痛みが走った。


 私が家令として、領地を支えてきた自負があり、築いたこの屋敷の港の絆を知らない男が継ぐという事実が、どうしても受け入れられなかった。


 その日、私は彼を迎えるために玄関に立っていたが、心の中は嵐のようだった。


 メイド長のグレタ様と、執事長のアラン様と共に現れたのは、優しそうな青年だった。しかし、その穏やかな表情とは裏腹に、私は彼を頼りなくて信じられない人間だと思った。


 彼に、リバー家を、屋敷を守り抜く力があるとは思えなかった。


「あなたが新しい領主様ですか?」


 私は冷たく、意図的に距離を置いた言葉を投げかけた。心の中では、この青年が本当にこの屋敷を守れるのか、確信が持てずにいたからだ。


 彼の答えは、予想通り控えめで、自信があるようには思えなかった。


「それでいいと思います」


 彼の言葉はあまりにあっけらかんとしていた。


 貴族であるならば、もっと誇りや矜持があるでしょ!? 私が反論しようとした瞬間、グレタさんが私の名を呼んで、一喝した。


 「クララ、あなたがこの屋敷をどれだけ大切にしてきたか、私たちは皆知っています。でも、今、この屋敷を未来へと導くのは、ジャック様だけなのです。奥様が選んだ方を信じ、共にこの地を守りましょう。私たちの手で、奥様の夢を叶えるのです」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の中で何かが崩れた。


 グレタさんは、私よりもずっと長い間、この屋敷で仕えてきた人だ。彼女が言うことには重みがあり、私はその重みを無視することができなかった。


 そして、アランさんが声を上げた。


「クララ、この屋敷は時代を超えて受け継がれてきた。今は、新たな時代が来ているんだ。ジャック様がこの屋敷を継ぐのは、運命だ。彼を支えるのが私たちの務めだ。奥様の願いを無駄にしてはならない」


 彼らの言葉が、私の心に強く響いた。


 アランさんとグレタさんは、長い間この屋敷を支えてきた柱のような存在だ。その二人が揃ってジャック様を支持している。


 私は何を迷っていたのだろう。奥様が最後に信頼を寄せた二人が、彼を認めているというのに、私は何を恐れていたのだろう。


 その夜、私は奥様の部屋に一人で入り、静かに座った。


 彼女が愛用していた椅子に座り、閉じられた本を膝に乗せる。私は心の中でマーリン様に問いかけた。


「奥様、本当にこの青年が、ジャック様が、私たちの未来を託すにふさわしい方なのでしょうか?」


 しかし、返ってくる答えはない。ただ、心の奥深くで、彼女の微笑みが見える気がした。


 私はようやく、決意を固めた。奥様が彼を選んだのなら、私もまた、彼を支えるべきだ。この屋敷と領地を守るために、私ができることを全て捧げようと。


 翌朝、私はジャック様の前に立ち、深々と頭を下げた。


「ジャック様、これからどうか私にお任せください。奥様の願いを胸に、あなたを全力で支えます。この屋敷と領地を守るために、私ができることを全て捧げます」


 彼は驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかに微笑んでくれた。


 そして彼が発した言葉を生涯忘れることはないだろう。


「うん。わかった。君に領地を任せるね」

「はっ!?」

「だって、君の方がよくわかっているし、いきなり何も知らない人間に口出されたくないよね? なら、仕事ができて、理解しているものがやる方が適任だ」

「無責任すぎます!? あなたには貴族としてのプライドはないのですか?!」


 私は昨日我慢した言葉を発してしまいました。


 ですが、彼から帰ってきた言葉……。


「ないよ。元々、貴族じゃないしね。ただ、僕にあるのはマーリン義母との約束だけだよ」

「約束?」

「うん。それを守るためにここにきたんだ」


 わけがわかりませんでしたが、彼は凄く満足そうな顔をしていました。


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