第5話

 悪漢を退けた後、俺は老婆を馬車に送り届けた。だが、馬車の御者が高齢であることに気づき、二人をこのまま返すのは危険だと感じた。


「もしよろしければ、俺が家までお送りしましょうか?」


 老婆は少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み、「それはありがたいわ」と答えた。


 馬車に乗り込み、俺は御者の隣に座って馬を進めた。雨が降り始め、夜の闇が街を包み込む中、静かな道を進んでいく。しばらくすると、大きな屋敷が目の前に現れた。


「ここが…お宅ですか?」


 俺はその立派な門構えに驚きを隠せなかった。老婆は軽く頷き、「そうよ、ここが私の家です」と答えた。


 御者に手を貸して老婆を降ろすと、俺は彼女を玄関まで送り届けた。屋敷の中から、年老いたメイドが出迎えてくれた。彼女もまた、歳を重ねた様子で、屋敷全体が年老いた者たちに囲まれていることを感じ取った。


「本当にありがとう、若者。あなたのおかげで無事に帰ってこれたわ」


 老婆が感謝の言葉をかけてくれるが、俺は帰る準備をしていた。しかし、突然の雨脚が強まり、帰るタイミングを失ってしまった。


「こんな雨の中、帰るのは危ないわ。良かったら、家によって行きなさい」


 その言葉に甘える形で、俺は屋敷の中に入ることになった。屋敷の内部は広々としており、どこか古びた雰囲気が漂っていたが、静かで落ち着いた場所だった。


「夕食を一緒に摂らないかしら?」


 老婆の提案に、俺は少し戸惑ったが、お世話になったこともあり、その申し出を受け入れた。食卓には、シンプルながらも温かみのある料理が並び、年老いたメイドが給仕をしてくれた。


 食事が始まると、老婆は自然と自分の身の上話を語り始めた。


「私の旦那はね、若い頃はとても威厳があって、家族を大切にする人だったのよ。でも、何よりも帝国への忠誠心が強く、いつも国のために尽くすことを第一に考えていたの。結婚してすぐに戦場に赴き、何度も命の危機に晒されながらも、生き延びて帰ってきた。私たちの結婚生活は、いつも彼の帰りを待つ時間ばかりだったわ」


 老婆の瞳には、懐かしさと同時に、夫さんを失った悲しみが滲んでいた。


 その話を聞きながら、心が締め付けられる思いだった。

 リサを失った時の自分の気持ちが込み上げてくるようだった。


 老婆の夫さんがどれだけ強く、どれだけ家族を愛していたかが今の僕には痛いほど伝わってくる。


「息子もね…、あの人に憧れていたわ。帝国軍に志願して、若くして戦場に立つことになったの。でも、あの子は…」


 老婆の声が少し震え、彼女は言葉を詰まらせた。


 息子が戦場で命を落としたという話を聞いた瞬間、カインの顔が浮かぶ。


 親友と恋人を失った僕と、旦那さんと息子さんを失った老婆。


 互いの心に深い悲しみが押し寄せているのが理解できる。


 老婆がどれほどの喪失感を抱えているかを想像するだけで、俺の目には自然と涙が浮かんだ。


「彼は父親と同じように勇敢だったけど、戻ってくることはなかったの。私には彼らの帰りを待つことしかできなかった。夫も、息子も、逝ってしまったわ」


 その言葉に、俺の涙は止まらなくなった。


 俺は自分の感情を抑えきれず、涙を流しながら老婆の話を聞いていた。彼女の話す一言一言が、胸に突き刺さり、心が張り裂けそうになった。


 老婆は俺が泣いているのを見て、そっと微笑んだ。


「あなたがこんなに心を寄せてくれるなんて、本当に嬉しいわ。ありがとう、ジャック」


 その言葉に、俺はさらに胸を熱くし、涙が止まらなかった。老婆の苦しみを少しでも分かち合えたような気がして、俺も少し救われた気がした。


「そして、最近になってね。病院で…そろそろ私の寿命も尽きそうだと言われてしまったの。もうすぐこの屋敷を引き払い、領地に帰ろうと思っていたんだけど、それも叶わないかもしれない」


 老婆の静かな声に、俺はさらに深く胸を痛めた。彼女は、今まで一人でこの重荷を背負い続けてきたのだと理解した。


 俺は涙を拭い、老婆の手を握った。


「そんな…あなたが一人でこんな思いを抱えていたなんて…」


 老婆は微笑みながら、俺の手を優しく握り返した。


「あなたのような若者に会えて、本当に良かったわ。ねえ、ジャック…もしよかったら、私の養子になってくれないかしら?」


 突然の申し出に、俺は驚いて言葉を失った。


 しかし、老婆の真剣な眼差しに悪意はなく、俺が少しでも彼女の役に立てるならと考え、静かに頷いた。


「はい、俺で良ければ…」


 老婆はさらに微笑みを深めた。


「あなたのような若者に逢えたことは、夫と息子からの贈り物かもしれないわね」


 こうして、俺の人生はまた大きく動き出すことになった。


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