異界プッシュ

その1

「両手は頭に! さっさと歩け!」


 やたらと甲高い叫び声と共に俺の背中が筒状の硬い物で突かれる。


「なぁ」


 バァン!


 返答は銃声、すぐそこの壁に穿った銃痕から散弾銃だとわかる。


 つまりはハンズアップ手を上げろ、現役警官で元特殊部隊隊員たる男が、無様に囚われていた。


 …………今回は、完全に俺のやらかしだった。


 相棒を失ったという傷心、忍者を三度取り逃がしたという焦りは言い訳にしかならない。


 昼、解体予定のビルがなんか騒がしいという面白みのない通報に、どうせ近所のガキか酔っ払いか、その程度がはしゃいでるだけだろうと軽く見ていた。


 それで現着、外から見た限り静かなもので、けれど立ち入り禁止の金網が破かれていて、そこから覗けば動く影、様子見に入り込むのはまだ職務だが、後ろに警戒なさすぎた。


 完全なやらかし、これが上にバレたら嬉々として俺は終わる。


 陰鬱な気持ちで歩かされた先はビルの奥、エレベーターの前だった。


「ボタンを押して中へ入れ」


「電源きてるわけないだろ」


「うるさい早くしろ!」


 ヒステリックな絶叫に従い、俺はボタンを押した。


 驚いたことに、明かりがついた。


「そのままだ。おかしな行動するなよいいな」


 男の声に驚きと期待が混じり始める。


 よくわからない男、わかるのは素人だということだ。


 銃突きつけておいて俺から銃も警棒も、無線機すら取り上げない。玄人ならばそれらかあるいは命を真っ先に取り上げて安全を確保しているところだ。


 足音から距離も近すぎるし、無駄口も多い。


 間違いなく素人、だからこそ気配を感じ取れずに後ろを取られたわけだが、それでもぶち殺すのは簡単だろう。


 ただ、素人を殺すと後がめんどくさい。


 猟銃持ちとはいえ普通の人間ならば普通の法律が適応され、普通の手続きのもと、普通に面倒なことになる。


 死体を隠すのもしんどいし、せめてここに一般市民がいれば、その保護の名目が使えるのだが、このガランとしたビルでは誰もいないだろうし、あの銃声で誰も見にこないあたり望みも薄かった。


 キン。


 エレベーターが開く。


 背中を突かれる前に中へ、そのまま奥の壁まで押し付けられ、擦り付けるようにして男と前後、位置を変えさせられる。


 キン。


 閉じた扉は鏡のようだった。


 そこに映る俺、その背後に映る男の姿は、なんとも奇天烈だった。


 一言で言い表せば登山だろう。ガッチリブーツに長ズボンには沢山のポケット、腰にはカラビナで何かを吊るしていて、腹には大きなポシェット、胸を覆うベストにも大小ポケットが並んでいるのが見える。当然背中には大きなリュック、肩を超え頭上を超える高さ、そしてその頭にはライト付きのヘルメット、顔はスキー用のかゴーグルセットの仮面をつけていた。


 そしてグローブ付けた両手には明らかに非合法なポンプアクションのショットガン、何も知らなければハンターにしか見えなかった。


 そんなハンター、ガサゴソと腰より大きな紙を引っ張り出して広げると、ショットガンと俺との位置に苦労しながらエレベーターのボタンを押す。


 キン。


 六階、真っ暗だった。


「おい降りるな!」


 怒鳴られ足を止めて、開いた扉が閉まるのを待つ。


 キン。


 次は四階、さっきの反省から指示を待って立ち止まっていると、またも扉が閉まる。


 キン。


 キン。


 キン。


 それが続く。


 キン。


「おい」


「動くなって言っただろ!」


「動いてないだろ。だからいい加減何やってるか教えろ。迷ってるわけじゃないだろ?」


「当たり前だ!」


 怒鳴った拍子に紙を落としかけて慌てて中で掴む男、その動作で落ち着きを取り戻したのか大きく深呼吸した。


「俺は、これから異界に行くんだ」


「あ? あぁあの。トレックに轢かれるやつか」


「違う! あんな下劣なものと一緒にするな! 異界はもっと高尚なものなんだ!」


「わかった! わかったから!」


 返事して、俺はこの男は関わってはダメなやつだとわかった。


 薬かカウンセリングか、すっ飛ばしてぶっ放してもいいんだが、病気を罪とするのには個人的に抵抗がある。


 どうしたものか。


「いいか? ここにある手順の通りにこのエレベーターを動かせば、異界への通路が開く。あっちの価値観はこっちの汚れ切ったものとは違う、純粋で綺麗なものだ。それはあの私海文章にも記載され」


「わかった。それはわかった。すごい異界に行きたいのはわかった。だがそれには俺は邪魔だろう? 次でいい。開いた時に俺だけ降ろしてくれ。その後邪魔しようにもお前は異界に行ってるから逃げ切れるだろ?」


「それはできないな氷河さんよぉ」


 名を呼ばれ、虚をつかれる。


「あんたは有名人だ。誰よりも強く、誠実だとな。だから異界に一緒に来てもらう。何せ異界は大変危険だからな」


「……ん?」


「エレベーターを降りてそれでおしまいじゃあない。その先も無限に続くオフィスビルや上下のないプール、誰もいないゴーストタウンと続いていく。そしてその道中にはなり損なったモンスターがウヨウヨしてるんだ。そこではあんたの力が必要なんだよ」


 …………俺は、驚きではなく呆れて言葉が出なかった。


 この男は、俺が警察官だとはいえ、背中に銃を突きつけられて無理矢理わけのわからない空間に連れて行かれて、なのに仲間として手助けしてもらえると、本気で思っているようだった。


 考えなし、想像力の欠如、共感性を持たないサイコパス、それがありもしない異界に取り込まれている。


 経験上、こういう奴は現実に晒された時が一番危険だと知っている。


 異界などない、この手続きは無意味だと、知らしめられれば、初めは拒絶し、何度も無意味に繰り返し、激怒して、俺を撃つ。


 その前になんとかしないと。


「端によれ」


 悟った俺へ、男は命ずる。


「次の階で女が乗ってくる。邪魔をしたらもう二度と異界にはいけなくなる


 言われるがまま、道を開けるが心は重い。


 こんな所で人が乗ってくるわけがなく、つまりは現実に晒されるということ、つまり撃たれるまでの時間が思ったより短かったということだった。


 キン。


 しかももうついた。


「なぁ。落ち着いて考……」


 俺の言葉を奪いさったのは、乗ってきた女だった。




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