第111話 記憶の中の王

 洞窟どうくつおくで小さな火がれている。


 わたしたちが見つけた休憩きゅうけい場所は、幸いなことに広く、天井てんじょうも高かった。

 岩壁がんぺきには青みがかった鉱物の結晶けっしょうまれ、時折かすかな光を放っている。


 何より、入り口付近に大きな氷柱つららがあったおかげで、外からは気付かれにくい。

 半透明はんとうめい氷柱つららは、まるで自然のカーテンのようだ。


 シャルが集めてきた魔界まかい特有の青いこけを燃料にした火は、不思議な色のほのおを上げていた。

 まるで宝石のような、深いブルーのほのお

 その光が洞窟どうくつかべに映え、幻想的げんそうてきな空間を作り出している。

 ほのおの根元では、青いこけがゆっくりと燃え続け、かすかにあまかおりをただよわせていた。


「ふぅー……やっと休めるねぇ」


 シャルが大きくびをする。

 彼女かのじょの赤いかみが火光に照らされ、まるで燃えているように見える。


 彼女かのじょの足元には、先ほどまで戦っていた谷の地図が広げられていた。

 羊皮紙のような素材でできた地図は、はしが少しげているように見える。


 夜穿やせん村の人がくれた地図には、氷雪の谷の先にある目的地、クロムウェルの城までのルートが記されている。

 インクは青く光を放ち、まるで生きているかのようだ。


「おっと、そうだ。さっきこれ見つけたんだよね」


 シャルがこしのポーチから何かを取り出す。

 透明とうめいふくろに入った、赤色の実のようなものだ。

 その実は内側から光を放ち、まるで小さな提灯ちょうちんのようにふくろを照らしている。


「クリスタルフルーツ。魔界まかいでは珍重ちんちょうされる果実だ。朝に食べたものと同類だな」


 イリスが説明する。彼女かのじょは岩にこしかけ、遠くを見つめている。

 銀髪ぎんぱつが青い火光に照らされ、幻想的げんそうてきかがやきを放つ。

 その姿は気高く美しいが、どこかさびしげだ。赤色のひとみには、深い物思いの色が宿っている。


「へー! 赤いやつも食べられるの?」

「ああ。むしろ、ここまで上質なものはめずらしいぞ」


 シャルが実を取り出し、わたしわたしてくれる。

 手に取ると、まるでガラス細工のよう。

 表面は透明とうめいで、中には小さな星がかんでいるみたいだ。

 光の粒子りゅうしが、実の中でゆっくりとうずを巻いている。


 そっと口にふくむと、不思議な味が広がる。

 決してあまくはないのに、なぜかなつかしい味。

 記憶きおくの中の何かを思い出すような……。舌の上でけていく感触かんしょく心地ここちよい。


「おいしい……!」

「でしょー? さっきの火種を集めてるときに見つけたんだ!」


 シャルは得意げに説明する。彼女かのじょの目はかがやいていて、まるで宝物を見つけた子供のよう。

 両手を広げて説明する様子は、いつもの陽気な彼女かのじょそのものだ。


 火がはじけ、青い火花がう。

 その光はちょうのように優雅ゆうがに空中をい、やがて消えていく。


 その光を見つめながら、わたしは実を一つずつ口に運ぶ。

 不思議とつかれがいやされていくのを感じる。体の中から温かさが広がっていく。


 洞窟どうくつの外では、リリアンの氷の呪縛じゅばくから解放された生き物たちが、少しずつ活動を始めていた。

 氷柱つららに反射する光が、様々な色のかげを作り出している。


 黒いはねを持つ小鳥のような生き物が、氷柱つららの間をう。

 その姿は人間界の鳥に似ているが、はねから青白い光を放っている。飛ぶたびに光の軌跡きせきが空中に残る。


「アー、タバコガ吸イテェゼ」

「酒トギャンブルハヤメラレネェナァ~」


 ……さえずりの代わりにおっさんのような愚痴ぐちを話しているのも大きなちがいだ。

 その声は意外と通り、洞窟どうくつの中までひびいてくる。


 地面には、先ほどまでねむっていた虫たちがしてきていた。

 透明とうめいな体を持つそれらは、まるでガラス細工のよう。

 その中で何かがうごめいているのが見える。


 岩場には、青いこけの間から小さな花がき始めていた。

 花びらは透明とうめいで、中から光を放っている。まるでクリスタルで作られたかのような美しさだ。

 その花は風にれるたびに、すずのような音を立てる。


「不平不満ばっかり言ってた魔物まものたちも、落ち着いてきたみたいだね」


 シャルの言葉通り、先ほどまでボソボソと文句を言っていた魔物まものたちの声も、少しだけおだやかなものに変わっていた。


「ふぅ、クソッあ~寒かったぜ」

「まぁ、いい天気だワ~!」

「何がいい天気だチクショウ」


 かれらの声が、温かな空気にけていく。……おだやかになった、かなあ……?


「……ミュウよ」


 突然とつぜん、イリスがわたしを呼んだ。その声には、どこか迷いが混じっているように聞こえた。

 火の光が、彼女かのじょの表情に深い陰影いんえいを作る。


「お前の回復魔法まほうは、ゆがめられたものを正常にもどす力を持つ。それは、先ほどの戦いで証明された」

「……うん」

「これは少々無理な願いかもしれんが……」


 イリスは立ち上がると、わたしの前に歩み寄る。その足音が、静かな洞窟どうくつひびく。

 赤色のひとみには、強い決意の色がかんでいた。ほのおれ、そのひとみに青い光が映る。


「我の記憶きおくも、『回復』できるのではないかと思うのだが」

「え――」


 その言葉に、わたしは息をむ。シャルも手を止め、こちらを見つめている。


 青いほのおが静かにれる中、イリスの言葉が重くひびいた。


「……やってみる……」


 わたしは小さくうなずくと、つえにぎる。水晶すいしょうが、わずかに温かみを帯びる。

 内側から光ががってくるのを感じる。


「……」


 イリスが目を閉じ、わたしの前にひざまずく。その銀髪ぎんぱつが青いほのおに照らされてれる。

 儀式ぎしきのようなおごそかな空気が、わたしたちをつつむ。


(……記憶きおく回復魔法まほう


 わたしは意識を集中させ、魔力まりょくめていく。つえ水晶すいしょうが、徐々じょじょに明るさを増していく。

 その光は青いほのおの光とは異なる、温かな色を帯びている。


 その光が、イリスの体をつつむ。

 オーロラのような光の帯が、彼女かのじょの周りをただよう。それが彼女かのじょの額にれると、突如とつじょとしてわたしの意識がやみまれた。


 ……まるで深い井戸いどに落ちていくような感覚。

 ――目を開くと、そこは……。


 そこは、魔王まおうの間だった。


 巨大きょだいな玉座の背後には、赤く脈打つ球体が設置されている。あれが「かく」だ。

 その光が、部屋へや全体を不気味に照らしている。

 光は生き物のように鼓動こどうを打ち、かべに血のようなかげを落とす。


 玉座にすわっているのは、イリスの父である先代魔王まおう記憶きおく魔法まほう影響えいきょうか、わたしにはそれが理解できた。

 巨大きょだいな体格のかれは、今のイリスと同じ銀髪ぎんぱつと赤のひとみを持っていた。

 その横には、幼いイリスの姿。幼いながらも、その姿勢には気品がただよっている。


 そして、玉座の前には――。


「よく案内してくれたね、リリアン」


 マーリンの声がひびく。かれは白いローブに身を包み、わたしが知る姿と全く変わりない。

 だがその目は氷のように冷たい。月光のような銀髪ぎんぱつが、かくの赤い光を反射している。


「こ、これで、わたくしは見逃みのがしてもらえるんですわね……!?」


 リリアンはゆかひざまずいていた。彼女かのじょの声はふるえ、明らかな恐怖きょうふにじませている。

 その姿は、先ほどまでの高慢こうまんな態度からは想像もできないほどみじめだった。


「ほう、人間風情ふぜいが我が城に。それもこの空間にまでるとは」


 魔王まおうの声は低く、重いひびきを持っていた。

 その声に、玉座の「かく」が呼応するようにかがやきを増す。赤い光が部屋へや中を染め上げる。


「父上! このままたしましょう!」


 幼いイリスがけんを構える。その姿は今のイリスと同じように気高く、りんとしていた。

 小さな手が、しっかりとけんにぎっている。


「待て、イリス」


 魔王まおうは立ち上がり、マーリンを見据みすえる。

 その巨大きょだいな体格は、マーリンを圧倒あっとうするかに見えた。かれかげが、マーリンをおおくす。


「貴様の目的は何だ。この場所までった理由を語れ」

巨大きょだいなエネルギーがあると聞いたので。何かの役には立つかと思い、集めにました」


 マーリンの声は氷のように冷たく、そして散歩にた理由を語るように軽かった。

 その手にはすでつえにぎられ、まばゆい光を放っている。

 その光はかくの赤いかがやきと混ざり、むらさきがかった陰影いんえいを作り出す。


「リリアン。王を裏切ったその罪は重い。……が、貴様へのばつは後回しよ」


 ゆかひざまずいていたリリアンが、さらに深く頭を下げる。彼女かのじょの全身がふるえていた。

 その長いかみゆかに広がっている。


「まずは貴様だ、人間。魔王まおうの力を知らしめてくれようぞ!」


 魔王まおうが動いた瞬間しゅんかん、マーリンのつえが光を放つ。

 それはわたしの知るかれ魔法まほうとは全く異質な、冷酷れいこくかがやきを持っていた。

 光は氷のように冷たく、見ているだけで背筋がこおる。


「ヌゥ!?」

魔導まどう王の名において命ずる。世界をひらき、えぐりてかがやけ。万象ばんしょうつるぎよ」


 ほんの一瞬いっしゅん詠唱えいしょうは終わる。直後に、マーリンの背後にけんかびがった。

 それは実体のあるけんというよりも、光そのものが形を成したもの。

 けんだれにも持たれることなくぬるりと空中ですべり、魔王まおうへとせまる。


「フン、このような魔法まほうなど――」


 魔王まおうは得意顔でバリアのようなものを展開した。赤い光がたてとなって広がる。


 しかし――バリアはなんの抵抗ていこうもなく切断された。


 そのおく魔王まおうの肉体とともに。まるでガラスがくだけるような音がひびく。


「なっ、ああっ……!? がああああああああっ!!」


 けん魔王まおうつらぬき、玉座の「かく」に届く。

 かくが大きく明滅めいめつし、その光が部屋へや中をおおくす。

 かべというかべが赤く染まり、かげゆがんでおどる。


「父上!」


 イリスのさけごえ。しかし次の瞬間しゅんかん彼女かのじょの体も光に包まれていた。


「別に君も殺してもいいんだけど……まぁ、封印ふういんでもいいかな」


 マーリンの声には感情が感じられない。ただ淡々たんたんと、自身の行為こういを説明するかのよう。

 その目は、まるで実験道具を見るかのように冷淡れいたんだった。


 魔王まおうゆかたおれ、イリスの体が氷のように透明とうめいになっていく。

 その光景を、リリアンはただがちに見つめている。


「父上……父上!」


 イリスは必死に父の元へ走ろうとする。しかし、その体は次第しだいに実体を失っていく。


「イリ、ス……我がいとしいむすめよ……」


 魔王まおうの声が、次第しだいに弱まっていく。光のうずの中で、かれの体がくだけていった。

 くだけた欠片かけらは、クリスタルとなって地面に落ちる。


「さて、これで『かく』はいただきます。千年に一度の好機、無駄むだにはできませんからね」


 マーリンは玉座に近づき、「かく」に手をばす。

 その目は、欲望に満ちていた。かくの赤い光が、かれの顔を不気味に照らし出す。


「な……ぜ……」


 イリスの声が途切とぎれる。

 彼女かのじょの体は完全に透明とうめいとなり、氷の彫刻ちょうこくのように固まっていく。その中に、最後のなみだめられたまま。


 その姿を最後に、記憶きおくきりのようにうすれていった。


 ……わたしは激しい目眩めまいを覚え、意識が遠のいていく。

 寒く、とても寒い。体が氷のように冷たくなっていく。

 何かに支えられる感触かんしょく。シャルの温かな手が、わたしの体を受け止める。


「ミュウちゃん!? 大丈夫だいじょうぶ!?」

「……っ!!」


 わたしは意識をもどし、必死に息を吸う。体はあせだくだった。い、今のは……!?


 イリスは大きく息をき、わたしと同じように体がかたむいていく。長い銀髪ぎんぱつが空気を切ってれる。


「イリス!」


 シャルがわたしを支えたまま、彼女かのじょの方を見る。

 洞窟どうくつを照らしていた青いほのおが、一瞬いっしゅん激しくれた。


「思い出した……思い、出したぞ……」


 イリスの声が低くふるえる。赤色のひとみが、いかりに燃えているのがわかる。


「マーリン……が父上を殺し、かくうばい、我までも封印ふういんしたあの男……アレが、人間の『勇者』だ」

「えっ、ま、マーリン!? マジ!? またミュウちゃんの師匠ししょう!?」


 イリスの体から、赤い光がれ出す。それは「かく」の光によく似ている。

 岩場に落ちるしずくのような音と共に、いかりの魔力まりょくあふしていた。


「許さん……許さんぞ、マーリン……!」


 しかし、その言葉を最後に、イリスの体が大きくらぐ。

 記憶きおくの重みは、彼女かのじょにも大きな負担をあたえていたようだ。


「マーリン……いつの日か、必ず……っ」


 そうつぶやいたまま、イリスは意識を失っていく。シャルがあわてて彼女かのじょを支える。


「ちょっと!? イリスまでー!?」


 シャルが困惑こんわくした声を上げる。両手にわたしとイリス。

 状況じょうきょうめていないのか、彼女かのじょの目が泳いでいる。


 青いほのおは変わらず燃え続け、その光が三人のかげかべに映し出していた。

 かべ結晶けっしょうが光を反射し、まるで星空のようだった。

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