第109話 氷姫リリアン(前編)

「そうそう。その体勢のまま動かないでくださいまし。そうすれば……楽に殺してさしあげますから」


 リリアンは氷の階段を優雅ゆうがに降りながら、わたしたちを見下ろすようにみをかべる。

 彼女かのじょの長い銀髪ぎんぱつが、氷の粒子りゅうしふくんだ風にれる。その声には不気味な魅力みりょくがあった。


 わたしは思わず体を縮める。できれば目も合わせたくない。

 なのに、リリアンのむらさき水晶すいしょうのようにかがやひとみが、わたしさってくるのがわかる。


 シャルがわたしの前に立ちはだかった。その背中から戦意がみなぎるのを感じる。


「ちょっとちょっと、ミュウちゃんに色目を使うんじゃないよ!」

だまりなさい」


 リリアンが指を鳴らす。その音は氷のような冷たさを帯びていた。

 その指先に青いほのおのような魔力まりょくともっている。


 突如とつじょ、シャルの足元から氷柱つららが生えてくる。まるでガラス細工のような透明とうめいな氷が、地面をやぶってびていく。

 彼女かのじょ咄嗟とっさに後方に跳躍ちょうやく。それでも、彼女かのじょはだてついているのが見えた。

 白いしも彼女かのじょうでに広がっていく。

 氷の攻撃こうげきだけでなく、その氷を起点とした冷気による攻撃こうげきふくまれているようだ。


「おわっ、寒ッ!」


 シャルはけんを構え直すと、今度は前にす。

 けん黄龍こうりゅう勾玉まがたまの力をめると、その刀身が青白い雷光らいこうを帯びた。

 閃光せんこうが周囲の氷に反射し、幻想的げんそうてきな光景を作り出す。


 そのやいばがリリアンにげられる。

 かみなりせまっていく。しかし、彼女かのじょは軽く指先を上げただけだった。


 その瞬間しゅんかん彼女かのじょの前にかべが生じる。


 氷の結界が、轟音ごうおんとともにシャルのかみなりを受け止める。

 青白いかみなりが氷の表面を走り、爆発ばくはつを起こしたかに見えた。

 閃光せんこうが結界の表面で複雑な模様をく。しかし、その結界はびくともしない。


「まぁ、せっかちですこと。そんなもので、この氷姫ひょうきに勝てると?」


 リリアンは空中に氷のつえを出現させ、手に取る。

 その先端せんたんには青い宝石がはめまれ、中から渦巻うずま魔力まりょくただよっているのが見える。宝石の中では、小さな雪の結晶けっしょうっている。


「あなたも相変わらずみたいね。イリス様」


 イリスのてのひらに赤い光が宿る。その魔力まりょくが辺りの空気をふるわせる。

 赤い光が周囲の青白い氷に反射し、むらさきがかった陰影いんえいを作り出す。


「リリアン。お前にはいくつか聞きたいことがある」

「あら、そんなお話。こんな寒いところでするのは野暮やぼですわ」


 リリアンがつえるう。無数の氷の矢が形作られ、イリスに向かって飛んでいく。

 それぞれの矢は完璧かんぺき結晶けっしょう構造を持ち、まるで芸術品のようだ。


「ふん!」


 イリスの放った赤い光が、氷の矢をことごとくかしていく。

 けた氷は蒸気となってのぼる――だが、それはおとりだった。


 蒸気はイリスの背後に集まると、冷気とともに巨大きょだいな氷のけんを形成。それが彼女かのじょの死角からその背をこうとする。

 には青い光が宿り、まるで本物のけんのようにかがやいている……!


「イリス!」


 シャルがかみなりを放ち、氷の大剣たいけん粉砕ふんさいする。

 くだけ散った氷の破片はへんは、まるでダイヤモンドダストのように空中にう。

 光の屈折くっせつが、虹色にじいろかがやきを作り出す。


 そのダイヤモンドダストが彼女かのじょたちの体を冷やし、体表が白くなっていく。

 まるで彫像ちょうぞうのように、二人ふたりの体がこおりつこうとしている……!


(寒冷回復魔法まほう!)


 わたし素早すばや魔法まほうを放つ。

 つえから温かな光が放たれ、こおりつきかけていたシャルとイリスの体が元の体温をもどす。

 光はやさしく脈打ち、氷の呪縛じゅばくかしていく。


「あら……」


 その瞬間しゅんかん、リリアンの表情が変わった。

 これまでの余裕よゆうに、かすかなあせりの色が混じる。むらさきひとみが細められ、氷のつえにぎる手に力が入る。


 彼女かのじょわたしを新たな目で見つめ直す。その視線に、わたしは思わず目をらしてしまう。

 な、なに……じっと見ないで……あと服着て……。


「へぇ、回復魔法まほう。まさか凍傷とうしょうすら治せるとは」


 リリアンはつえを構え直す。その姿勢に、これまでになかった緊張感きんちょうかんただよっていた。

 氷の結界が彼女かのじょの周りで複雑な模様をき始める。


「……やれやれ。こちらの策をつぶされては、面倒めんどうですわね」


 氷の結界が増強され、シャルの雷撃らいげきをさらにはじかえす。青白い電光が氷のかべくだけ散る。

 同様に、氷はイリスの魔法まほうも寄せ付けない。赤い光が氷の表面で消えていく。


 だが一方で、彼女かのじょからの攻撃こうげきわたしの回復魔法まほうによって無意味になる。

 温かな光がシャルとイリスの体を守り、凍傷とうしょうを防ぐ。


 わたしつえを持ち直す。このままでは千日手。

 だけど、MPはわたしのほうが上だ。なにしろわたしのMPは無限だし……。


「……ふふふ」


 不意に、リリアンが意味ありげなみをかべる。

 その真紅しんくくちびる妖艶ようえんえがく。何を仕掛しかけてくるつもりだろう……?


「でも、あなたにはもう一つ、大きな弱点がありそうですわね」


 リリアンはそう言うと、まるでショーのように自分の体を大きくくねらせた。

 とおるようなはだが、月明かりを反射してあやしくかがやく。

 黒いつばさが大きく広がり、その先はしから青い光がれ出す。


「……」


 ……わたしは思わず目をらす。顔が熱くなるのを感じる。気まずいんだけどぉ……。


「あらあら。そうずかしがることはありませんわ。幼くて可愛かわいらしいですわね……♪」


 リリアンの声が、氷のように冷たい空気にあまひびく。

 その声はみつのようにねばり気があり、聞いているだけでほほが熱くなる。


「なるほど。あなたの弱点、見つけましたわ」


 その声には、明らかな勝利の確信がめられていた。


「さて、では本気で始めましょうか」


 リリアンがつえを大きくげる。

 青い宝石が氷のようなかがやきを放ち、その動作に合わせて、わたしたちの足元から青い光が広がっていく。

 水がゆか一面に流れ出し、こおっていくかのようだった。


「なっ、なにこれ!?」


 シャルの声が聞こえた。光はわたしたちの周囲でぐるりと円をえがき、そこから氷のかべが形成されていく。

 氷の結晶けっしょうが音を立てて成長し、壁面へきめんには複雑な模様がかびがる。


 かべは見る見るうちに成長し、やがて天井てんじょうとなってわたしたちの頭上をおおくす。

 巨大きょだいな氷の部屋へやの中にめられてしまった……!

 氷の表面には無数の小さな結晶けっしょうが花のような模様をえがいている。


 とおった氷の向こうには、三つの赤い月がゆがんで見える。

 その赤い光が氷を通して室内にみ、不気味な陰影いんえいを作り出していた。

 まるで血に染まったような光が、氷の結晶けっしょうに反射してらめいている。


「ミュウちゃん、あたしからはなれな――」


 シャルの声が途切とぎれる。

 突如とつじょ、氷の柱がゆかから生え、わたしたちの間をさえぎった。

 氷柱つららは六角形の結晶けっしょう構造を見せながら、またた天井てんじょうまでがる。


「え!?」


 氷の柱は次々と生え、部屋へやの中に迷路めいろのような空間を作り出していく。

 かべには鏡のような平面が形成され、そこにわたし自身の姿が無数に映りんでいく。

 わたしの視界からシャルとイリスの姿が見えなくなった。


「ふふ。お二人ふたりには少しお休みいただきましょう」


 リリアンの声が氷のかべに反射し、どこから聞こえてくるのかわからない。

 その声は何度も反響はんきょうし、まるでリリアンがわたしの周りを取り囲んでいるかのよう。


「シャル! ……イリス!」


 わたしさけぶが、返事はない。氷のかべが音をさえぎっているのか、それとも……。

 氷の迷宮めいきゅうの中で、わたしの声だけがむなしくひびく。


(寒冷回復魔法まほうを!)


 わたしつえかかげようとする。水晶すいしょう先端せんたんわずかに光を放つ。でも――


「あら、そんなことはさせませんわ」


 背後からやさしくうでつかまれ、思わず体が強張こわばる。

 冷たい吐息といきが耳元でささやく。その息は氷の結晶けっしょうのように冷たく、首筋がこおりつきそうになる。


「ひゃっ!」


 あわててこうとするが、リリアンのうでわたしの体を軽くめる。

 とおるような白いうでが、わたしの視界に映る。

 なんか、や、やわらかくて大きなものが顔に当たってる……!


「そんなにこわがらないで。ね?」


 リリアンの声が耳元でささやく。あまかおりが鼻をくすぐる。まるで氷の花のようなかおり。

 さらに彼女かのじょなめらかな手が、わたしの背中をくすぐるようにすべる。ビクッと背がねる。

 ほおから熱がのぼり、まるで発熱でもしているみたいだ……。


「ふふ。顔をにして。可愛かわいらしいですわね」

「ん……!」


 氷のように冷たい指が、わたしほおでる。

 れられた場所が熱を持ち、心臓が早かねを打つ。耳までに染まっているのがわかる。


(か、顔が近い……!)


 リリアンの整った顔立ちが、目の前いっぱいに広がる。

 むらさき水晶すいしょうのようなひとみが、まっすぐにわたしを見つめてくる。

 長い睫毛まつげの向こうで、そのひとみあやしくかがやいている。


「さて、あなたの友達ともだちはどうなるでしょうね」


 リリアンの言葉に、わたしは我に返る。

 つやのある声に心をうばわれそうになるのを、必死にこたえる。


「ミュウちゃん! どこ!?」


 遠くからシャルの声が聞こえる。同時に、氷のかべがメキメキと音を立てる。

 雷光らいこうが走るのが、かすかに見える。その光が氷に反射して、青白い閃光せんこうとなって四方八方に散る。


 でも、わたしは体が動かない。リリアンのうでの中で、こおりついたように硬直こうちょくしてしまっている……。


「ふふ。このまま、おとなしくしていればいいのよ」


 リリアンの指が、わたしくちびるれる。その冷たい感触かんしょくに、思考が停止しそうになる。

 頭の中が真っ白になり、まるで氷の中にめられたように。


 そのとき、大きな氷の形成音がひびく。キィンというんだ音が、空間に反響はんきょうする。


「くっ、この!」


 シャルの声。


「ぐっ……ミュウ! 聞こえているか!」


 イリスの声。

 二人ふたり窮地きゅうちおちいっているのは明らかだ。でも、

 わたしは――リリアンのうでの中で、まるでのろいにかけられたように動けない。

 体がみつかったように重く、思うように動かない。


「何も聞かなくていいのよ。気持ちを楽にして……」


 リリアンの声が、耳元であまひびく。

 その声は氷のかべに反射して幾重いくえにも重なり、まるで魔法まほう呪文じゅもんのようにわたしの意識をとらかしていく。


 わたしは何とかつえかかげようとする。でも、手がふるえて、うまく力が入らない。

 水晶すいしょう先端せんたんふるえ、かすかな光を放っている……。


「無理よ。あなたみたいな幼い子は、わたくしの大人おとな魅力みりょくには逆らえないわ……」


 そうささやきながら、リリアンの指がわたしの手首をつかむ。

 指先から伝わる冷気が、まるで氷の手錠てじょうのよう。つえを落とそうとしているのがわかる。


(やば……い……意識が……)


 視界が朦朧もうろうとしてくる。氷のかべに映るリリアンの姿が、無数に重なって見える。

 このままじゃ、シャルもイリスも……。


 だけど、身体が言うことを聞かない。

 まるで蜘蛛くもらえられた虫のように、どんどん意識がとろけていく……。

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