第101話 くしゃみが止まらないんですよ

 「我は魔王まおう」という言葉が、まだわたしの耳に残っている。


 赤い月の光を背にたたずむイリスは、その言葉通りの威厳いげんを放っていた。

 銀色のかみが風にれ、その姿はまるで異界の絵画のよう。


「えっと、そのー……」


 シャルがめずらしく言葉にまっている。彼女かのじょの声には困惑こんわくにじんでいた。

 それもそのはず。人間界で伝説とされ名前すら知られていない存在が、こんな形で目の前に現れるなんて。


「ほう、言葉を失っているようだな? ま、当然であろうな」

「いや、まぁ、言葉を失うっていうか……ビックリしたけど。ホントなの?」


 シャルの問いにイリスはうすみをかべる。

 その表情には、どこか人をためすような色がかんでいる。


あかしが必要か?」


 そう言って彼女かのじょが手をかざすと、周囲のクリスタルが一斉いっせいかがやきを放った。

 まるで星空のように美しく、でもどこか不気味な光景。キィンキィンという共鳴音がひびく。


 次の瞬間しゅんかん、クリスタルが地面からし、イリスの周りを宙にいて回り始めた。

 まるでオルゴールの歯車のように、規則正しく、優雅ゆうがに。


 光の粒子りゅうしい、イリスのドレスが風もないのになびく。魔力まりょくうずが空気をふるわせている。


「これが王の力よ。王は魔界まかい万物ばんぶつを従わせる力を持つ……」


 イリスのあかひとみが、よりあざやかにかがやく。

 そのひとみは三つの月と同じ色で、見つめられているだけで圧倒あっとうされる。


(す、すごい……)


 わたしは思わず息をむ。今まで見たことのない魔力まりょくの使い方だった。

 それに、この場の空気を支配する威圧感いあつかん。やっぱり本物の魔王まおうなのかも。


「へぇー……」


 シャルが感嘆かんたんの声を上げる。

 彼女かのじょ緊張きんちょうは少し解けたようで、むしろ興味深そうな表情をかべていた。


「で、その魔王様はなんであたしたちを助けてくれたの?」


 いきなりのタメ口!? わたしは思わずシャルのそでを引っ張る。

 相手は魔王まおうだよ!? もうちょっと敬語とか使わなくていいの!?


 しかし、イリスは意外にも苦笑くしょうかべた。

 クリスタルのかがやきが徐々じょじょに収まっていく。


面白おもしろい人間だ。答えてやろう」


 イリスはわたしの方を見つめる。その視線に、思わず身を縮める。


「そこの幼子の持つ力に、興味があってな」

「……え?」

「先ほどの戦い、我は見ていたぞ。あの傷をやす光……確かにどこかで見覚えがある」


 わたしの回復を見ていたらしい。確かにわたし魔法まほうは古代魔法まほうで、少し変わってるとは思うけど。

 魔王まおうが見て見覚えがあるくらいのものなのかな……?


「さて、このまま野ざらしで話を続けるのも何だな。が居城へと案内しよう」


 イリスが手をかざすと、クリスタルの光の道が新たに形作られる。

 その先には、先ほど見えた尖塔せんとうの建物への道が示されていた。


「人間界への門のことも、そこで話そうではないか」


 その言葉に、シャルが身を乗り出す。


「え! 人間界にもどれるの!?」

「ああ、帰りたいのだろう? まぁ、そう簡単な話ではないが……」


 イリスの言葉はにごっている。でも、今のわたしたちにはほかたよれる存在がいない。

 シャルと目を合わせ、小さくうなずう。


「んじゃ、お言葉にあまえて!」


 シャルの声が、よるやみひびく。

 イリスは満足げに微笑ほほえむと、ドレスのすそひるがえして歩き始めた。

 その背中には、どこかさびしげなかげが差している気がした。


 わたしたちは魔王まおうの後を追い、クリスタルの光る道を進んでいく。

 足元のこけむたびに赤く変色していくのは相変わらずだけど、イリスの存在が近くにある今は、それも不気味には感じなかった。


 三つの赤い月が、わたしたちの行く手を照らしている――。



 細い山道を登ること数分。

 やがてわたしたちの目の前に、魔王まおうの居城……らしきものが姿を現した。


 黒曜石のように漆黒しっこく外壁がいへきは、先のとがったとうがいくつも連なり、まるで巨大きょだいけんを束ねたよう。

 その姿は威圧的いあつてきで、見上げるだけで首が痛くなる。さっきも遠くから見えていたあの建物だ。


 壁面へきめんには無数のクリスタルがまれ、かすかに明滅めいめつしている。

 それは建物全体が呼吸をしているかのようだった。


「ここが、が居城よ」


 イリスが大きな門の前で立ち止まる。

 彼女かのじょ銀髪ぎんぱつが風にれ、月の光を反射してかがやいていた。


 門扉もんぴには見たことのない文字が刻まれており、それは魔力まりょくを帯びているのか、赤く光っている。まるで血管みたいで不気味だ。


 イリスが手をかざすと、重たげな門扉もんぴきしむ音を立てて開いていく。

 ほこりい、かびくさにおいがただよう。


「ずいぶん静かだね……」

「……っ、くしゅんっ」


 ……思わず我慢がまんできずにくしゃみが出てしまった。鼻がかゆい……。


 それはともかくシャルの言葉通り、城内は人の気配が全くない。

 わたしたちの足音だけが、冷たい石の廊下ろうかひびいていく。


「……まぁ、な」


 イリスの返事は曖昧あいまいだった。その背中には、一瞬いっしゅんだけ迷いの色がかぶ。


 廊下ろうかを歩くにつれ、この城の様子が少しずつ見えてきた。

 天井てんじょうまで届く巨大きょだいな窓からは、常に三つの月の光が差しんでいる。

 赤い光がゆかに映りみ、まるで血まりのような模様を作り出していた。


 かべには至る所に絵画がかざられているが、その多くは破れていたり、かびおおわれていたり。

 それでも残っている部分からは、かつての豪華ごうかさがうかがえる。

 廊下ろうか随所ずいしょに置かれた装飾そうしょく品も、かがやきを失い、ほこりかぶっていた。


 燭台しょくだいの上のろうそくは切れており、代わりにクリスタルのあわい光だけが通路を照らしている。


「えっと、イリス」

「なんだ、人間の剣士けんしよ」


 シャルの声に、イリスがかえる。その表情は、さっきよりもやわらかくなっていた。


「人間界に帰る方法って、本当にあるの?」

「ああ。だが……」


 イリスは言葉を切り、大きなとびらの前で立ち止まった。


 とびらには紋章もんしょうらしきものが刻まれている。

 複雑な模様が、クリスタルの光を反射してあわかがやいていた。


「まずはすわって話そう。これが謁見えっけんの間……いや、今は応接室として使っているがな」


 とびらが開くと、広間が姿を現した。


 天井てんじょうが高く、巨大きょだいなシャンデリアがるされている。

 だが、そのクリスタルの装飾そうしょくかがやきを失い、ところどころ欠けている。


 壁際かべぎわには豪華ごうか椅子いすが並べられているが、その多くはボロボロだ。

 しかし、部屋へやの中央に置かれたテーブルとその周りの椅子いすだけは、比較的ひかくてき状態が良さそうだった。


すわるがいい」


 イリスの言葉に従い、わたしたちは椅子いす腰掛こしかける。

 クッションからはほこりがり、思わずくしゃみが出そうになる。

 ……ていうか。出る。


「……くしゅっ!」

「人間界への門は、確かに存在する」


 イリスが話し始める。その声は、広間の天井てんじょうひびわたる。


「だが、簡単にはもどれぬ。その門は……」

「くしゅんっ……!」


 イリスの表情がくもる。月の光が彼女かのじょの横顔を照らし、その表情の陰影いんえい際立きわだたせていた。


「現在の魔王まおう、クロムウェルの居城にある」

「現在の魔王まおう……!?」

「はっ……くしゅんっ」

「うるさいぞわっぱ! 我慢がまんしろ!」

(ひいぃ、すみません……!)


 くしゃみをしすぎておこられた……。でもほこりがすごいんだよ、このお城……。


 シャルはわたしとなり苦笑くしょうしながら軽くわたしの頭をでる。

 いつもはフードしだが、今はそのままかみさわれられる。

 ……そういえばわたし、今外行きの服なんだった。


「現在の魔王まおうってことは、じゃあイリスは?」


 シャルの疑問に対して、イリスは小さくため息をつく。


しかり。我は今、魔王まおうではない。その素質は当然持ち合わせているがな」

「へー。じゃあ魔王まおうって名乗ってたのはハッタ――」

(シャルーーーーっ!!)


 わたしは久々にシャルの口を両手でふさぐ。やめてぇ! わたしがさっきおこられたところだから、これ以上おこられたら大変だよ!

 イリスはさいわい気にした様子もなく、話を続ける。よ、よかった……。


「千年に一度開く門は、本来ならまだ開かれぬはずだった」


 イリスの声が、静かにひびく。


「しかし、だれかの意思によって強制的に開かれた。

 そなたらが転移してきたのも、その影響えいきょうであろう」

だれかって……それがクロムウェルってやつとか?」

「多分にちがいない。やつには人間界の力が必要なのだ」


 イリスのあかひとみが、月の光を受けてさらにするどく光る。


「人間界の……力?」

「ああ。魔界まかいの『かく』を制御せいぎょするためにな」


 イリスの言葉に、わたしは首をかしげる。かくってなんだろう。

 そんなふうに鼻をすすりつつ首をかしげていると、イリスはわたしに生暖かな視線を向ける。


魔界まかいの根源的な力よ。かくあやつる者には、魔界まかいの何者も逆らえぬ。そしてそれをあつかえるのは、正統な血筋を持つ魔王まおうだけだ」


 イリスはそこで言葉を切り立ち上がった。

 彼女かのじょのドレスのすそが、ゆかうように広がる。


「我もまたその血筋の者。だが今は……力を失っている」

「それって、封印ふういんされたとか? 別のだれかが持ってるとか?」


 イリスは小さく首をる。その仕草には、深いあきらめの色が見える。


くわしい事情は、今は話せない。ただ、クロムウェルは今や魔界まかいの支配者。

 人間界の力を利用して、さらなる野望をいだいているのだろう」


 イリスの言葉に、先日のソルドス・カストルムのことを思い出した。


 魔城まじょうは村々の人々のたましいを集める装置として機能していたと聞く。

 それもクロムウェルの差し金だったのかもしれない。人間界の力、ってなんなんだろう……。


「実はな、童子よ」


 イリスがわたしの方を向く。

 月の光が彼女かのじょ銀髪ぎんぱつを照らし、まるで光の糸のようにかがやかせる。


「我はそなたの持つやしの力に、希望を見出している」

「……!?」


 わたしは思わず身を縮める。イリスの真剣しんけん眼差まなざしが、心臓を早鐘はやがねのように打たせる。


「先ほどの戦いで見せた力。あれはもしや、魔族まぞくの傷をもいやせるのではないか?」

(た、確かに効くかもしれないけど……)

「つまり、あたしたちに手伝てつだってしいってこと?」

「そうだ。われがクロムウェルのやつくだし、力をもどすまでの手助けをな。

 その代わり、人間界への門までそなたらを案内しよう」


 イリスの申し出に、シャルはうでを組んでかんがむ。

 その表情には、まだ若干じゃっかん警戒けいかい心が残っている。


「でも、そのクロムウェルって魔王まおうなんでしょ? なんとかできるの?」

「ふん、確かにな。だが、今の我には……選択せんたくの余地がないのだ。つまり、なんとかする『しかない』」


 イリスの声には、かすかな苦さが混じっていた。

 そこには魔王まおうとしてのプライドと、現実の苦境の間でれる複雑な感情が見える。


 ――その時、ズンという重たい音がひびわたった。


「……っ!?」


 城全体が、かすかにれる。まるで大きな生き物の心臓の鼓動こどうのよう。

 天井てんじょうからパラパラと砂埃すなぼこりが落ちてきて、また鼻が……。


「クロムウェルの探索たんさくの手が、このあたりまでびてきているようだな」


 イリスが窓の外を見る。

 その視線の先には、遠くの地平線にのぼる不気味な光が見えた。


「返事は今すぐでなくてもいい。だが、もはや長くとどまることはできん。

 この城にも、もう安全ではないのだ」


 シャルはまっすぐイリスを見つめ、小さくため息をつく。


「まぁ、人間界に帰るにしても、この場をどうにかしないとダメっぽいしね」


 そう言って、シャルはわたしの方を向いた。


「ミュウちゃんはどう思う?」


 二人ふたりの視線が、わたしに集まる。

 クリスタルのあわい光と、窓からむ三つの月の赤い光。

 その中で、わたしはゆっくりと立ち上がった。


(確かに、魔王まおうに協力するなんてこわいかもしれない……)


 でも、イリスの目には迷いはない。そのあかひとみには確かな意志が宿っている。

 それに、彼女かのじょわたしたちを助けてくれた。

 魔物まものからわたしたちを救いこの城まで案内してくれた。


 魔王まおうだとしても、困っている人は助けたい。それに恩を返さないと、冒険者ぼうけんしゃの名がすたる。


 わたしつえにぎなおし、イリスの方を見つめる。


大丈夫だいじょうぶ、MPもある。ちゃんと伝えられる……!)


 深く息をみ、声をしぼす。


「うん……! えと、わたしたちでよければっ、力を貸し――はっ」


 あ。

 やばい。鼻がすごいむずむずすっ――


「はっ……くしゅんっ……!」


 ……ああ。


「人間!! コラァ!」

「ごっ、ごめんなさっ……はっくしゅんっ!」

「もういい! 剣士けんしよ、その子供の意思を代弁せよ!」


 シャルが爆笑ばくしょうしながら、わたしの背中をやさしくたたく。


「あははは! うん、協力するよ。ミュウちゃんもそのつもりみたいだしね」


 わたしは小さくうなずく。鼻のおくかゆくて仕方ないけど、なんとか我慢がまん……。


「そうか……。礼を言う。一応な」


 イリスの表情がやわらかくなる。

 まるで月が雲間から顔を出したように、その表情が明るくなった。


「では、今からこの城を出る。外に何かいるようだ。まずはそれを共に片付けるとしよう」


 イリスはため息をつきながら続ける。

 魔界まかいの気配を感じさせる不気味な夜に、わたしたちの新たな冒険ぼうけんが始まろうとしていた。


 ……くしゃみさえ我慢がまんできれば、もっとかっこよく始まったはずなのに……。

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