魔界編

第99話 はじめての魔界

「んん……」


 朝日が窓からみ、わたしの目を刺激しげきする。

 目を開けると、高級そうな高い天井てんじょうが目に入った。


 宿の天井てんじょうはなにかキレイな模様がえがかれていた。

 あちこちからの布のにおいが、朝の空気に混ざっている。


「お、起きた? おはよー!」


 シャルの声がする。かえると、小さなテーブルで朝食の準備をしているようだった。


「焼きたてのパンだよ! となりのパン屋さんで買ってきた! リンゴジャムつき!」


 パンのこうばしいにおいと、シャルの元気な声で、少しずつ目が覚めてくる。

 シャルはもう着替きがえも済ませているようで、いつもの軽装だ。

 彼女かのじょの赤いかみが朝日に照らされてかがやいている。


 わたしはゆっくりとベッドから起き上がり、昨日きのう買った水色のワンピースに着替きがえる。

 生地きじがサラサラとして気持ちがいい。しばらくはこれでいいかもしれない。


「うわー、ミュウちゃん可愛かわいい! やっぱその服似合うねー!」


 シャルが目をかがやかせながら近づいてくる。その手にはパンをせた皿。


「あ、これ、ちゃんとジャムっとくね!」


 彼女かのじょはそう言うと、わたしの分のパンに器用にジャムをはじめた。ナイフがパンの表面をすべる音が心地ここちいい。

 その手際てぎわの良さに目を細める。わたしが使うと絶対パンがボロボロになりそうだなあ……。


 窓の外からは、市場の喧噪けんそうが聞こえてくる。商人たちの威勢いせいの良い声、荷車の車輪が石畳いしだたみを転がる音。

 街は朝からすでに活気に満ちている。


「はい、どうぞ!」


 シャルがパンを差し出す。受け取ると、ほんのりと温かい。

 表面はカリカリしていて、中はふんわりとやわらかそうだ。

 ジャムの金色が朝日にけて、宝石のようにかがやいている。


「……ありがとう」

「どういたしまして! 最近たくさんしゃべってくれるねぇ」


 シャルが笑いながら、自分の分のパンにもジャムをる。

 改めて言われるとずかしいからやめてほしいなあ……!


(でも、少しまともにしゃべれるのはシャルくらいなんだよね……)


 わたしがそんなことを考えていると、シャルはパンを口いっぱいに頬張ほおばっていた。

 そのほおがリスのようにパンパンにふくらんでいる。


「んぐ……むぐむぐ……ぷはー!」


 シャルは大きく息をきながら、テーブルの上に広げられた羊皮紙に目を落とす。

 カールが昨日きのうくれた資料だ。魔界まかいについての断片的だんぺんてきな情報が、達筆な文字で記されている。


「こういうの読むと、なんかワクワクしてこない?」


 シャルが目をかがやかせながら言う。その口の周りには、ジャムがついていた。

 わたしだまって自分のパンを一口かじる。外はカリカリ、中はふんわりとした食感。

 それに甘酸あまずっぱいリンゴジャムが加わって、幸せな気分になる。


 ゆっくりと朝食を楽しみながら、わたしもカールの資料に目を通す。

 羊皮紙からは、少しほこりっぽいにおいがした。

 文字の形から、相当古い時代に書かれた文献ぶんけんの写しのようだ。

 現代語で意訳がたくさん書いてある。


(千年に一度、人間界と魔界まかいつなとびらが開く……か)


 その時期がいつ来るかはだれにもわからない、とかれは言っていた。

 それまでは情報を集めることに専念しようと。

 わたしはパンを頬張ほおばる。おいしい。



 ――そんな平和な朝の空気を破るように、突如とつじょ、地鳴りのような音がひびわたった。


「うわっ、なになに!?」


 轟音ごうおんと共に、宿の建物全体がれる。たなから物が落ちる音、窓ガラスがきしむ音。

 テーブルの上のパンが転がり、ゆかに落ちかけたのをシャルがあわててキャッチする。


地震じしん!?」


 シャルが立ち上がる。椅子いすたおれる音がする。

 その瞬間しゅんかん、外から悲鳴が聞こえ始めた。恐怖きょうふに満ちたさけごえが、次々と重なっていく。


「見て、空!」


 シャルの声にかえると、窓の外の光景に息を飲んだ。

 青くわたっていたはずの空に、不気味なうずが出現していた。


 黒紫色こくししょくの雲がうずを巻き、その中心からは得体の知れない光がれている。

 まるで、空に開いた大きな穴のようだった。


 宿を飛び出すと、街はすでにパニック状態だった。

 人々が我先にとまどい、悲鳴と怒号どごうが混ざり合う。

 市場に並べられていた商品は放置され、転がっている。

 荷車が道をふさぎ、それをけようとする馬車が混乱に拍車はくしゃをかけていた。


みなさん、落ち着いてください! こちらです!」


 衛兵たちが避難ひなんを呼びかけている。

 かれらの声は懸命けんめいだが、パニックにおちいった群衆には届いていないようだった。


「ミュウちゃん!」


 シャルの声にかえると、彼女かのじょすでけんを構えていた。

 その目は真剣しんけんそのもので、いつもの陽気な表情は消えている。わたしつえにぎめる。


(全体精神回復魔法まほう!)


 通りを青白い光が染め上げる。

 パニックとなった人たちが少しずつ落ち着きをもどし、暴走が抑制よくせいされていく。

 とりあえず、事故は防げそうな感じだ。


 空からは不気味なうなりのような音がひびいてきた。

 うず徐々じょじょに大きくなり、街全体をもうとしているかのようだ。


 周囲の建物が、うずの放つ紫色むらさきいろの光に照らされている。


「これってもしかして……」


 シャルの言葉が途切とぎれる。彼女かのじょも気づいたようだ。


 これは、カールの資料に書かれていた「とびら」にちがいない。

 でも、なぜ今。それに、こんな町中に。


 うずの中心から、黒いきりのようなものが降り注ぎ始める。

 地面にれたきりは、まるで生き物のようにうごめいていた。


げろ! 早く!」


 衛兵のさけごえ。しかしおそかった。

 きりれた建物が、みるみるうちにゆがんでいく。

 レンガや石がけるように変形し、異様な形に固まっていった。

 その光景に、さらなる悲鳴がひびく。


「こっち! はなれるよ、ミュウちゃん!」


 シャルがわたしの手をつかみ、人混ひとごみをって走り出す。彼女かのじょの手は温かく、力強い。

 しかし、その時だった。


「……!」


 わたしの持っている翠玉すいぎょくの鏡が、突然とつぜん強烈きょうれつな光を放ち始めた。

 その光はうずの色と同じ、不気味な紫色むらさきいろ

 鏡がわたしの手の中で激しく脈打っているのを感じる。


「ミュウちゃん、その鏡……!?」


 シャルの声が聞こえる。しかし、光があまりにもまぶしく、目を開けていられない。

 鏡の光が爆発的ばくはつてきに広がり、わたしとシャルをつつんでいく。


「うわー、まぶしいー! なんなのこれー!?」


 まるで深い水の中にしずんでいくような感覚。

 シャルの手をにぎ感触かんしょくだけが、かろうじて現実感をあたえてくれる。


(シャル、はなさないで……!)


 わたしは必死でシャルの手をにぎり続けた。

 意識が遠のいていく中、最後に聞こえたのは――


「ミュウちゃん、絶対はなさないからね!」


 シャルの声が、やみの中に消えていった。



 意識がもどってきた時、最初に感じたのは異質な空気だった。


 まるでゼラチンのようなねばを持つ空気が、肺の中までんでくる。

 のどおくがむずがゆくなり、みそうになる。

 口の中に、金属のような味が広がった。


「……ミュウちゃん? 大丈夫だいじょうぶ?」


 シャルの声。彼女かのじょの手は、まだしっかりとわたしの手をにぎっていた。

 手のひらから伝わる彼女かのじょの体温が、この状況じょうきょう唯一ゆいいつの安心材料だ。


 ゆっくりと目を開けると、そこにはさっきまでとは全く異なる光景が広がっていた。


 空はむらさきがかった黒色で、所々に赤い雲がうずを巻いている。

 まるで生きているかのようにうごめく雲は、見ているだけで目がくらむ。

 はるか遠くに月が見える――だがその月は三つで、いずれも不気味な赤色をしており、血に染まったようだった。


 地面は暗い灰色の岩でできており、ところどころにクリスタルのような結晶けっしょうが生えていた。

 まるでガラス細工のようにとおった結晶けっしょうは、内側からあわい光を放っている。

 その光の具合が、なんだか頭痛をさそうような気がする。


 遠くには尖塔せんとうのような山々が連なり、その頂上は雲の中に消えていた。

 山の表面には無数の穴が開いており、まるではちのよう。

 というより、虫に食われた木みたいだ……。気持ち悪い。


 その穴からは、時折赤い光がれ出している。

 光は脈打っているみたいで、まるで山全体が生きているみたいだった。


「ここ、もしかしてぇ……魔界まかい?」


 シャルの声が、少しふるえていた。さすがの彼女かのじょも、いつもの明るさは感じられない。

 その声が、みょうにこもったようにひびく。空気の粘性ねんせいが音までゆがめているのかもしれない。


 風がくたびに、クリスタルが共鳴するような音を立てる。

 キィン、キィンというんだ音色。それはうつくしくもあり、不気味でもあった。

 その音を聞いていると、なぜか背筋が寒くなる。


 わたしたちの足元には、暗紫色あんししょくこけのようなものが生えている。

 むと、ふわりとやわらかな感触かんしょく羽毛うもうの上を歩いてるみたい。

 だが、そのこけまれた箇所かしょが赤く変色し、まるで血を流すかのように見える。


(これ、人間界の植物とは全然ちがうみたい……)


 空気中には、あまったるいかおりがただよっている。くさった果物くだものを一週間放置したようなにおい。

 そのにおいをぐと、なんだか頭がぼうっとしてくる。毒じゃないといいけど。


「あ……足跡あしあとが消える」


 シャルが指差す。わたしたちが歩いたあとが、みるみるうちに消えていく。

 こけが自分で動いて、まれた形を元にもどしているみたいだった。気持ち悪いー……。


迷子まいごになりそう……道しるべとか作れないのかな)


 わたしたちは慎重しんちょうに歩を進める。

 クリスタルの光をたよりに、少しでも安全そうな場所を目指す。

 でも、どっちに行けば安全なのか、まるでわからない。


「ねえ、ミュウちゃん。このにおいって……」

「……!」


 シャルが何かを言いかけた時、わたし彼女かのじょうでつかんで動きを止めた。

 あま腐敗ふはいしゅうが、突然とつぜん強くなっている。鼻を刺激臭しげきしゅうに、目が痛くなってくる。


 その瞬間しゅんかん、近くのクリスタルが大きく明滅めいめつした。

 そして、暗がりから姿を現したのは――


「な、なにアレ!?」


 それはのような形をしていたが、はね透明とうめいで、中に何かがうごめいているのが見える。

 胴体どうたいは異様にふくらみ、表面にはクリスタルと同じような結晶けっしょうが生えていた。

 その結晶けっしょうは呼吸するようにふくらんだり縮んだりしている。


 最も異様だったのは、その顔だ。

 人間の顔のような器官があり、それが何かをささやくように口を動かしている。

 その表情には、人間のような感情がかんでいる。


「クソクソクソクソ……ざけんじゃねぇ……ざけんじゃねぇよぉ……」

「うわっなんかしゃべってる! めっちゃ不平不満言ってる!」

「チクショウ……チクショウ……」


 ボソボソとした声でキレながら、魔物まものわたしたちにおそいかかってきた。

 文句を言いながら攻撃こうげきしてくるなんて、なんかすごく新手の魔物まものだ……!

 結晶質けっしょうしつはねが、暗い空気を切りく。風切り音が甲高かんだかひびく。


「危ない!」


 シャルがけんく。金属音がひびき、彼女かのじょわたしかばうように立ちはだかった。

 近付いてきた魔物まものの大きさは優に3メートルはある。

 こんな大きな見たことない。ていうかもうじゃない。


「ミュウちゃん、気をつけて! この魔物まもの、けっこう強いよ!」


 シャルの警告通り、魔物まものから異様な威圧感いあつかんを感じる。

 人間界の魔物まものとは全く異質な存在だった。


 わたしつえを構える。ヒールの準備はできている。

 でも――この世界で、わたしの回復魔法まほうは役に立つだろうか。


 そんな不安が胸をよぎる中、魔物まものの群れが次々と暗がりから姿を現し始めた。

 クリスタルの不気味な光に照らされたはねが、キラキラとかがやいている。


「ンモォォォォ、ナンデコウ……!」

「アァー、腹立つゥー!!」

「やれやれ。歓迎かんげいされてるみたいだね……いやそうでもないかな」

(なんでみんなイライラしてるの……?)


 シャルの声には緊張きんちょうが混じっていたが、それでも前を向いている。

 わたし彼女かのじょの背中を見つめながら、この異界での最初の戦いに備えた――。

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