第85話 ミュウの決意

 アズールハーバーの街が見えてきたとき、思わずため息がれた。


 蒼龍そうりゅう殿でんから帰還きかんする道中……シャルが新しい力をためそうとするたびとどろ雷鳴らいめいに、わたしの耳はつかっていた。

 リンも「もう少しひかえめにできませんか」と何度かさとしていたが、シャルの興奮は収まる気配がない。


(……まぁ、ドゴンドゴン鳴らしながら歩いてたおかげで、魔物まものは出てこなかったけど……)


 いい面も少しはあったけど、それよりも悪い面も多かった……。

 そんな雷鳴らいめいひびく日々も今日きょうで終わりだ。


 城壁じょうへきが近づくにつれ、潮のかおりが強くなってくる。

 久しぶりにぐ海のにおいに、やっと街にもどってきたという実感がいた。


「ただいまー! アズールハーバー!」


 シャルが両手を広げてさけぶ。彼女かのじょの声に、門前の衛士えじたちがおどろいた様子で見る。

 その視線に気付いたシャルは、さらに大きな声で続けた。


「見てみて! こんなわざできるようになったんだよー!」

「シャルさん!? やめ――」


 リンの制止の声もむなしく、シャルはけんるう。

 青白い電光が地面に走り、衛士えじたちは悲鳴を上げて退いた。

 門の金具に電気が走り、ビリビリと音を立てる。


 ……これは、まずそう。というか絶対まずい。


 リンが深いため息をつく。

 彼女かのじょの表情からは、これから大変な報告書を書かされることへのあきらめが読み取れた。


「まったく……」

「あはは! ごめんごめん! つい、楽しくなっちゃって!」


 シャルは衛士えじたちに頭を下げながら、それでもうれしそうだった。

 その姿を見ていると、少し微笑ほほえましい気持ちになる。

 でも、それは口には出さない。調子に乗るから。


 街に入ると、なつかしい喧噪けんそうが耳にんでくる。

 魚を売る声、荷物を運ぶ音、船のマストを伝う風の音。

 そのすべてが、わたし緊張きんちょうを少しずつ解いていく。


「まずは宿に行きましょうか。あせを流したいですし」


 リンの提案に、わたしもシャルもうなずく。確かに、ここ数日風呂ふろには入っていない。

 定期的に回復魔法まほうの要領で体はキレイにしていたけど、それでお風呂ふろに入った気はしないしね。


「そうだね! 久しぶりにゆっくりしよ!」


 シャルは元気そうに歩を進める。

 でも、その足取りには少しつかれが見える。きっと彼女かのじょも、ゆっくり休みたいはず。


 宿は衛士えじたちのしょの近くにあった。「潮風てい」という、こじんまりとした建物。

 玄関げんかんには可愛かわいらしいすずが下がっており、風がくたびにすずしげな音をかなでる。


「あら、お客様ですね。いらっしゃいませ。……と言っています」


 女将おかみやさしい笑顔えがおむかえてくれる。その言葉を、リンが通訳してくれた。


(……現地人のリンが翻訳ほんやく魔法まほうで話してくれているおかげで、ここが外国であることを定期的に忘れそうになるなぁ)


 とにかく、お店の人の物腰ものごしやわらかさに緊張きんちょうがほぐれる。

 たたみかおり、お茶のかおり、そして遠くから聞こえる波の音。すべてが心地ここちよく感じられた。


「お風呂ふろの準備はできていますよ。ゆっくりなさってください……と」


 案内された部屋へやは、海の様子が見える和室だった。

 障子しにの光が、やわらかく室内を照らしている。


 荷物を置き、ローブをぐ。

 シャルはもうよろいを放り投げるようにはじめていた。


「お風呂ふろ風呂ふろー! あ、ミュウちゃん。背中、流してあげようか?」

「……!?」


 シャルの提案に、思わず体が強張こわばる。

 彼女かのじょすでにバスタオル一枚になっていて、その下からのぞかたのラインがみょうに色っぽい。

 リンは着物をたたみながら、少し困ったような表情を見せる。


「シャルさん、ミュウさんが困っていますよ」

「えー? いいじゃん! ねぇ、ミュウちゃん?」


 シャルが近づいてきて、わたしかたに手を置く。

 彼女かのじょの体温が伝わってきて、なんだか変な気分になる。ほほが熱くなるのを感じる。


「あたし先に行ってくるね!」


 シャルは期待に満ちたような眼差まなざしで、バスタオル姿のまま室内の風呂場ふろばへと向かっていった。

 その後ろ姿を見送りながら、わたしは小さくため息をつく。


「ミュウさん、顔が赤いですよ」


 リンの冗談じょうだんめいた声に、わたしあわてて顔をかくす。

 彼女かのじょの口元が、かすかにみをかべているのが見えた。



「はーっ! お湯気持ちいー!」


 シャルの声が、湯気の向こうからひびいてくる。

 浴室には温かな湯気がめ、石鹸せっけんあまかおりがただよっていた。


 わたしは身体を縮こまらせながら、できるだけはしの方にこしを下ろす。

 湯船にかると、温かな湯がつかれた体をやさしくつつんでいく。

 シャルはすでに湯船の真ん中で、大の字になっていた。


「ミュウちゃん、こっちこっち! リンも早く入って!」


 シャルの声が浴室にひびわたる。

 彼女かのじょの赤いかみが、湯気にれてなまめかしく光っている。

 その姿は、どこかあやしい魅力みりょくすら感じさせた。


「シャルさん、そんなに大きな声を出さなくても聞こえますよ?」


 リンが体を洗い終え、ゆっくりと湯船に入ってくる。


「えー、いいじゃん! ね、ミュウちゃん! 背中洗ってあげよっか?」

「……っ!」


 シャルがわたしに近づいてくる。

 湯の波紋はもんが広がり、わたしの体にれる。思わず身をすくませる。


「あはは! そんなに緊張きんちょうしなくても! ほら、じっとしてて」


 言われるがままに、シャルの手がわたしの背中にれる。その手つきは意外なほどやさしく、心地ここちよかった。


「わぁ、ミュウちゃんのはだすべすべー! やっぱ若いからかな?」

「シャルさんも若いほうだと思いますけど……でも、そうですね。キレイだと思います」


 リンまでもが同意する。わたしの顔が、湯気で赤いのかずかしさで赤いのか、もうわからない。


「やっぱ、魔法まほうで体はキレイにできても、心は洗えないもんね! こういう時間も大事だよ!」


 シャルの言葉に、リンが微笑ほほえむ。

 湯気の向こうで、彼女かのじょの表情がやわらかくなるのが見えた。


 確かに、回復魔法まほうは体のよごれを取ることはできる。

 でも、こうして温かな湯にかり、仲間と過ごす時間には、別の価値がある。


 それは魔法まほうでは得られない、大切な何か……なんて、昔のわたしだったら絶対言わなそうな言葉だ。


「ミュウちゃん、背中だけじゃなくて、かみも洗ってあげるよ!」

「あ、わたしもお手伝てつだいしましょうか?」

「……えっ!?」


 二人ふたりの期待に満ちた視線に、わたしは湯船の中で小さく縮こまる。でも、そのやさしさは確かに心地ここちよかった。


 浴室に満ちる湯気と、二人ふたりの笑い声。

 そして、わたしの小さなため息が、温かな空気の中にけていった。



「お風呂ふろ、気持ちよかったー!」


 浴室を出て、服を整えた。シャルたちと一緒いっしょに宿の廊下ろうかに出たところで、一人ひとり衛士えじわたしたちを待っていた。

 まだ若い、20さいそこそこの男性みたいだ。


「失礼します。わたし衛士えじのマコトと申します。どうしても、ミュウ様にお願いしたいことがありまして……」


 リンが通訳するのを聞きながら、わたしは表情をめる。

 かれの目には、どこか深刻な色が宿っていた。


「城の襲撃しゅうげき事件の時に確保した黒装束くろしょうぞくの者たちのことです。

 かれらは……異常な症状しょうじょうを見せているんです」


 マコトの言葉に、シャルが身を乗り出す。


「あの時の? 確かにみんな、みょうな戦い方してたよね。普通ふつう、あんなに無謀むぼうみ方しないでしょ?」

「ええ。かれらは……回復中毒とでも言うべき症状しょうじょうを見せているんです」


 回復、中毒……。それは、わたしかれらをたときにも感じたことだ。

 回復に依存いぞんしている。老僧ろうそうによるやしを求めて、狂戦士きょうせんししている、と。


かれらは、老僧ろうそうの回復魔法まほうを受けることに依存いぞんしているようなんです。

 今も、治療ちりょう所で『回復を……回復を……』とかえさけんでいて」


 マコトの声がふるえる。その表情には、恐怖きょうふあわれみが混じっていた。


普段ふだん大人おとなしいんですが、回復魔法まほうを切望するあまり、時折発狂はっきょうしたように暴れ出すんです。

 でも、普通ふつうのヒーラーの魔法まほうでは全く効果がありませんでした。どうか……」

(なるほど……だからわたしに……)

やつめ……どこまでも道を外れたことを……!」


 リンの体が、いかりでわずかにふるえているのが見えた。


「ミュウちゃん、行こうよ。ミュウちゃんなら、できるはずだよね」


 シャルの声はめずらしく落ち着いていた。わたしうなずく。これはほうっておけない。


「案内、して、ください」


 わたしの言葉に、マコトは深々と頭を下げた。


 治療ちりょう所は城の近くにあった。白壁しらかべの建物の中から、時折うめき声が聞こえてくる。


「この中に、20人ほどの患者かんじゃが……」


 わたしたちは重いとびらを開け、中に入る。消毒薬の強いにおいが鼻をつく。


「あ、ああぁぁ……! 回復を……回復を……!」


 廊下ろうかの両側に並ぶ病室から、うわごとのような声がひびいてくる。

 その声には、どこか狂気きょうきじみたものが混じっている。


 病室をのぞくと、そこには拘束具こうそくぐしばられた黒装束くろしょうぞくの者たちがいた。

 みな異様にせており、目は血走っている。


「ヒール……ヒールを……あの方の、あの方の回復魔法まほうを……!」


 一番症状しょうじょうの重そうな男性が、わたしたちを見るなりさけはじめた。

 その目は焦点しょうてんが定まらず、全身が激しくふるえている。

 シャルがまゆをひそめる。リンは無言で顔をそむけた。


(ここまでひどい状態になっているなんて……)


 回復魔法まほう依存いぞんさせ、そしてあやつる。

 それは卑劣ひれつな手段というよりも、ただただ残虐ざんぎゃくなものに思えた。


 わたしつえにぎめる。手のひらに伝わる冷たさと、その向こうに感じるぬくもり。


(治してあげないと)


 わたしは最も重症じゅうしょうであろう患者かんじゃから治療ちりょうを始める。

 かれの体は全身が包帯だらけで、引っかき傷のようなものだらけだった。

 包帯の隙間すきまからびる手足は、まるでのようにほそっている。


 治癒ちゆは行われている。しかし、かれが自らを傷つけているようだった。今は手が拘束こうそくされている。


 わたしつえを向けると、男性は期待に満ちた表情をかべた。

 その目はすでに理性を失いかけている。

 瞳孔どうこうが異常に開いており、額にはあせかんでいた。


「あぁ……ついに、ついに回復魔法まほうを……!」


 その声には、異常な渇望かつぼうにじんでいた。

 まるで砂漠さばくで水を求める者のような、切迫感せっぱくかん


(精神回復魔法まほう


 青白い光が男性をつつむ。

 その瞬間しゅんかんかれの体が大きくねる。拘束具こうそくぐきしむような音を立て、ベッドがれた。


「これは……ちがう……っ? よせ、やめろ!? あの方の、魔法まほうのような……法悦ほうえつがない……!」


 わたしの回復魔法まほうは単純だ。ただ純粋じゅんすいに、こわれたものを正しく治すだけ。

 派手な光も、幻覚げんかくめいた多幸感も、一切いっさいふくまない。


 それは体だけでなく、ゆがんでしまった精神をも本来の状態へともどしていく。

 光の粒子りゅうしが、かれの体の隅々すみずみまでわたっていく。


 かれの体をむしば魔法まほう影響えいきょうは非常に複雑だった。

 精神の奥深おくふかく、神経の奥深おくふかくに回復魔法まほうへの依存いぞんが植え付けられている。

 まるでつたからみついたように、意識をしばけていた。


 わたしはそれを一つ一つ解きほぐしていく。

 体のおくからまったつたを消し去っていく……。

 その過程で、かれの体から黒いきりのようなものがけていくのが見えた。


 光が消えると、男性の目の焦点しょうてんが定まってきた。

 混濁こんだくしていた意識が、少しずつんでいくのがわかる。

 瞳孔どうこうが正常な大きさにもどり、あせも引いていく。リンがかれの言葉を通訳する。


「あ……わたしは……何を……?」


 かれは混乱したように周囲を見回す。

 その目には、もう狂気きょうきの色は残っていなかった。

 代わりに、深い困惑こんわくの色がかんでいる。


「よかった……! 治ったみたいだね!」


 シャルが安堵あんどの声をらす。

 リンも表情をやわらげた。緊張きんちょうしていた空気が、少しずつゆるんでいく。


「あの……わたしは……」


 男性は自分の手を見つめ、ふるえる声で話し始めた。その指先が、かすかにふるえている。


「ガンダールヴァ、様に……。――ガンダールヴァ?」


 かれの言葉をそのままかえしていたリンが身を乗り出す。

 それは、名前だ。おそらく、あの老僧ろうそうの。

 その名を聞いた瞬間しゅんかん部屋へやの空気が一瞬いっしゅんこおりついたように感じた。


「知っていることを話してください!」

「あ、あの男は……かつて無双むそうの術師と呼ばれた魔法使まほうつかい……」


 男性の言葉は途切とぎれがちだ。記憶きおくよみがえるたびに、かれの表情が苦悶くもんゆがむ。

 額には再びあせかび、呼吸があらくなっていく。


「あの男の回復魔法まほうは……たった一度受けただけで、心まで満たされるような……この上ない幸福感に包まれて……」


 男性は言葉をまらせる。

 その目には、恐怖きょうふなつかしさが混じっていた。まぶた痙攣けいれんするようにふるえる。


「でも、その感覚は長く続かなくて……またしくなる。

 もっと、もっとその魔法まほうを……そうして、わたしたちは気づけば、あの男の意のままに……」


 かれの告白に、わたしたちは言葉を失う。

 その手法は、まるで麻薬まやくのようだ。病室にただよう消毒薬のにおいが、急に鼻につくように感じられた。


「でも……あなたの魔法まほうちがう」


 男性はわたしを見つめる。その目には、深い感謝の色がかんでいた。ひとみからなみだこぼちる。


「体が、元にもどった。それに心も。おかしくなる、前に。

 ……わたしは。わたしは、取り返しのつかない罪を……山ほど……っ!」


 その言葉に、わたしは思わず閉口する。

 回復中毒におちいっていた間に、かれは何をしたのだろう。

 そしてそれを受け止めるだけの心も、今は治っているのだ。


「……ミュウちゃん。気にまなくていいんだよ」


 シャルの声が、静かに病室にひびく。

 その声には、いつもの明るさはない。代わりに、深い思慮しりょが感じられた。


「でも……」


 わたしが治さなければ、かれは罪に苦しむことはなかっただろう。

 その代わり、いつまでも夢の中にとらわれていただろうけど……。

 頭の中で、様々な思いがうずを巻く。


「いいの。この人には、やってきたことをいる義務がある」


 シャルはいつになくするどく、真剣しんけんな目でかれを見ていた。


「……悪いことをしたときに反省する、っていうのはさ。つらいことだけど、必要なことだと思うんだよ。

 それがないと、人はどんどんダメになる。この人は、必死にみとどまろうとしてるんだよ」


 シャルの手がわたしかたに置かれる。そのぬくもりが、不思議と心を落ち着かせてくれた。

 かれが頭をかかえてうめく様子を、わたしはしばらく見ていた。

 病室に充満じゅうまんする重苦しい空気の中、時計とけいの音だけが静かにひびいている。


 やがて平静をもどした男の人は、顔を上げ、こちらを見た。


「ガンダールヴァは……だれにも負けたことのない、最強の魔法使まほうつかいだったと聞きました。

 異国の魔法使まほうつかい――マーリンに敗れるまでは」

「マーリン!? ミュウちゃんの師匠ししょう!?」


 シャルとともにわたしおどろいた。

 まさか、かれの名前をここでまた聞くとは思っていなかったからだ。わたしの中で、点と点がつながりはじめる。


「戦いにすらならなかった。歯牙しがにもかけられなかった。その屈辱くつじょくわたしを今も動かしている――と、ガンダールヴァは語っていました」

「ひゃ~……アレをそんな一方的にのしちゃったの? ミュウちゃんの師匠ししょう、強すぎじゃない?」

「そしてガンダールヴァは、ずっと復讐ふくしゅうを考えていたそうです。三神器があれば、望む力が手に入ると……」


 男性の言葉に、リンが息を飲む。


「それで、赤割のけん翠玉すいぎょくの鏡を……」

「はい……残る勾玉まがたまを探して、かれはどこかへ……」


 男性の言葉が途切とぎれる。意識が遠のいていくようだ。その顔には疲労ひろうの色がかんでいる。


「……あとは、ゆっくり休ませてあげましょう」


 リンの言葉に、わたしたちはうなずいた。

 まだ19人の患者かんじゃが残っている。病室の中に、かれらの苦しむ声が響く。


 わたしつえを構えながら、男性の言葉を反芻はんすうしていた。

 マーリンと老僧ろうそう――ガンダールヴァの確執かくしつ。そして、三神器をめぐる野望。

 つえから伝わるぬくもりが、わたしの決意を後押あとおしする。


 すべてがつながってきた気がする。

 そして、わたしの中に使命感のようなものが生まれていた。


(マーリン。あなたの代わりに、ガンダールヴァと戦わなきゃ)


 暴走し、復讐ふくしゅうとらわれ、多くの人をみつけにするガンダールヴァ。

 かれを止める。それがマーリンの弟子でしでもあるわたしの役目な気がする。

 まずは、そのためにも――かれんだくさびを、すべて外さないと。


 残された患者かんじゃたちを見回して、わたしは決意を固める。

 一人一人ひとりひとり順番に治療ちりょうしていては時間がかかりすぎる。

 それに、これほど多くの人を同時に治療ちりょうできる機会は、修行しゅぎょうの意味でも貴重だ。


「みんな、一緒いっしょに……治療ちりょうするね」


 シャルとリンがおどろいた顔を見せる。

 大丈夫だいじょうぶだ。わたしにはできる。


 わたしは深く息をみ、詠唱えいしょうを始める。これだけの規模となると詠唱えいしょうは必要だ。


「――大いなるよ。創命そうめいの水よ。魔導まどう王の名において、が呼びかけに答えたまえ」


 わたしの声に反応して、つえかがやはじめる。

 結晶けっしょうが放つ光が、徐々じょじょ部屋へや中に広がっていく。


 言葉をつむぐたび、体内の魔力まりょくが高まっていくのを感じる。

 これまでになく大規模な魔法まほう。でも、不思議と不安はない。


ゆがみを正し、きしみに水を。しきものの手を今消し去ろう」


 光がまたたに広がり、病室全体をつつんでいく。

 天井てんじょうまで届いた光は、まるで雨のように降り注ぎ始めた。


「状態異常、全体回復魔法まほう


 青白い光が爆発的ばくはつてきに広がり、建物全体をつつむ。

 窓の外まで光がれ出し、通りを行く人々が足を止めて空を見上げているのが見えた。


 光の中で、患者かんじゃたちの体が次々と浄化じょうかされていく。

 黒いきりのようなものが体からし、光の中で消えていった。


 そして――。


「こ、これは……!」

「苦しみがなくなった……!」

「なんて、清らかな……!」


 次々と意識をもど患者かんじゃたち。かれらはおどろきの声を上げながら、わたしを見つめている。


「これが……本当のやし、なのか」

「長らく忘れていた。晴れやかな体の感覚」

わたしたちを救ってくださったのだな……!」


 ……ん? なんかこの展開、見たことがある気が。


「聖女様……!」


 あ。


「ありがとう、聖女様……!」

「聖女様……!」


 ちょっと待って。


「なんか見たことあるやつた!」


 シャルが苦笑くしょうする。西の大陸でも「沈黙ちんもくの聖女」なんて呼ばれてたけど、まさかこっちでも。


 わたしの回復魔法まほうで正気をもどした元・黒装束くろしょうぞくたちは、次々とわたしに頭を下げてきた。

 その目には、深い感謝の色がかんでいる。


「聖女様の魔法まほうは、ガンダールヴァとはちがう……こんなにも心が安らかに……」

「救ってくださってありがとうございます……!」

「ミュウちゃん、こっちでも人気者になっちゃったね! あはは!」


 シャルが楽しそうに笑う。その声に、わたしは思わずため息をつく。


(どうしてこうなるかなぁ……)


 病室の中で、「聖女様!」という声が次第しだいに大きくなっている。

 このさわぎを収めるまでが、次の仕事になりそうだ。


 でも、患者かんじゃたちが元気になってくれたのは本当に良かった。

 わたしは小さく微笑ほほえむ。すると、その仕草にまた歓声かんせいが上がる。


「聖女様の微笑ほほえみ!」

「なんて慈愛じあいに満ちた……!」

「……シャル……その……早く、げよう……」

了解りょうかい! 聖女脱出だっしゅつ作戦を開始しよう!」


 リンがあきれたような顔で見守る中、わたしたちは裏口からした。


 空には夕日がしずみかけており、街は金色に染まっている。

 明日あしたからは、また新しいうわさが広まりそうだ……。


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