第65話 海魔襲来!

 サンクロスから少しはなれた海沿いの港に停泊ていはくする「海龍かいりゅう号」は、わたしたちを東方大陸へと運ぶ商船だ。

 潮のかおりが鼻をくすぐり、波が岸壁がんぺきに打ち付ける音が耳に届く。


 三本のマストが立っている大型のキャラック船――よくわかんないけどそういう分類らしい――で、その姿は堂々としている。

 船体からは、新しくられた何かの染料せんりょうにおいがする。


 ふか褐色かっしょくの木造の船体には、所々に彫刻ちょうこくほどこされており、豪華ごうかさと実用性をそなえているようだった。


 船首にはりゅう彫像ちょうぞうが取り付けられ、その目は紺海こんかいにらみつけているかのようだ。

 船尾せんびには大きな舵輪だりんえられ、その周りにはそう舵手だしゅのための小屋がある。


「よし、荷物はこっちだ!」

「オーケー、わかった!」


 甲板かんぱんには、様々な荷物やたるが整然と並べられている。

 重なり合う荷物の間から、スパイスや乾燥かんそう食品のかおりがただよってくる。


 帆柱ほばしらには白いが巻かれ、出航の時を待っている。

 船員たちがいそがしそうにい、最後の準備に余念がない。かれらのごえが、港の喧噪けんそうに混じる。


「すごいね、ミュウちゃん! こんな大きな船、初めて見たよ」


 シャルの目はかがやいていた。わたしも同意見だ。

 これまで見てきたボートみたいな船とは比べ物にならない。これが船、なんだ。


「おう、たか! さあ、むぞ」


 ガラン船長の声に、わたしたちは乗船用の梯子はしごあがっていく。

 足場が不安定で少しこわい。梯子はしごの木がきしむ音が、緊張感きんちょうかんを高める。


 甲板かんぱんに上がると、潮のかおりと木材のにおいが鼻をつく。

 船員たちの活気ある声がい、どこか興奮が伝わってくる。

 足元の板が、波に合わせてわずかにれている。


「お前たちの船室はここだ。せまいが、我慢がまんしてくれ」


 ガランに案内された船室は、確かにせまかった。

 二段ベッドが一つと、小さな机、それに荷物を置くためのスペースがあるだけだ。


 天井てんじょうは低く、背の高いシャルは少しかがまないと頭がぶつかりそうだ。

 船室内からはかすかに湿しめった木のにおいがする。


 かべには航海図や、お守りらしきものがけられている。

 小さな丸窓からは港の景色けしきが見える。

 窓ガラスは塩でくもっており、外の光をやわらかく通していた。


「よーし、荷物を置いたら、さっそく仕事だ。お前たちには見張りをしてもらう」

「わかった、任せて!」


 ガランの指示に従い、わたしたちは荷物を降ろすとすぐに甲板かんぱんへと向かった。


 出航の準備が整うと、船は徐々じょじょに港をはなれていく。

 岸壁がんぺきで手をる人々の姿が、だんだんと小さくなっていく。船が波を切る音が徐々じょじょに大きくなる。


 風を受けてふくらみ、海龍かいりゅう号は本格的に航海を始めた。

 甲板かんぱんを歩くたびに、木のきしむ音がひびく。潮風がほおで、かみを乱す。


 わたしたちの仕事は主に見張りと、時折の雑用だ。

 マストの上にある足場に登って周囲を警戒けいかいしたり、甲板かんぱん掃除そうじをしたりと様々だった。

 高所からは、青く広がる海がどこまでも続いているのが見える。


 見える……が。


「……っ!」

「ミュ、ミュウちゃん……! ミュウちゃん、大丈夫だいじょうぶだよ! 落ちないから!」


 わたしはマスト上の足場で、シャルにしがみついていた。足がガクガクふるえている……!

 こんなの落ちたら即死そくしだよ! 風が強くき、耳元でうなるような音を立てる。ひいぃ……!


「んー、ミュウちゃんは見張りはやめとこうか……!」

「ご、こめんね……」


 そんな最初の1日は、慣れない船上生活に戸惑とまどうことも多かった。

 特にシャルは船酔ふなよいになやまされ、顔を青ざめさせていた。


「う゛え゛え゛……ミュウちゃん、助けて……」


 シャルの声は弱々しく、顔は蒼白そうはくだった。こらえているのが見て取れる。


(状態異常回復魔法まほう


 わたしつえを軽く動かす。魔法まほうの光が一瞬いっしゅんシャルを包み、消えていく。

 すると、途端とたん彼女かのじょの顔色が良くなった。さっきまで死にそうな顔だったのがケロリとしている。


「お、おおっ! すごいぞミュウちゃん! これならい知らず!」


 喜んでもらえてよかった。わたしは口元だけ軽く微笑ほほえむ。シャルの声に、再び元気がもどってきた。


「……あれ? もしかしてこれあったら二日酔ふつかよいも治せたんじゃ……」

「…………」

「ミュウちゃん? もしもし?」


 ……シャルの目が懐疑かいぎと期待に染まりグサグサとさってくる。ノーコメントで……。


 そんなこともあって、わたしは船医としての役割もになうことになった。

 船旅の最中負った、船員たちの軽い怪我けが治療ちりょうしていく。


「おお、やるじゃねぇかおじょうちゃん!」

なわにぎったりして手がボロボロになるからなぁ。助かるぜ」


 船員たちのあらい手には、長年の労働で出来できかた皮膚ひふ傷跡きずあとが感じられた。わたしの手とはあまりに大きさもかたさもちがう……。

 それでも、手は痛むときは痛むらしい。わたしはその痛みを軽減する手伝てつだいをした。


 一方のシャルは船酔ふなよいが落ち着くと、持ち前の明るさで船員たちと打ち解けていった。

 彼女かのじょの話術で、船内の雰囲気ふんいきなごやかになる。


「へぇ! そんな前から船乗りしてるんだ」

「おうよ。親父おやじも船乗りでな、ガキのころもよく船にしのんだもんさ、ガハハッ!」


 ……夜になると、船員たちは見張りの人以外、船底の共同寝室しんしつで休む。

 そこではハンモックが幾重いくえにもるされ、せまいスペースを有効活用していた。


 ろうそくのあかりがゆらめき、寝息ねいきや潮の音が聞こえる。

 船底特有の湿しめったにおいと、男たちの体臭たいしゅうが混ざり合うようだ。せまいとはいえ、別室がもらえてよかったな……。


 食事は、かんパンや塩漬しおづけの肉が中心だ。

 たまにった魚を調理することもあるらしいが、それは魚の機嫌きげん次第しだいとのこと。

 塩漬しおづけ肉の塩辛しおからさと、かんパンぱんかたさが印象的だった。食事の味にはあまり頓着とんちゃくしてないけど、粗末そまつなのはわかる……。


「あれ? 野菜はもうなくなっちゃったの?」

「ああ。栄養不足にならんように積んでるが、ありゃすぐくさっちまうからな。最初の2,3日で食い切っちまうのさ」

「な、なにーっ!? そうと知ってればもっと味わって食べてたのに……!」


 シャルはそんなふうになげいていた。

 栄養不足、か。たしかに2週間も船に乗ってると、それも気にしなきゃいけなくなるんだ。


 最悪わたし魔法まほうでなんとかはできるけど……なんとなく体に悪そうだから、「栄養回復魔法まほう」と「空腹回復魔法まほう」はあまり使いたくなかった。


 それから航海3日目の朝、突如とつじょとして船はきりに包まれた。

 視界が極端きょくたんに悪くなり、船の先端せんたんさえ見えづらい。

 きりの冷たさがはだし、湿しめった空気が服にむ。


「おかしいな……この海域では、こんなきりは出ないはずだが」


 ガランがまゆをひそめる。船員たちの間にも、不穏ふおんな空気がただよはじめた。


「船長、針路はどうします?」

「このまま進むしかないだろう。だが、警戒けいかいおこたるな」


 ガランの命令で、全員が緊張感きんちょうかんを高める。

 わたしとシャルも、それぞれの持ち場にいた。甲板かんぱんの上を歩く足音が、いつもより大きくひびく。


 きりの中を進む海龍かいりゅう号。波の音さえも、みょうに静かに感じる。きりが音を吸収しているかのようだ。


 そのとき、突然とつぜん船が大きくれた。


「なっ……!?」


 シャルがおどろいた声を上げる。わたしも、とっさに手すりにつかまり、その場にしゃがみんだ。


「何だ? 暗礁あんしょうにでもぶつかったのか?」


 ガランの声がひびく。しかし、次の瞬間しゅんかん、さらに激しいれがおそう。

 わたしは手すりを思わずはなしてしまい、甲板かんぱんを転がりそうになる。


「あっ……!」

「ミュウちゃん!」


 シャルの手がわたしを力強く支える。た、助かった……。

 シャルの手の温かさが、恐怖きょうふで冷えた体にわたる。


「これは……暗礁あんしょうじゃない。もっと、生き物のような……」


 ガランの顔が青ざめる。その目は、何かおそろしいものを見たかのように見開かれていた。


「船長! あれを見てください!」


 船員の一人ひとりさけぶ。わたしたちもその方向を見る。


 きりの向こうから、巨大きょだいな何かが姿を現し始めていた。

 それはゆっくりと、しかし確実に船に近づいてくる。水面をく音が不気味にひびく。


「あ、あれは……!?」


 シャルの声がふるえる。わたしも息をむ。


 きりの中から現れたのは、巨大きょだい触手しょくしゅだった。

 海龍かいりゅう号を取り囲むように、いくつもの触手しょくしゅが海面から姿を現していく。


 その触手しょくしゅは、船の全長をすほどに高かった。触手しょくしゅからしたたる海水が、甲板かんぱんに降り注ぐ。


「で、で、で……でっかーーーーい!」

「クラーケンだ! 全員、戦闘せんとう態勢!」


 ガランのさけごえが、船内にひびわたる。その声に、恐怖きょうふと決意が混ざっている。


 海の魔物まものとの戦いが、始まろうとしていた――。

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