第60話 戦争の終わり

 ヴェグナトールが飛び去ってから数日が経過した朝。


 グレイシャル帝国ていこくの首都に位置する大会議場は、緊張感きんちょうかんに包まれていた。

 冷たい空気がはだすように感じられ、窓の外では雪が静かに降り積もっている。


 おごそかな雰囲気ふんいきの中、グレイシャル帝国ていこくとアランシア王国の代表者たちが和平会議のため集まっていた。

 台無しになった講和をやり直すためだ。重厚じゅうこうな木のとびらが開く音が、静寂せいじゃくを破る。


 会議場は巨大きょだいなガラスの彫刻ちょうこく装飾そうしょくされた円形の部屋へやで、中央には大きな楕円形だえんけいのテーブルが置かれている。


 テーブルの表面はみがげられた木目が美しく、その上には整然と並べられた書類や筆記用具が置かれていた。


 テーブルの周りには両国の代表者たちが着席し、その表情は真剣しんけんそのものだ。

 衣擦きぬずれの音と、紙をめくる音だけが、静かにひびいている。


 窓からむ朝日が、彫刻ちょうこくに反射して幻想的げんそうてきな光景を作り出している。

 七色にかがやく光が、部屋へや中をいろどる。綺麗きれいだなあ……。


 わたしはシャルと共に、アランシア王国の席にすわっていた。

 椅子いすの背もたれはかたく、緊張感きんちょうかんを高めている。

 ゴルドーやリンダといった冒険者ぼうけんしゃは今回は出席をひかえているみたいだった。


 ルシアン王のとなりで、シャルはやや緊張きんちょうした面持おももちでテーブルの上に置かれた書類をながめている。

 彼女かのじょの指が、無意識に紙のはしをめくっている。


 わたしは……読んでもわからないので、あきらめて読んでいない。

 代わりに、部屋へや装飾そうしょくや参加者の表情を観察していた。


「では、和平会議を始めよう」


 ルシアン王の声が、静寂せいじゃくを破った。

 かれの声には、若さとは不釣ふついな威厳いげんが感じられる。その声に、全員の背筋がびる。


「まず、グレイシャル帝国ていこくの現状について、ロイドきょうから説明してもらえるだろうか」


 ルシアン王の言葉に応じて、グレイシャル帝国ていこく側の席から一人ひとりの中年の男性が立ち上がった。

 椅子いすきしむ音が、かすかにひびく。そう……元大臣のロイドだ。


 かれわたしとリンダの脱獄だつごくに合わせて脱出だっしゅつした人物。

 聖女アリア――つまりヴェグナトールによって、無実の罪で投獄とうごくされていた。

 その顔には、苦難の日々をえてきた強さが刻まれている。


 ヴェグナトールの正体が明らかになったことで、かれの罪はなかったことになった。

 同時に、多くの「反逆罪」の要人が解放されている。


 皇帝こうていがだめになった今、ロイドは帝国ていこくを代表して和平会議にのぞんでいる……とのことだった。

 かれ咳払せきばらいをすると、落ち着いた声で話し始める。


「はい。まず、くに皇帝こうていの状態についてですが……聖女アリア、いや、じゃりゅうヴェグナトールによる長期間の洗脳の影響えいきょうで、現在も意識が朦朧もうろうとしております。

 そのため、わたし暫定的ざんていてきに国家運営を担当しております」


 その言葉に、会議場にいる全員が顔をしかめ、空気が一瞬いっしゅんこおりつく。


 たしかに、講和会議における皇帝こうていの様子は明らかにおかしかった。

 だがそこまでとはだれも予想していなかったようだ。


「……我々は今回の戦争の責任を痛感しております。

 アランシア王国、そしてほかの諸国に多大なる被害ひがいあたえてしまったことを、心よりおび申し上げます」


 ロイドは深々と頭を下げた。その姿に、会議場の空気が少しやわらいだように感じる。

 しかし、とロイドは続けた。かれの声に、再び力強さがもどる。


くにもまた、ヴェグナトールの被害者ひがいしゃです。多くのたみが苦しみ、国の根幹がらいでしまいました。

 どうか、我々の状況じょうきょうもご理解いただければと思います」

「……ああ。ロイドきょうの言葉、よく理解した。確かに、グレイシャル帝国ていこくもまたヴェグナトールの被害者ひがいしゃだ。

 しかし、だからこそ我々は協力し合い、この困難をえていかねばならない」


 ルシアン王の言葉に、会議場の雰囲気ふんいきが一変した。

 対立ではなく協力を示唆しさするかれの姿勢に、両国の代表者たちは安堵あんどの表情をかべる。


「そして、この戦争の真相を知る者として、ミュウにも話をしてもらおうと思う」

「!?」


 なっ、なんだってー……!?

 なんでわたし呼ばれてるんだろうとは思ったけど、なんだってー……!?


 うう、話をしなきゃいけないのか……しかもこんな何人もの人の前で。胃がキリキリと痛むのを感じる……。


「たしかにね。こればっかりはあたしじゃ助けられないし……頑張がんばって、ミュウちゃん!」


 シャルがはげますようにわたしの手をにぎってくれる。彼女かのじょの手のぬくもりが、少し勇気をくれる。

 でもすごくいやだなあ……全身がムズムズする……。


 わたしはゆっくりと立ち上がり、深呼吸をした。肺いっぱいに冷たい空気を吸いむ。


「え、ええと……わたしは……ヴェグナトールの、過去を……見ました」


 わたしはどもりながら、あちこちに視線をさまよわせながらなんとかしゃべる。

 声がふるえているのが自分でもわかる。

 本当はだまっていたいけど、このままアリアとヴェグナトールのことをだれにも知られないままにはしたくない……。


「100年前……聖女アリアとヴェグナトールは、なんというか……友達ともだち、みたいな感じ……でした。

 けど、当時の人たちが誤解して、アリアは処刑しょけいされてしまって……」


 会議場が静まり返る。だれもが息をむような静けさだ。

 針が落ちる音さえ聞こえそうな沈黙ちんもくが広がる。


「……わたしも資料を確認かくにんしてみた。たしかに、聖女アリアの処刑しょけい記録がある。

 昔の人間はそのことを、少なくとも大々的にかたぐことはしなかったようだな」


 ロイドの声が静寂せいじゃくを破る。その声には、深い思慮しりょめられている。


「……ヴェグナトールは、ひどいことをしたけど……。なんでそんなことをしたのかは……みんなが、知っていいと思います……!」


 わたしの言葉が終わると、会議場に小さなざわめきが広がった。

 各国の代表者たちが、おどろきの表情をかべている。

 小さな議論の声が、あちこちで聞こえ始める。


 ああ、すごくきつい……MPがほぼほぼなくなりかけている……。頭がぼんやりしてくる。


 ルシアン王が立ち上がり、わたしに向かって微笑ほほえんだ。その笑顔えがおに、少し安心感を覚える。


「ありがとう、ミュウ。その言葉、大いに参考にさせてもらう」

「ああ。我々は過去のあやまちをかえしてはなりません。そのためにも、この和平会議を実りあるものにしたいと思います」


 ロイドの言葉に、会議場全体がうなずいた。その動きに合わせて、衣擦きぬずれの音がひびく。


「では、具体的な和平条約の内容に移るとしよう」


 ルシアン王の声がひびく。

 書記官がいそがしそうに筆を走らせ始める。羽ペンが紙の上をすべる音が、かすかに聞こえる。


 わたしは静かに席に着いた。完全に脱力だつりょくして椅子いすにもたれかかる。

 椅子いすの背もたれの冷たさが、つかれた体に心地ここちよく感じられる。


「まず、両国の国境線の再確認かくにんから始めましょう」


 ロイドが地図を広げる。地図を広げる音が、部屋へや中にひびく。

 両国の代表者たちがその地図をのぞむ。

 紙の上にえがかれた線が、両国の未来を決めるのだ。わたしにはどうにもよくわからない世界だ……。


「そうだな。では、まず北部の山岳さんがく地帯から――」


 ルシアン王が指を地図の上で動かす。その指先が、国境線をなぞっていく。

 緊張感きんちょうかんのある空気の中、和平交渉こうしょうが本格的に始まった。


 討議は白熱し、時には激しい言葉の応酬おうしゅうもあった。

 しかしアリアがいたときとちがい、双方そうほうとも平和を望んでいることは明らかだった。


 昼食をはさみながらも、会議は続いていく。食事のかおりが、一時的に緊張きんちょうやわらげる。


 ……夕方近くになって、ようやく和平条約の大枠おおわくが決まった。

 窓の外では、夕日が雪原と街を赤く染めている。


「では、以上の内容で和平条約を締結ていけつすることに異議はないか?」


 ルシアン王の声に、だれも反対の声を上げなかった。静寂せいじゃくが、同意を示している。


「よろしいだろうか、ロイドきょう

「はい、これで問題ありません」


 ロイドも同意し、両者が和平条約書に署名をする。

 その瞬間しゅんかん、会議場に小さな拍手はくしゅが起こった。その音が、徐々じょじょに大きくなっていく。


「これにて、グレイシャル帝国ていこくとアランシア王国の戦争は、正式に終結した!」


 ルシアン王の宣言に、会議場全体が安堵あんどの空気に包まれた。

 長い緊張きんちょうから解放され、みなの表情がやわらかくなる。

 深いため息が、あちこちから聞こえてくる。


「そして、グレイシャル帝国ていこく暫定ざんてい統治者として、ロイドきょうが就任することをアランシア王国は支持する」


 その言葉に、グレイシャル帝国ていこくの代表者たちから賛同の声が上がる。

 拍手はくしゅの音が、再び部屋へや中にひびく。ロイドは深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。微力びりょくながら、全力をくす所存です」


 会議はそれからも少し続いた。

 戦争で被害ひがいを受けた地域の復興計画や、両国の今後の協力体制について議論が行われた。


 わたしだまって聞いていたが、その内容の多くは難しく、ほとんど何を言っているのかわからなかった。

 頭の中で言葉がうずを巻いているようで、居眠いねむりしないように必死だった。


 しかし、両国が協力して平和な未来を築こうとしている姿に、わたしは心が温かくなるのを感じた。


 これがわたしたちが戦ってきた理由なのだと、改めて実感する。

 これで、収容所や村で出会った帝国ていこくの人たちも、少しは救われることだろう。


 そして会議が終わりに近づくころ、ロイドは突然とつぜんわたしに向かって話しかけてきた。


「ミュウ殿どの、少し時間をいただいてもいいかな?」


 その言葉にわたしは少しおどろいたが、小さくうなずいた。

 もうかなりつかれてるんだけど……とは言えない雰囲気ふんいきだ……。



「――では、これにて和平会議をしゅうりょうとする!」


 ルシアン王の言葉と共に、長い会議が幕を閉じた。

 椅子いすを引く音や、書類をまとめる音が重なり合う。


 わたしとロイド、それにシャルは別室に移動するのだった。



 別室に入ると、そこには小さな応接セットが置かれていた。

 深紅しんくのビロードでおおわれた椅子いすが、やわらかな光の中でかがやいている。


 窓からは夕日がみ、部屋へややわらかなオレンジ色の光で包んでいる。

 かべには精巧せいこうな人型の彫刻ちょうこくかざられ、その表面に夕日が反射していた。


 ロイドが椅子いすすわるよううながし、わたしとシャルもそれに従う。

 椅子いすやわらかさに体がしずみ、思わずほっとため息がれる。

 長時間の緊張きんちょうから解放され、筋肉のつかれがじわじわと感じられる。


「ミュウ殿どの。君の力は、まさに奇跡きせきだ。

 くにを……いや、世界を救ったと言っても過言ではない」

「え、えっと……そ、そんな……」


 わたしは言葉にまり、視線を泳がせる。

 部屋へやすみにある観葉植物に目を向けたり、ゆかの模様を追ったりと落ち着かない。

 シャルがはげますようにわたしの背中をさすると、そのぬくもりが、少し心を落ち着かせてくれる。


「だからこそ、君にお願いがある」


 ロイドは真剣しんけんな表情で続けた。その声音こわねに、わたしも思わず背筋をばす。

 椅子いすの背もたれがきしむ音が小さくひびく。


「グレイシャル帝国ていこくの聖女として、くにとどまってはくれないだろうか」

「えっ!?」


 思わず声が出る。その声が部屋へや中にひびわたり、一瞬いっしゅん静寂せいじゃくおとずれる。

 聖女? わたしが? しかも、ここにとどまる?


「え、えと、どどど……どういう……」

「グレイシャル帝国ていこくの聖女として、くにとどまってほしいんだ。

 君の力があれば、戦争で疲弊ひへいしたたみいやし、国を立て直すことができるはずだ」


 ロイドの言葉に、わたしは言葉を失う。確かに、わたしの力は人を助けることができる。

 でも、ここにとどまるということは……。頭の中で様々な思いが渦巻うずまく。


「ミュウちゃん」

「ど、どうしよう……」


 わたしは小さな声でつぶやく。その声が、自分の耳にも不安げに聞こえる。

 シャルは少しだけ微笑ほほえみ、わたしに判断をゆだねる様子を見せた。ううう……!


 しばらくの沈黙ちんもくの後、わたしは深呼吸をして口を開いた。


「ご、ごめんなさい……。で、でも……わ、わたしは……旅を、続けたいです」


 言葉が途切とぎ途切とぎれになるが、なんとか伝える。のどかわいているのを感じる。


 一つの国にとどまって、聖女としてやっていく……というのは、どうも性に合わないような気がした。

 そういうふうにあがめられるのもイヤだし、なにより――アリアの過去を見て、聖女にもいろいろあるんだってわかったし。


「そうか……」

「で、でも! その、定期的に……もどってくることは、できます。そ、その時に……できる限り、力になります」


 言葉をしぼすように話す。その言葉に、ロイドの表情が少し明るくなる。


「そうか。それでも大きな助けになる。ありがとう、ミュウ殿どの


 話し合いが終わり、部屋へやを出る。ドアを開けると、冷たい廊下ろうかの空気が顔に当たる。

 すると、後ろからシャルがわたしきしめた。彼女かのじょの体温が、わたしの背中に伝わってくる。


「ミュウちゃん、よく言えたね!」

「……っ」

「正直、ここに残るって言われたらどうしようかと思っちゃった。ここ寒いしね!」


 シャルの声には、少し冗談じょうだんめいた調子が混じっていた。わたしは小さくうなずく。


 確かに、ここに残るという選択肢せんたくしもあった。でも、まだ見たい世界がある。

 そして、なによりシャルと一緒いっしょに旅を続けたい。その思いが、胸の中でじわじわと広がる。


「どうしたの、ミュウちゃん。じっと見て」

「う……ううん。なんでもない」


 わたしは、思わずじっと見てしまったシャルから目をらした。

 心臓が少しどきどきする。顔が熱くなるのを感じた。



 翌日、アランシア王国への帰還きかん準備が始まった。


 荷物をまとめながら、これまでの冒険ぼうけんを思い返す。

 雪の中で必死に走ったこと、収容所での脱出だっしゅつ、そして最後の決戦。


 すべてが遠い昔のことのように感じられる。荷物をめる音や、人々のいそがしそうな足音が、館中たちなかひびいている。


 出発の日、グレイシャル帝国ていこくの人々が見送りに集まった。

 寒気の中、息白く、かれらの熱気が広場に満ちている。


 かれらの中には、わたしとリンダが収容所で助けた人の姿もあった。

 その顔々には、感謝と希望の色がかんでいる。


「ミュウさん! あのときは本当にありがとうございました」

「また来てください!」

「聖女様、お元気で!」


 次々と感謝の言葉をかけられ、わたしは顔を熱くしながらも、なんとな小さくうなずいていく。


「さあ、行こうか」


 ルシアン王の声に、わたしたちは馬車に乗りむ。

 馬車の木のゆかがきしむ音が、足元から伝わってくる。


 馬車が動き出し、車輪が雪をむ音がひびく。

 グレイシャル帝国ていこくの街並みが徐々じょじょに遠ざかっていく。


 窓から見える景色けしきが、雪原へと変わっていく。白銀の世界が、どこまでも広がっている。


「ねえ、ミュウちゃん。いろいろ大変なことも終わったね。これからどこに行こうか?」


 わたしは少し考え、そっと答えた。


「ど、どこでも……シャルと一緒いっしょなら……」

「そっか。じゃあ、もっともっと色んなところに行こうね!」


 シャルの声がはずむ。その明るさに、心が温かくなる。


 わたしうなずき、窓の外を見る。広大な雪原の向こうに、新たな冒険ぼうけんが待っている。

 そう、これからもわたしたちの旅は続いていく。

 冷たい空気がほおで、新しい旅への期待をてる。


 馬車は雪原を進み、遠くに見える山々へと向かっていく。

 その景色けしきながめながら、わたしは静かに目を閉じた。

 こうして――後に聖女戦争せいじょせんそうと呼ばれる戦いは、完全にまくを閉じたのだった。

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