第57話 ヴェグナトール

 講和会議が行われていた大広間は、一瞬いっしゅんにして地獄絵図じごくえずと化した。


 天井てんじょうやぶった巨大きょだいな黒いかげが、轟音ごうおんとともに降り立つ。

 くだけ散る石材の破片はへんが雨のように降り注ぎ、わたしは思わず身を縮める。


 広間の豪華ごうかな調度品は無残にも破壊はかいされ、濁った赤絨毯じゅうたんの上には瓦礫がれきが散乱している。

 かべけられていた肖像画しょうぞうが紋章もんしょう旗はかれ、ゆかに落ちたシャンデリアの破片はへんが、わずかに残った光を反射して不気味にかがやいている。


「そうだ。我はアリアに非ず。ヴェグナトール――じゃりゅうヴェグナトールである!」


 じゃりゅう咆哮ほうこうひびわたる。

 その声が建物全体をふるわせ、耳をつんざくような音が頭の中までひびく。

 空気が振動しんどうし、胸に強い圧迫感あっぱくかんを覚える。


「ミュウちゃん、危ない!」


 シャルのさけごえと同時に、わたし彼女かのじょに引っ張られるようにして横にんだ。

 直後、わたしたちがいた場所に巨大きょだいな岩が落下する。


 ゆかくだ衝撃しょうげきで、バランスをくずしそうになる。

 くだけた石からあがほこりが鼻をくすぐり、みそうになる。


 とりでは大混乱に包まれ、グレイシャル帝国ていこくの人々がおびえてまどっていた。

 悲鳴と足音が入り混じり、パニックのうずが広がる。

 恐怖きょうふゆがんだ表情、必死にげようとする人々の姿が、目まぐるしく視界を横切る。


「ヴェグナトール……聞いたことがある。100年以上前、グレイシャル帝国ていこくおそっていたというドラゴンの名だ」


 ゴルドーの声が静かに聞こえる。さすがのゴルドーも、とんでもないモンスターを相手に少しあせっている様子だ。

 かれの額にはあせかび、普段ふだん余裕よゆうのある表情が消えていた。


「ほう……おろかなグレイシャルのたみよりよほど利口と見える。たかが100年で我の恐怖きょうふすらなくした腑抜ふぬけどもよりはな」


 ヴェグナトールの不遜ふそんな声が、ゴルドーの言葉に重なる。

 その声には、人間を見下すような冷ややかさがにじんでいた。


「みんな、げて!」


 ナイアがさけぶ。彼女かのじょすで細剣さいけんを構え、ヴェグナトールに向かって突進とっしんしていた。

 その姿勢からは、迷いのない決意が感じられる。


 その時、わたしの視界にルシアン王の姿が入った。

 かれは冷静さを失わず、グレイシャルの使節やアランシアの法律家といった、講和会議に出席していた人々に指示を出している。


「落ち着け! 順序よく避難ひなんするのだ!」


 王の声に、少しずつだが人々の動きが整っていく。

 かれの声には、人々をしずめる不思議な力が宿っているかのようだ。王様のカリスマ、というやつだろうか。


 わたしは急いで王の元へとった。シャルやリンダも同様だ。まずは何より王を守らないと……!

 足元の瓦礫がれき感触かんしょくが、この状況じょうきょうの現実味を増す。まっすぐ歩くのも難しい。


「ミュウ! 良かった、無事か!」


 ルシアン王が満足げにうなずく。その後、天から見下ろすりゅうにらんだ。

 かれの目には、いかりと共に、何かを見抜みぬこうとするするどい光が宿っている。


「お前が何者かは知らんが……仮にも講和会議という場で、一方の国を襲撃しゅうげきなど!

 今後一切いっさい、グレイシャル帝国ていこくが他国からの信用を得ることはできなくなる。すべての国を敵に回すことになるぞ!」


 ルシアン王の言葉には、外交官としての冷静さと、王としての威厳いげんめられていた。

 しかし、それはヴェグナトール――理外の怪物かいぶつには通じなかった。


「グハハハハ……! グレイシャルがなくなる? それはいい! 我もソレを望んでおるわ!」


 ヴェグナトールの咆哮ほうこうと共に、青白いほのおされる。

 そのほのおは、まるで意思を持つかのようにわたしたちに向かっておそいかかってきた。

 ほのおの熱気がせ、はだが焼けるような感覚におそわれる。


「くっ!」


 ルシアン王が魔法まほう障壁しょうへきを展開する。青白い光のかべわたしたちの前に立ち現れる。


 しかし、ドラゴンのほのお威力いりょくすさまじく、障壁しょうへき徐々じょじょもどされていく。

 光のかべにヒビが入り始める音が聞こえる。


魔力まりょく回復魔法まほう!)


 わたし咄嗟とっさつえかかげ、ルシアン王に回復魔法まほうをかける。

 青白い光がかれつつみ、かれ魔力まりょくが回復していく。つえから温かな魔力まりょくあふし、わたしの手のひらがほんのりと熱くなる。


「ありがとう、ミュウ!」


 王の障壁しょうへきが強化され、何とかほのおかえす。


 とはいえ、消耗しょうもうは激しい。

 あの宮殿きゅうでんを守ったバリアは、おそらく宮殿きゅうでん自体に仕込しこまれたもの。

 本人だけの力で、いつまでもあの攻撃こうげきから身を守るのは不可能だろう。

 ルシアン王の額には、すであせかんでいる。


 その時、思いもよらぬ方向から声が聞こえた。


「お、おお……アリア……アリア……!?」


 すわっていたグレイシャル帝国ていこく皇帝こうていがよろよろと歩き出していたのだ。

 その先には、ヴェグナトールの巨大きょだいつめがあった。

 皇帝こうていの目は焦点しょうてんが合っておらず、まるでまぼろしを見ているかのようだ。まずい――


邪魔じゃまだ、グズが!」


 つめげられると、激しい血が辺りに飛び散った。

 皇帝こうていの肉体を深々とえぐり、く。鮮血せんけつにおいが、一瞬いっしゅんにして広間中に広がる。


「……!」

「なんということを……っ!」


 リンダとルシアン王がその光景に絶句する。

 わたしはすぐさまつえを向け、皇帝こうていの傷をやした。

 青白い光が皇帝こうていの体をつつみ、失われた血肉がふさがれていく。傷がふさがる音が、かすかに聞こえる。


(……即死そくしじゃなくてよかった、けど。この場は危険すぎる……!)

「ありがとう、ミュウ! シャル、皇帝こうていを安全な場所に!」


 ルシアン王の指示に、シャルがこたえる。意識を失った皇帝こうていかついで持ち上げた。

 シャルのうでに力が入り、筋肉ががるのが見える。


「おっけー! ほらじいちゃん、避難ひなんするよ!」


 その撤退てったい支援しえんするように、ゴルドーとナイアも合流し、王を中心とした陣形じんけいを作る。

 かれらの息遣いきづかいが、緊張感きんちょうかん余裕よゆうのなさを物語っているようだ。体が硬直こうちょくしそうになる……。


 その時、ヴェグナトールが再びおそいかかってきた。

 今度は巨大きょだいつめで、建物のかべくように攻撃こうげきしてくる。

 石壁いしかべかれる轟音ごうおんひびき、瓦礫がれきがこちらに飛んでくる。


「ちっ……! どうする、策はあるか!?」


 ゴルドーがさけぶ。

 かれのハンマーが飛来した瓦礫がれきとすが、その衝撃しょうげきかれの体が後ずさった。


「ゴルドー!」


 ナイアがるが、今度は彼女かのじょがヴェグナトールの尻尾しっぽばされる。


「ぐあっ……!」


 ナイアの体が宙をい、かべたたきつけられる。その衝撃しょうげき音が、わたしの胸にひびく。


(まずい。大回復魔法まほう……!)


 わたしは必死に回復魔法まほうを発動し続ける。

 「やしのしずく」の効果か、魔力まりょく消耗しょうもう普段ふだんよりかなり少ない。青白い光が次々と仲間たちをつつんでいく。


 だからといって、決定打のない中いつまでもつづけられるほどではない……!

 わたしの額からも、あせにじてくる。限界はそう遠くはない。


 その時、とりでの外から大きな角笛の音がひびいた。

 低く、力強い音が建物全体をふるわせる。


援軍えんぐんだ! アランシア王国の兵がたぞ!」


 だれかの声がひびく。

 こわれたかべの外を見ると、アランシア王国の旗をかかげた兵士たちがとりでに向かって突進とっしんしてくるのが見えた。


「『あの』聖女アリアのことだ。これくらいはしてくるだろうと思って待機させておいた!」


 ルシアン王の声に、安堵あんどが広がる。これだけの数がいれば、勝てるかもしれない。

 しかし、その瞬間しゅんかんだった。


「ゾルダグ ヴァズナゲ ドゥルゾッゲ……!」


 ヴェグナトールの怒号どごうひびく。その声には、これまでにない激しい憎悪ぞうおめられていた。

 全身が、音の波と衝撃波しょうげきはふるえる。まるで地震じしんが起きたかのようなれが、足元から伝わってくる。


「我はじゃりゅうヴェグナトール……! 一翼いちよくにて国と戦い続けたりゅうぞ!

 これしきの兵が、物の数になると思うか……ッ!」


 じゃりゅうの体から、黒いきりのようなものがのぼる。

 そのきりれた建物の一部が、みるみるうちに腐食ふしょくしていく。

 腐食ふしょくする石材から、酸のような刺激臭しげきしゅうただよってくる。


「何だこれは……!?」


 ゴルドーがおどろきの声を上げる。かれの手にきりれ、たちまち赤い斑点はんてんかびがる。その斑点はんてんが、みるみるうちに体に広がっていく。


「毒!?」


 ナイアがさけぶ。彼女かのじょも同じように、体の一部に赤い斑点はんてんが現れ始めていた。

 斑点はんてんの周りの皮膚ひふが、徐々じょじょに変色していく。


(状態異常回復魔法まほう!)


 わたしは必死につえかかげ、解毒げどく魔法まほうを発動した。

 青白い光がかれらの体をつつみ、毒の影響えいきょうが取り除かれていく。


 同時に、けんの波動がヴェグナトールの胸元むなもとおそった。

 金属音と共に、青い光の波が空気を切りく。


「でぇりゃあああああっ!!」

「ヌゥ……!」


 それは皇帝こうてい避難ひなんを終え、もどってきたシャルの攻撃こうげきだった。そのけんが青くかがやいている。

 けんから放たれた波動が、ヴェグナトールのうろこけずったのが見える。


「そのじゃりゅう様が、なんで聖女に化けてたわけ? 女装趣味しゅみでもあったの!?」


 シャルが挑発ちょうはつするように言うと、ヴェグナトールは彼女かのじょを前足でつぶそうとする。

 巨大きょだいな足が地面にたたきつけられ、大きな衝撃波しょうげきはが走る。


「シャル!」


 思わず大きな声が出る。しかし、シャルはすでにそこから素早すばやしていた。

 彼女かのじょの動きは風のようにかろやかで、ヴェグナトールの攻撃こうげきをいとも簡単にかわしていく。


此度こたび復讐ふくしゅうはアリアのためのもの……おろかなこの国を絶望にたたとすためのなァ!」


 ヴェグナトールの言葉に、わたしの頭の中で疑問が渦巻うずまく。

 アリアのため? 復讐ふくしゅう

 しかし、今はそれを考えている場合ではない。


 ヴェグナトールの攻撃こうげきさらに激しさを増していく。

 建物の柱が次々とくずれ落ち、天井てんじょうが今にも崩落ほうらくしそうだ。

 石材がきしむ音が絶え間なくひびき、頭上からは細かな砂塵さじんが降り注ぐ。


「このままではとりでが持たん! 兵よ、矢を放て!」


 ルシアン王のさけごえひびわたる。

 その声に応じ、アランシア王国の兵士たちが一斉いっせいに弓を構える。

 つるを引く音が重なり、緊張感きんちょうかんが高まる。


「はっ!」


 兵士たちのごえと共に、無数の矢が空をおおう。

 まるで黒い雨のように、矢がヴェグナトールに向かって降り注ぐ。


 しかし、じゃりゅう余裕よゆうの表情をくずさない。


「ガゾ ブラゾグ ゲズバグ ドゥルゾッゲ、ゾルダグ ヴォゾゲガ ナッ!」


 なんらかの魔法まほう詠唱えいしょうとともにヴェグナトールがしたほのおは、空中でうねり、すべての矢を焼き落とす。

 ほのおに包まれた矢が、灰となって散っていく。その光景はまるで花火のようだ。とてもそんな綺麗きれいなものではないけど……!


 ほのおはそのまま勢いを保ち、アランシアの兵たちをまとめて火でつつんだ。

 オレンジ色のほのおが、兵士たちの姿をんでいく。


「あ――ああああああっ!!」


 兵士たちの悲鳴がひびわたる。その声に、わたしの心臓が高鳴る。


(全体、大回復魔法まほう!!)


 わたしは全身の魔力まりょくを解き放つ。「やしのしずく」がまばゆい光を放ち、その光が兵士たちをつつむ。

 ほのおくされる前に、かれらの体を回復する。


 やがてほのおが消えると、そこにはほとんど無傷の兵士たちが立っていた。

 かれらのよろいげ、かみは乱れているものの、体に大きな傷は見当たらない。


「なっ、なんだ……!? 火傷がない!」

「これが聖女の奇跡きせきか……!」


 兵士たちの間でおどろきの声が上がる。かれらの目に、畏敬いけいの念が宿る。


 わたしは「やしのしずく」の力をだんだんと使いこなし始めていた。

 これまでよりも早く、より強力な回復ができるようになっている。体の奥底おくそこからがる力を感じる。


 それを見たヴェグナトールは、おのれきばを打ち鳴らした。

 その音は、いかりとあせりが混ざったような不気味なひびきだった。


「聖女……聖女、聖女……!?」


 ヴェグナトールが再び咆哮ほうこうを上げる。

 しかし、その声にはわずかながら悲しみの色が混じっているように感じられた。

 その目に、狂気きょうきじみた光が宿る。


「アリア以外に、聖女などいない……! 貴様らはすべてまがものだッ!」


 じゃりゅうの体が、不気味な光を放ち始める。

 その光は次第しだいに強さを増し、やがてとりで全体をつつんでいく。

 まるで世界そのものがゆがんでいくかのような感覚におそわれる。


「な、何が起きている……! 今度は何をする気だ!?」


 ルシアン王が困惑こんわくした声でつぶやく。視界のすべてが光に包まれる――。


 ――光が収まると、わたしの周りには不思議なかべが形成されていた。

 それは半透明はんとうめいで、外の景色けしきがぼんやりと見える。

 まるでガラスのかべのようだが、れてみると固く、冷たい感触かんしょくがする。


「これは、結界!? ミュウ!」


 ナイアがさけぶ。

 彼女かのじょけんかべを切りつけるが、まったく傷一つつかない。けんかべに当たる音がむなしくひびく。


「ミュウちゃん! そんな……っ!」


 そして、おそろしいことに気づく。

 ナイアも、ルシアン王も、シャルもゴルドーも……みな結界の「外」にいる。

 彼女かのじょらの姿が、半透明はんとうめい壁越かべごしにぼんやりと見える。彼女かのじょらのさけごえが、遠くから聞こえてくるように感じる。


 結界の「中」にいるのは、わたしとヴェグナトールだけだった。

 じゃりゅう巨大きょだいな頭が、目の前にせまる。その吐息といきが、わたしはだがすように感じる。


忌々いまいましい……忌々いまいましい、忌々いまいましい……! 聖女をかたる罪人が……そのもろい体をいてくれる!」


 全身がふるえる。筋肉が硬直こうちょくし、動きを止めようとする。

 こんなモンスターに、わたし一人ひとりで勝てるわけがない……胸のおくに絶望が広がっていく。


(……けど)

「ミュウちゃん! ミュウちゃんっ!」


 結界の外で、悲痛な表情をかべるシャルが見えた。わたしき、軽く微笑ほほえむ。


「……っ!?」

(……大丈夫だいじょうぶ。なんとかしてみせるから)


 シャルを悲しませることはできない。私と違って優しくて明るいあの人を、傷つけることはしたくない。

 この戦争が始まって、何度も自分に言い聞かせた言葉を繰り返す。生き残るために、できることをする。


わたしに、できることを……全力で!)


 わたしは力強く、つえを地面にたたきつけた。金属音が響き渡る。そして詠唱えいしょうする。


魔導まどう王の名において命ずる――。争いのほのおくすを。いさかいの波を洗い流す海を。

 光と、おもいをこの手に――」


 それは、わたしが忘れていた魔法まほう。マーリンが教えてくれた、「とっておきの魔法まほう」。

 ある意味で、わたしにとって唯一ゆいいつの――攻撃こうげき魔法まほうだ。


「――心を癒やす魔法ベルウィグ・マナズィール


 つえから放たれた光が、わたしとヴェグナトールを包む――!

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