第50話 宣戦布告

 アーケイディアの王宮。その姿を見るのは二度目だが、その美しさは変わらない。


 夜空にかぶ光の結晶けっしょうのような照明が、街をやわらかく照らしていた。

 時計塔とけいとうが空高くそびえ立ち、その先端せんたんには魔法まほうの光でできた星座がまたたいている。


 宮殿きゅうでん壁面へきめんには複雑な魔法陣まほうじんが刻まれ、かすかに青白い光を放っていた。

 その光が、夜風にれる木々の葉をやさしく照らす。


「うわぁ……やっぱりすごいよね、この宮殿きゅうでん


 シャルが感嘆かんたんの声を上げる。その横で、わたしも小さくうなずいた。

 何度見ても圧巻の光景だ。風に乗って花のかおりがただよってくる。


 門番たちはわたしたちを見るなり、目を丸くした。

 かれらの甲冑かっちゅうが、魔法まほうの光に照らされてきらりと光る。


「お、お二人ふたりは……! 英雄えいゆう様ではありませんか!」

「どもー! こんな格好で悪いんだけど、ルシアン王に会えないかな?」


 シャルはわたしや自分の服装を見る。さすがに水はかわいたが、色々とボロい服なことは確かだ。

 門番たちはあわてて頭を下げた。かれらの動きに合わせて、甲冑かっちゅうがかすかにきしむ音がする。


「ええ、お二人ふたりであれば問題ありません。後ろの方々は……」

「あたしたちの知り合い! 一緒いっしょに入れてもらえるかな?」

「ええ、構いません。どうぞ」


 かれらは大きな門扉もんぴを開け放った。

 重厚じゅうこうとびらきしむ音がひびき、中から温かな空気がれ出てくる。


「いやー、あたしたちのこと覚えててくれてるんだ。うれしいね!」


 シャルが明るく笑う。

 わたしが受け取った勲章くんしょうは、グレイシャル帝国ていこく没収ぼっしゅうされてしまったけれど、つくづく勿体もったいない……。

 なんとかして取り返せないだろうか。


 そんなことを考えながら宮殿きゅうでんの中に入ると、あまかおりが鼻をくすぐった。

 かべには美しい花々がかざられ、廊下ろうかを歩くたびにかおる。百合ゆりの花のかおりだ。

 足元の絨毯じゅうたんが、歩くたびにふわりとしずむ。


「おや? これはこれは! ミュウとシャルではないか!」


 若々しい声がひびわたる。

 くと、そこには金色の短髪たんぱつを風になびかせた若い男性が立っていた。


 アランシア王国の王、ルシアンだ。

 かれはなやかな衣装いしょうが、宮殿きゅうでん内の光を反射してかがやいている。


「ルシアン王! 久しぶり! ってほどでもないかな?」


 シャルが元気よく手をる。

 ルシアン王は両手を広げ、うれしそうに近づいてきた。かれの足音が、廊下ろうかかろやかにひびく。


「おお! 予の最愛なる百合ゆりカップルの英雄えいゆうたちよ! 無事だったか!」

「カップルではないんだけど……」


 シャルが苦笑いしながら、半歩後ずさる。わたしも思わず身を引いた。

 相変わらずテンションが高い……。ルシアン王の香水こうすいあまかおりが、鼻をくすぐる。


「ふむ、まだ自覚がないと言うのか……。まぁいずれその自覚が芽生えていくさまも美しいものだからな。

 ところで、その後ろにいるのは……?」


 ルシアン王の視線が、リンダとロイドに向けられる。


「あ、紹介しょうかいするね。こっちがリンダで、そっちがロイドっていうの。グレイシャル帝国ていこくで色々あって……」


 シャルが簡単に説明すると、ルシアン王は深刻な表情になった。かれ眉間みけんにしわが寄る。


「なるほど……。くわしい話は執務しつむ室で聞こう。みな、付いてきてくれ」


 王は長いマントをはためかせ、颯爽さっそうと歩き出した。

 わたしたちはあわててその後を追う。マントが風を切る音が廊下ろうかひびく。


 執務しつむ室に入ると、ルシアン王は豪華ごうか椅子いす腰掛こしかけ、わたしたちをうながした。椅子いすかわきしむ音が聞こえる。


「さて、話を聞こう。グレイシャル帝国ていこくとやらで、一体何があった?

 実のところ予も、二人ふたりがグレイシャルに向かったことは知っていたのだが……」


 シャルが経緯けいいを説明する。わたしは時折うなずきながら、補足を入れた。

 リンダとロイドも、自分たちの知る情報を加えていく。

 暖炉だんろの火が、かすかにパチパチと音を立てている。


 話を聞きながら、ルシアン王の表情が徐々じょじょくもっていった。

 かれの指が、椅子いす肘掛ひじかけを強くにぎりしめる。


「……なんとひどい仕打ちだ。百合ゆりくなどと……許せん!」

「そこじゃないって」

「何なのこの男?」

(リ、リンダ……! 一応王様だから……!)


 王のいかりの声が部屋へや中にひびわたる。かべかざられた花々が、その声に反応してれた。

 そのリアクションはみなまちまちだった。リンダはあきれている様子だ……。


「それはそうと、あの国おかしいんだよ。なんか聖女がどうとか言って、皇帝こうていが乱心したとかで……」

「聖女、だと? ミュウのことではないのか?」


 ルシアン王が身を乗り出す。その目が真剣しんけんな光を帯びる。


「うん。なんか、聖女アリアっていう人が出てきて、それ以来国の様子が変わったみたいで」

「聖女アリア……。その名前には聞き覚えがあるな。だが――」


 ルシアン王はいぶかしげに続ける。かれの声に、緊張感きんちょうかんただよう。


「――アリアは確か100年以上前の英雄えいゆうのはずだ」


 王がまゆをひそめる。室内に重苦しい空気が流れる。

 わたしは耳を疑った。心臓の鼓動こどうが、一瞬いっしゅん速くなる。


「え……どういうこと? 100年前の人って、もう死んでるよね?」

「そうだ。聖女アリアは『よみがえった聖女』なのだ」


 それらの言葉を聞いていたロイドが補足する。

 帝国ていこくの内部にいたかれは、アリアについて一番知っているはずだ。かれの声には、緊張感きんちょうかんにじむ。


「歴史上、アリアは確かに死んでいる。

 だが今のアリアは当時の記録と何も変わらぬ姿で現れ、当時の歴史を事細かに語り、そして……奇跡きせきを起こすのだ」

奇跡きせき、だと?」

「ああ。水を酒に変えたり、あらしを消したり……といったところだな」


 ロイドの声色こわいろには懐疑かいぎ畏怖いふが混ざっているようだった。

 自分の目で見てもなお信じきれない、といった様子だ。


「そのアリアが皇帝こうていに取り入って、国をおかしくしているということか」

「ああ……。あの聖女を止めない限り、帝国ていこくは元にもどることはあるまい」


 再び重い沈黙ちんもく執務しつむ室を支配する。

 わたしつばを飲む音がうるさく聞こえた。暖炉だんろの火が、かすかにはぜる音だけがひびく。


「とにかく! 予が愛する百合ゆりを傷つけた罪は重い。グレイシャル帝国ていこくめ、覚えているがいい」


 ルシアン王が立ち上がり、窓の外を見つめる。

 その背中には、いかりと決意がにじんでいた。窓から夜風が入り、カーテンがそよぐ。


「ねえ、ルシアン王」


 シャルが少し躊躇ためらいながら声をかける。


「なんだ?」

「あたしたち、しばらくこの国に滞在たいざいしててもいい? 一応、ちょっと体力を回復させたくてさ」


 ルシアン王はかえり、にっこりと笑った。その表情に、部屋へやの空気が少しやわらぐ。


「無論だ! 二人ふたりはこの国の英雄えいゆうだからな、ここアーケイディアで存分にいこうといい。予がお前たちの安全を保証しよう」


 その言葉に、わたし安堵あんどした。

 ようやく、安全な場所にたどり着いたのだと実感する。かたの力がけていくのを感じる。


「ありがとう! 本当に助かるよ」


 シャルが頭を下げる。わたしも、小さく頭を下げた。


「気にするな。さて、予はお前たちのために最高の部屋へやを用意させよう。休息を取るがよい。そして……」


 ルシアン王はにやりと笑った。その笑顔えがおに、少し不安を覚える。


明日あしたは、予とそなたらで楽しいお茶会をしよう! 二人ふたりの仲にどんな進展があったか聞かせてくれ!」

「あー……まぁ気が向いたらね」


 シャルが遠回しに断る。わたしも小さく首をった。


 その後、わたしたちは用意された部屋へやへと案内された。

 豪華ごうかな調度品に囲まれた広い部屋へややわらかなベッド。温かな食事。

 部屋へやに入ると、あまい花のかおりがただよっていた。


 食事は、アランシア名物の魔法まほう香草こうそうを使ったシチューだった。

 かおたかい蒸気がのぼり、胃が鳴るのを感じる。

 シャルは美味おいしそうに頬張ほおばり、リンダは優雅ゆうがにスプーンを運ぶ。

 ロイドも少し戸惑とまどいながらも、食事を楽しんでいるようだった。


 久しぶりの安らぎに、わたしたちの体と心がゆるんでいく。

 しかし、グレイシャル帝国ていこくでの出来事が、いつも頭の片隅かたすみにあった。


 あの国の人々は、今どうしているのだろう……。食事の美味おいしさと、心の重さが入り混じる。


 そんな思いをかかえながら、わたしたちは休息の時を過ごし始めた。

 明日あすへの英気を養いつつ、次の行動を考えながら――。

 窓の外では、アーケイディアの夜景が静かにかがやいていた。



 翌朝、リンダとロイドを置いてわたしたちは約束通りルシアン王とのお茶会にのぞんでいた。断ったはずなのに……。


 宮殿きゅうでんの庭園で開かれたそれは、花々のかおりに包まれたおだやかなものだった。

 テーブルには色とりどりの菓子かしが並び、魔法まほうで温められた紅茶が湯気を立てている。

 朝のやわらかな日差しが、銀のティーポットに反射してかがやいていた。


「さて、二人ふたりの仲はどうなのかね? 困難を経て通じ合ったりしたかな?」


 ルシアン王の質問に、シャルが苦笑いをかべる。

 彼女かのじょの赤いかみが、朝日に照らされて燃えるようにかがやいている。


「だから、そういう関係じゃないってば……」


 わたしだまってティーカップを手に取る。温かな茶のかおりが鼻をくすぐる。

 ほんのりとしたベルガモットのかおりが、心を落ち着かせてくれる。


 そのとき、突然とつぜんさわがしさが庭園にひびいた。鳥たちがおどろいて飛び立つ音が聞こえる。


「陛下! 緊急事態きんきゅうじたいです!」


 侍従長じじゅうちょうあわてた様子でってくる。

 かれの足音が、石畳いしだたみたたく。息を切らしている様子で、額にはあせかんでいた。


「なんだこんな時に? 落ち着いて話せ」

「グレイシャル帝国ていこくからの使者がております。しかも、その使者が……」


 侍従長じじゅうちょうの言葉が途切とぎれる。かれの顔には、おそれの色がかんでいた。

 その表情に、周囲の空気が一気に緊張感きんちょうかんに包まれる。


「その使者がどうした?」

「聖女アリアと名乗る者です!」


 その言葉に、場がこおりついた。風がみ、鳥のさえずりも聞こえなくなったかのようだ。

 テーブルの上の紅茶の湯気さえ、一瞬いっしゅん止まったように見えた。


「なに!?」


 ルシアン王が立ち上がる。

 椅子いすきしむ音がひびく。その音が、こおりついた空気を切りく。


「すぐに執務しつむ室に案内しろ。みな、付いてきてくれ」


 わたしたちは急いでルシアン王の後を追った。


 廊下ろうかける足音が、宮殿きゅうでん中にひびわたる。

 心臓の鼓動こどうが、耳の中で大きく鳴っているのを感じる。


 執務しつむ室に入ると、そこには一人ひとりの女性がたたずんでいた。

 長い黒髪くろかみに赤いひとみを持ち、その体は宝石をんだドレスで包まれている。


 そんなドレスにも負けない神々しいまでの肉体と美貌びぼう

 そして――人間ばなれした雰囲気ふんいき部屋へやの空気が、彼女かのじょの存在感で満たされている。


 その瞬間しゅんかんわたしの中で警報がひびいた。

 背筋がこおるような感覚。全身の毛が逆立つのを感じる。


(この、人……。いや……人間じゃない)


 同時に直感した。彼女かのじょは人間ではない。人間という種ではない「なにか」だと。


「アランシア王国の皆様みなさま、お初にお目にかかります。わたくしは聖女アリア」


 彼女かのじょの声は、まるで泉のようにんでいた。

 しかし、その底にひそむ何かが、わたしの心を不安にさせる。


「聖女アリア……。100年前の英雄えいゆうが、なぜここに」


 ルシアン王の声が、緊張きんちょうはらんでひびく。

 かれの額に、あせかんでいるのが見えた。


「時をえ、再びこの世に降り立ちました。そして今日きょうは、重要な伝言をたずさえて参りました」


 アリアの目が、一瞬いっしゅんわたしたちに向けられる。

 その瞬間しゅんかん、背筋に冷たいものが走った。まるでたましいのぞまれているような感覚におそわれる。


「グレイシャル帝国ていこくは、ここにアランシア王国に宣戦布告いたします」


 その言葉に、執務しつむ室が騒然そうぜんとなる。侍従じじゅうたちのざわめきが、部屋へや中に広がる。

 紙の音、椅子いすきしむ音、息を飲む音が入り混じる。


何故なぜだ! くには貴国に敵対する行為こういなど……」

「理由は明白めいはくです。貴国が、くに逃亡者とうぼうしゃかくまっているからです」


 アリアの視線が、ぐにわたしたちに向けられた。その視線の重みに、息苦しさを覚える。


「あの……聖女さん?」


 シャルが一歩前に出る。

 彼女かのじょの声には、いかりがにじんでいた。その声が、めた空気を切りく。


「グレイシャル帝国ていこくで何が起きているのか、あなたは知ってるの? 人々が苦しんでるんだよ!」

「そうですね。確かに変革の過程で、一時的な混乱はけられません。しかし、それは聖なる国へ至る道程なのです」


 アリアの口調は変わらずおだやかだ。

 しかし、その言葉の中にひそむ冷たさに、わたし身震みぶるいする。

 まるで氷のが、皮膚ひふうかのような感覚だ。


「聖なる国って? ほかの国から人をさらって、自分たちの国をめちゃくちゃにしといて……!」

「シャル」


 ルシアン王が、シャルを制する。

 かれの表情は厳しく、国王としての威厳いげんに満ちていた。その声に、シャルは一瞬いっしゅんたじろぐ。


「聖女アリア。くには、困難に直面した者たちを助ける。それがアランシアの理念だ。

 宣戦布告を受け入れよう。だが――」


 ルシアン王の声が強くひびく。その声に、部屋へやの空気がふるえる。


「――我々は、正義のために戦う。グレイシャル帝国ていこく暴虐ぼうぎゃくから、人々を守るために」


 アリアは、微笑びしょうかべた。そのみに、わたしは言いようのない不安を覚える。


「そうですか。では、戦場でお会いしましょう」


 そう言うと、アリアの姿が光に包まれ、消えていった。

 残されたのは、薔薇ばらの花びらが一枚。それがゆかちる。


 静寂せいじゃくおとずれる。だれもが言葉を失っていた。

 ただ心臓の鼓動こどうだけが、大きくひびいているように感じる。


「さて」


 ルシアン王が深いため息をつく。その息が、重苦しい空気をらす。


「これより、くには戦時体制に入る。すぐに会議を開こう」


 侍従じじゅうたちがあわただしく動き始める。準備を整える音が部屋へや中にひびく。

 書類をめくる音、急ぐ足音、小声でわされる指示。


「ミュウ、シャル」


 ルシアン王がわたしたちに向き直る。かれの目には決意の色が宿っていた。


二人ふたりにも力を貸してほしい。この戦いは、グレイシャル帝国ていこくの人々を救うためでもある」

「おっけー、任せて! 今のやつを見て、あたしも俄然がぜんやる気いてきたよ!」


 シャルは強くうなずいた。わたしも小さくうなずく。胸の中に決意が芽生えるのを感じる。


「ありがとう。二人ふたりの力が、きっと必要になる」


 その言葉が、わたしたちの背中をす。

 窓の外では、アーケイディアの街に緊張きんちょうが走っていた。


 警鐘けいしょうひびき、人々があわただしく動き回るなか号外のチラシがう。

 「戦争勃発ぼっぱつ」の文字が風にう。

 平和だった街が、一瞬いっしゅんにして戦時下の雰囲気ふんいきに包まれる。


 わたしは窓の外を見つめながら、考えをめぐらせていた。

 アリアの正体、グレイシャル帝国ていこくの真の姿、そして――これから始まる戦いのこと。

 胸の中で、不安と決意が交錯こうさくする。


 風がき、カーテンがゆらめく。

 その向こうに広がる青い空が、まるでうそのようにおだやかだった。


 戦争の幕が、今、切って落とされたのだ。

 その重みが、わたしかたに乗しかかった。

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