第45話 雪解けの夜

 村を出発してから、もう半日以上がっていた。


 わたしとリンダは、シャルがらえられているかもしれない帝国ていこく軍の拠点きょてんに向かって歩いていた。


 足元にはが積もり、カサカサと音を立てる。

 冷たい風がほおで、時折木々のざわめきが聞こえる。

 空気は冷たく、息をくたびに白いきりが立ち上る。


「はぁ……」


 リンダのため息が、静寂せいじゃくを破る。

 彼女かのじょは何度目かの深いため息をつくと、かえってわたしをちらりと見た。

 彼女かのじょの長い銀髪ぎんぱつが風にれ、陽光を反射してかがやいている。


「ねえ、あなた。少しはしゃべらないの? 移動中退屈たいくつなんだけど」

「あ、あっ……その……」


 やばい。「なんか面白おもしろい話して」みたいなやつだ!

 コミュ障にそんな話ができるわけもなく、わたしあわててよどんでしまう。


 のどかわき、言葉がまる感覚がする。

 リンダは苛立いらだたしげにかみをかき上げた。その仕草に、かすかな香水こうすいかおりがただよう。


「まったく。それにしても、あなたと旅することになるなんてね。

 あのギルドにいたころは考えもしなかった」


 そう言いながらも、リンダの目には少しちがう色がかんでいた。

 なにかを思い出しているのだろうか。彼女かのじょの表情に、なつかしさと複雑さが混じっている。


 しばらく黙々もくもくと歩いていると、わたしたちは鬱蒼うっそうとした森の中に入っていった。


 それぞれの木には雪が引っかかって、森は白く染まっている。

 枝から時折雪が落ち、ポタポタと音を立てる。


 日がかたむき始め、辺りは薄暗うすぐらくなってきていた。

 木々の間からむ夕日の光が、雪面を赤く染めている。


「ねえ。そろそろ休憩きゅうけいにするわよ」

「……」


 リンダの言葉に、わたしうなずいた。

 地面にはたいてい、うっすらと雪が積もっている。


 わたしたちは木々の密度が低い適当な場所を見つけ、2人でこしを下ろした。

 かわいた地面は雪をどけても冷たく、思わず身震みぶるいする。

 冷気が服を通して体にんでくる。


 リンダは荷物から水筒すいとうを取り出し、一口飲んだ。

 そして、遠くを見つめながら、静かに話し始めた。


「ねえ。わたしの話をしてもいいかしら」


 有無うむを言わさない圧をふくんだその言葉に、わたしは小さくうなずいた。

 しかし彼女かのじょの声には、いつものとがった調子がなかった。

 やわらかく、少しさびしげなひびきがする。


わたしね、昔は貴族の家のおかかえヒーラーだったの。

 名門の学院で学んで、才能があるって言われてた」


 リンダの目が、なつかしそうに遠くを見つめる。そのひとみに、過去の光景が映っているかのようだ。


「でもある日、貴族の息子むすこりでミスって重傷を負ったの。わたしは必死で治療ちりょうしたけど……」


 彼女かのじょの声がふるえる。にぎりしめた手に力が入るのが見えた。


「結局、その子は助からなかった。

 わたしは無能だとののしられ、家を追い出されたわ」


 ……そんなことがあったなんて。

 彼女かのじょの表情から、そのくやしさが伝わってくるようだった。


「それからは放浪ほうろうの旅を続けて、やがてギルドに入った。

 でも、あの時の記憶きおくが消えることはなくて……」


 彼女かのじょは深く息をいた。その吐息といきが、白いきりとなって消えていく。


「だから、あなたみたいな天才を見ると、どうしてもむなしくなるの。

 あのときわたしにあなたくらいの力があったら、だれも死なず、だれも苦しまずに済んだのにってね」

「……」


 リンダは言葉を途切とぎれさせた。わたしだまって彼女かのじょを見つめる。

 彼女かのじょの目に、複雑な感情が渦巻うずまいているのが見えた。くやしさ、羨望せんぼう、そして何かもっと深い感情。


 天才。同じヒーラーのリンダがそう言うからには、そうなのかもしれない。

 それにわたしが使っている魔法まほうは、どうやら普通ふつうのものではないらしいし。


 ……だけど、彼女かのじょの言葉には少し同意できない面もあった。


 わたしだって、だれでも全員助けられたわけじゃない。

 助けられなくて歯がゆい思いをしたことはある。リンダが思うほど完璧かんぺきじゃないのだ。


「なによ、その言いたいことがありそうな目は」


 しかし当然、わたしがそんなことを言えるはずもなく……。

 わたしはさっと目をらす。木々の間かられる風の音が、2人の間の沈黙ちんもくめる。


 ――そのときだった。

 突然とつぜん、木々の向こうから甲冑かっちゅうきしむ音が聞こえた。

 リンダが素早すばやく立ち上がる。雪をみしめる音がするどひびく。


だれかいるわ」


 彼女かのじょの声が、緊張きんちょうを帯びる。

 わたしも立ち上がり、周囲を警戒けいかいした。心臓の鼓動こどうが早くなり、耳元でひびく。


 次の瞬間しゅんかん、森のおくからよろいをまとった6人の兵士が現れた。帝国ていこく軍の巡回じゅんかい部隊だ。

 かれらの甲冑かっちゅうが、夕日に照らされて不吉ふきつかがやきを放っている。


「おい、あそこにだれかいるぞ」

「何者だ? あやしいやつらだな……とらえろ!」


 兵士たちのさけごえひびく。その声に、森の鳥たちがおどろいて飛び立つ音がする。

 リンダはわたしの前に立ちはだかった。彼女かのじょの背中から、緊張感きんちょうかんが伝わってくる。


「ちっ、来るなら来なさい!」


 リンダがつえを構える。彼女かのじょの周りに、魔力まりょく渦巻うずまき始める。

 空気が重く、静電気を帯びたように感じられた。かみが逆立つのを感じる。


が声に答えよ、天上の者よ! かみなりとなりて敵をて!」


 リンダの詠唱えいしょうと共に、空に黒雲が渦巻うずまかみなりが落ちてきた。

 青白い光が森を照らし、轟音ごうおん鼓膜こまくふるわせる。

 かみなりにおいが鼻をつき、空気が一瞬いっしゅんで熱くなる。


 兵士たちはおどろいて散るが、すぐに態勢を立て直した。

 雪をみしめる音と、甲冑かっちゅうのきしむ音が混ざり合う。


魔法使まほうつかいか……気をつけろ! 接近戦にめ!」


 隊長らしき兵士の号令で、かれらは一斉いっせいにリンダに向かって突進とっしんしてきた。

 けんく音がするどひびく。リンダはあわてて後退しながら、再び詠唱えいしょうを始める。


氷柱つららよ、たてとなれ!」


 地面からするどい氷のかべが生え、兵士たちの進路をさえぎる。

 氷が形成される音が、ギギとひびく。

 しかし、それでも2人の兵士が氷壁ひょうへき迂回うかいし、リンダに接近してきた。


「くっ……!」


 リンダはつえるって無詠唱えいしょうで火球を放つが、兵士たちはたてでそれをはじかえす。


 火球が消える音と共に、かすかにげたにおいがただよう。

 普通ふつう、無詠唱えいしょう魔法まほう威力いりょくはそう高くはならない。はじかれてしまうのも当然だ。


 けんろす音がひびき、リンダは間一髪かんいっぱつでそれをけた。


魔女まじょめ! 大人おとなしくしろ!」


 兵士の一人ひとりが、リンダのうでにかすり傷を負わせる。

 血がしたたり、地面に落ちる音が聞こえる。血の鉄びたにおいが鼻をつく。


 その瞬間しゅんかんわたしは動いた。

 近くに落ちていた長い枝を拾い、それをかかげる。枝の感触かんしょくが手に伝わる。


「ミュウ!?」

(小回復魔法まほう魔力まりょく回復魔法まほう!)


 リンダのおどろいた声が聞こえる。しかしわたしは集中を切らさず、それぞれの魔法まほうを発動させた。

 青白い光がリンダの体をつつむ。その光が、一瞬いっしゅんだけ森を明るく照らす。


「これは……!」


 傷がまたたえ、欠けていた魔力まりょくが満ちていく。

 リンダの目が大きく見開かれる。彼女かのじょの体から、活力があふすのが感じられる。


「……礼は言わないわよ!」


 リンダの声に力がもどる。

 彼女かのじょは再びつえを構え、兵士たちから距離きょりを取った。彼女かのじょの姿勢から、新たな決意が感じられる。


「天上のかみなりよ、が敵をて!」


 リンダの魔法まほうが、さらに強力になる。

 かみなりが次々と兵士たちを打ち、甲冑かっちゅう増幅器ぞうふくきとなってかれらを苦しめた。

 雷鳴らいめいと悲鳴が入り混じり、森全体にひびわたる。


 わたし黙々もくもくとリンダのサポートを続けた。

 即席そくせきで拾った枝だけど、とりあえずつえとしての使つか心地ごこちは悪くはない。

 魔力まりょくが枝を通して流れていくのを感じる。


 彼女かのじょ攻撃こうげきに集中できるよう、わたし彼女かのじょの傷と魔力まりょくを回復し続ける。

 リンダが魔法まほうを放つたびに、わたし彼女かのじょ消耗しょうもうした魔力まりょくを回復した。

 それゆえに、彼女かのじょはずっとすきもなく魔法まほう弾幕だんまくを張り続ける。


「なんだこの女は!? 魔力まりょくきないぞ!」


 兵士たちのあせりの声が聞こえる。

 リンダの攻撃こうげきは止まることを知らず、次々と兵士たちをたおしていく。

 雷鳴らいめいほのおが光り、森全体が戦場と化したかのようだ。


 やがて、最後の一人ひとりの兵士がかみなりに打たれたおれた。


 ……辺りに静寂せいじゃくもどる。戦いの余韻よいんだけが、かすかに空気をふるわせている。


 リンダはかたで息をしながら、わたしを見た。

 その目には、おどろきと何か別の感情が混ざっていた。彼女かのじょほおが、興奮で赤く染まっている。


「はは……やっぱり、すごいじゃない。わたし、こんなに魔法まほうつづけたの初めてよ?」


 彼女かのじょの声には、今まで聞いたことのないやわらかさがあった。わたしは小さく首を横にる。


「だけど……あ、あの……。戦ったのは、リンダ、だから……」

「……ふっ」


 リンダはまゆを下げ、軽くみをこぼした。

 その笑顔えがおに、何か新しい感情が宿っているように見えた。


 夕日が森を赤く染める中、わたしたちは無言でくしていた。

 風が静かにけ、2人のかみらす。


 ……戦いの後、わたしたちはたおれた騎士きしたちからはなれ、森の奥深おくふかくに野営地を設けた。


 空気は相変わらず冷たく、よるやみは深まり、星々が頭上でまたたいている。

 その光は、雪におおわれた木々の枝を銀色に染めていた。


 の温かな光が、周囲の木々にらめくかげを作り出している。

 パチパチとたきぎはじける音が、静寂せいじゃくを破る。


 リンダは黙々もくもくの世話をしていた。

 彼女かのじょの表情には、何かかんがむようなかげがあった。ほのお彼女かのじょ銀髪ぎんぱつを赤く照らし出す。


 わたしは少しはなれた場所で、持っていた毛布にくるまっていた。

 寒さと緊張きんちょうで、体が小刻みにふるえる。

 毛布の中でも、冷気が骨のずいまでんでくるようだ。


「ねえ、ミュウ」


 突然とつぜん、リンダがわたしを呼んだ。彼女かのじょの声には、いつものするどさがなかった。

 代わりに、何かやわらかなものが混じっている。


「は、はいっ……?」


 わたしは小さく返事をする。リンダが近づいてくる足音が聞こえる。

 雪をみしめる音が、静かな夜にひびく。


 彼女かのじょわたしとなりすわり、じっとわたしの顔を見つめた。

 その視線に、わたしは少し身を縮める。リンダのく息が、白いきりとなってわたしの顔にかかる。


「あなたって、本当に不思議な子ね」


 リンダの言葉に、わたしは首をかしげた。ほのおの光が、そのひとみに映りんでいる。


「こんなに強いのに、自信がない。

 人と話すのが苦手なのに、困っている人はっておけない」


 わたしは何と返事したらいいかわからず、ただリンダをじっと見つめ返してしまう。

 ああ……だからコミュ障と言われるんだろうなあ……。


「あのね、わたし……」


 リンダが何か言いかけたとき、突然とつぜん冷たい風がけた。

 木々がざわめき、雪ががる。わたしは思わず身をふるわせる。


「……っ」

「あら、寒いの?」


 リンダは自分の毛布を取り、わたしにかけてくれた。

 その行動に、わたしおどろきをかくせない。毛布からは、リンダの体温とかおりがする。

 や、やさしい……? いったい何が目的で……!?


「あ……ありが、とう……」


 わたしの声がふるえる。寒さのせいだけじゃない。

 リンダの突然とつぜんやさしさに、どう反応していいか分からない。心臓が早かねを打つ。


「……何よ! そんなにおどろくことじゃないでしょ!」

「あっ、ごっ、ごめんなさ……」

「だからあやまるのは……ふっ。もういいわ」


 リンダが笑う。その笑顔えがおに、わたしは目をらしてしまう。

 彼女かのじょの態度の変化が、わたしにはいまいち理解できない。


 こわいのか、うれしいのか、よく分からない。

 シャルくらいわかりやすければコミュ障にも助かるのになあ……。


 夜がけていく。の音だけが、静かな森にひびいている。


 時折、遠くで動物の鳴き声が聞こえる。

 リンダはずっとわたしとなりにいて、時々わたしの方をちらちらと見ている。

 その視線が、みょうに気になって落ち着かない。


 そのうちつかれからか、わたしの目が重くなってきた。

 気づくと、わたしはリンダのかたに寄りかかってうとうとしていたようだ。

 リンダの体温が、わたしほおに伝わる。


「あら、ねむくなったの?」


 リンダの声が、耳元でやさしくひびく。彼女かのじょの体温が、わたしに伝わってくる。


「! ご、ごめん……」


 あわてて体を起こそうとするが、リンダがわたしを引き寄せる。彼女かのじょうでの力強さにおどろく。


「いいのよ。そのままなさい」


 リンダの声に、わたし抵抗ていこうできない。

 彼女かのじょうでの中で、わたしはゆっくりと目を閉じた。

 リンダの体温と、ぬくもりに包まれて、わたしは深いねむりに落ちていった……。



 朝日が森を照らし始めたとき、わたしは目を覚ました。

 冷たい空気がほおをなで、目覚めをうながす。


 リンダはすでに起きていて、荷物をまとめていた。

 彼女かのじょの動きに、昨夜のやわらかさは見当たらない。


 わたしの体には2人分の毛布がかかっていた。

 おかげであまり寒さを感じなかったみたいだ。

 毛布からは、リンダのかおりがかすかにただよってくる。


「おはよう、ミュウ。よくねむれた?」


 リンダは何事もなかったように声をかけてくる。その声には、いつものするどさがもどっていた。

 毛布と彼女かのじょ交互こうごに見つめると、彼女かのじょは鼻で笑う。


「なによ。毛布のことなら遠慮えんりょするんじゃないわよ。ガキのくせに」

「あ、う、うん……」

わたしはあなたより体が完成してるの。子供とちがって風邪かぜは引きづらいのよ」


 わたしは小さくうなずく。その子供扱こどもあつかいに、顔が熱くなる感じがした。

 昨夜のやさしさがうそのように感じる声色こわいろだが、やっぱり行動はやさしい気がする……?


「さあ、出発よ。シャルを探さないといけないんでしょ?」


 リンダの言葉に、わたしは我に返る。

 そうだ、シャルを探さないと。シャルの笑顔えがおが、頭にかぶ。


 わたしたちは野営地を片付け、再び歩き始めた。

 雪をみしめる音が、静かな森にひびく。

 木々の間かられる朝日が、雪面をキラキラとかがやかせている。


 そうして森をけると、遠くに大きな建物が見えてきた。帝国ていこく軍の拠点きょてんだ。

 その姿は、まるで巨大きょだい怪物かいぶつのようにわたしたちを威圧いあつしていた。


「あれね。見つからないように気をつけないと」


 リンダの声が低くなる。彼女かのじょの表情がまるのが見える。


「……うん」


 わたしうなずく。シャルがあそこにいるかもしれない。

 危険なことは分かっている。だけど――。


 リンダが突然とつぜん立ち止まり、わたしを見た。彼女かのじょひとみに、真剣しんけんな色がかぶ。


「ミュウ、約束しなさい。無茶はしないって。

 あなたが無茶することは、シャルだって望んでないから」


 刺々とげとげしい声の中に、心配の色が混じっている。

 わたしは少しおどろきながらも、うなずいた。リンダの言葉に、温かいものを感じる。


 リンダはまゆをひそめ笑った。その笑顔えがおに、わたしの心が少し温かくなる。


「よし、行きましょう」


 リンダが前を向いて歩き出す。わたし彼女かのじょの後を追う。足跡あしあとが、白い雪原に続いていく。


 静かな森をけ、わたしたちは未知の危険に向かって歩き始めた。

 寒風がほおを打つ中、わたしたちの旅は新たな段階に入ろうとしていた。

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