第53話 憤怒の交差

 八尺様の手が止まる。視線は僕ではなく、ゆっくりと歩いてくるもう1人の女性を捉えていた。


 その女性は吊り上がった目に口は耳ほどまで裂けており、八尺様ほどではないにしろ、身長は僕を余裕で超す身長。前に会った時のように腰まで伸びた黒髪は顕在で、八尺様とは似て非なる異様な気配を醸し出していた。


『ひーちゃん……』


「やっぱり……夕樹君にああ言ってて……正解だった……」


 その女性はひーちゃん、もといひきこさんだった。


 前にひきこさんに「危なくなったらこの公園に来て」と言われていたことを思い出してここに来てみたのだが……正解だったようだ。


「夕樹君に何かしちゃ……駄目でしょ……みーちゃんに怒られるよ……」


『……でも』


「でもじゃない……気をつけなきゃ駄目……」


『…………うう』


 なんか八尺様がしゅんとなっていってる気がする。出ている霊力も少なくなってるし……親しい関係になったらあまり強く出れなくなるのかな?


『でも……』


 脳内に八尺様の声が響く。生気は無く、温かさもない、そしてひきこさんと似ていて、美影とは違う雰囲気が含まれた声が。


『美影……最近そいつと一緒にいて私に構ってくれなくなったし……』


「……え、それが理由で僕は殺されそうになったってこと?」


 あ、でも本当は僕を本気で殺そうとする気は無くて、脅しとか他の目的があったとか——


「多分……前の夕樹君なら……殺されてる……」


「え……エ?」


 どう言う事だ? つまり八尺様は僕を殺そうとしてた? でもあまり捕まらないで逃げれたし……僕はそこまで運動神経は良くないはずなのに。


「今の夕樹君には……少ししかないけどみーちゃんの霊力がある……霊力の移りは……そこら辺の霊じゃあり得ない……霊力の移りが無く、今夕樹君が普通の人間なら……多分……」


「ひえっ」


 偶然の重なりが無ければ今僕はここに立っていなかったと暗に言われ、背筋が凍る。


 良かった……近くにいると少しだけ霊力が移るみたいな設定があって……美影にも感謝しかない。


「…………」


「……あ、あの〜……どうかしました?」


 視線を感じてそちらを見ると、ひきこさんが訝しげな目を向けて来ていた。


 機嫌を損ねることをしてしまったのかと問うてみたが、「なんでも……ない……」とはぐらかされてしまった。


「夕樹君は……はっちゃんと仲良くしたいらしいよ……」


『私のみーちゃんを盗ろうとするやつは絶対に許さない』


 突然突き刺すような殺気、そして心臓が握りつぶされそうになる圧を同時にぶつけられ、僕は数歩後ずさる。


「……あの、僕、今日生きて帰れるか心配になってきたんですけど……」


「それは大丈夫……戦いたくはないけど……いざとなったら私が守るから……あの子が来るまで……耐える……」


 ……やばい、惚れそう。ひきこさんがかっこよすぎる。


「それは……冗談でもみーちゃんに言っちゃ駄目だよ……」


「なんでみんな心を読めるの? 僕がおかしいの?」


 女子は心情読解力が高過ぎると思う。現国の点数120点とかあるんじゃないの?


『みーちゃんにそいつは要らない。私とひーちゃんがいればそれで良い』


 怒気を孕んだ低い声が脳内に響く。薄々気づきかけてはいたが、今、完璧に理解した。八尺様の行動理由、そしてあの時のひきこさんの言葉の意味を。


「八尺様って美影のことが好きすぎてこんなことをしたの?」


「正解……はっちゃんはみーちゃんのことになると少し面倒になる……」


「少し……?」


「それは言わないお約束……」


 ひきこさんは人差し指をピンと立て、口元に持って行く。


 人を殺しそうになっていたのにそれを少しと言うには軽過ぎる気がするけど……お約束なら胸の中にしまっておこう。


 八尺様に向き直ったひきこさんは彼女の説得を続ける。


「今のみーちゃんには……夕樹君が必要……それは……はっちゃんでもわかっているはず……」


『…………』


「それに夕樹君を殺したら……みーちゃんが悲しむことも……」


 八尺様が側に視線を投げる。ひきこさんの言葉を理解しているからこその反応だろう。


 だがすぐにこちらに鋭い眼光が飛んでくる。


『私達は人間を怖がらせ、時には殺し、脳に記憶させて存在を証明していくことが必要。本来なら関わる事は無い者同士、今からでも別々に生きた方が良い』


「気持ちは……わからなくもない……」


『なら——』


「でも……」


 ひきこさんは八尺様の言葉を遮って切り返しの言葉を無気力に呟く。だが言葉の弱さとは裏腹に瞳には美影を思う気持ちが宿っている様に感じた。


「幸せは……みんな形が異なる……みーちゃんの幸せが夕樹君なら……親友の私達は……応援するべき……違う……?」


 八尺様は顔を伏せ、大き過ぎる麦わら帽子も相まって顔が全て見えなくなる。


 数秒した後に聞こえて来たのは決意と行き過ぎた友愛の言葉だった。


『このままじゃ埒があかない。みーちゃんには私達がいればいいけどその中に人間そいつは要らない。2人が殺さないのなら私が殺す』


 八尺様の顔が上がり、それと同時にひきこさんが僕の前に出て牽制する。


 無力な僕は何も出来ず、ただ立ち尽くす。


 剣呑な空気が交わされる中、ひきこさんがはぁと息を吐いた。


「遅い……本当にはっちゃんと戦うかもしれなかった……」


 その言葉が吐き出された次の瞬間、八尺様の動きを制限するように周りに濃密な霊力が集まった。


 僕と八尺様は同時にその元を辿る。


 霊力、そして今上からゆっくりと降りてきている少女には覚えしか無い。


「美影……」


『みー……ちゃん……』


 八尺様は驚愕で目を見開いた後、少女を睨む。


 その少女は八尺様に勝るとも劣らない霊力と、そして怒気をその身に纏わせながら視線を交差させていた。


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