第20話 骨まで

 ロコスの体に触ると、気持ちがよかった。



 ひんやりとして――気持ちがよかった。



 背筋がゾクゾクする。


 空を見上げると、星空が広がっていた。

 さっきまでは昼だったはずだ。

 俺はどれだけの時間、呆けていたんだ。


 彼女が最期に見た光景は何だっただろうか。


 空だろうか。

 それとも、俺の顔だろうか。

 わからない。


 考えても仕方がない。

 でも、考えずにはいられない。

 

 

 ぐー、と。



 お腹が鳴った。


 体は正直だ。

 最愛の人の死体を前にしても、腹が減る。


 いや、彼女の最期の・・・お願いを叶えようとしているだけか。



「私を食べて、骨まで食べて、か」



 俺は彼女の死体に触れて、服を脱が始めた。


 少しずつ、青白い肌が露わになっていく。

 吐き気がした。


 本当はこんな風に脱がしたくなかった。

 こんな何の反応もしない肉の塊を脱がしても、ちっとも面白くない。


 ふと、ロコスの顔が目に入った。

 ずっと穏やかな顔のままだ。


 羨ましい。

 俺にこんな想いをさせているのに、彼女は穏やかに眠っている。


 服を脱がし終えると、彼女の体をじっくりと見つめ続けた。

 目に焼き付けるために。



 一糸まとっていない姿。

 ロコスの全部が丸見えになっている。



 でも、全く興奮しない。

 本当はこの姿を、彼女の意思で見せてほしかった。

 顔を真っ赤にしながらも、俺に全てをゆだねてほしかった。


 たったそれだけで、俺はこの世界で一番幸せなハイエナ獣人になれた。


 もう叶わない夢。


 彼女のことは絶対に忘れない。

 忘れたら、俺は自分自身を許さない。

 


 口を大きく開けても、よだれも出てこない。

 喉の奥までが乾ききって、少し息を吸うだけでも痛い。


 それでも、俺はやらなくてはいけない。


 歯が皮膚を突き破り、薄い肉をえぐる。

 血がどろりとあふれ出て、俺の唇をしっとりと濡らした。


 骨は、小枝のように簡単に噛み砕けてしまった。





◇◆◇◆◇◆





 俺はふらふらと歩き続けている。

 少し遠くに、街のようなものが見える気がする。


 幻覚かも判断できない。



「まてっ! お前、ペリットだな!?」



 声が聞こえた。

 たしか、追手のリーダーだったやつだ。

 今は1人みたいだけど。


 ん? なんで見つかったんだ?

 こんな広い砂漠で見つけるのは困難なはずだ。


 疑問に思いながら振り向くと――



「……あ?」



 俺の歩いてきた場所には、花畑が広がっていた。

 すぐに枯れていけど。



「……そうかよ」



 彼女の骨を食べて『土の大精霊』を継承したのか。

 そのせいで見つかってしまったのか。


 なんだよ、それ。



「ロコス・ロードデンドロンはどこにいった!?」

「死んだよ。お前らの矢を受けた上に、食料が無くなってな」

「……死体はどこだ。せめて、生まれ育った地で眠ってもらいたい」

「ふっ」



 ついついわらってしまった。



「俺が食べたよ。骨まで」



 そんなのわかりきってるだろ。

 俺の足元から花畑が出てるんだから。



「お前っ! ロコス様のことを愛していたのではなかったのかっ!」

「ああ、好きだったよ。愛してたよ」

「では、なんで食べた。幸せにしなかった!」



 それを、お前が言うか?



「その幸せの邪魔をしたのはお前らだろっ!」

「それはお前だろ!!!」



 衛兵は興奮気味に続ける。



「お前がロコス様をたぶらかさなければ、こんなことにはならなかった! ロコス様が『土の聖女』として残っていれば、彼女は幸せになっていたはずだ」

「そうかよ。お前はロコスのことを何も知らないんだな」



 こいつはロコスの気持ちを全く知らない。

 彼女が何を望んでいたのかを知らない。


 全部自分の常識の中で考えて、決めつけている。



「土壇場になるまで告白する勇気がないやつが、愛を語るなよ」

「ペリットお前っ! 今すぐ死にたいのか!?」



 衛兵が剣先を突き付けてきた。

 彼が一歩動けば、俺の命は奪われるだろう。



「もう殺してくれよ。それで全部終わりだ」

「抵抗する気はないか。いいだろう」



 剣が迫ってくる。


 早く死にたい。

 ロコスがいなくなった実感が湧くまでに、死にたい。


 人が死んでも、最初は実感が湧かない。

 ちょっと会わない程度の感覚しかない。


 でも、時間が経つほどにわかってしまう。

 

 家族が皆殺しにされた時もそうだった。

 

 日が経つほどに、感じたくなるものが増えていく。

 声が聞きたい。

 温もり感じたい。

 助けてほしい。

 一緒にいてほしい。


 そんな切なさをもう一度体感する前に、死んでしまおう。



 ……ん?

 まだ斬られないのか?



「……え?」



 目を開けると、土人形がいた。

 しかも女性の姿。

 


 どこからどう見ても、ロコス・ロードデンドロンだ。


 

 土人形は衛兵を持ち上げて、遠くへと投げ飛ばしてしまった。



「ははっ!」



 そうだよな。

 彼女は、死んでもただで死ぬ人じゃない。



 俺はまだ死ねない。



 ロコスだって、生きようとしてくれたんだ。

 あんなに細い体なのに、2日も頑張ってくれた。


 このまま死んだら、彼女に顔向けできない。



 自然と足が動いた。

 呼吸をすると、とても清々しかった。



 砂漠の上に、あるはずのない道が見える。



 ゆっくりと歩き出すと、心臓がドクンドクンと脈打った。


 ロコスの力が守ってくれる。

 ロコスの血肉が生かしてくれている。


 まだ、俺の中でロコスが生きている。



 だから、俺は生きてみようと気力が湧いてくるんだ。

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