第19話 衰弱

 目を覚ますと、夜になっていた。


 あれ、わたし。いつから寝てた……?


 矢を抜いてもらった後から記憶がない。


 あ、体がサウナみたいに熱い。

 頭、ボーッとする。


 わたしの体、どうなってるんだろう。



「ロコス。起きたのか?」

「あ、ペリット……」



 わたしは今、ペリットにお姫様抱っこされているみたいだ。

 背中にはバッグを背負っているから、こういう形になったのだと思う。


 あ、ペリット、焦ってるのかな。

 歩くのかなり速い。



「体調はどうだ?」

「大丈夫、とは言えないかな。なんかボーッとしてる」

「そうか」



 ペリットの顔がぼんやりと見えた。

 今すぐ倒れそうだ。 



「ペリット、ずっと歩いてるの? わたしが気絶してから」

「これくらい平気だ」

「無茶しちゃダメだよ」

「無茶なことあるか。ハイエナ獣人は強いんだ」



 ペリットは口角を上げて、空元気を見せつけてきた。



「ずっとお水もご飯も食べてないの?」

「俺は頑丈だからな、1日2日食べなくても問題ない」

「そんなんじゃ持たないよ」

「大丈夫だ」

「わたしのこと、気にしないで」



 ペリットはわたしをゆっくりとおろすと、バッグから何かを取り出した。


 小麦のいい匂い。



「それより、パンでも食べろ」

「残ってたの?」

「潰れたバッグの中を漁ったら、奇跡的に無傷だったんだ」



 それは不幸中の幸いだ。



「そう。じゃあ、ペリットが食べて」

「俺なら大丈夫だ」



 わたしが首を横に振ると、ペリットは絞り出したような声で語り掛けてきた。



「ロコス。君には責任を取ってもらわないといけない」

「そうだね。荷物を台無しにしちゃったし」

「そうじゃない。俺の心を奪った責任を取ってもらわないと困る」

「あはは、責任かなり重そう」



 ペリットの愛は重いからなぁ。

 一生かけても責任取れなそうだ。



「だから、生きてくれ。パンを」

「ペリットが食べて。ペリットの方が体力使ってるでしょ」

「どうしても食べないのか」

「ペリットが食べて」

「そうか」



 ペリットはパンをじっと見つめた後、おもむろにかじり始めた。


 パンが瞬間、強烈な空腹感に襲われた。

 体がガンガンと警鐘を鳴らしている。

 今すぐ食べろ。

 死ぬぞ。


 お腹の中が切なくて涙が出てくる。


 でも、我慢だ。

 これでいいんだから。


 ペリットが食べるのが、一番生存する可能性が高い。



「聞き分けのない子には、こうだ」



 いつの間にか、ペリットの顔が近づいてきていた。


 無理やり口を開けさせられて、ドロドロしたものが

 舌がドロドロに触れた瞬間、理解した。


 これはパンだ。

 小麦の味がする。


 わたしは今、口移しでパンが流し込まれている。


 甘くておいしい。

 少しずつ、生きる力が湧いてくる。



 唇を離すと、ペリットは豪快に口元をぬぐった。 



「ロコス、わかったか」

「ペリット……」



 もう、パンは喉を通って胃の中に入ってしまった。

 悲しいのか嬉しいのか、感情がグチャグチャだ。



「俺はロコスを見殺しにしてまで、生きたくない」

「……そっか」



 嬉しかった。

 どんな結末になっても、後悔しないぐらい。


 でも、まだ涙は流さない。


 多分わたしは生きて火の国にたどり着けない。

 でも、諦めて死ぬ気はなくなった。

 ペリットの愛に応えるためにも、必死に抗ってやる。



 だから。

 涙の一滴も無駄にできない。


 



 ◇◆◇◆◇◆





 また気を失っていた。

 ペリットはまだ歩いている。


 少し目を開けると、もう夕日が沈みかかっていた。



「ねえ、ペリット」

「起きたのか?」

「うん」

「調子はどうだ?」

「あんまり変わんない」

「そうか」



 わたしはぼんやりと空を見上げながら、口を開く。



「夢を見てた」

「夢? どんな夢だ?」

「色んな国を回る夢。もちろん、ペリットも一緒に。わたし、ケモッフ王国しか見たことないから」

「いい夢だ」



 しばらく、無言の時間が続いた。


 風が冷たい。

 夜はかなり冷えそうだ。


 ペリット、ちゃんと寒さ対策してるかな?



「なあ、ロコス」

「なに?」



 ペリットの声が、少しだけ震えていた。



「俺、謝らないといけないことがあるんだ」

「えー。そんなことあるの?」



 全く予想ができない。

 ペリットはいつも完璧な彼氏で、謝ることなんてないはず。



「前の『土の聖女』様を暗殺したハイエナ獣人なんだが……」

「うん」



 不自然な間があった。



「俺の、父親だったんだ」



 思わず、唾を呑んだ。

 弱っていなかったら、大声を上げているところだ。



「死んだんじゃなかったの?」

「奇跡的に生き伸びていたんだ。それで暗殺した後、俺の姿を見つけて、こっそり会いに来たんだ」

「親子だから?」

「ああ。それで、全部聞いた。差別の復讐で暗殺したことをな。……それで、殺したんだ」

「……父親を」

「ああ。父親を殺した」



 ペリットは諦めを含んだ声で、淡々と続ける。



「怖かったんだ。ロコスに嫌われるのが」

「……嫌う、か」



 想像したこともなかった。

 わたしがペリットを嫌いになることなんて、あり得るのだろうか。



「暗殺者の正体が父親だと知られると、もしかしたら嫌われるかもしれない。確実に隠し通すには、殺すしかなかった」

「……そっか」



 複雑な気分だ。

 父親を殺した理由が、わたしだなんて。



「今言うのは、卑怯だよ」

「すまん。だけど、どうしても黙っておけなかった」



 わたしは腕をゆっくりと上げた。


 めちゃくちゃ重い。

 だけど、ペリットの頬に触れたい。



「大丈夫だよ。ペリット」

「ありがとう」



 ペリットの頬は濡れている。

 


「ずっと一緒にいてね」

「そんなのは当たり前だ」



 幸せだなぁ。

 でも、ちょっと疲れてきちゃった。





◇◆◇◆





 あれ、わたし、起きてるの?

 寝てるの?


 あ、目が開くから起きてるみたい。



「ペリット、いる?」

「どうした?」



 なんだかペリットの声がくぐもって聞こえた。

 水の中にいるみたいだ。



「ごめん。うまく声が聞こえないの。手を握って」

「ああ、いくらでも握る」

「キス、して」



 ペリットの唇の感触。

 ああ、すごく乾いてる。

 でも、ペリットの唇だ。やっぱりいいな。



 …………あれ、なんか眠い。

 でも、もっとペリットを感じていたい。



「ねえ、ペリット」

「どうした?」

「ペリット」

「なんだ?」

「ペリット」

「どうしたんだ?」



 別に名前を呼びたかっただけ。



「わたしのペリット」

「そうだ。君のペリットだ」



 嬉しい。

 わたしのペリット。


 あ、風を感じる。

 とても冷たい。

 体が凍ったみたい。



「ペリット。だいじょうぶ? さむくない?」

「……今は昼だ」

「うそだ。だって、こんなにくらいよ」

「日差しが痛いぐらいだぞ」

「ペリットも、うそ、つくんだ」

「……そうだな」



 ペリットの様子、ちょっとおかしい。

 わたし、なにか間違ったたこと言った?


 少し視線を横にずらすと、素敵な光景が目に入った。



「あ、みんなみてる」

「みんな?」

「おとうさま、おかあさま、それにおばさま」

「……どんな顔をしてるんだ?」

「とってもいいかお、してる」

「それはよかったな」



 ふと、ペリットの腕の感触が鈍くなった。



「ペリット。どうしたの? とおくにいるよ」

「大丈夫だ。俺は傍にいる」

「そう。よかった」



 あ、痛い。

 ペリット、噛まないで、痛いよ。


 あ、ペリット、明るい顔になった?



「そうだ。俺の腕を食べてくれ。今すぐ切り離すから。そうすれば、もう少しだけ……」



 ペリット……?



「だめ、だよ。ペリットがしんじゃう」

「それでもいいだろっ! ロコスのいない世界に行くぐらいならっ!」

「だめ」

「いいだろ」

「だめ」



 あ、ペリット、転ばないでよ。

 ちょっといたい。



「ペリット」

「すまん」

「ペリット」

「ああ」



 あ、頬に触れてくれた。


 よかった。

 ちゃんといる。

 ちゃんと生きてる。



「ねむくなってきた」

「じゃあ、眠ればいい。起きたら」

「そうだね」

「だから、ちゃんと起きろよ」

「うん。だいじょーぶ。きっとまたあえるから」

「もう会っているだろ。一緒にいるだろ。ずっと一緒にいればいいんだ」

「……そうだね」



 一緒。

 一緒が幸せ。




「ペリット、あいしてるよ」

「俺もだ、ロコス。この世界のどんな美しいものより、あなたが好きだ」

「ペリット」



 何か言わないといけないことがある気がする。


 そうだった。

 わたし、最期に言わないといけないんだ。



「ペリット」



 生きてほしい。 



「わたしを食べて」



 わたしのわがまま。



「骨まで食べて」



 ペリットと一緒にいたいから。



「わたし、がんばった。しぬきで、いきようとした」

「わかってる。ロコスはすごく頑張ってくれた。もう少しで火の国に着くはずなんだ」

「でも、もうつかれちゃった」

「本当にもう少しなんだ」

「わたしをたべて、ペリットはいきて」



 ひどい嗚咽が聞こえる。

 痛いぐらいに、抱きしめられてる。



「……愛してる。ずっと、永遠に愛してる」

「わたしも、あいして――」



 あれ、口、どこ?

 舌、ない……?



「ペリ………ト」



 落ちていく。

 溶けていく。


 怖くもない。

 気持ちよくもない。


 ただただ、自分の意識がとろけていく。


 わたしという存在が、ほろほろとほどけていく。

 もう抗いようがない、自然の摂理。


 だけど、この気持ちは最後まで残すんだ。







 ペリット、愛してる。


 大好き。

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