9 王族ならば
誰かの視点
ラジェはシェナの背中が見なくなると、血が出るのすら気にすることもなく、キツく唇を噛んだ。
「何が“君が知らなくていいことだ”だ。がっつり気にして声をかけたのは俺の癖に……」
ラジェがシェナに声をかけた理由、そしてグランのもとにやってきた理由は父に提案された、とあることが原因だった。
自分は王族だ。
それは心得ているし、理解している。
だから自分がとるべき行動も分かっているのだが、それでも消しきれない感情のせいでシェナに……。
あんな辛そうな張り付けた笑顔をさせてしまった。
知らなくていいことだといったとき、一瞬だけ泣きそうになっていたのが見えてしまった。
それも、古い知り合いでないと分からないような微妙なもので、本当に一瞬だけ見えたものだったけれど。
「最低だな。俺は……」
けれど、いまだに俺のことを嫌いにならずにいてくれる、健気なシェナにそんな表情をさせてしまった。
シェナの目に浮かんでいた諦念の色、いつだってあれを見た瞬間、手放したくないと思って名前を呼んでしまう。
もう少し、あと少しだと言って、ここまで来たけれど、いい加減潮時なのかもしれない。
ため息をはいて、気持ちを切り替える。
兄さんの部屋にはいれば、相変わらず仕事に追われているのが一目で分かった。
「シェナにあったな?」
「……」
「その様子だと、変わらずといったところか。あまり煮えきらないことをしていると、オリーに斬られるぞ」
いつか見た、本気で起こったオリーさんがフラッシュバックした。
いつもと変わらない笑顔でありつつも、無言の圧力をかけてくるオリーさんと言う恐怖を思い出し身震いをする。
恐怖からか、頬がひきつる。
「……分かってるから、掘り返さないでくれよ」
兄さんの口からシェナの名前が出た瞬間、脳裏によぎったのは泣きそうな表情をしたシェナだった。
「俺も、いい加減潮時だと思ってるんだ」
「は?頑固なお前が十年近く執着してきたのにか?何をいってるんだ?」
“執着”……。
言い方に不満を感じたが、これを“執着”と呼ばずしてなんと言うのか、ラジェは言い返すこともなく、なんと返事をすればいいかも分からなくて口を閉じる。
「目的のために奔走していたお前らしくもない。何があった?」
「父さんからある提案を受けることにしたんだ」
「それって……」
グランの予想が正しければ、それはラジェにとってもシェナにとっても良いこととは言いづらく、悪いこととも言いづらいことだった。
「そうだよ。最低な俺が受けた提案は、兄さんの考えている提案の内容であってると思うよ」
「は!?何を考えてるんだ!」
立ち上がった勢いで椅子が倒れてしまったが、グランに倒れた椅子のことを気にしている余裕なんてなかった。
このグランの反応は部屋に二人だけ、兄弟だけだから表したものだ。
時期王として、王太子として、早々と感情を表には出せないのだから。
グランはラジェの言っている提案について思い当たることがあった。
だが、それを受けると言うことは、もともと叶えることが難しかったラジェの目的の一つが五割の確率で叶えられなくなることを意味するのだ。
グランは今まで目的のためにラジェがどれ程の苦労してきたのか、どれだけの努力をしてきたのか知っている。
提案を受けると言うのは、それを放り投げるのも同義だった。
「お前、ラジェ、それは……」
王族としては正しい道だろうと、グランは分かっていた。
分かってたから、先の言葉は飲み込んだ。
「兄さんの言いたいこと、わかるけど……。兄さんが俺と同じ立場なら同じ選択をしたでしょ?」
「その前に囲いこんでる……。功績たててすぐに囲ってる……。対策はその後だ……」
だから多分、同じことにはならないと思う。
グランは完全に頭を抱えてしまっている。
「兄さんみたいなやりたいことをやれる勇気もないヘタレ最低野郎で悪かったな」
「そう言うことじゃない……」
グランは考える。
王族としては正しい道であることは認めるが、兄弟としては弟の思いを優先させてやりたいと思うものだ。
だが、グランには父である国王の提案に乗れない理由があった。
けれども、他の誰にも回す訳にもいけないことも理解している。
ラジェが一番、適任だといえよう。
「……もし悪い方に転がったら、望みは叶えられなくなるぞ」
「悪い方に転がる?いいじゃん。何もない、“隣人は、ただ怒りやすかった”っていう結論になるだけなんだから、今の状態で周囲を巻き込むような大きな喧嘩に発展するよりはましだよ」
国を思うのならば__
民を思うのならば__
家族を思うのならば__
大事な人を思うのならば__
守りたい者を守ろうと思うのならば__
王族であるのならば__
それは正しと言えるだろう。
いや、正しくしなければいけないのだ。
人として正しくないとしても、国を導く者の一族として正しくあらねばならないのだ。
「……辛いのは、お前じゃない。あの子だぞ」
「……知ってる。わかっててやってるから、俺は最低なんだよ。兄さん。刺されるのも、殴られるのも、覚悟はしてるから」
「なんでそこで決意を固めてるんだよ……」
変なところで頑固め……。
グランは父の提案の理由もある程度分かっていた。
緑色のローブをまとっていて黒いマントと敵対している邪神教も、黒いマントをまとっていて緑色のローブと敵対している邪神教も、両方とも元々はバースノンク国にいた者達だからだ。
だから、見たことのない顔だったと言うのならば真っ先に疑ってしまう。
シェナが、いつのまにか流れ出した“パンドラ”の噂についての報告に来たときにいっていた黒は、黒いマント達のことだ。
噂を流しているのが、シェナの推測通り黒いマントの者達だと言うのならば、敵対している緑色のローブの者達からもたくさん話を聞く必要がある。
もし仮に、両方揃って今回の件に関わっていると言うのならば、バースノンク国に何かあったか、何かしたことになる。
流れてきている理由がある。
それが意図的であっても、作為のないものだとしても、アニエス王国としては、これ以上の被害が出る前に止めなければならないことだ。
「……我が弟ながら、酷いやつだ」
「嫌われてないのが不思議だよ。奇跡だよね」
「いや、あの子の健気さに感動するね」
ラジェが思っているよりも、ラジェはあの子に好かれているとグランは確信していた。
「まぁ、そう言うわけだから容赦なく切り捨ててね」
「できうる限り助ける方針でいくからな。誰が見捨てるか」
「お人好し」
「どうとでも言え」
これで、終わりなんていくらなんでも悲しすぎるだろう。
兄として、古くからの友人として、見捨てると言う選択肢をとるわけにはいかない。
「誰よりも、一番ラジェのことを見捨てられないのは、あの子だ」
グランの言葉に、ラジェは目をそらした。
「さすがに立場があるんだからしないでしょ。もしもの時は死ぬ気で止めてよ」
「バカ野郎。俺の死ぬ気で止まるんだったら今の地位についてない」
「それもそうだ。まあ、頑張って?」
「ふざけるな。自力でどうにかしろ」
グランは頭が痛くなってきたとこぼすと、ティーカップの中に残ってるコーヒーを全て飲んだ。
「個人としては父上のもくろみが当たることを切に願っているよ」
「はは、用はそれだけ。俺は例の魔方陣の分析に戻るから」
グランの返事も聞かずにラジェは部屋から出ていった。
「俺もそうしたかった」
小さなラジェの言葉は、誰にも拾われることはなかった。
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