8 初恋

緑色のローブは杖を取り上げられ、魔法が使えないようになる手錠を掛けられて兵士につれていかれた。


 親子に何度も感謝された私は知り合いの治癒魔法が使える魔導師のもとにいくように言い、私の紹介だとわかるように軽く原因が書かれたメモを渡して王宮に戻ることにした。


 王宮に戻ったあと、汚れた手袋は途中、使用人に処分してもらうようにたのみ、グランさんのもとへと向かいことの顛末を報告する。


「子供が人質に……」


「子供に怪我はありませんが、父親は怪我をしていたので知り合いの治癒魔法が使える者のもとにいくように言いました。私の紹介だとわかるメモも持たせましたから、治療はしてくれるでしょう」


「ある程度の補助はするように指示をしておく。すまんな」


「構いません。もとより、治安維持が仕事ですから」


「全く、なんでこうも一度に暴れるんだ……」


 暴れる、か。


 頭をよぎったのは緑色のローブの言葉だった。


 人を生け贄にして儀式をしているような者の言葉を聞くのも微妙な気がするが、今の状態を考えればヤバイ奴の話だって聞いてみてもいいと思ってしまう。


 __「天罰が落ちる」__


 __「厄災が再び現れる」__


 __「二色の宝石をまとった器が現れたのだ!厄災が、今!この時、訪れるのだ!」__


 う〜ん……。


 気になるのが“再び”ってところと、“二色の宝石をまとった器が現れた”っていうところだ。


「あの、気になる発言があったのですが……」


「あぁ、“二色の宝石をまとった器”と“再び”と言う発言か。情報を吐かせるように手を回してもいいが、君が行くか?」


「いえ、私は防衛戦線の報告書をまとめなければ行けないので」


「そうか。調書が上がったらまわす」


「はい」


 直接行ければよかったんだけれど、私は書類仕事が苦手てで、少し時間がかかるから書類仕事の方を優先させてもらうことにする。


「それと、君の騎士団の中で一番、隠密が得意な団員を貸してもらえないか?」


「隠密が得意な者をですか?とすると、ダフネですかね。少人数なら構いませんが、今は噂についての捜索などを行っていますので大人数はちょっと……」


「いや、一人だけで十分だ。懸念を取り除きたいだけだからな」


「承知しました。すぐにダフネにグランさんの元に行くようにいいますね」


 確か、ダフネは“パンドラ”関係の噂についての情報収集で王都にいたはずだから、近くに待機してる部隊の子に言って呼んで貰わないと。


「今日中に来ると思います」


「あぁ、よろしく頼む」


 


 不意に、ラジェの顔が浮かんだ。


 今頃、トゥウィシュテの森で見つけた古い形式の魔方陣と格闘しているところだろうか。


 こんなときにラジェのことを考えてしまうなんて、私骨抜きにされてしまっているのか。


 でも、諦めないといけない。


 色々と、違いすぎるから。


 私は自分の仕事部屋に戻ろうとしたときだ。


「シェナ……あ?」


 息がつまる、息が止まる。


 確かに私の名を、親しい者くらいしか呼ばない私のアダ名を呼んだのは、私に対して冷たいはずのラジェだった。


 振り返った先にいたラジェの表情は「しまった」といった表情が滲んで、口を押さえていた。


 なんで、今になって私のアダ名を呼んだの?


 なんで、そのアダ名で呼ぶのをやめてしまったの?


 なんで、そんな表情をしているの?


 なんで、私に冷たくするの?


 なんで、なんで……。


 いきなりのことに、心臓が跳ね上がって、腹の底を逆撫でするような気持ち悪さが這いまわる。


 その這いまわる気持ち悪さは、複雑にも混ざりに混ざりあった、自分にすら何が混ざりあっているかも分からない、重々しくて、ドロドロのグチャグチャな感情が原因であることが、どこか他人事のように感じ取れた。


 普段は名前を呼ぶことすらもなくて、他人行儀な呼び方ばかりだったからを呼ばれたことへの消えきらない喜び。


 そして、なんで今になって名前を呼んだんだと言う憎しみや恨みじみた感情が体の中で嫌と言うほど暴れまわる。


 そして、ラジェの様子から「私のアダ名を呼びたくて呼んだわけではないのか」と、それを理解したとき、失望が溢れた。


 何かの癖か、それとも無意識だったのか、そんなのはどうだっていいがラジェの意思で私のアダ名を呼んだわけではないと言う事実は私の心を暗くする。


 過去の、仲がよかった頃の思い出が走馬灯のように頭を駆け巡って、ラジェが冷たくなった日の記憶もよみがえる。


 嫌なこと思い出したせいで息が乱れて、だんだんと体温が下がっていき、指先や喉が嫌に風が通るような感覚になる。


 過去と今のギャップに、ラジェが冷たくなったときを思い出してしまったせいで、思わずラジェから視線をそらしてしまった。


 あぁ、なんでよりもよって目をそらしてしまうんだ。


 一瞬だけ出てきた過去の自分を殴り飛ばしてやりたい衝動すらも、重々しくて、ドロドロのグチャグチャな感情に押し潰されて消え失せた。


 どうにか、返事をしなければいけないのに声が音にならなくて、音と言うのも空気が出ていくだけのものしか出ない。


 目を閉じて、深呼吸をして、憎しみや恨みといった負の感情を圧し殺す。


 手を握り混む。


 返事をしろよ、ヘタレ。


 オリビア様の従者として、義弟となり、王族であるラージェナシュタン様の言葉を無視するなど言語道断だろう。


 なあ、王太子妃の護衛騎士よ。


 冷静な部分の自分が罵倒を飛ばすが、それですら声が出ない。


 ラジェが踵を変えそうと一歩踏み出した瞬間、何でか少し前まで出なかったはずの声が出た。


「ラージェナシュタン様、何かございましたか?」


 まるで、行かないでと縋る小さな子供のような声色になってしまった。


 その声色の気づかれないことを祈りつつ、張り付けた笑顔が崩れないように気をはる。


「あっ、いや……」


 私に声をかけられたラジェは、反応が送れた私から返事が返ってくることはないと思っていのか、肩をびくつかせた。


 少し間が空いてから、口を開いた。


「……兄さんの部屋から出てきたようだから、何かあったのかと思って声をかけたんだ」


「そうでしたか。実は城下で騒ぎが起きておりまして、少し前に鎮圧が完了しましたのでご報告に参った次第です」


 オリーの護衛である私が一人でグランさんの所に来ていたら疑問に思うのも無理はないだろう。


 やっぱり、私に用事があったわけでも、私の名前を呼ぼうと思って呼んだわけでもないんだな……。


「騒ぎ?魔獣か?」


「いや、緑色のローブを着た邪神教です。子供を人質にとっていまして、怪我人はおりますが死人はおりません。怪我人には私の知人である、治癒魔法が使える者を紹介しましたので、ご安心ください」


「そうか。ならば、大丈夫か」


「えぇ」


 ……私の心中は穏やかではないけれども。


 会話が終わってしまった。


 沈黙が痛くてしかたがない。


 どうやって、この場から去ればいいか分からなくて、私は何を血迷ったのか、ラジェと会話を続けると言う選択肢をとってしまった。


「ラージェナシュタン様は、グランシュタン様に何かご用が……?もしや、例の魔方陣の効果が分かったのですか?」


「いや、そう言うわけではない。その……あ〜……」


 ラジェは何を考えているのか、気まずそうに目をそらして悩みに悩んだ末に答えを出した。


「……いや、君が知らなくていいことだ」


「そう、ですか」


 頭をガツンと殴られたような気分だ。


 お前は頼りにならないと突き放されたような気さえもした。


 従者としても、頼られすらもしないと言う事実に動揺が隠しきれなくて、声が震えてしまう。


 表情はなんとか崩さずにすんだのは不幸中の幸いと思うべきだろう。


「危ないことではないのですね?」


「……そうだ」


「それならば、良かったです」


 私の数少ない取り柄である強さは必要ではないらしい。


 それどころか、早く会話を切り上げようと思っているのか、簡素な返事しか返ってこない。


「俺は、兄さんに用があるから……」


「そうですか。私も、防衛戦線についての書類をまとめねばなりませんので、ここで」


「あぁ」


 これ以上引き留める理由も、引き留められる度胸も、喋り続ける自信も、私にはなかった。


 踵を返してラジェから私の姿が見えなくなったところで走り出す。


 城の人に今の姿を見られないように道を選んで、普段は書類仕事のために使っている部屋に飛び込んだ。


「はぁ、はぁ……。なんで……」


 服の上からネックレスのようにしている鍵を握りこむ。


 諦めるべきだって、忘れるべきだって、思っていたのに何で許してくれないの……。


「あぁ……。泣くな、泣くなよ……」


 部屋に入った途端に溢れてくる涙を拭って、拭って、しまいには煩わしくなって涙を拭くことをやめて部屋のすみに縮こまる。


「……」


 苦しいから、初恋なんて忘れさせてよ。


 小さいときの言葉なんて意味はないのに、私はスラム上がり護衛騎士でラジェは王族なんだから叶うわけもないのに。


 いつも、いつもそうだ。


 私が忘れようとする度に、今日みたいなことが起こるんだ。


 嫌い、嫌い、大嫌いだ。


 そうやって言えたら、自分をごまかせたら楽なのに出来ない。


 これ初恋だけは圧し殺せない。


「でも……今更、好きとか言えるわけもないじゃん」


 嫌われてしまったから、もう子供でないから、身分の差があるから、言ったところで現状が変わることもない。


「あ、血……」


 どれくらい、部屋のすみで縮こまっていたんだろうか。


 ふと、手に違和感を感じて見てみたら、手のひらに傷ができていて、そこから血が流れていた。


 きっと、手袋をしていなかったから手を握り混んだときに爪でやってしまったんだろう。


 痛みを感じる余裕もなかったから気が付くのに送れてしまったが、別にいいか。


 手当て……はいいか。


 どうせ、そのうち血は止まるだろうし。


 それよりも書類仕事をしなければ行けないことを思い出した。


 席について、たんたんと苦手なな書類仕事をこなしていく。


 今の感情を忘れられるように、今の感情が落ち着くように、筆を進めていく。


 いくらか書類を片付けて感情が落ち着いたところで、ちょっと多めに砂糖をいれたミルクティーに口をつけた。


「甘い……」


 普段は服の下に隠してある、アンティーク調の鍵を握りこむ。


 疲れた頭と体、心には甘い紅茶が染み渡る。


 ……甘いものは正義。

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